第36話 突然の「ごめん」
空君は、電車に乗っても、自転車に乗っても黙っていた。そして私の家に着くと、
「じゃあ、また明日」
と言って、自転車をこぎ、行ってしまった。
明日って言っても、明日は土曜日。学校休みだよ、空君。
キュン。
なんか、いきなり切なくなってきて、走っていく空君の後ろ姿をずっと見ていた。
やっぱり、私は思い切り贅沢になってる。
私ばっかりドキドキしているのが悲しいとか、なんかいろいろと。
付き合うとか、恋人になるとか言ってくれたのになあ。なんでそういう実感が持てないんだろう。
「ただいま~」
家に入ると、ママがまたリビングのソファにいた。そして編み物をしていた。
「あ、赤ちゃんのを編んでいるの?」
「うん。おかえり、凪。お腹すいてる?」
「大丈夫。それより、編み物の本見せて」
私はママの隣に座り、本を見せてもらった。
「どれも可愛いね」
「でしょう」
ママ、嬉しそうな顔をしている。
「ママ…」
「なあに?」
「ママって、パパと付き合いだした頃、舞い上がったり、ドキドキしたりした?」
「してたよ~~~。ずうっとドキドキしっぱなし」
「じゃあ、付き合うとか、恋人になるっていう実感ってあった?」
「ないない。なかなか彼女だって自覚が持てなくって、ずっと聖君に呆れられてたもん」
「彼女だって自覚?」
「なんで?あ、空君とお付き合いすることになったの?」
「う、うん」
「良かったね、凪」
「でも、実感が無いの」
「わかる!ママもそうだったし」
「…ママも?」
「好きだとか言われても、ピンと来ないし、私のどこが好きなの?ってそんな感じだったから。自分に自信が持てなかったんだよね」
「…うん。私も、私のどこが好きなのか、わかんないな。それに…」
話を途中で止め、ぼんやりと宙を見ていると、
「それに、なあに?」
とママが聞いてきた。
「それに、今日ね、びっくりされられちゃったの」
「空君に?」
「うん。もう昔の凪じゃないんだねって」
「え?」
「空君は私を子供の頃と同じように思ってると思う」
「子供の頃と?」
ママがオウム返しのように聞いてきた。
「……私のこと好きかもしれないけど、それって、兄弟とか仲のいい友達みたいな感覚で…。恋じゃないと思う」
「どうしてそんな気がするの?凪」
「なんとなく。一緒にいてそう感じる。私だけがドキドキしたり、切ない思いをしているかもって」
「……そうなんだ」
「独占欲があるって言ってたけど、それも、ただ取られたくないって、そう思っただけかもしれないし」
「え?あの空君が、独占欲?」
「うん」
「ああ、そっか。でも、わかるかも」
「え?」
「空君、凪だけにはいつも心開いてたし。大好きって感じだったし。そんな凪を他の人に取られちゃうのは嫌かもね」
「それって、恋じゃないでしょ?」
「………。う~~~~ん」
ママが悩み出してしまった。
「ごめん、あんまり悩まなくてもいいよ。ママ。お腹の子に悪いし」
「でも、凪は空君が好きなんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、その気持ちを大事にしていたらいいんじゃないかな」
「あ、それ。パパも同じこと言った」
「そう?」
ママは嬉しそうに微笑んだ。そしてまた、編み物を再開した。
「着替えてくるね」
「うん」
私は2階に行き、ベッドにドスンと座った。
ああ、昨日はここで空君が寝ていたんだよなあ。なんか、昨日の夜、このベッドで寝るのがドキドキしちゃったっけ。空君の匂い、残っていたし。
「はあ…」
キュンってまた、胸が切なくなった。
あ~あ。メールとかしたいな。でも、そういうのも空君、なんにも言ってきてくれなかった。
う~~~~ん。悩むのやめよう。悩んでもしょうがないんだよね!
着替えをして下に行き、ママのためにグレープフルーツを切って、二人でダイニングで食べた。それからリビングのソファに移動して、ママの隣にへばりつき、雑誌を眺めたり、漫画を読んだ。
ママはずっと、優しい顔をして編み物をしている。
「ママの隣、癒されちゃうなあ」
「凪もだよ。隣にいると、ほわほわんってなる」
ママも?
「あのさ。こんなこと言って、ママ、怒んないでね」
「え?なあに?」
「今朝、碧の彼女、しっかりと見れたの。会話も聞いちゃったんだ。そうしたら、ママそっくりで、碧のタイプそのものだったの」
「ママにそっくりって、どんな子?」
「なんかね、自転車も乗れなかったのに、中学入る前に必死に練習したとか。運動神経なくって、バスケ部に入ったのにマネージャーに変えられちゃったとか。顔赤くして、一生懸命に碧に話してたよ」
「う、う~~~ん。確かに人ごととは思えないなあ」
「でしょう?でも、ラブレター碧にあげたんだもんね。すごく勇気出したのかな」
「うん。すごいよね。ママ、とてもじゃないけどパパにラブレターなんて、あげられなかったもん」
「なんで?」
「そりゃ、可能性ゼロだって思ってたし。まさか付き合えるなんて思ってもみなかったし」
「あのラブレター、何が書いてあったのかな。見せびらかされたけど、内容までは見せてくれなかったからなあ」
「碧も、前からその子のこと好きだったの?」
「うん。好きな子からのラブレターだったから、嬉しくて見せびらかしたんじゃないの?」
「そっか~~。ママには教えてくれなかったけど」
「だって碧、マザコンだもん。ママには言えないよ」
「……マザコン」
「ママ大好きっ子だもん。いまだにそうじゃん」
「そうかな。それって、女の子嫌がらない?マザコンなんて、気持ち悪い~とか」
「パパもマザコン?」
「うん。っていうか、お母さん思いだったよ。いまだに」
「それ、気持ち悪いってママ思ってた?」
「まさか!そういうパパも好きだった」
「じゃ、大丈夫じゃない?」
「あ、そうか」
「私も空君がマザコンでもいいよ。春香さん、素敵な人だし。空君と春香さん、仲いいよね」
「そうだね。あそこの親子関係もいいよね」
「でも、空君ってパパに憧れてたんだって。クールで、スマートで、大人で」
「ええ?どこのパパ、それ」
「うちのパパ」
「……う、う~~~ん。実態を知ったら、空君、がっかりしないかなあ」
「もう知っちゃったよ。昨日の夜」
「あ、そうなの?がっかりしてた?」
「驚いてた」
「クス。そうなんだ」
ママはまた、嬉しそうに笑った。
「パパ、空君に結婚の話までしちゃったの。私との結婚、空なら許すみたいな」
「へえ」
「空君、固まってた。そりゃそうだよね」
「そうだね。まだ、結婚なんて考えないよね」
「……でも、ママは17歳で私を産んで、結婚もしたんだよね」
「うん」
「パパは18。抵抗なかったのかなあ」
「聖君はまったくなかったな。逆に喜んでいたし」
「すごいなあ」
「そうだね。すごいよね」
「……ママ?」
「なに?」
「結婚して後悔したことある?」
「一回もない」
「だよね。仲いいもんね」
「凪と碧産んで、最高に幸せだもん」
「……」
私はママに抱きついた。
「あれ?赤ちゃんがえり?」
「うん。赤ちゃんにママを取られるの、嫌だな~~~」
「クスクス」
「でも…」
「なあに?」
「ママじゃなくって、空君にひっつきたいなあ」
「そうなの?」
「ママもパパにひっつきたいでしょ?」
「ママは凪とこうしてるのも、最高に幸せだけどなあ」
「私も幸せ。でも、最近、やたらと空君が恋しいっていうか、切ないっていうか、キュンってするっていうか」
「恋してるんだね。凪は」
「うん」
私はしばらくママに抱きついたままでいた。ママは優しく髪や背中を撫でてくれた。
あ~~あ。嬉しいけど、これが空君だったらなあ、なんて思ったりしてる。
土日、会えるのかな。もう今すぐに空君に会いに飛んでいきたいくらいだよ。
翌日、曇空。昨日はすごくいい天気だったのにな。私の心のような天気だなあ。
そんなことを思いながら1階に行くと、
「凪、悪いけど今日、まりんぶるーのお手伝いできる?」
とママが聞いてきた。
「いいよ」
わ。もしかしたら、空君に会えるかも!
私はさっさと朝ご飯を食べ、顔を洗って着替えをして家を出た。
碧は朝早くに起きて、部活に行ったようだ。パパも早くに出たのか会わなかった。
ママは私の朝ご飯を用意して、すぐに寝室に引っ込んだ。大丈夫だったのかな。トーストや目玉焼きの匂いなら平気だったのかな。そんなことないよね。顔色悪かったし。
これからは、もっと早起きして自分で朝ご飯用意しないとなあ。赤ちゃん、生まれたら、きっともっと大変になるんだろうし。
まりんぶるーに着くと、もう春香さんやくるみママは、店の掃除をしたり準備をしていた。
「おはよう、凪ちゃん」
「おはようございます」
「凪ちゃん、ごめんね?せっかくの休みに来てもらっちゃって」
「いいえ。暇してたし大丈夫です」
「空も起こしたんだけど、なかなか起きなくって。でも、ちょっとは手伝いに来てくれるみたい」
「え?」
「掃除くらいならできるでしょ?あの子、接客は無理そうだけど」
春香さんはそう言うと、キッチンの奥に入っていった。
「凪ちゃん、テーブルのセッティングしてもらえる?」
くるみママに言われ、私はテーブルの上を拭きだした。
カラン…。あ、空君だ。
「おはよう、空君」
「あ、おはよう」
わあい。会えた!嬉しい!
「空君、おはよう。空君も、テーブル拭いたり、床掃いたりするの手伝ってもらおうかな」
「はい」
くるみママに言われ、空君はテーブル拭きを持ってきて、拭きだした。
「空君が手伝いに来るなんて珍しいね」
私は浮かれて、空君のすぐそばに行ってそう聞いた。すると、空君は私からほんのちょっと離れた。
あれ?
「桃子さん、出てこれないんでしょ?」
「うん」
「パートもアルバイトもまだ決まってないって、母さんが言うからさ」
「そ、そっか」
なんだか、よそよそしいような気がするのは気のせいかな。
そのあとも空君は黙々と掃除をしていた。
そして、開店の準備がすべて整うと、
「じゃ、俺、帰るね」
と空君はさっさと帰っていってしまった。
うそ~~~。なんで、あっさりとしているのかな。
「凪ちゃん。昼過ぎまでホール手伝ってくれるかな」
「はい」
春香さんにそう言われ、私はまだまりんぶるーにいた。
空君、なんとなく遠く感じたのは、私の気のせいだよね?
そんなことを思いながら、あっという間にお昼の時間は過ぎていった。
「ありがとう、凪ちゃん。これ、昼ご飯。うちに行って、空と食べて」
「え?」
「ケーキが冷蔵庫に入っているから、それも空と食べてね」
「はい」
私はトボトボと空君の家に向かった。空君と会えるって、嬉しいはずなのに、なんとなく気が重い。
「こんにちは」
「あ、凪ちゃん。空なら2階にいるよ」
「お邪魔します」
お店で櫂さんに挨拶をして、2階に上がった。
「空君。お昼持ってきたよ」
そう言ってリビングに入ると、
「今まで手伝ってたの?」
と空君がソファに座ったまま聞いてきた。
「うん。お腹すいたでしょ?もう2時になるもんね」
「そんなにこき使われちゃったの?凪」
「え?私は大丈夫。たいした役にも立てなかったけど」
「……そんなことないよ。母さんいつも、凪ちゃんはいろいろとしてくれて助かるって言ってたし。俺のほうこそ、なんの役にも立てないでいるし」
「そ、そんなこと…」
私が突っ立っていると、空君がキッチンに行った。私も慌ててキッチンに行って、ご飯をよそったり、お箸を出した。空君はおかずをあっため直して、お皿に盛った。
「じゃ、食べよう」
「うん」
ダイニングテーブルについて、空君とご飯を食べだした。
「……美味しいね」
「うん」
空君、口数少ない。
「あ、私、来ない方が良かったかな」
「え?なんで?」
はっ。今の発言、暗かった。
「空君、一人でいるほうが気が楽だったかなって」
うわ。もっと変なこと言ったかも。
「……俺、そんなふうに見えた?」
「ううん」
慌てて下を向き、またご飯を食べだした。でも、空君は私をじっと見ているようだ。
「………」
う…。また沈黙。それにずっと視線感じてるけど。
「ごめん」
「え?」
なんでいきなり謝ってきたの?
「気を使ってはいないけど、でも、凪とどう接していいか、ちょっと戸惑ってる」
え?
「ごめん」
空君は視線を下げた。そしてもう、私の方は見てこなかった。




