第61話 あどけない空君
翌朝、起きて1階に下りて行くと、いつもよりテンションの低いパパがいた。
「おはよう、パパ」
「……おはよ」
あれ?なんか、どんよりしていない?
すると、リビングでテレビを観ていたママが私のほうに来て、
「凪、パパが落ち込むようなこと昨日言っちゃった?」
と小声で聞いてきた。
「…パパ、まだ落ち込んでるの?」
「うん。ずっと」
パパは、ダイニングテーブルに朝食を用意して、それからちらっとこっちを見ると、
「凪、食べちゃって」
とまた、低い声でそう言った。
「聖君。明日からご飯は私が作るよ?もうつわりもそんなにひどくないし」
ママが優しくパパにそう言うと、パパがいきなりママに抱きつきに来た。
うわ!いきなり過ぎて、逃げれなかった。目の前でパパがママにムギュって抱きついちゃったよ。
「俺には桃子ちゃんだけだ!どうせ、娘なんて、他の男のほうを選ぶんだ」
「また言ってる…」
ママはそう言いながらも、パパの頭を撫でた。
「でも、お腹の赤ちゃんが女の子だったら、また聖君、可愛がるんでしょう?」
「あ!そうか。凪が空とくっついたって、まだ娘がいるのか!!」
パパの声が一瞬明るくなった。
「いや、やっぱり、いずれは他の男のもとに行くんだ。娘なんて育てたって、悲しい思いをするだけだ。桃子ちゃん、今度も男の子を生んで」
「そう言われても…。女の子かもしれないよ?そうしたら、もう可愛がるのをやめるの?」
「ま、まさか」
「え?」
「可愛がるに決まってるじゃん!」
「……」
ママ、顔がちょびっと引きつった。
「私、朝ご飯、食べようっと。パパは食べないの?」
「…もう食べた~~~~~!桃子ちゃん、2階行こう!今日はデートしちゃおう。デート!つわり、もうよくなったんだよね?それにもう、安定期だよね?」
「デート?」
ママが目を輝かせてる。わかりやすいなあ。
「どこに行きたい?」
「どこでもいい。あ、ドライブしたいなあ」
「OK。じゃ、支度して暑くなる前に出よう」
「うん!」
2人してワクワクしながら、手を繋いで2階に上がって行った。ああ、本当にあの夫婦は、いまだに新婚みたいだよねえ。いいなあ。仲良くて。
「自分はママとラブラブのくせに、私には空君に近づくなだなんて、ずるいよ、パパ」
ぼそっとそう言って、ご飯を私は食べだした。
パパ、今日は水族館お休みか。夜ご飯、まりんぶるーで食べたら怒るかな。家族そろって食べられる日だからって、帰って来いって言うかもなあ。
最近、ママのつわりがよくなってきて、一緒にご飯を食べられるようになった。食卓にママがいると、やっぱり違う。パパと碧、嬉しそうだし。っていう私も嬉しいけど。
ママのお腹はまだ目立ってきてはいないが、確実にお腹の中で赤ちゃんが成長している。この前の検診でのエコーの写真も見せてもらった。来月の検診には、私も一緒に行こうと思っている。
ママの中にいる新たな命。そう思うとなんだか不思議だ。
それにしても、今年の夏もいろんな人が伊豆に来るんだろうなあ。きっと忙しくなる。
去年の夏も、杏樹お姉ちゃん親子、菜摘お姉ちゃん親子、それからひまわりお姉ちゃん親子や、あ、桐兄ちゃん親子も来たんだよなあ。
みんなパパとママと仲良しで、まりんぶるーに来たり、家族連れでパパの勤める水族館に行ったり、私もそれに付き合わされたっけ。
だけど、その場にはいつも、空君はいなかった。受験生だっていうのもあったけれど、まりんぶるーにも全くと言っていいほど、顔を出さなかったんだよね。
だけど、今年は…。
ずっと、空君といられるんだよ~~~~~~~~~~っ!!!
「超、幸せ!!!」
そう天井を仰ぎながら言うと、2階からちょうどパパとママが下りてきて、
「朝から、凪、テンション高い」
と言われてしまった。
「凪、まりんぶるーで空君とずっとバイトするんでしょ?」
ママはにこにこしながら聞いてきた。
「うん」
にっこりと頷くと、パパは、
「む~~~~」
と、苦虫をつぶしたような顔をして、唸りだした。
「もう、聖君、大丈夫だよ~。空君、凪のこと大事にするって言ったんでしょ?」
「うん、そうだけど」
「聖君、だいたい、自分のこといつでも棚にあげちゃうよね」
「え?」
「私、凪を産んだのって、今の凪よりたった1学年上の時だよ」
「………」
あ、パパ、黙っちゃった。
「でも、まだ、空、高校1年だもん」
「だから?」
「け、結婚もできない年だよ。俺はできたけど」
「だから?」
「わ~~ってるよ。桃子ちゃん。俺は思い切り、自分のことは棚に上げてるよ!」
「だよね?」
「ふんだ。いつだって、桃子ちゃんは俺より凪の味方なんだ」
「うん。それはもう、凪が子供の頃から決めてたから」
え?!どういうこと?
「聖君はきっと、凪が高校生くらいになったら、あれこれうるさく言うだろうから、私はちゃんと凪の恋を応援してあげようって思っていたんだ」
「そんな頃から、そんなこと思ってたの?」
パパがびっくりしている。って言う私もびっくりだ。
「うん!そう決めてたし、凪が将来、どんな人に恋をするのかも楽しみだったの。でも、予想通り空君だった」
「え?!予想してたの?ママ」
「うん。なんとなく…だけどね?」
ひゃ~~~~。なんか、顔熱い。
「じゃ、行ってくるから。碧が起きて来たら、自分で朝飯くらい作らせろよ。それと、夜は家でご飯食べるんだぞ、凪。今日は家族全員そろうし」
あ、やっぱり言われた。
「空君も呼んじゃえば?ね?凪」
ママがそうすかさず言った。
「あ、そうか。うん、そうする!」
その手があった!さすがだ、ママ。やっぱり、私の味方だ。
「ふ~~んだ、いいよ。また、空のこと、パパが独占しちゃうから!」
「もう~~。聖君、意地悪すぎだよ。本当に凪に嫌われるようになっても、知らないからね」
「……」
ママの一言で、パパが一気に青ざめた。
それから、2人は出かけて行った。
やれやれ。もし、今度産まれてくる赤ちゃんが女の子だったら、ママじゃないけど、私も味方になってあげよう。そして恋の応援を思い切りしちゃうんだ。
あれ?そういえば、何歳違いの兄弟ができるの?16歳?
私の赤ちゃんだって言ってもいいくらいなのかな。16歳のママだって世の中にはいるし、実際ママも18歳で私を産んだんだもんね。
なんかそう思うと、すごいなって感じる。もし、私だったらって思うと、とても高校生でお母さんになるって決意できないだろうな。
だけど、ママは産むって決意してくれたから、今の私はここにいるんだよね。
じわ~~~~。なんか、感動してきちゃった。
私と空君は、まだまだ。キスはしてるけど、それ以上なんて考えられない。
パパは心配しているけれど、空君だって、ハグするだけで最近、真っ赤になってかたまってるし。
空君と私は、ゆっくりでいいんだ。まだまだ、子供の頃のあどけなさを残している空君の可愛らしさを、私は満喫していたいし。
隣にいて、ほわほわとあったかい、あの可愛いオーラ。それが大好きなんだもん。
碧は部活もなく、デートもしないらしく、11時近くに起きだしてきた。
「もうお昼だよ。ご飯どうすんの?私はぱっと早目の昼ご飯食べてから、まりんぶるーに行くけど」
「何食うの?凪」
「支度面倒だから、レトルトのカレー」
「あ、俺もそれでいいや。俺の分もよろしく。で、それが俺の朝飯兼昼飯」
まったく~~~。こいつはやっぱり自分でしようとしないんだから。
「あれ?母さんは?」
「パパとデート」
「ああ、父さん、水族館休みか」
「ママ、つわりが良くなったとはいえ、外暑いし、早めに帰ってくるんじゃないかなあ」
「そんじゃ、3時のおやつは食えるかもな。なんか買ってきてもらおうっと」
そう言って碧は、携帯を取り出し、どうやらママにメールをしたようだ。ほんと、マザコンなんだから。
私はさっさとカレーを食べて、
「じゃ、行ってきます」
と家を出た。碧は、
「空によろしく~」
と言って、ダイニングで一人、くつろいでいた。
デートでもしたらいいのに。っていうか、塾は?いつから始まるんだろう。
まあいいや。人のことは。私は今年の夏は、ウキウキのワクワクの夏になるんだから。
浴衣を着て絶対に花火をするんだ。それから、プール行って、映画観に行って、プラネタリウムも!
バイト代はいるから、いろいろとデート実現できるかもしれないよね!
ワクワク、ウキウキしながらまりんぶるーに到着し、ドアを開けた。
「おはようございます」
すると、店にはたくさんの女の子たち。
え?なんで?なんかいつもと客層が違う気が…。
「空君!注文いい?」
「空君!こっちにお水お願い」
うわ~~~。この子たち、みんな、空君狙いか…。
もう空君がここでバイトしているの、噂が広まったんだ。早いなあ。まあ、小さな町だもんね。広まるのもあっという間かな。
「空君、おはよう」
「あ、凪。凪が接客のほうをしてくれないかな」
空君、顔引きつってる。
「いいよ」
と私は言ったが、キッチンの中から、
「空君が聞きに行ってね」
と言うくるみママの声が聞こえてきた。
「う…はい」
空君はちょっと憂鬱そうに、ホールのほうに歩いて行った。
「くるみママ、空君にはきついんじゃないかなあ、ホール」
「あら、でも、あの子たち、空君と同じ中学の同級生なんだってよ?空君に会いに来たんだから、空君が行かなくっちゃ」
「でも、ああいうの空君苦手だよ」
「そうだろうけど、もうちょっと慣れないとね?接客も」
くるみママも、スパルタなのかな。春香さんは、我が息子が気になるのか、さっきからホールを見てそわそわしているけど。
っていう私も気になる。あ!空君に笑いかけている子、なんかすっごく可愛いかも!
「空君、今度サーフィン一緒にしようよ」
「空君、花火大会行かない?」
「空君、泳ぎに行こうよ」
うわ~~。なんだか、積極的な女の子ばかりだ…。ほら、空君、かたまってるよ。
「悪いけど、そういうのは無理だから、俺」
「なんで?!いいじゃん。みんなで行こうよ。他の男子も誘うよ?」
「いや…。俺、彼女いるし、他の女の子と出かけるのはやっぱ…。っていうか、バイトとデートで忙しいから」
「空君に彼女?!」
あ。みんなが同時に驚いた。
「うっそ~~~」
「まさか~~~」
「まじで、いるから」
空君はクールにそう答えた。こういうこと話すとき、空君、いっつも照れないんだよね。あれはなんでかな。
「同じ高校の子?」
「うん」
「クラスメイトとか?」
「いや…」
ドキドキ。ここにいる私だって、ばらさないよね、まさか。
「空~~~。凪ちゃ~~ん。昨日はクロの散歩ありがとうな~~」
そこにタイミングよく、いや悪いのかな。爽太パパがリビングからお店にやってきた。
「あ、爽太パパ」
「凪ちゃん、聖から夜中にメールが来てた。凪に嫌われた、どうしようって、落ちてたけど」
「え?パパから?」
「また聖の奴、2人がデートしているところを邪魔したんだろ?しょうがないよなあ。俺からも邪魔するなって言っておいてやるからな」
うわ。今のホールに丸聞こえ。だって、ホールからキッチンに来る間に、でかい声で話しているんだもん。
「空君の彼女って、ここでバイトしている人?」
ほら。一人の子が勘づいちゃったよ。
「ああ、うん。そう」
うわ!空君もあっさりとばらしちゃったよ。
「そうなんだ。バイトで知り合ったの?」
「違うよ。同じ高校で同じ部なんだ」
「それで、一緒にバイトすることにしたの?」
「うん」
なんか、さっきまで顔引きつっていたのに、今は空君、しっかりと答えている。
「そうなんだ。空君、彼女いるんだ」
「うわ~~~。なんだか、ショック」
空君目当てだった子たちは、みんな相当ショックを受けたのか、落胆している。
空君は逆に、明るい顔をしてキッチンに戻ってきた。
「ね?ああいう時はちゃんとばらさなくっちゃ。彼女のことをきちんと紹介しちゃえば、みんな諦めてくれるから」
爽太パパがにっこりしながら、空君にそう言った。
「え?さっきの、もしかしてわざと爽太パパ言ってくれたの?」
私がびっくりしてそう小声で聞くと、
「もちろん。空も凪ちゃんも困ってたみたいだったからさ」
と、爽太パパはにこやかに答えた。
すると、空君は少し照れながら、
「さ、サンキュ」
と爽太パパにお礼を言った。
「ふふふ。なんだか、微笑ましいカップルよねえ。れいんどろっぷすにいた頃を思い出すわ」
くるみママが唐突に笑いながらそう言った。
「え?どうして?」
私がきょとんとして聞くと、
「だって、れいんどろっぷすって、恋が叶っちゃうカフェだったから」
とくるみママは、どこか遠くを見た。
「そういえば、れいんどろっぷすをモデルにした漫画があったっけ。なんか、懐かしいわね」
くるみママはまだ、遠い目をしている。
それ、私も知ってる。パパがモデルの「恋するカフェ」っていう漫画。すごく人気が出て、10年くらい連載が続いたんだよね。小学校の時、友達の間で話題になったんだ。あれって、凪ちゃんのパパがモデルなんでしょって。
あのマンガの載っている週刊誌に、実際に恋が叶ってしまうカフェが江の島にあるって話題になって、いっとき、客がどっと増えちゃって大変な思いをママとくるみママがしたんだった。でも、その頃パパは大学の研究所で働いていたから、いっさいれいんどろっぷすに顔を出さないで、だんだんとお客さんも減って行き、平和が戻ったんだよね。
れいんどろっぷすでは、たくさんのカップルが誕生したし、カップルになってから来たお客さんもたくさんいるんだよって、ママが教えてくれたことがある。
杏樹お姉ちゃんも、やすお兄ちゃんがアルバイトに来て、両思いになっちゃったって。
それから、アルバイトしていた紗枝さんも、れいんどろっぷすでアルバイトしていた人とお付き合いをするようになったって。ただ、れいんどろっぷすを2人とも辞めちゃったら、別れちゃったらしいけど。
桐兄ちゃんも、麦お姉ちゃんとれいんどろっぷすで知り合ったんだよね。それに、あの「ウィステリア」の籐也君も、ママの友達の花お姉ちゃんとれいんどろっぷすで再会して、お付き合いが始まったらしいし。
「まりんぶるーも恋が叶うカフェになっちゃうかしら」
くるみママがそう言って、また嬉しそうに笑った。
「無理無理。女の子は多いけど、ここって男の客来ないし」
春香さんがすかさず否定した。
「それに、ふだんは、お客さんも少ないし、アルバイトもそうそういらないしね」
「そうか。残念。お店で恋が生まれるのは、ひそかな楽しみだったのよねえ」
「そうだったの?くるみママ」
「そうよ。楽しかったわよ。杏樹とやす君の時も。ね?爽太」
「ああ、楽しかったなあ。桐太と麦ちゃんの時も面白かったしなあ」
爽太パパまで楽しんでいたのか。
「紗枝ちゃんは残念だったわね。あのまま、結婚するかと期待したけど、やっぱり年下の彼じゃなかなかねえ」
くるみママがそう言うと、それを聞いていた空君の顔が一気に青ざめた。
「そ、そういうものですか?」
「あら!空君と凪ちゃんは大丈夫よ」
「そうそう。ベストカップルだよな。そうそうこんな仲のいいカップルはいないんじゃないのか?」
「爽太パパ!恥ずかしいよ」
私は恥ずかしくなって、爽太パパの背中を叩いた。
「あはは。凪ちゃん、照れちゃって!って、空のほうが真っ赤だな」
爽太パパの言葉を聞き、私も空君を見た。あ、本当だ。空君、真っかっかだ。
「べ、ベストカップルって…。なに?」
そう空君はぼそっと言うと、私と目が合い、ぐるっと後ろを向いてしまった。
あ、耳、真っ赤だ。
やっぱり、空君、可愛い!
ムギュ!
「だから、凪。人前ではあまり、抱きつかないで…」
空君の背中に抱きついたら、空君にそう言われてしまった。
「ごめん」
慌てて離れたけど、キッチンではくるみママも、爽太パパも、そして春香さんも、優しくあったかい目で私たちのことを見ていてくれた。
「くす。子供の頃の凪ちゃんに、すっかり戻ったのね」
「本当ね」
くるみママと春香さんがそう言って、爽太パパは優しく笑っていた。




