第23話 ファーストキスじゃない?!
トントン。
私が真っ白になっているところに、ドアのノックの音がして、
「失礼します」
という、春香さんの声が聞こえてきた。
「あ、母さんだ」
空君が気がついた。私もそれでようやく、我に返った。
「あれ?誰もいないのかな」
「母さん、こっちだよ」
春香さんの声を聞いて、空君が呼んだ。
そ、空君。私の手を握ったまま離さないよ。なんで?
「あら。凪ちゃん。空の看病しててくれたの?」
春香さんがカーテンを開けて、こっちにやってきた。
「春香さん…。あ、養護の先生、職員会議で今いないんです」
「そうみたいね。勝手に空、連れて帰っていいのかしら」
「はい」
あ、春香さん、私と空君がしっかりと手を繋いでいるのを見ちゃった。うわ~~~。
「熱はどう?空」
「うん。測ってないからわかんないけど、今は頭痛もしないし」
「そうね。元気そうね。凪ちゃんがいてくれたからか」
春香さんはそう言って笑うと、
「凪ちゃん、ありがとうね」
と私に微笑んだ。
「え?私、なんにも…」
「空、凪ちゃんいるだけで、元気になれちゃうのよね。昔から」
春香さんはまたそう言って笑った。
「あ…」
ようやく空君が私の手を離した。そして、
「凪は電車で帰るよね?自転車、駅に置いてあるんだし」
といきなり弱々しい声になった。
「うん」
「そっか」
なんで?空君がっかりしてるけど、どうして?
「駅まで凪ちゃんも送るわよ。空の自転車も拾わないとならないしね」
春香さんがそう言うと、また空君の顔が元気になった。
「カバン、その辺にあるんだ。母さん、持って行って」
「これ?」
ベッドの横に転がっていた空君のカバンを春香さんが持った。
「父さんは忙しかった?」
「うん。お客さんがいて手が離せなかったみたい」
「まりんぶるーは平気なの?」
「どうにかね」
春香さんはそう空君の質問に答えてから、
「あんたは心配しないでいいの。自分の体の方を心配してなさい」
と空君の頭を撫でた。
空君はベッドから降りると、フラフラと立ち上がった。
「大丈夫?空君」
「うん」
空君はにこりと微笑み、ゆっくりと歩きだした。
どうしようかな。支えたほうがいいのかな。でも、私が支えてるのって変だよね。
「春香さん、カバン持ちます。だから、空君のこと支えてあげてください」
そう言うと、春香さんは、
「じゃ、凪ちゃんが支えてあげて」
と言い出した。
「いいよ。俺、一人で歩けるから」
空君がいきなりそう言って、胸を張った。
「無理しないで、空。本当は凪ちゃんに支えて欲しいくせに」
「そ、そんなこと…」
空君は赤くなり言葉に詰まった。でも、保健室のドアを開ける前に佇み、
「学校だと、みんなが見てるから」
と小声で言い、ドアをガラガラと開けた。
空君は、さっきより顔の表情が消え、ふらつく足をどうにか踏ん張りながら、一人で歩きだした。その後ろから私は歩き、春香さんは空君の隣に並んだ。
「大丈夫?強がってない?」
「平気」
空君はそう春香さんに答えた。
昇降口に行くと、
「あ、空君。熱大丈夫なの?」
と、見たこともない女の子が声をかけてきた。クラスメイトかな。
「うん」
空君は一言そう返すと、さっさと靴に履き替えた。
私も慌てて靴に履き替え、また空君の後ろからついていった。
駐車場に着き、車に乗り込んだ。空君は後ろのシートに座り、
「凪ちゃんも後ろに行ってね」
と春香さんに言われ、後部座席に私も乗った。
「は~~~~」
空君が長い溜息を吐いた。あ、やっぱりしんどいんだ。
「大丈夫?寄りかかってもいいよ?」
「いいの?」
「うん」
空君は私の肩に寄りかかってきた。そしてまた、ほうって溜息をつくと、
「眠くなってきた」
と呟いた。
「いいよ、寝てて」
私がそう言うと、空君は、
「重くない?俺」
と聞いてきた。
「大丈夫」
「……」
そんな二人の会話を黙ってバックミラーで見ていた春香さんは、クスッと笑い、
「やっぱり空は、凪ちゃんがいると安心するのねえ」
と呟いた。
空君は何も返さなかった。そして空君は目を閉じた。
だけど、眠りにはつかなかったようで、寝息はずっと聞こえてこなかった。
フワ…。空君が私の手を握り締めてきた。
掌が熱い。まだ、熱があるんだね。
車の中は、誰も話すこともなく静かだった。
しばらく車を走らせ、駐輪場近くに春香さんが車を止めた。
「空の自転車、持ってこなくちゃ」
「あ、私が持ってきます」
空君の自転車なら、どこにあるか知ってる。空君から自転車の鍵を受け取り、取りに行った。
そして春香さんが、後ろのシートを倒して、
「うん。でかいバンだから、余裕ね」
と言いながら、自転車を乗せた。空君は助手席に移動していた。
「じゃあ、凪ちゃん。ありがとうね。気をつけて帰ってね」
「はい。それじゃあ」
私は春香さんに軽くお辞儀をして、助手席の空君にも手を振った。
空君は私を見ると、弱々しく微笑み、手を振り返した。
車が発進して走り去るのを見送ってから、また自転車置き場に向かい、私の自転車を取った。そして、ゆっくりと家に向かって走り出した。
海沿いの道を走りながら、今日の出来事を思い返した。
空君に、「また凪にキスしてもらって」って言われた。またって、どういうこと?
ああ、それより、千鶴だよ。キスしているところを見て、逆上してた。どうしたらいいんだろう。私が空君を好きだっていうこと、しっかりと打ち明けようと思っていたのに、あんな形でばれてしまった。ううん。もっと千鶴は誤解して、とんでもない方向に進んじゃおうとしているかもしれない。
これ、暗雲が立ち込めるどころか、嵐の前みたいな感じ?
空は雨雲が広がり、今にも雨が降り出しそうだ。海は、いつもの青さが消え、灰色の波が、どんどん高くなり、風もだんだんと強くなってきていた。
気が重い。
だけど、そのあとすぐに、空君の唇の感触を思い出した。
うわ!顔が火照る!
またって言ってた。っていうことは、前にも私、空君にキスをしたってこと?夢の中ではいつも、私から空君にキスしてた。子供の頃の私と空君の夢。あれって、まさか夢じゃなくて、現実にあったこと?記憶なの?
あ~~~~~~~~~~~。
頭の中はグルグルだ~~~~~~~~!!!
私が熱出そうだよ!
どうにか、家までたどり着いた。途中、フラフラになって倒れそうにもなった。
「ただいま」
って、誰もいるわけないか。
自分の部屋に入り、ベッドにドスンと寝転がった。
「どうしようかな~~~~~」
すると、いきなり携帯が鳴り、私は飛び上がった。
「まさか、千鶴?」
恐る恐る携帯を見ると、春香さんからだった。
「凪ちゃん?」
「あ、もう家ですか?」
「うん。凪ちゃんも家に着いた頃かと思って。今日はありがとうね」
「いえ。あの、空君は大丈夫ですか?」
「それが、熱測ったら38度5分もあるのよ」
「上がっちゃったんですか?」
「うん。櫂がお店にいるんだし、大丈夫だとは思うんだけど、もし良かったら凪ちゃんに看病してもらえないかな」
「あ、はい。今、行きます!」
私は急いで着替えをして、雨が降りそうなので、レインコートを自転車のカゴに突っ込み、空君の家に向かった。
ポツリ。ポツリ。途中で雨が降り出した。でも、小雨なのでそのまま、自転車を走らせた。
「こんにちは、お邪魔します」
息を切らしながら、2階にあるリビングに入った。
「ああ、凪ちゃん。ごめんね?雨も降り出しちゃったみたいね」
「小雨だから大丈夫です」
「助かるなあ。まりんぶるーも混んでるみたいで、急いで戻らないとならないの」
「空君なら、私、ちゃんと看ていますから大丈夫です」
「うん。凪ちゃんだと本当に心強い。じゃあ、お願いね」
そう言って春香さんも、急いで階段を下りて行った。
「櫂!凪ちゃん来てくれたから、まりんぶるーに戻るね」
1階から春香さんの大きな声が聞こえてきて、ドアを閉める音も聞こえた。
私はそっと空君の部屋に入った。あ、空君、寝てるのかな。
「凪?」
起きてた!
「うん」
「ごめん」
「ううん。大丈夫。空君は寝てて?」
「…まじ、ごめん」
なんでそんなに謝るのかな?
「いいよ、私なら全然」
「でも、母さんが勝手に呼びつけちゃって。俺、一人でも平気だったのに」
「私が心配で平気じゃないから。こうやって空君のこと見に来れて、安心してるの」
「なんで?」
「なんでって、そばにいたら、空君の様子がわかるから。家にいたら、部屋でもんもんと心配していないとならないし」
「心配?そんなに心配してくれてたの?」
「え?…うん。そ、それに」
「うん」
私は空君のベッドの横に座り込み、
「ちょっとでも、役に立てるなら嬉しいし」
と、小声で空君に言った。
「……」
空君が目を丸くして、目を背けてしまった。
あ、あれ?私、すごく変なことを言ってしまったのかな。
「サンキュ」
空君は、違う方向を向いたまま、そう呟いた。
うわ。もしかして、照れたのかな、空君。
キュキュキュン!
ダメだ。空君が可愛い。
ずっとここでこうして、空君のそばにいたい。
「空君、寝てていいからね?あ、水枕とかいる?」
「いい。あれ、苦手」
「冷えピタは?」
「あれも苦手」
そうなんだ。じゃあ、どうしたら…。
「凪…」
「え?」
空君がこっちを向いた。そしてまた、布団からニュっと手を出した。
「手、繋いでもらってもいい?」
「うん」
手を繋ぐと、空君はほっと溜息をついて、
「これだけでいい」
と呟いた。
「え?」
「これだけで、すぐに回復できるから」
空君はそう言うと、目を閉じた。
ほんと?私が手を握っているだけで?
空君の寝顔を見た。なんだか、本当に安心しきっているっていう顔だ。
無防備で、すごく可愛い。あ、やばい。また、キスしたくなってきた。
ダメダメ。空君、今、まだ起きてるよね?これでキスなんてしたら、帰れって怒られるかも。
でも…。
じ~~~~~っと空君を間近で見つめた。
「凪?」
空君が目を開けた。
「う、うん」
うわわ。目を開けられて、思い切り見つめられちゃった。どうしよう。でも、顔、いきなり遠ざけるのも、なんか…。
なんか。なんだか…。
フワ…。
って、え?!
今、空君からキスしてきた?!
ええ?!
空君は私の目を見て、ふっと笑うと、また安心しきった顔で目を閉じた。
ど、どひゃ~~~~~~~~~。
今日、2度目のキス!それも、今度は空君からの!
顔が熱い。それに、顔がにやける。
私はベッドの横に座り込んだまま、布団に顔をうずめた。手は、まだしっかりと空君に握り締められたままだった。
頭の中はまた、真っ白けだ……。




