第24話 胃痛
翌日、朝から雨だ。私はパパから早くに起こされた。
「凪、な~~~ぎ」
「パパ?」
「雨だよ。バスで行く?パパが駅まで送ってもいいけど」
「……雨?」
「うん。送っていくにしても、いつもよりちょっと早めに出ることになるから、もう起きてね?」
「ママは?」
「ぼ~~っとしながら、朝ご飯作ってる」
私のおでこにチュッとパパはキスをして、軽やかに階段を下りて行った。
そういえば、パパ、唇は大好きな人のためにとっておいてくれたんだっけ。でも、その唇、昨日空君に…。
きゃ~~~~~~~っ!思い出した。私はまた布団に潜り込み、恥ずかしがった。
う…。でも、空君が言うには、初めてのキスじゃなかったみたいだし。子供の頃、もしかして私、空君にキスしちゃったのかなあ。
あれ?待てよ。空君、数えられないほどした、みたいな話、していなかったっけ?
それ、まさかと思うけど、私と?
………。
私と~~~~~?!!!!
フラフラになりながら、1階に下りた。そして顔を洗いに行った。
「おはよう、凪。パパの車で行くの?」
ダイニングテーブルにつくと、ママにそう聞かれた。
「うん。そうする。バスにはもう間に合いそうもないし。パパ、送っていってね」
「オッケー」
パパは明るく答えた。
「あれ?碧は?」
「朝練ないから、まだ寝てるよ」
ママがそう言って、テーブルに私の朝ご飯を運んできた。
「そういえば、碧、昨日彼女と待ち合わせして学校に行ってたよ。ちらっと見ただけだけど、可愛い感じの女の子だった」
「え?」
ママの手が止まった。
「あ。あれ?」
まさか、ママ、まだ碧に彼女ができたの、知らなかった?でも、パパ、ママにもばらしたって…。
「凪、し~~~~」
パパがそう言って、首を横に振った。でも、もう遅かりし。
「凪、どんな子だった?」
「え?」
ママの声がいつもと違うぞ。
「碧の彼女。会ったんでしょ?」
ママ、もしかしてジェラシー?
「会ったっていうか、見たっていうか」
「どんな感じの子だったの?」
うわ。ママの顔色が悪いけど、どうしよう。この顔、あれだよ。パパに女の人が言い寄った時と同じだよ
…。
「え、えっとね。髪がクリクリしてて、なんかほんわかした感じで」
「桃子ちゃんに似てる感じの、背も小さめのおとなしい子だった」
パパの方がママに詳しく説明した。
「私に似てる?」
「あいつ、マザコンでシスコンだから」
「……そうなの?」
ママがパパに聞くと、パパはうんうんと思い切り頷いた。
確かに。ママに似た感じの子だったな。でも、ママより元気はつらつと自転車こいで来てたけど。
バスケ部のマネージャーしているし、けっこう明るくて元気な子なんじゃないのかなあ。
「あ、そうだ。今日、空君は休むみたいだよ、凪」
突然ママが思い出したのか、そう言い出した。
「熱、下がらなかったのかな」
私がぼそっとそう言うと、
「空、熱出したのか?」
とパパが聞いてきた。
「大丈夫かな…」
空君、昨日私が帰る頃は、ぐっすり寝ていたから、なんにも声をかけないで帰ってきちゃったけど。
あれから、6時半頃、一回春香さんが戻ってきた。私の夕飯を作ってきてくれて、空君にはお粥を作り、またまりんぶるーに戻っていった。
私は一人で空君の家のダイニングでご飯を食べた。し~~んと静まり返ったダイニングは、とっても寂しく感じた。
空君はいつもあそこで、一人だったんだよね。やっぱり、寂しかったんじゃないのかなあ。
そして、空君の部屋で、また空君を見ていたけど、春香さんが8時に戻ってくるまで、空君はずっと眠っていた。
いっぱい、いっぱい空君の寝顔が見れた。空君の隣は、幸せだったなあ。
バチ。
うわ。パパと目が合った。やばい~~。今、私、意識がどっかに飛んでいっていたかも。
「早く食べないと、間に合わなくなるよ?凪」
「う、うん」
パパにそう言われ、私は慌てて朝ご飯を食べた。
そしてパパの車に乗り込み、パパに駅まで送ってもらった。
ああ、そうだった。千鶴のことがあったんだ。今日、絶対に千鶴に話をしなくっちゃ。
そう思ったら、胃がキリキリした。気が重いなあ。
「凪?顔色悪いけど、凪まで風邪引いた?」
パパが私の顔を見て聞いてきた。
「ううん、大丈夫。じゃ、送ってくれてありがとうね、パパ」
「うん。気をつけてね。いってらっしゃい」
パパの車を降りて、駅の改札口を抜けた。そこにはまだ、千鶴の姿はなかった。
時計を見ると、いつもより20分も早い。これじゃ、一本前の電車に乗れちゃうかも。そう思いながらホームに行くと、もう電車はホームに止まっていた。
「どうしようかな」
ものすごく早くに学校に着くけど、行っちゃおうかな。
千鶴に会うのが怖くて、私は電車に乗ってしまった。
ピ~~~~~ッ。ドアが閉まる合図とともに、電車のドアが閉まった。そしてガタンガタンと電車は走り出した。
「はあ」
こんなことしたって、学校では千鶴に会うんだよね。避けたって絶対に会うんだから、ちゃんと会って、しっかりと話せばよかったかな。
一気に後悔の念が押し寄せた。でも、もう遅い。
そして、それがいけなかったのか、千鶴は学校に来て教室に入ってくると、私の前を何も言わずに素通りして、自分の席に着いた。
ドキンドキン。私から話しかけたほうがいいよね。でも、なんて?
勇気が出ず、休み時間も私は自分の席から立たなかった。千鶴は、隣の子と話したりして、私の方に来ることはなかった。
昼休みも千鶴は、さっさと教室を出て行った。お弁当を手にしていたから、学食かどこかで食べるのかもしれない。
「は~~~~」
私は一人で暗く、自分の席でお弁当を食べた。
「どうしたの?千鶴と喧嘩?」
隣に座って食べていた子達が、私に聞いてきた。
「う、うん。ちょっと…」
そう言うと、心配そうにしてくれたけど、一緒に食べる気にはなれなかった。
帰りにはちゃんと、千鶴に話そう。
そう決意して、ホームルームまで待った。ずっと私の胃はキリキリと痛んでいた。
そしてホームルームが終わり、私は席を立った。すると千鶴も私の方にやってきて、
「部室まで、顔貸して」
と怖い顔で言われてしまった。
怖い。千鶴、ものすごく怒ってる…。
やばい。もっと胃がキリキリ痛くなってきた。でも、ちゃんと行かないと…。
部室に行くと、峰岸先輩はいなかった。
「今日3年生は、遠足だからいないよ」
そう言いながら、千鶴は部室に入り、私が後ろから中に入ると、ドアをバタンと閉めてしまった。
「こんな雨の中、遠足なんて気の毒だよね」
そう言うと千鶴は、椅子を一つ私の前に持ってきて、自分も他の椅子に座った。
「あ、あの…。昨日のことだよね?」
「そう、ちゃんと説明して」
う…。千鶴、ずっと顔も声も怖いよ。
「わ、私、自分でもなんであんなことしたか」
そうじゃない。ちゃんと私も空君が好きだって言わなくちゃ。
「私が空君のことを好きだって知ってて、なんであんなことしたの?」
「そ、それは」
「私を応援してくれるって言ってて、信じられないんだけど」
応援するって言ってないよ。勝手に千鶴が思い込んだだけで。でも、口に出して言えない。
「ねえ!私、空君に告ったり、近づいたりしたら、嫌われるかもしれないから、ちょっと離れようかなって思ってたの。その矢先になんであんなことすんの?」
「え?」
「ずるくない?ああいうのって」
「……そうだよね」
寝ている隙にキスなんて…。
「空君、あのあと起きたよね?凪が空君にキスしたのバレたでしょ?どうした?怒られた?」
「ううん」
「……嫌われた?」
「……ううん」
「もともと、空君と凪、仲いいほうじゃなかったけど。もし、あんなことしてもっと凪が嫌われたら、天罰っていうか、自業自得だと思うよ」
え?
「だから、同情もしないし、逆にいい気味って思っちゃう」
そ、そうなの?
「でも、もし、あんなことをして、空君が凪を意識し始めたとしたら、私、相当頭に来るんだけど」
「え?」
「許せないくらい、頭に来るんだけど!」
ち、千鶴…。
「私、空君からちょっと距離を置こうと思ってたけど、やめた。ウカウカしてたら、凪に取られちゃうもん。凪だって姑息なことしたんだから、私、遠慮もしないし、断固戦うから」
「え?!」
「凪みたいにずるいことはしない。堂々と正面から、空君に挑むからね!!!」
千鶴はそう言い切ると、ガタンと勢いよく立ち上がり、部室を出て行った。
「た、戦う?私と?」
姑息?挑む?
ああ、ダメだ。今、なんにも考えられない。それよりも胃が痛いのが、頂点に達しそうだ。
「い、いたたた」
胃がキリキリ痛くって、しばらく立ち上がれそうもない。どうしよう…。
空君は学校にいない。誰も助けを求められる人がいない。
パパ。ママ。碧。助けて!
怖い。中学2年の時のことを、まざまざと思い出す。また、あんあふうにみんなに無視されたらどうしよう。
学校に来るのが、怖いよ…。
お腹を抑えながら、部室を出た。カバンは持ってきていたから、そのまま昇降口に行こうとしたけど、どうにも胃が痛くて、鎮痛剤をもらいに保健室に行った。
「先生…」
「あら、榎本さん。顔真っ青よ」
「すみません。お腹痛くて。鎮痛剤ください」
「お腹壊したの?」
「いえ、胃です」
「大丈夫?横になっていったら?今、薬持ってくるから」
先生はそう言って、私をベッドに寝かせてくれた。
「昨日は相川君で、今日は榎本さん?もしかして風邪の菌が胃にきちゃった?吐き気は?」
「大丈夫です」
「そう。おうちの方に連絡しようか」
「だ、大丈夫です」
「でも、雨だし、車で迎えに来てもらったら?顔、真っ青よ」
「……だ、大丈夫です」
ママにもパパにも心配かけたくない。
私は薬を飲んで、しばらくベッドに横になった。だいぶ痛みが消えて、先生に挨拶をして保健室を出た。
昇降口に行くと、なぜか、運悪く鉄に遭遇した。
「大丈夫かよ、榎本先輩」
「え?」
「保健室に入っていっただろ?真っ青な顔して」
「見てたの?」
「たまたま、通りかかって…。今も顔青いけど、誰か家の人迎えに来てんの?」
「ううん。一人で帰れる」
「……じゃ、俺はお先に」
「うん」
鉄は一回校舎を出て行った。でも、ちょっとすると、また戻ってきた。
「しょうがねえな!カバン持つよ」
「え?」
「え?じゃないよ。そんな顔色してるのに、ほっておけるかよ」
「あ、ありがと」
邪険にする元気もなく、私はそう呟いた。鉄は私のカバンも抱え、外に出ると傘をさした。
私も傘を開き、フラフラした足取りで歩きだした。
「何、揉めてたの」
「え?」
「小浜先輩と喧嘩してただろ?部室で」
「知ってたの?」
「部室、入ろうとしたら、なんか小浜先輩の一方的な声が聞こえてきて…。空が原因?」
「う、うん。ちょっと…」
「なんで、一方的に言われたままだったんだよ」
「わ、私が悪いから」
「……ふ~~ん。別に俺には関係ないけどさ。煮え切らないよな。榎本先輩の態度って」
「………」
鉄はそれ以上何も言わず、私の隣を少しだけ距離を開け歩いている。
そのまま私は鉄と黙って電車に乗った。終点に着いて、鉄は私のカバンを持ったまま、電車を降り、
「バスで帰るんだろ?」
と言って、バス停まで一緒に歩きだした。
「腹痛いの治った?」
「お腹痛いってなんで知ってるの?」
「お腹抑えてたじゃん」
「…うん」
バスに乗り、椅子に座った。鉄はまだ私のカバンを持っていてくれた。
そして、私が降りるバス停より、鉄は先に降りるはずなのに降りなかった。
「谷田部君、降りないの?」
後ろに座っている鉄に聞いた。すると、
「家まで送る」
と一言返ってきた。
私の降りるバス停に着き、鉄は私と一緒にバスを降りた。そしてまた、傘をポンと広げた。
私も傘をさし、鉄の後ろをとぼとぼと歩いた。
「暗いなあ」
鉄が突然こっちを向いてそう言った。それからまた、歩きだした。
私のことだよね。うん。わかってるよ。でも、明るくなんてなれないよ。
それに、どうでもいいじゃん。鉄にはさ…。
そんなことを思いながら、私はトボトボと鉄の後ろを歩いた。




