第39話 閉じ込めた思い
それから、数日間、鉄は朝会っても、空君にも私にも、千鶴にも声をかけてこなくなった。
空君は、千鶴と私がいても、なんとなく私のそばにいた。
帰りも、千鶴も部活に頻繁に出てくるようになったが、鉄は顔を出さなかった。だから、私は鉄と話すこともなく、穏やかな日々が続いていた。
家でも、ママはまだつわりがあったが、ご飯時以外はリビングで編み物をしていて、一緒にゆったりとできたし、相変わらずパパはママと仲がいいし、碧は彼女とメールをしたり、朝、一緒に学校に行ったりと、楽しそうに過ごしていた。
空君は、やけに峰岸先輩と仲良くなった。たまに、昼休みにも二人で食堂で話しているのを千鶴と見かけてびっくりした。
「なんで、あの二人が一緒にいるの?」
「空君、先輩はいろいろと興味のあることを教えてくれるから、一緒にいると楽しいって言ってたよ」
「え~~~。空君、誰かと一緒にいて楽しいってこともあるんだね」
「え?」
「だって、いつも一人でいるイメージあったし、鉄ちゃんといても楽しそうに見えなかったし」
「そういえばそうだね」
その鉄はというと、たま~~に見かけるけど、一人でいることが多いみたいだ。
「鉄ちゃんも、もしかして空君以外友達いなかったのかな。空君よりもいろんな人と話をしているイメージあったんだけどね」
千鶴が、鉄が一人で昼休みに、中庭をぶらぶらしているのを見てそう言った。
「どうなんだろうね?1年の女子はうるさいし、うざいって言ってたけど」
「私、空君から鉄ちゃんが離れたら、空君って、まるっきり一人になっちゃうんじゃないかって思ってたけど、逆だったんだね」
「え?」
「鉄ちゃんの方が、一人になっちゃったのかも」
そうかもなあ。それに空君って、一人でもまったく大丈夫そうなところがあるし。
「今日って、先輩が進路相談があるから、部活ないんだっけ」
帰りのホームルームが終わると、私の席に来て千鶴が聞いてきた。
「うん」
「じゃあ、暇だなあ。どっかにぶらつきに行こうかなあ」
「千鶴、中学の時の友達とはもう会わないの?」
「うん。部活真面目に出るし、みんなとはもう遊べないってはっきり言ったから」
「そ、それで…。その子達、怒ったりしなかった?」
「別に。だったら、今日明日は、徹底的に遊ぼうよって言われて、2日間、カラオケしたりゲーセン行ったりして遊んでおしまい」
あ、そうだったんだ。じゃあ、いざこざがあったわけじゃないんだな。
「楽しかったって言えば楽しかったけど、でも、疲れちゃった。凪や空君といるほうが楽なんだもん」
「え?」
「私、ああいう子達と気が合うと思っていたけど、けっこう無理したのかもしれない」
千鶴はそう言うと、にこっと笑った。
「凪は今日も空君と帰るんでしょ?」
「う、うん。多分」
「山根もちょっかいだしてこなくなったし、もう空君と凪を邪魔する人もいなくなってよかったね」
「う、うん」
千鶴と一緒に教室を出て、空君を迎えに行こうと千鶴が言い出し、1年生の階に行くことにした。
なんか、緊張するなあ。空君、嫌がらないかなあ。
1年2組が空君のクラス。なんとなく千鶴と教室の前を、ゆっくりと横切った。
ホームルームはもう終わっているが、まだ先生は教室に残っている。
空君、いるかなあ。まさかもう帰っていたりして。
うわ。鉄だ。鉄が教室から出てきた。私と千鶴は、鉄に気づかれないように人混みに隠れた。
「昨日来た転入生、暗くない?」
「親が離婚して、母親の実家に引っ越してきたらしいよ」
「なるほどね。でもさあ。私、昨日話しかけたら無視されたし、誰とも話そうともしないし、目も合わせようともしないし、暗すぎるよ」
そんな話を2組から出てきた女子生徒が話しながら、私と千鶴の横を通っていった。
空君のクラスに転入生が来たのか。
「あ。空君の彼女じゃん」
後ろからそんな声がして、私は慌てて千鶴の陰に隠れた。
「なんでここにいるの?」
「空君なら、もういないのにねえ」
え?そうなの?帰っちゃったの?
「もしかして、置いていかれた?」
「くすくす。もう実は別れちゃったとか」
「嫌われてるとか」
山根さんとそのお友達だ。聞こえるようにわざと言ってるんだなあ。
「山根。ムカつく。一言、言ってきてあげようか?凪」
「い、いいよ。またもめるの嫌だもん」
「それにしても、空君、もう帰っちゃったのか」
そう言いながら、私と千鶴は昇降口に向かった。ああ、やっぱり、メアド交換くらいすればよかったな。
それとも、部活がない日くらい、空君は一人で帰りたいのかな。私と一緒に帰ろうなんて、思っていないんだろうか。
昇降口は帰る生徒でごった返していた。そんな人混みを抜け、校門に向かって歩き出すと、空君が校門の前で一人立っていた。
「あ!空君?」
空君は私と千鶴に気がつき、こっちを見た。
「空君、帰ったんじゃなかったの?」
「もしかして、凪を待ってた?」
千鶴がそう聞くと、空君は微かに頷いて、
「2年の教室まで、迎えに行く勇気はなくて」
とちょっと恥ずかしそうに俯いた。
「なんだ。空君のクラスまで迎えに行ったんだよ。ね?凪」
「え?そうだったんだ」
空君がびっくりしている。
「あ、じゃあ、私は一人でさっさと帰るから。じゃあね、凪、空君」
千鶴はそう言うと、足早に校門を抜け、さっさと行ってしまった。
「……待っててくれたんだ」
「うん。一緒に帰ろうと思って」
嬉しい。嬉しすぎるかも。
「くす」
「何?空君」
なんで笑ったの?
「ごめん。でも、凪、嬉しいとすぐに顔に出るから」
うわ。今、喜んでいたの、わかっちゃったんだ。
「待ってて良かった。どうしようかと思ったんだ。メールで聞こうと思ったんだけど…。メアド変更したの?返ってきちゃった」
「そうなの。転校する時、気持ちを切り替えたくて、メアド変更しちゃったの。空君にも教えなくっちゃって思ってたんだけど…。空君のメアドは変わっていないの?」
「あ、変わった。携帯変えたから。じゃあ、今、メアド交換しちゃう?」
「うん」
わあ。嬉しい。ちゃんと教えてくれるんだ。
「くす」
あれ?また笑われた。
「凪、嬉しそうだ」
「う、また顔に出てた?」
「うん。なんか、俺も嬉しい」
空君はそう言うと、ポケットに携帯を入れ、
「今日、暇してる?海でも見て帰らない?」
とそんな嬉しいことを言ってくれた。
「うん。見て帰る。天気いいし、気持ちいいよね?!」
「うん。気持ちいいと思うよ。って、もっとテンション上がったね?凪」
「え?う、うん!」
ええい。もういいや。だって、本当に嬉しいんだもん。
これもデートって言ったら、デートなのかなあ。なんて!
そして空君と、帰り道に浜辺によって二人で海をぼ~~っと眺めた。天気が良く、ちょっと暑かったけど、涼しい風が吹いてきて、気持ちよかった。
時々空君を見た。すると空君も私の視線に気がつき、私を見た。
目が合って、嬉しがっていると、空君もはにかんだ笑顔を見せた。
「凪、手、繋ごう」
「うん」
嬉しい。
また二人で海を、ぼけ~~っと見た。ああ、何時間でもこうしていたいなあ。
黙っていても、空君となら全然平気。ずっと幸せな気持ちでいられる…。
翌日は、曇っていた。いつ雨が降ってきてもおかしくないような天気…。
「バスで行こうかなあ。今なら十分間に合うし」
そんなことを呟きながら、部屋の窓から外を見た。
「空君と一緒に行きたいなあ」
メアド交換したし、メールしちゃってもいいよね。うん!するぞ!
>空君、おはよう。今日は雨が降りそうだけど、バスで行く?
5分経過。返事が来ない。朝からへんなメールをしちゃったかな。
携帯を気にしながら顔を洗い、ダイニングテーブルにも携帯を置いて朝ご飯を食べた。
「凪、雨降りそうだから車で送ろうか?」
「あ、ありがとう。パパ…。でも、バスで行こうかなあ」
「バスで?」
「うん」
もしかするとメールの返信はないけど、空君、バスに乗るかも知れないし…。
ブルル…。その時携帯が振動した。
もしや、空君?!
>凪はバス?
空君から返信が来た!
>うん。バスで行く。
すぐにそう返信した。
>じゃあ、俺もバスで行くよ。
やった~~~。
「パパ、バスで行くね!」
そうパパにウキウキで答えると、
「空と行くのか。また、空に負けちゃったのか、パパは」
とパパはいじけてしまった。
「パパはギリギリまでママのそばにいてあげて。ママ、朝も1階に降りてこられないから、一人で寂しがっているよ」
「そうか。桃子ちゃん、寂しがってるか…。じゃ、凪、いってらっしゃい」
パパはそう言うと、早速2階に飛んでいった。
自転車で一緒に行くのも嬉しいけど、バスで一緒に行けるのも嬉しい。
「あれ?凪、早いけど、なんで?」
碧が頭をボリボリ掻きながら、2階から下りてきた。
「バスで行くから。あ、パパなら寝室だよ。碧の朝ご飯はもう用意してあるよ。じゃあね。行ってきます」
「いってらっしゃ~~い」
私は家を出た。バス停はまりんぶるーのすぐそばにある。バスは30分に一本。今度来るバスに乗らないと、遅刻ギリギリになってしまう。
それに、バスだとちょっと大回りをするので、自転車で行くより駅まで時間がかかる。
バス停まで小走りで行くと、向こうから走って空君が来るのが見えた。
「空君、おはよう」
「おはよう」
にこりと微笑んで、空君が答えてくれた。ああ、朝から可愛い笑顔だ。
「空君とバスで行くことってあんまりないから、なんか嬉しいな」
「え?」
「あ、変なこと言った?」
空君、一瞬目が丸くなってた。
「え?あ、ううん」
空君は逆側を向いてしまった。あ、どんな表情をしたのかわからなかった。
空君は、別に私と一緒だからって、嬉しいわけじゃないよね。
バスに乗ると、3人しか乗っていなかった。私と空君は一番後ろの席に着いた。
「…凪ってさ」
空君は窓際に座り、窓の外を眺めたまま、ぽつりと口を開き、
「なんか、最近、昔の凪だね」
とそんなことを言った。
「え?昔の?」
「うん。素直な凪」
そう言うと、空君はちらっとこっちを見てはにかんだ笑顔を見せた。
「す、素直?私?」
「うん」
「む、昔の私って、こんなだったかな?」
「うん。素直に自分の思っていること、口にしてくれてた。嬉しいとか、楽しいとかって」
あ、そういうことか。バスに空君と一緒に乗れるのが嬉しいって言ったからか…。
でも、それって微妙に子供の頃とは違うんだけどな。確かに子供の頃も空君と一緒にいられるのは嬉しかった。でも、今みたいに、胸がときめいたり、キュンってしたりなんてしなかったもん。
「良かった」
「え?」
「ホッとする」
「…何が?」
「昔のままの凪でいてくれて…」
「……」
空君にとっては、昔の、子供の頃のままの私でいたほうがいいんだよね。
そんなにホッとした安心しきった顔をされられると、何も言えなくなっちゃうな。空君といるとドキドキするとか、胸がキュンってするとか。そんなこと言っちゃいけないんじゃないかって、そんな気にもなってしまう。
空君にとっての私は、幼なじみか兄弟。でも、私は空君に恋してる。だけど、空君が私に恋をしてくれるかどうかは、まったくわからない。
これって、片思いしてるってことだよね。
周りの人は、私と空君がまるで付き合っているように見えるかもしれないけど、完璧、私の片思いだよね…。
空君は海を眺めたり、時々私の方を向いて、嬉しそうに話したりしている。空君、空君も最近、昔の空君に戻ってきたよ。
それはとっても嬉しい。すぐ隣でこうやって笑っていてくれるのは。
心の奥底の切なさを感じないように、蓋をして閉じ込める。
もしかして、もしかすると、私は空君に恋をしちゃいけなかったのかな。そんな疑問も湧いてくるけど、すぐに消す。
このままでも、十分に幸せだ。だから、これ以上望んだりしたらダメ。そんな言葉が浮かんでは消えていく。
隣にいて、こうやって笑顔を見せてくれる。それだけでいいんだ。それだけで。
空君の隣で、空君のあったかい優しい空気を感じて、それで幸せなら、それだけで…。




