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第27話 おかえり

 ドキ、ドキ。

 DVDが始まった。空君はじっとテレビ画面を見ている。私も見ていたけど、内容なんて入ってこなかった。

 空君が隣にいるのは、やっぱりすっごく嬉しい。


「あ、出てきた」

 空君がそう言った。始まって10分、もうエイリアンが出てきちゃった。

「耳と目、塞いだほうがいいかも。ここからちょっと気持ち悪いシーン続くよ」

「え?ほんと?」


 私は両目を閉じて下を向き、両耳を手で押さえた。でも、人々が逃げ惑う声や、不気味な怖い音楽が聞こえてくる。

「空君、これでも聞こえてきちゃうよ」

 そう言うと、空君は私の背中のほうから腕を回し、左の耳を押さえた私の手の上から空君の手を重ねた。


「2重で塞いだら、ちょっと聞こえなくなった?」

「う、うん。左は…。でも、右はまだ」

 空君は私の右側に座っている。


「右は…」

と、空君は呟くと、私の左の耳を押さえた手にちょっと力を加え、私の頭を空君の胸に押し当てた。

「右耳は、俺の胸で塞いで…」

 うそ。


 どひゃ!空君の心臓の音が聞こえるくらい、くっついちゃってるよ!

 っていうかもう、空君の胸に顔をうずめちゃってる状態だ。べったりくっついちゃってるよ!!!


 うわ~~~~~。顔が熱い!!


「これで、聞こえない?」

「うん」

 即座にそう答え、顔をうずめたままにした。でないと、顔が真っ赤なのが空君にばれちゃう!


 実は、まだ音は聞こえていた。だけど、空君の心臓の音と、私の鼓動で、DVDの音なんてどうでもよくなってしまった。

 ドキドキドキドキ。超接近してるよ~~。


 空君は大丈夫なの?ドキドキしないの?心臓、そんなに早くなっていないよね。

「凪」

 ドッキーン!


「な、なに?」

「俺、汗臭くない?そういえば、昨日、風呂入ってなかった」

「大丈夫」

「ほんと?汗かいたから着替えはしたんだけど」

「だ、大丈夫。空君の匂いならするけど」


「俺の?」

「あ、空君っていうか、このおうちの匂い。南国っぽい香りがいつもするよね」

「ああ、母さんがなんかアロマ焚いているかも」

 そうなんだ。それが時々空君からも香っていたのね。この香りを嗅いだだけで、ドキドキしてた。


「あ、このシーンもやばいよ。宇宙人が人間食っちゃうところ」

「嫌だ!」

 私は思い切り空君の胸に顔を引っ付けてしまった。


 うわ。空君、右手で私のこと抱きしめてきた?!

 うわ~~~~。左手は私の左耳の上。右手は私の背中。

 だだだ、大接近なんてもんじゃないかも?!


「空~~~~!お見舞いに来てやったぞ~~」

 いきなり、鉄の声がした。

 うそ。鉄、2階に上がってきてるんだ。


「空君、谷田部君が…」

「うん」

 うそ。なんで空君、私を抱きしめたままなの?


「空、熱下がったか?プリン買ってきたぞ…って、あれ?!」

 きゃ~~~。見られた?でも、空君がまだ抱きしめてて、顔を上げられない。

「なにしてんの?」

「DVD見てた。ちょっと怖いやつ」


「で、なんで、榎本先輩…」

「怖いの苦手って言うから、耳塞いであげてた」

 空君は淡々と答えた。それもまだ、私の耳を押さえながら。


「凪…。なんでここにいるの?」

 え?今の声、千鶴?

「…何してるの?」

 千鶴だ~~~!!!


 私は慌てて空君から離れようともがいた。すると空君も私から手を離し、

「小浜先輩、どうしたんですか?なんで鉄と一緒に来たんですか?」

とまた淡々と聞いた。


「小浜先輩が空のお見舞いに行きたいって言うから、連れてきた」

 千鶴ではなく、鉄がそう答えた。千鶴は私を睨みつけて黙っている。


「あ、あの、千鶴…」

「凪、お腹痛くて休んだんだよね?なのになんで空君の家にいるの?」

「あ、それは」

「昼飯、持ってきてくれたんだ」

 空君が答えてくれた。


「でも、お腹痛くて休んでるのに、なんで空君の家にいるの?仮病?空君の家に来るつもりで休んだの?」

「違うの。これは…」

「ずるいよ!凪、ずるすぎるよ!!」

 千鶴の顔は真っ赤だ。それに、手をわなわなと震わせている。


「昨日、私は正々堂々と空君にアタックするって言ったよね。真正面から。だから、お見舞いだって、一人じゃなくって鉄に来てもらったの。凪みたいに卑怯なことはしたくないから」

 千鶴がそう言うと、空君が、

「卑怯?」

と不思議そうな顔をして聞いた。


「そうだよ。凪は、ずっと空君のことなんてどうでもいいって言ってたんだよ。仲もよくないし、全然話さないしって。でも、私が空君を好きだから応援してって言ったら、応援するって言ったくせに、影でこそこそと空君に接近して。なんで?私から空君を取ろうとしてるとしか思えない。じゃなきゃなんで邪魔するの?」


「違うの。そうじゃなくって」

 キリリ。胃が痛い。

「そうじゃなくって、なによ?寝ている隙にキスしたり、こうやってちゃっかりお見舞いに来て、そんな空君にべったりくっついたり!怖い映画わざと見て、空君にかわいこぶってひっついて、どっからどう見ても卑怯じゃん!」


「違うの。私、ちゃんと言おうと思ってた。千鶴に、ちゃんと…」

「何を?!」

 息苦しい。目眩がする。気持ちも悪い。やばい、呼吸が浅くなってる。


「あ、あの…」

 どうしよう。頭真っ白だ。

「寝てる隙にキスって?」

 鉄が聞いた。

「保健室で空君が寝ている時、凪、キスしてたんだよ。私、この目ではっきりと見たもん」


「うっわ~~~。そんなことしたんだ。榎本先輩。それ、引く~~~~」

 鉄がそう言って私を見た。呆れているような、嘲笑っているような、そんな目をして。


 苦しい。胃も痛い。

 ギュ…。

 え?空君?

 空君がまた、私の背中を抱きしめてる?


「凪、もう友達でもなんでもないよ。そんなに卑怯だって知らなかった。もう絶交だよ!」

 え?

 絶交?ってなに?あ、血の気が引いていく。


 中学2年の教室が頭に浮かぶ。みんなが私を無視している。誰も話してくれない。誰も見てくれない。

 私、一人…。


「いいかげんにしろよ!!凪のことなんにもわかってないくせに!!」

 いきなり、碧のでかい声が聞こえてきた。そして、鉄と千鶴の後ろから、リビングに入ってきた。


「碧?」

 空君がちょっと驚きながら、碧に声をかけた。

「凪が家にいなかったから、すげえ心配になってまりんぶるーに行ったら、父さんが空の家に行ったから、大丈夫だって言って…」


 心配できてくれたの?

「空のところなら安心だって、そう思いながら来たら、なんで小浜先輩と谷田部先輩がいるんだよ。それも、なんで凪のこと責め立ててんの?」


「だって、凪が…」

 千鶴がそう言いかけると、

「小浜先輩って、凪とずっと友達してたよね。凪がそんな卑怯な真似できると思う?」

と碧がさえぎって話しだした。


「それは…」

「凪はさ、昨日だって真っ青な顔して帰ってきたんだ。胃が痛いって言って、俺、ピンときたよ。精神的なもんだって」

「え?」

 千鶴の顔色が変わった。


「凪、またイジメにあったのかと思って、俺、すげえ心配になった。父さんにも相談した。凪が言いたくないのに、あれこれ聞き出すのはやめよう。見守ろうってそう言ったから、なんにも聞かなかったけど」

 そうだったんだ。


 キリリ。また胃が痛み出した。お腹を手でおさえると、空君が私の背中を優しく撫でてくれた。


「凪、イジメって?」

 千鶴が聞いてきた。

「中学2年の夏、凪、クラス中のやつから無視されて、一歩も部屋から出られなくなるくらい、おかしくなったんだ。何度も吐いて、呼吸もおかしくなって、俺も母さんも父さんもすげえ心配して…」


 ああ、そうだった。あの時、精神的におかしくなってた。

「それで、父さんのアイデアでみんなで沖縄に旅行に行った。スゲエ綺麗な海と空気で、凪はどんどん癒されていった。父さんと母さんは、できるだけのことをして、それでもダメなら、すぐにでも伊豆に転校させようって言ってたんだ。だから、学校に行ったり、先生に会って話をしたり、いろいろとしてた」


 そう。パパもママも、先生に会って話したり、吉井さんのお母さんにも会って、話をしてくれてた。


「凪は、2学期になって、学校に行くって言って、父さんがついて行って、クラスのみんなに命の大切さとかそういう話をしたんだ」

「…」

「凪のクラスのやつらは、凪に謝ってきたり、それからは凪をいじめるやつもいなくなって、凪はずっと学校に行けるようになったけど、でも、凪はそれまでの凪じゃなくなっちゃったんだ」

 

 え?

「もともと、争う事もしなかったし、誰かと喧嘩も、悪口でさえ言うようなことはなかったけど、でも、凪ははっきりと自分の言いたいことは言ってたよ。喜怒哀楽ももっとあって、楽しいと心から嬉しそうで、周りまで嬉しくなるくらい、ほんわかとした笑顔で笑うんだ」


 碧?

「いっつも、そんなだったから、周りみんなが癒されてた。凪の周りはいつでも明るかった。だけど、あれ以来、凪は本心から笑ってない。いっつも作り笑顔で、言いたいことも飲み込んで、周りに合わせて、辛そうで…」


 碧、そんなふうに見えてたの?

「俺も、父さんも母さんも、どうにかしてあげたかったけど、無理強いもできないし、どうすることもできなくって、見守るしかなかった。伊豆に来たら変わるかもって期待して、それでもなかなか凪は、心を開かなくって、ばあちゃんやじいちゃん、春香さんや櫂さん、爽太パパもくるみママも、みんなでずっと見守っていたんだ」


 知らなかった。そんなこと…。

「空なら、凪の心を開いてくれるかもって、みんなで思ってた。空といる時の凪、本当にいっつも嬉しそうに、楽しそうに笑ってたから。昔みたいになれたらいいねって、みんなで言ってて」


「……」 

 空君が一瞬私を見た。でもすぐに碧に視線を向けた。

「凪、最近ようやく空とまた仲良くなってきたんだ。俺も、家族も親戚中みんなで、良かったって言って喜んでいたんだ。凪、空といると、やっぱり違ったから。嬉しそうに笑ってたから」


「……」

「そういうの何にも知らないで、凪のこと悪く言うな!あとから出てきて、空に勝手に近づこうとしたり、邪魔してんのは、小浜先輩の方なんだよっ!」

 碧はそう言って、千鶴を睨んだ。碧の目には涙がいっぱい溜まっていた。


「そ、そんなの、知らないもの。そんなこと、なんにも凪、言ってくれなかったから」

「言えるわけないじゃん!凪はまだ、あの時の傷癒えてないし、ずっと抱えてきたんだから。仲がいいって思ってる子にだって、本心見せて無視されたり、またイジメにあったらって思ったら、怖くて言えるわけないじゃんかよっ!」


 碧はとうとう、涙声になってしまった。


「でも!こっちだって、なんにも知らなかったんだから!」

 千鶴も泣きそうになりながらそう言って、階段を駆け下りていってしまった。

「千鶴…」

 私はソファを立とうとした。でも、足に力が入らなかった。


「俺が行ってくる」

 さっきまで黙って聞いていた鉄がそう言って、階段を下りて行った。


「……碧」

 碧を見た。碧は私に視線を向け、すぐに下を向いて涙を拭いた。

 知らなかったよ、碧。みんながそんな思いで私を見守っていたことも。そして碧がそんなに私を心配してくれていたことも。


 ボロボロ…。涙が溢れた。すると、空君が私をギュって抱きしめてきた。

「そ、空君?」

「ごめん、凪」

「え?」


「俺は俺のことでいっぱいだった。凪がイジメにあってたのは知ってる。でも、ここまで傷を負ってるって知らなかった」

「…」

 空君。


 空君は私を抱きしめる手を緩め、私の顔を見て涙を手で拭いてくれると、

「俺、凪に嫌われたってずっと思ってた。昔みたいに戻りたいって思いながら、もう無理だってずっとそう思ってた。声をかけるのも怖くて、かけられなかった」

と話しだした。


「空君…」

「そうやって、凪に心閉じてた。もう傷つくのが怖かったからだ。だけど、俺がそうすることで、凪が傷ついてたんだね?」

「う、ううん。最初に傷つけたのは私だもん」


「……俺、ずっと凪に守られてたよ。子供の頃、他の人が苦手で、家にいることが多くて。いつだって人と関わらないようにしてた。だけど、凪といるといつも安心できて、外でも海でも公園でも、どこでも大丈夫だった」

「……」

 空君はまた抱きしめてきた。


「凪がいたら、俺、怖いことなかった。そうやって、ずっと凪に守られて甘えてきてた」

 空君…。

「でも、これからは俺が守るから」

 え?


 ギュウ…。空君の私を抱きしめる腕に力が入った。そしてまた優しく、

「俺が、今度は凪を守っていくから」

とそう耳元で言ってくれた。


「そ、空君」

「だからね?凪…」

 空君はまた私を抱きしめる手を緩め、私の顔を間近で見つめながら、

「もう、無理しないで。無理して笑ったり、頑張ったりしないでいいよ」

と優しい声で言ってくれた。


「……」

 空君が涙でぼやけた。

「泣いてもいいし、喚いてもいいよ?甘えてもいいし、俺、いつだってそばにいて、凪のこと守る。それで、凪が一番安心できて、あるがままの凪でいられるような、そんな場所になるから」


「空君…」

 ボロボロボロ。涙が一気に溢れ、私は空君に抱きついていた。

「空く~~~~ん」

 声を出して泣いた。こんなに声を出して、涙をいっぱい流して泣いたのは、何年ぶりだろう。


 しばらく泣き続けた。空君はずうっと優しく抱きしめていてくれた。


 泣くのがおさまると、また空君は優しく私の涙を拭いて、

「おかえり、凪」

と、そう言ってくれた。


 空君!

 空君、空君、空君!!!!


 ただいま、空君!

 空君のもとに私は、帰って来れたんだね……。



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