第45話 新入部員
夕飯が出来上がり、碧も帰ってきてみんなで食卓を囲んだ。とは言え、ママだけはまだつわりがあって部屋から出てこられなかった。
「いっただきま~~す」
碧は元気よくそう言うと、ピザをほおばった。空君は静かに「いただきます」と言い、サラダを食べ始めた。
「うめ~~!」
碧の一言でパパが目を細めて喜んだ。
「空もたくさん食べろよ」
パパはそう言うと、美味しそうにピザにかぶりつき、
「うま!俺って天才」
と自画自賛した。
「聖さんって、なんでも出来ますよね」
空君がぽつりと言うと、
「料理なんて簡単だよ。きっと空も出来る。けっこう作り出すと楽しいもんだよ」
とパパはにっこりと微笑みながらそう答えた。
「俺もたまに料理するけど、楽しいよ。けっこうはまる」
碧が生意気なことを言った。でも、パパはそれを聞き、ニコニコ微笑んだ。
「うちの父さんは料理、全くしない人だから」
「櫂さん?そうなんだ。家でもしないんだ」
「母さんが、料理上手だし」
「春香さんは、ケーキもだけど料理うまいもんなあ」
パパはそう言ったあと、
「あ、桃子ちゃんも上手だけど!料理学校行ってちゃんと習っているしさ」
とにやけながら付け加えた。
「桃子さん、つわり、まだ大変なんですか?」
空君が聞いた。
「うん。あと2~3ヶ月は続くかもな~」
パパがそう答えると、空君は、
「大変ですよね。妊娠って」
とぼそっと呟いた。
「そういうこと。だから、簡単には凪に手を出さないでね?」
「…?!」
空君の目が丸くなった。
「ちょ、パパ!何言ってるの?!」
「そうだよ。母さんが妊娠したのは高校生の時だろ?人のこと言えないじゃん」
「…う、うん。まあ、そうなんだけどね」
パパが碧の言う言葉に顔を赤くしながら、頭をぼりっと掻いた。
「あの…」
空君はしばらく黙り込んでいたが、顔をまっすぐパパに向けて、
「そういうことはないですから、安心してください」
と真剣な顔でそう言った。
「へ?」
あ、パパの方がびっくりしている。
「だから、その…。凪とそういう関係には絶対にならないですから、安心してください。俺ら、そういうんじゃないし」
「…あ、そ、そう?」
パパの方が戸惑っちゃってる。それからパパは私をチラッと見ると、
「それは安心だ。うん」
とまた空君の方を向き、そう答えた。
私は空君をちらっと見てみた。空君も私を見たけど、すぐに視線を外し、水を飲むと、
「御馳走様でした」
と丁寧にパパに言った。
「空、ゲームしようぜ」
「あ、でも、そろそろ帰らないと…。今日、実験をして、そのレポート書かないとならないんだ」
「そっか~~。ちぇ~~。じゃ、また週末にでもうちに来て」
「うん」
空君は碧に微笑んで頷くと、
「じゃあ、俺、帰ります」
とダイニングをあとにした。私、碧、パパとで玄関まで送りに行くと、
「それじゃ」
と空君はさっさと靴を履き、さっさと家を出ていってしまった。
「凪、いいの?」
「え?」
「なんかお礼を言うとか、お休みって言うとか、ほんのちょっと送るとか」
「……うん」
パパに聞かれたけど、私もさっさとダイニングに戻り、テーブルの上を片付けだした。
「あのさ」
パパもダイニングに来て、食器を片付けながら、
「ごめんね、凪。パパ、なんか余計なこと言ったかも」
と申し訳なさそうに謝ってきた。
「え?」
「でも凪、落ち込むなよ?空はきっと凪のこと大切に思ってるんだよ」
「なんのこと?」
「だから、そういう関係に絶対にならないって言ってたけど」
「ああ、あれ…。大丈夫。本当にそういうんじゃないもん、私たち」
「そういうんじゃないって?」
「だから、付き合ってるわけでもないし」
「……でも、凪は空のこと好きなんだろ?」
「空君は私のこと、幼なじみか兄弟みたいに思ってるの」
「恋の対象じゃないって、前にもそんなようなこと言ってたっけ」
「そうだよ。だから、空君だってああ言ったんだよ」
「……凪?」
「なに?」
「ギュ!」
いきなりパパが抱きしめてきた。
「な、なに?パパ」
あ、もしかして凪は誰にも渡さないとか、そんなことをまた言い出すのかな。
「凪、なんだか寂しそうだから。パパ、いつでも胸を貸すからね?いつでも抱きついてきていいよ?パパの胸は凪と桃子ちゃん専用なんだから」
「…」
私、そんなに今、寂しそうな顔をしていたのかな…。
そこに碧も来て、私とパパを黙って見ていた。碧、もしかして今、呆れてる?
「凪、あんまり落ち込むなよ」
碧が私にポツリとそう言って、
「風呂入ってこようっと」
と2階に上がっていった。
う、うわ。碧にまで慰められた。そんなに私、落ち込んでいるように見えたの?
「パパ」
「ん?」
「私ってもしかして、顔に全部出てるのかな」
「うん」
「……」
今まで必死に隠しているつもりだったけど、全部みんなにバレていたのか…。
「じゃあ、空君にもバレているのかな」
「空?どうかな。空ってそういうの疎そうだからなあ」
パパはそう言うと、私の頭を撫でてから、
「洗い物しちゃおうか?」
と私を抱きしめていた手を離した。
「うん」
それからパパと、明るく楽しい話をしながら一緒に洗い物をした。私がパパの言うことに笑うたび、パパはほっとした顔をしていた。
いつも思う。私はパパやママにいつも見守られているなあって。パパはこうやって私の表情を見ながら、きっとずうっと気にかけていてくれたんだね。
その優しさはとっても暖かくて大きくて、安心できる。
だけど、部屋に一人でいると、つい空君のことを思いだし、胸がチクチクと痛んでしまう。
「はあ…」
溜息まで漏れた。ああ、やっぱり私は、どんどん欲張りになっているんだよね。
空君も優しい。私のことをあんなに心配してくれた。隣にいるとあったかくって、安心する。
だけど、時々見せる空君の、よそよそしい表情…。ぱっと視線を他に向け、私に心の内を見せてくれないようにしているような、そんな気がする。
そんな時、ものすごく空君を遠く感じる。空君は私に心を開いてくれていないんじゃないかって、そんな気がしてしまう。
なんだか、空君がよくわからない…。ものすごく近づけたと思うと、また距離ができる。心を開いてくれたと喜んでいると、パッと閉じられる。
優しく私を見ていてくれると思うと、さっと視線をそらされる。
そのたび、私はどうしていいかわからなくなる。
空君…。なんだか、切ないよ…。
翌日、放課後部室に行くと、もう空君と黒谷さんが部室にいた。
「あ、天文学部に入ったの?」
千鶴が黒谷さんに聞くと、黒谷さんは俯いたまま、
「はい」
と頷いた。
峰岸先輩は、嬉しそうに部室に来た。部員が増えたことが嬉しいようだ。
そういえば、鉄は来ないな~。部活に出るようなことを言っていたんだけど。
「今度の星の観察なんだけど、梅雨に入る前にしようかと思っているんだ。みんな、出られそうかな」
ニコニコしながら部長がそう言った。
「大丈夫ですけど、黒谷さんは出られるんですか?」
千鶴が冷静にそう聞いた。
「え?なんで?黒谷さん、夜出歩いちゃいけないとか、門限とかあるのかな?」
「い、いえ。そういうのはないです」
黒谷さんは消えそうな声でそう答えた。
「でも、この前も出たんだよ。幽霊。夜の学校って出るんだよね。特に部室の前の廊下、出やすいみたい」
千鶴がわざと低い声で黒谷さんに言うと、黒谷さんは隣にいた空君に体を寄せ、
「空君も星の観察の日、学校くる?」
と空君をすがるような目で見ながら聞いた。
「来るけど」
空君はそう答えてから、
「出やすいのはこの廊下だけ。観察は屋上でするし、大丈夫じゃないかな」
と、優しい口調で黒谷さんに言った。
「そっか。それに空君もいてくれるし、安心だよね」
黒谷さんがほっとした顔を見せた。
「だけど、空君は見えるってだけで、幽霊退治ができるわけじゃないんでしょ?じゃあ、空君がいるからって安心できないじゃん」
「え?」
千鶴の言葉に黒谷さんが不安の表情を見せた。それから空君の方を見た。
「大丈夫だよ。確かに俺、退治はできないけど。それに霊が出たとしても黒谷さんに何かするわけでもないしさ」
「うん。私、空君がいてくれるだけで、安心できる…」
黒谷さんはそう言って、嬉しそうに微笑みながら空君を見た。
え?今のセリフって…。それって、私がずっと空君に言っていた気がする。
空君も、黒谷さんを見て、優しい表情をした。
それって、黒谷さんを見守ってるよっていうことかな。
それって、もう私のことは空君、守ってくれないのかな。
ダメだ。気持ちが沈むとまた霊を呼んじゃう。もう考えないようにしないと。
何か他のことを考えよう。何か他の楽しいこと…。
ダメだ。目の前で黒谷さんが空君に嬉しそうに話しかけているのを見るだけで、胸がギュって痛む。
バタン!
その時に勢いよくドアがあき、
「すげえ遅刻した。すみません、部長」
と鉄が部室に入ってきた。
「あれ?谷田部君来たんだ。もう部には出てこないのかと思ったよ」
「…まあ、たまには出てもいいかなって思いまして。なんか最近暇だし」
そう言いながら、鉄は私の横にパイプ椅子を持ってきて、ドカっと座った。
「鉄ちゃん、もう来ないかと思ったよ」
千鶴がそう言うと、空君は千鶴と鉄を交互に見て、
「天文学部、出る気なかったんじゃないの?」
と低い声で鉄に聞いた。
「あ~~~。うん。出るのやめようって思ってたけど、気が変わったからさ。あ、黒谷さんも天文学部入ったんだ。星に興味あったの?前の学校も天文学部?」
鉄は黒谷さんに顔を近づけそう聞いた。
「いえ。そういうわけじゃ」
黒谷さんは、鉄から顔を遠ざけてそう答えた。
「じゃ、なんで天文学部に入ったの?」
鉄は意地悪そうな声で、また黒谷さんに聞いた。
「いいじゃないか。部員が増えてくれるのは本当に嬉しいよ。星のことは徐々に興味を持ってくれたらいいんだしさ」
峰岸先輩はそう言ってから、嬉しそうに千鶴を見て、
「小浜さんもまったく星に興味なさそうだったのに、今は真面目に部に出てくれるしね。星の本にも興味持ってくれたようだし、部長として嬉しいよ」
と声を弾ませた。
「…いえ。別に星には興味持ってないけど、この部ってぬるいから楽っていうだけで」
千鶴が冷めた顔をしてそう言うと、峰岸先輩は一気に顔を沈ませた。あ~~~あ。落ち込んじゃったよ。
あ、でも、鉄が来てくれたおかげで、沈んでた私の気持ちが変わったかも。
「榎本先輩、部に出たご褒美としてジュースおごって」
「え?なんで私が?」
「部費から出してよ。そんで買ってきてくんない?俺、喉渇いちゃって」
「部費を出してもいいけど、自分で買いなよ」
「え~~。かったるい。俺、カフェオレがいいな。甘いやつ」
「買わないよ。自分で行ってきなよ」
私はそう言って、部費の小銭を出した。
「じゃ、俺も行くから付き合って。先輩もなんか買えばいいじゃん」
「あ、それじゃ二人にみんなの分も買ってきてもらおうかな。黒谷さんは何がいい?缶コーヒー?」
峰岸先輩は若干明るさを取り戻して、黒谷さんに聞いた。
「え?私は、じゃあカフェオレで」
「相川君はポカリ?」
「あ、はい」
「私、ミルクティがいいなあ。凪」
「わ、わかったよ」
私は仕方なく鉄と一緒に部室を出た。鉄はそれまで、憎らしそうないつもの顔をしていたが、部室を出たとたん、真面目な表情になった。
「先輩、今日は頭痛は?」
「え?大丈夫だけど」
「あのさ。俺には霊が見えないけど、でも、先輩の顔色とかならわかるし…。気持ち沈んでるくらいは見抜けるから」
「顔、沈んで見えた?」
「ちょっとね」
うわ。来てそうそうにわかっちゃったんだ。それだけ私、沈み込んだ顔していたのかな。
「俺さあ」
「え?」
「遠慮はしないから」
「え?」
「空、すっかりあの転入生と仲良くなっちゃってるからさ、今のうちがチャンスってマジで思ってるし」
「……」
「寂しがってる先輩に優しくして、俺の方を向かせようなんて、そういう駆け引きみたいなのはできないし、だいたい優しくするってキャラじゃないと思うし」
うん。私もそう思う。
「でも、今みたいに、空から先輩を引き離すことはできるもんな」
「は?」
「自販機行きついでに、二人でどっか行かない?」
「どっかって?」
「う~~~ん。中庭とか、誰もいない教室とか」
「まさか。そんなところに行って幽霊に遭遇したくないし」
「じゃあ、このままばっくれるとか」
「しない。カバンだって部室に置いてあるし」
「……ふうん」
「なに?」
「なんか、俺の言うことにシカトしなくなったね。先輩」
え?
「ちょっと進歩っていうか、進展してるってこと?」
「ち、違うよ。何言ってんの?!」
「あ、そんなふうに言い返すこともなかったよね。ふ~~~ん」
鉄はまたいつもの憎らしい顔をした。
「も、もう。鉄が私を怒らせてることには変わりないんだからね」
そう言うと、
「あ、普通に鉄って呼んでるし。いい傾向じゃん」
とまた、生意気なことを言った。
ムカつくことはムカつく。でも、ムカついたおかげで、気持ちが沈んでいくことはなかった。
それに、部室の中にいるのは気が重たかった。部室から出てこられて、ホッとしているのも事実。
でも…。私、黒谷さんがいつも部活に出てきたら、これからどうしたらいいんだろうな…。




