第5話 淡い期待
片付けも終わり、私たちは部室を出た。
「あ、榎本さん。この前はありがとう。妹、ケーキ美味しいって喜んでたよ」
「良かったですね。でも、お礼は私でなく、春香さんに…。あ、空君のお母さんなんです。あのケーキ作っているのは」
「え?相川君の?」
先輩はびっくりした顔で空君を見た。
「へえ、そうなんだ。あれ?あそこの店ってでも、榎本さんの家じゃないの?」
「いいえ。私の祖父の家です。あ、正確にはひいおじいちゃんの…」
「そうなんだ」
先輩はそう言って、しばらく黙り込んだ。空君も黙っている。
「空、腹減らない?食堂でアイスでも食っていこうぜ」
鉄がそう言った。でも空君は、
「まっすぐ帰る」
と言って、さっさと廊下を歩いて昇降口に向かっていった。
「なんだよ、待てよ、空」
空君の後ろを、鉄も慌てて追いかけた。
「あいつら、仲いいんだか悪いんだか、わかんないね」
先輩は私と歩幅を合わせ、そう言いながら笑っている。
すると、前を歩いていた空君が、いきなりこっちを向いて、
「今度の部活動、いつですか?」
と聞いてきた。
「ああ、そろそろ暖かくなってきたし、一回、夜に集まって星の観察しようかって思ってるよ」
峰岸先輩がそう答えると、なぜか空君は私を見て、
「帰んないの?」
と聞いてきた。
「え?帰るけど」
「じゃ、急がないと、電車逃すよ」
「あ!ほんと?そんな時間?」
私は峰岸先輩にペコッとお辞儀をして、昇降口に走っていった。
「なんだよ、別に榎本先輩が乗り遅れたって、どうでもいいじゃん」
先に校庭に出ていた鉄が、大きな声で言ってきた。ムカつくなあ、本当に。
「……」
それに対して、空君は何も答えなかった。
確かに、この二人は仲がいいんだかどうかは微妙だ。鉄が勝手に空君にひっついているように見えるけど、空君のそっけない態度、なんとも思わないのかなあ。
「あ~~あ、かったるい。空、行かないだろ?星の観察なんて」
駅に向かいながら、鉄は空君にそう聞いた。
「行くよ、多分」
空君は言葉少なにそう答えた。
「え?」
私も鉄と同時に驚いてしまった。人が集まる場所って、空君、嫌がりそうなのに。
「俺、自然には興味あるから。天体望遠鏡で星を見てみたいし」
「まじで?まじで空、夜に学校行くの?それとも学校にずっと残ってるのか?」
「さあ?いつもはどうしてるの?凪」
ドキン。また、凪って呼ばれた。それだけで心臓が高鳴っちゃうよ。
「え、えっと。休みの日だったら、夜に学校に行くし、普通の日ならそのまま残るし」
「どっちも俺はパス。めんどうくせ~~。俺は名前貸しただけで、部活に出る気はまったくないから」
鉄はそう言うと、なぜだか足を早めた。
「空、早く行こうぜ。のんびりしてたら、電車来るぞ」
「…まだ、余裕だよ」
空君は腕時計を見ると、そう答えた。でも、もうすでに早歩きになっている鉄は、さっさと駅に向かって行ってしまった。
「……」
空君は私のほんのちょっと先を、ゆっくりと歩いている。私と歩く速さを同じにしてくれているようだ。
「空君、星、興味あるんだね」
「……見てても、飽きないじゃん」
「え?」
「それに、綺麗だし」
「うん、そうだよね」
空君は、街路樹をなんとなく眺めたり、空を見上げたりして歩いている。
「空君、自然好きだよね。木も空も海も。昔から」
「……」
空君はちらっと私を見て、またすぐに前を向いた。
それからは駅まで、無言で歩いた。でも、こんな近くに空君がいてくれるのが嬉しくて、私は幸せだった。
はあ。つくづく感じてしまう。私って、相当空君が好きなんだなあ。
私は、電車に乗ってから、空君とはちょっと離れた。空君はドアの近くに立ち、その横に鉄が立って空君にいろいろと話しかけている。
空君は、ドアにもたれかかり外を見た。その横顔を見ていると、なんだか胸がキュンとした。
空君はいつも、何を見ているの?空、海、自然?それは空君のことを、もしかして癒してくれるの?
夕飯の後、私は部屋のベランダに出て外を眺めた。潮の香りと波の音がする。江ノ島にいる時には、波の音までは聞こえなかったなあ。
「な~~ぎ」
ドアをノックして、パパが入ってきた。
「なあに?パパ」
「あれ?どうしたの?ベランダに出たりして、黄昏てた?」
「ちょっと、波の音が聴きたくなって」
「……パパがいると邪魔かな?」
「ううん」
私の横にパパが来た。それからパパも、海を見た。
「ねえ、パパ」
「ん?」
「パパは海が好きでしょ?」
「好きだよ」
「癒される?」
「そうだね。海を見たり、波の音を聞いていると癒されるかな」
「じゃあ、あとは?どんな時、癒されるって感じる?」
「凪と一緒にいても、ママと一緒にいても感じるよ」
「…私って、冴えない子だって思う?」
「はあ?凪が~~~?」
「波風のない、何もない状態のつまらない女の子だって思う?」
「誰にそんなこと言われたんだよ」
パパが私の鼻をぎゅってつまんで聞いてきた。
「ううん。誰ってわけじゃなくって」
「思わないよ。凪は最高の女の子だもん。あ、でもさ、他の奴が凪の良さをわかんなくてもいいよ。そうしたら、凪とずっと一緒にいられるもんね?」
「良さなら、わかってくれてる人いるけど」
「え?!」
「天文学部の部長」
「なんだと?!まさか、コクられた?!」
パパが目を丸くして聞いてきた。
「ううん。いい子だって。でも、きっと私、いい子どまりなんだよね」
「そんなこと、そいつが言ってたのか?」
「ううん。いい子どまりっていうのは、鉄が」
「鉄?!」
「ううん。なんでもないよ」
危ない。変なこと言うと、パパ、鉄のところに怒鳴りこみにいきそう。
「天文学部ってさ、夜によく集まりあるじゃん。今までは、千鶴ちゃんが一緒だし安心していたけど、安心していられないんだな、もしかして」
「え?なんで?」
「その部長ってやつだよ。凪を好きかもしれないんだろ?」
「ないない。有り得ないから」
「じゃ、鉄」
「それもない。絶対にないから」
「む~~~。でも、パパは心配だ」
「大丈夫だよ。私、全然もてないし」
「ああ!桃子ちゃんと同じこと言ってる。そういう自覚がないのが一番危ないんだ」
そう言ってパパは、じいっと私の顔を見ている。
「……」
これ、何度も聞かされてる気がするなあ。
「やっぱり、空に言っておこう」
パパは前を向くと、いきなりそんなことを言いだした。
「空君に?なんて?!」
「凪に悪い虫がつかないよう、見張っとけって」
「そ、そんなの。空君聞かないよ。私のことどうでもいいみたいだし」
「言っておく!」
パパはきりっとした顔でそう言うと、私の部屋を出て行った。と思ったら、すぐにまたドアが開き、
「忘れてた。凪、お風呂もう入った?パパとママ、先に入ってもいい?」
と聞いてきた。
「いいよ。でも、私もこれから入るから、のんびりしているのはやめてね」
「は~~~い」
パパはドアを閉めると、
「桃子ちゅわ~~~~ん!お風呂入ろう~~~~」
とルンルンの声を出して、階段を下りていった。
ああ、なんだってあの夫婦は、あんなに仲がいいのか。呆れるほどの仲の良さだよね。羨ましい。
「は~~~あ。私には現れるのかな。素敵な彼氏。本当にママが羨ましいよ。あんなかっこいい人に惚れられちゃって。それもベタ惚れ…」
パパは理想だ。かっこよくて、何でも出来て、すごく優しくて。でも、ママ以外の女性にはクールで、ママ一筋で、家族思いで。
あんな素敵な人はそうそういないと思う。だけど、それは理想。
理想だったらパパだけど、現実で好きなのは空君だ。弱かった空君。すぐに熱を出した空君。でも、そんな空君でも大好きだった。
可愛くて、愛らしくて、一緒にいるとあったかくって…。
あの、空君にやっぱり、会いたいなあ…。
翌朝、また駅に着くと、ホームに空君と山根さんが並んで立っていた。山根さんは、始終笑顔で空君に話しかけ、空君は「うん」とか「ああ」とか相槌をうっているようだ。
「おはよう、凪」
「あ、おはよう。千鶴」
「あれ?相川君、また女の子といるね。朝からモテてるね」
「うん」
「おはようっす。小浜先輩」
「あ、おはよう、谷田部君」
「あ、俺、ずっと気になってたんですけど、谷田部君っての苦手だから、鉄でいいっすよ」
「そうなの?じゃあ、そうだなあ、鉄ちゃんって呼ぼうかな?私も」
「あれ?榎本先輩もいたんだ」
わざとらしい。すっごく今のわざとらしい。
「空!お~~っす」
鉄はすぐに空君の方に行ってしまった。ちょっとホッとした。
「鉄ちゃん、まじで天文学部に入部するのかな」
「昨日入部届け出しに来たよ」
「ほんと?って、凪、部室行ったの?」
「うん。掃除したよ。すごく散らかってた」
「えらいなあ。凪は…。で、まだ峰岸先輩に告られない?」
「だから~~~。先輩は私のことなんて」
「凪はどう思ってるの?峰岸先輩」
「私は別に」
「またまた~~。掃除しに行ったりして、本当は凪もまんざらでもないんじゃないの~~?」
うわ。やめてくれ、そんなことを大きな声で言うの。すぐそこに空君だっているのに。と思いつつ、ちらっと空君を見ると、山根さんに話しかけられ、うんうんと相槌をうっているところだった。
ああ、私のことなんか、耳にも入らないか。
なんとなく、空君たちの後ろを歩く形になり、ほとんど一緒に学校に着いた。校門を抜け、校舎に入ろうとすると後ろから、
「榎本さん」
という声が聞こえてきた。
「はい?あ、峰岸先輩」
千鶴と一緒に振り返ると、峰岸先輩が小走りにこっちに向かいながら話しかけてきた。
「ちょうどよかった。榎本さん、昨日は部室の掃除ありがとう。あ、相川君と谷田部君もありがとうね」
私たちのすぐ前にいた二人にも、峰岸先輩は声をかけた。
「いえ」
空君は一言そう言った。鉄は黙っていたけれど。
「それで、悪いんだけど、今日も出てくれないかなあ。今日は本の整頓をしようと思っているんだ」
「本?」
私が聞くと、
「うん。昨日も見てわかったとおり、本棚がごちゃごちゃになってたでしょ?ダンボールの中にも適当にしまいこんだ本がいっぱいあって、それを整理整頓したいなって、ずっと思いながらもできていなかったんだよね」
と峰岸先輩は話しだした。
「たり~~」
鉄が小声でそう言ったのが聞こえた。
「あ、小浜さんも今日あいていたら」
「ごめんなさい。今日は予定があるんです」
峰岸先輩が最後まで言い終わる前に千鶴は断った。う、千鶴、いっつも断るのだけは早いんだから。
「俺もすみません。予定あります。あ、空もあるよな?」
鉄!さっき、たり~~っていうの、峰岸先輩にも聞こえてたよ。
「本って、星の本ですよね」
「そうだよ」
空君の質問に先輩が答えた。
「それ、整理整頓したあと、見てもいいですか?」
え?
「ああ、いいよ。なんなら、貸出もするけど」
「いいですか?」
空君がちょっと喜んでいる…みたいだ。声がいつもより明るくなった気がする。表情は変わらないんだけど。
「じゃ、俺、帰りに部室寄ります」
「助かるよ。あ、榎本さんは来れるよね?」
「え?はい」
「じゃ、よろしくね」
先輩はそう言ってにこっと微笑んだが、ちらっと千鶴を見ると、小さくため息をついた。やっぱりね。
「空、お前正気?幽霊部員でもいいって言うから引き受けただけで、部活出る気ないって言ってたじゃん」
先輩が見えなくなると、鉄が空君に聞いた。
「あ、でも、星には興味あるから」
空君はそう一言言うと、昇降口に向かって歩き出した。
「空君、真面目に部活出るの~~?ねえ、天文学部って、星の観察とかするんでしょ?」
山根さんが昇降口から、ひょいっと顔を出して空君に聞いてきた。あれ、まだいたんだ。もうさっさと先に行ったかと思っていたのに。
「夜、学校で星を見たりするの?」
「そうみたいだね」
空君が答えず、鉄がそう答えた。
「空君も見に来るの?それ、部外者でも見ていいの?」
山根さんがしつこく空君に聞いた。山根さんは鉄の方なんかまったく見ようともしない。ああ、空君に気がありますっていうのが、見え見えだ。
「さあ?」
空君は首をかしげて上履きに履き替えると、さっさと廊下を歩いていってしまった。
「ま、待ってよ。空君!」
その後ろを山根さんも慌てて追いかけていった。
「あの子、相川君に気があるんだね」
一人置いていかれた鉄に、千鶴が聞いた。
「山根?なんか中3の時から、空君、空君って、しつこく話しかけてるけど、空はいつもそっけなくしてるよ」
「へえ、そうなんだ。相川君って、クールなんだね」
「女になんて興味ないんじゃね?空は、海とかにしか興味ないみたいだし。あ、でも、星にも興味あったんだなあ」
そう言いながら、鉄は上履きを履くと、千鶴にだけ「じゃ!」と挨拶をして行ってしまった。
「なるほど。相川君って女にもてても、そっけなくするんだね」
千鶴は独り言のようにそう言って、「へ~~」とか「ふ~~ん」とか、しばらく一人で感心していた。
何かな?
それにしても、空君が真面目に部活に出るなんてびっくりだな。中学の頃の水泳部だって、よくさぼっていたみたいで、勝手に帰っちゃって、海で鉄と泳いでいたなんてこと、しょっちゅうあったみたいだし。
そんなに星に興味持っちゃったのかな。
でも、同じ部に入ってくれたし、もし、これからどんどん部活に空君が出るようなら、私もどんどん部活に出ちゃおうかな。
それで、もっともっと、空君と話せるようになれたらいいな…。
そんな期待を抱きながら、私は放課後を待ち望んでいた。




