第28話 空君とのキス
ヒイック…。ヒック。
しゃくり上げる声が後ろから聞こえた。
「碧?」
泣いてる?
「な、凪…。もう空がいるし、大丈夫だよな?」
うわ。碧の顔を見たら、思い切り泣き顔だ。
「碧…」
私は空君から離れて、碧にハグをした。
「ありがとうね、碧」
そう言うと碧は、
「よ、よせって。抱きしめるなら空のこと抱きしめろよ。俺は帰るから。じゃあな!」
と思い切り照れながらそう言うと、私から離れてドタドタと階段を駆け下りていった。
「凪…」
空君が私の方にやってきて、また後ろから抱きしめてきた。
うわ。今日は空君、やたらと抱きしめてくる。どうしよう。嬉しいけど心臓がバクバクだよ。
「ごめん。俺、熱が上がったかもしれないから、ソファに座っていい?」
「大丈夫なの?」
「凪がいれば」
「…」
空君は私の肩を抱いて、ソファまで行くと、私と一緒に腰掛けた。そしてまた、私にぴとっとくっついてきた。
「凪…」
「うん?」
ドキドキ。
「クス」
空君が私の顔を覗き込んで、目を細めて笑った。
「な、なあに?」
「泣き顔だ」
「え?」
「凪の泣き顔って、あんまり見ないから」
「う…」
もう~~。私の泣いた顔を見て笑ったの?
「空君の泣き顔もあんまり見ないよ」
「でも、クロが死んだ時は号泣したんだ」
「まりんぶるーの?」
「凪はいないし、クロは死んじゃうし、まりんぶるーには辛くて行けなかったな」
そうか。クロの死も原因だったのか。
「でも、もう俺は大丈夫」
「え?」
「凪がこうやっていてくれるから、もうまりんぶるーにも行けるし、学校も…」
「学校?」
「あんまり面白いこともないし、行っても行かなくてもいいやって思ってた。だけど、学校行ったら、凪に会えるから」
ドキン。
「俺ね、実を言うと、凪が伊豆に引っ越してきて、朝、自転車で学校行くまでの間に凪を見つけたり、中学でも全校朝礼とかで凪を見つけると、ちょっと嬉しかったんだ」
「え?!」
「校舎では階も違うし、なかなか会えなかったけど…。だけど、どっかで凪を見つけるたび、凪の姿が見られるだけで嬉しかった」
うそ~~~~!
「話しかける勇気まではなかった。でも、姿すらずっと見ることができなかった凪が、学校や浜辺や、行き帰りに見れただけで、嬉しかったな…」
空君、そんなこと思っててくれたなんて。
ずっと、私のことなんか、もう関心も何もないんだって思ってた。もう、話すこともないし、私を見てくれることもないって…。
「鉄が凪に話しかけるたび、羨ましかったりした。でも、凪、鉄の話にあんまり答えなかったし、安心してた」
「え?」
「仲良くなってたら、ちょっと俺、いじけてたかも」
え~~~~!?
「だから、峰岸先輩の存在は、ヤバイって思った。それも、凪の良さを先輩はわかってて、衝撃だった」
「ヤバイ…って?」
「初めて危機感感じた。ほかのやつに凪を取られるかもっていう危機感。だから俺、焦って部活に出てたんだ。でも話していたら、先輩、いい人だし…」
「う、うん」
「…凪、先輩のこと、好き?」
「ううん。いい先輩だって思うけど、それだけだよ」
「じゃあ、変なこと聞いてもいい?」
「う、うん」
なんだろう。ドキドキ。
「凪、江ノ島で好きな奴いた?彼氏とか」
「いない」
「じゃあ、赤ちゃんの頃から仲いいっていう、和樹っていたよね?そいつは?」
「和樹君とは、小学生の低学年まで遊んでいたけど…。だんだんと話さなくなって、和樹君のママと和樹君の妹がうちに遊びに来ても、和樹君は来なくなったよ」
「そうなの?じゃあ、仲良かったのは子供の頃だけ?」
「……どうかな?子供の頃もあんまり、仲良く遊んだ記憶がないの」
「そうなんだ」
「…私、空君と遊んだ記憶はいっぱいあるんだけどな」
「え?」
「子供の頃、ここに遊びに来たとか、泊まりに来た時の記憶」
「ほんと?本当に覚えてる?」
「え?うん」
空君はしばらく黙って私をじっと見た。その間に、テレビ画面から、思い切り気味の悪い音や悲鳴が聞こえた。あ、さっきのDVDつけっぱなしだ。
空君はテレビを消すと、私の手を引っ張り、なぜか空君の部屋に連れて行かれた。
な、なんでかな。なんでいきなり?あ、熱が上がったから休みたいとか?
「あのさ、俺、ちょっと疑問に思ってたんだけど」
「うん」
なに?
空君は私に、
「ここ座って」
とベッドに座らせ、机の上にあるパソコンを起動させた。
大きな画面のデスクトップのパソコンだ。机の前にあるベッドに座っていても、十分に見れる。
なんだろう。あ、ここでDVDを見るのかな。また、怖い映画かな。
「凪はこの写真とか、動画持ってないの?」
「え?」
「もしくは、凪の家のパソコンに入ってない?」
「なんの写真?」
空君がファイルを開けて見せてくれた。すると、大きな画面に、まだ赤ちゃんの頃の私が、隣で寝ている空君の唇にしっかりとキスをしている写真が映し出された。
「う、うわ!なにこれ?!」
「初めて見る?この写真。多分、初めて凪が伊豆に来た時、うちに来て撮った写真だよ」
空君が私の顔を覗き込んで聞いてきた。
「そ、そうなんだ。私も空君も、まだ赤ちゃんだよね?」
「じゃ、こっちの動画は?」
動画を今度は見せてくれた。
「パパとママの結婚式のだ。これは見たことあるよ」
「あ、そうなの?」
映された画面には、パパとママが映っていた。タキシードのパパと、ウエディングドレスのママ。とってもかっこいいパパと可愛いママ…。
「素敵な結婚式だよねえ」
うっとりとして見ていると、そのあと、春香さんのテンションの高い声とともに、可愛い空君が映し出された。
「空、可愛い~~」
すると、そこに爽太パパが現れ、抱っこしていた私を空君の隣に座らせた。
「凪ちゃんも可愛い~~~!」
また春香さんの声がした。どうやらビデオを撮っているのは春香さんのようだ。
そして、画面を見ていると、空君の隣に座った私は、空君のほっぺたを両手で掴み、ブチュ~~っとキスをしていた。
どひゃ~~~~~。私からしている!
「あ、また凪ちゃんがキスしてる」
春香さんの声だ。
「空、嬉しそうだなあ」
爽太パパの声だ。画面には空君の満面の笑み。その横で私も嬉しそうに笑っている。
そして、空君が私に抱きついてきて、空君からキスをしてきていた。
「あ!また空が凪にくっついてる!こら、離れろ!」
パパの声だ。それからパパが私を抱っこして、空君から離してしまった。
「あ、待って。写真も撮るんだから。二人の結婚式みたいで超可愛かった。ほら、聖、もう一回凪ちゃん、ここに座らせて」
「誰の結婚式だって?今日は俺と桃子ちゃんの結婚式だよ?!」
パパの怒った声。
「いいじゃないよ~~~。可愛いじゃない。空も凪ちゃんもおめかしして」
「じゃ、俺と凪を撮って。まるで俺と凪の結婚式みたいでいいでしょ?」
「桃子ちゃん、それ聞いて、落ち込むかも」
「あ、うそ。今のは冗談」
パパはそう慌てて言っている。
「あ~~~~~!」
パパに抱っこされた私は、必死に空君に手を伸ばしている。空君も私に手を伸ばす。
「ほら、二人の絆は硬いようだから、さっさと凪ちゃんを横に置いてあげてよ、聖」
「しょうがないなあ」
パパが私を空君の隣に座らせた。すると、私は空君に抱きついて、思い切り嬉しそうに笑った。
空君もだ。
「これ、見たことないの?」
空君が私の横に座ってきて、そう聞いた。
「ない。途中まではあるけど、空君と一緒に映っているところは初めて見る」
「多分、母さん、この動画も写真も聖さんのパソコンに送ってると思うよ」
「じゃ、パパが消しちゃったんだ」
「あ、そう…」
空君はそう言うと、しばらく黙り込み、
「じゃあ、他のやつも見たことないんだね」
とぽつりと言った。
「他?」
「母さん、毎年写真撮ってた…。それも、ちゃんとファイリングしてて、俺のパソコンにもしっかりと入ってるよ。見る?」
「……うん」
まさか、キスの写真がもっと出てくるわけじゃないよね。きっと、他の写真が入ってるだけだよね。
と思いつつ見ていると、次から次へと、私と空君がキスをしている写真ばかり。
「い、いい。空君。もういいよ」
恥ずかしくなってそう言うと、空君はパソコンの画面を閉じた。
うわ~~~。顔が熱い。私のほうが熱が出ちゃったみたいに熱い。
「俺、4歳くらいの記憶は残ってる」
「え?」
「写真には写っていない記憶」
「ど、どんな?」
「…凪と結婚しようって言ってた。その時も凪、俺にキスしてきた。凪も4歳だったよ、確か」
「結婚するって言ってたのは覚えてるよ。それでパパが落ち込んじゃったのも。でも…」
キスは覚えていない。まったく覚えていないよ~~~。
ううん。もしかすると覚えていたけど、夢でみたんだってそう思い込んでいたかも。
「そっか。覚えていなかったんだ」
空君はちょっと寂しげに俯いてしまった。
「あ、ごめんね?忘れてて」
「ううん」
「あ、でもね。いつもパパに言われてたの。パパは私のほっぺにしかキスしてこなくって、凪の唇は凪が好きになった人のためにとっておくって。だから、てっきり私はまだキスもしていないもんだって思い込んで…」
「聖さん、そんなこと言ってたの?」
「うん。だからずっと、夢見てたの。ファーストキスは大好きな空君と…」
どわ!今、とんでもないこと口走ってたよね?私。
「ああ、それで保健室で寝てる時、キスしてきたの?」
「ちち、ち、違うの。あれは、自分でも分かんないけど、つい…」
慌てふためきながら、私はそう言った。でも、空君は冷静な顔をしている。
あ、今のやばい?ついキスしたなんて、そっちのほうがとんでもないこと?
「俺、なんか今、すごいこと言われたような」
「え?」
うっわ~~~。ついはずみでキスしたみたいに聞こえたよね?ドン引きしてるの?もしや。
「ファーストキスは、大好きな空君とって言ったの?」
「え?あ…」
そっち?
「あ、あの。でででも、もう空君とは、すでに」
「うん。俺のファーストキスは生後4ヶ月か3ヶ月かなあ。凪もそうだね」
「う、うん」
うっわ~~~~。
あ!そうか。それで空君、何回も数え切れないくらいキスしてるって言ったんだ。確かに。写真見たけど、たくさんあった。あれじゃ数えられないくらいしてるよね。
だ、ダメだ。なんか頭がくらくらしてきた。自分でしたこととは言え、なんか信じられないよ~~。
「そうか」
「?」
「…じゃあ、本当に凪は、部長のこともなんとも思ってないんだよね」
「峰岸先輩のこと?うん。なんとも」
「そうか」
?
「じゃあ、他にも誰も好きな奴、いないんだよね?」
どうしたのかな。なんで何回も確認するんだろう。私が好きなのは、空君なのに。
私はコクンと頷いた。すると空君はほっと溜息をつき、俯いた。
「安心した」
「え?」
「まじで、誰かに凪を取られちゃうんじゃないかって、不安だったから」
誰かに?
「不安なくせに、どうしていいかもわかんなくって。でも、最近、凪が近くにいてくれるようになって、嬉しくて」
それは私もだ。
「凪が笑ってくれるだけで嬉しくって」
それは私もだよ。
「……。まじで、ほっとしてる、俺」
「空君」
「明日には元気になって、学校いけそうだ」
「ほんと?」
「うん。本当に」
空君はにっこりと笑った。ああ、昔と同じ可愛い笑顔だ。
「でも、もうちょっとここにいてくれる?あ、なんだったら、夕飯も食ってって。きっと母さんが持ってきてくれるか、父さんがまりんぶるーに取りに行ってくれると思うから」
「でも、そんな遅くまでいいのかな」
「いいよ。母さんも父さんも喜ぶよ。なんなら、うちに泊まってくれても」
「そ、それは無理だよ」
「なんで?昔はよく泊まっていったよね?」
「そうだけど」
それは子供の頃の話じゃない。空君。
「なんだ。碧はたまに泊まっていってくれたのにな」
それは、男同士だから。
ああ、空君、肩をがっくりと落としてる。まさかと思うけど、本気で言ってた?
「まあ、いいや。でも、夕飯まではいてね?」
「う、うん」
空君は、ベッドから立ち上がると、今度はアルバムを持ってきてくれた。
それには、ハワイで撮った夕景や、海の写真が並んでいた。
「すごい、綺麗」
「でしょ?大きく引き伸ばして、壁に飾ってもいいかなって思ったんだけど、でも、このまま壁に貼ってもいいよね?」
「うん」
空君の部屋を見渡した。壁は殺風景で、学生服が壁に掛かっているだけだ。でも、ベッドや置いてある家具はやっぱりアジアンな匂いのするものだ。部屋の隅には観葉植物が置いてあり、窓は木でできたブラインドが下がっている。それに、天井の照明もアジアンチック。
春香さんか櫂さんが揃えたのかな。とても落ち着く品のいいアジアンな部屋。
「落ち着くよね。空君の部屋。子供の頃はもっと、子供っぽい部屋だったイメージがあるんだけど」
「うん。俺が中学生になってから、母さんが模様替えしてくれた」
「そうなんだ」
「凪の部屋は?どんな感じなの?」
空君が、私の横にぴったりと寄り添って聞いてきた。
「私の部屋は、カントリー調。明るい白木の家具が置いてあるの」
「カーテンは何色?」
「白地に細かい花模様なの」
「へえ。すげえ女の子らしい部屋なんだね」
「ママといろいろと相談して決めたんだ。すごく楽しかったよ」
「ふうん…」
「そっか。空君って一回もうちに来たことないね」
「うん」
「今度来て」
「そうだね。碧の部屋にも行ってみたいし。碧の部屋はどんな?」
「碧は海のイメージのする部屋だよ。天井からイルカの形をしたモールが垂れ下がっていたり、イルカやクジラの写真が壁に貼ってあったり。それから、カーテンとベッドカバーはイルカの模様なの」
「へえ、そうなんだ」
「パパと相談して揃えてたよ」
「碧、聖さんと友達みたいに仲いいもんね。いいよね」
「空君だって、櫂さんと仲いいじゃない。一緒にサーフィンしたり」
「ああ、うん。仲いいかもね。でも、俺、聖さんと仲がいいのが羨ましいんだ」
「パパが?」
「うん。憧れてる人だからさ」
そうなんだ。櫂さんが言ってたの、本当なんだ。やっぱり、苦手じゃなくって、憧れの存在なのか。
「凪の部屋って、もしかして凪の匂いがするの?」
「へ?」
「凪、さっきからいい匂いがするよね。何かな。花の匂い?」
うわ~~~。
「それ、きっとシャンプー!」
私はなんだか恥ずかしくなって、大きな声で言ってしまった。
「ああ、そうか。そうなんだ」
空君はそう言うと、なんだか嬉しそうに両足をベッドに乗せ、なぜか体育座りをして、ニコニコしながら私を見た。
「凪、小さい頃はお日様の匂いがしてた。いっつも外で遊んでいたから、髪からはいっつもお日様の匂い」
「私の?」
「うん。それを嗅ぐのが好きだった。そんな凪と一緒にいると、ひだまりにいるみたいで気持ちよかったんだ」
空君はそう言うと、膝の上に顔を乗せてこっちを見た。
ずっと黙って私を見ている。
な、なんでかな?
「凪、今も、いい匂いなんだね」
「へ?」
「やっぱり、凪の隣は落ち着く…」
空君はそう言うと、にっこりと微笑んだ。
嬉しい。その笑顔可愛い。
でも、ちょっとだけ、頭の中ではてなマークが浮かび上がった。
空君は、私のこと好き?
うん。きっと好き。
でもそれって、幼なじみとか、兄弟とか、そんな感じなのかな。
家族の延長みたいな、そんな感じなのかな。碧と一緒にいるみたいな、そんな感覚…なのかな。
嬉しくて、私の胸はさっきからドキドキしているのに、ほんのちょっとだけ、そんなことが気になってしまった。




