第21話 怖さ
ママが帰ってきて、パパと一緒にお風呂に入ったあと、私の部屋に来た。
「凪~~。制服のブラウス、アイロンかけておいたよ」
「あ、ありがとう」
「また、ベランダでぼ~~っとしていたの?」
「うん。ちょっと考え事」
私はベランダから部屋の中に顔を出し、ママにそう答えた。
ママもベッドの上にブラウスを置いて、ベランダに出てきた。
「気持ちいいね。波の音」
「うん」
しばらく二人で黙って、波の音を聞いたり、夜空を眺めた。
「パパにね、いきなり空君なら、結婚してもいいみたいな話をされたの」
私はママに、夕飯の時にパパが言っていたことをそのまま話した。
「聖君、そんなこと言ってたの~~?」
ママも呆れ顔になった。
「ずっと凪は嫁に行かなくていいからって、そう言ってたのにね」
私がそう言うと、ママはクスッと笑った。
「空君は別だよ」
「え?」
「凪、空君だけはパパが止めようが阻止しようが、引っ付いていたから。パパ、諦めたんじゃないかな、もうとっくの昔に」
「何を?」
「空君と凪が結婚するのを」
「え~~?」
「パパね、ああ見えても、心配してたんだよ?」
「何を?」
「凪と空君がまったく話もしなくなったのを」
「嘘だ。喜んでる感じだったよ?」
「そんなことないよ。パパだけじゃない。爽太パパもくるみママも、みんな心配してた。だけど、口出しもできないし、見守っていくしかないよねって、そうみんなで言ってたの」
知らなかった。
「だから、最近凪と空君がまた仲良くなって、みんなして良かったねって言ってるんだよ。もちろん、パパもだよ?」
「パパも…?」
「凪、まりんぶるーで空君と話ができないでいた時、すっごく悲しそうな顔をしてた。それ、パパもママも見ているの辛かったよ。なんとかしてあげたいって思ったけど、あんまり口出ししてもっと二人の関係をこじらしても悪いしって、何もできなかったんだ」
そうなんだ。パパも知っていたんだ。私が悲しがっていること。
「パパ、なんだかんだ言ったって、凪の恋は応援したいって言ってたし。ほら、凪が小さい頃、ほっぺにチュウをしながら、パパが言っていたのを覚えていない?」
「唇は、凪が本当に好きになったやつのために、取っておいてあげるよ…。っていつも言ってた」
「うん、そう」
「でも、男の子が言い寄って来ると、パパ、怒ってたよ」
「それは、凪に変な虫がつかないようにだよ。本当に凪が好きになったら、俺、絶対に凪を応援したり、もし傷つくようなことがあったら、胸を貸したり、もし相手と気持ちが通じ合ったら、喜んであげたりするんだろうなって、そうパパ、言ってたことあったよ」
「パパが?」
「そうしちゃうんだろうな。悔しいけどって」
「……」
そうなんだ。パパ、そんなふうに言ってたんだ。
「だから、パパはいつでも、凪と空君のこと見てたよ。まったく見ていないフリをしながら」
「私が空君のことを好きだったの、知ってたの?ママもパパも」
「もちろん。みんな知ってたよ。だって、凪、本当に切なそうな顔をして空君を見ていたもん。そんな凪を見て、みんな心痛めてた。陰ながら応援もしてた」
「みんなって、まりんぶるーのみんな?」
「そうだよ。また、凪に笑顔になって欲しかったから」
「そ、そうなんだ」
なんだか、涙が出そうになった。
「凪、もっと自信を持ってね?」
「え?」
「大丈夫だから。ね?」
「うん」
ママが私の背中を抱き寄せた。そして、
「でも、恋すると弱くなっちゃうのも、よ~~く知ってるんだけどさ」
と呟いた。
「あのね、ママ」
私は、ママだったら、どうしても千鶴に私の空君を好きな私の気持ちを言えないことを、わかってもらえるような気がして、話しだした。
「千鶴がね、空君のことを好きになって、私に応援してって言ってきたんだ」
「え?そうなの?凪、まさか応援するって言っちゃったの?」
「ううん。言ってないけど、でも、私も空君を好きだっていうこと、言えないでいるの」
「どうして?」
「ど、どうしても」
「でも、凪も空君を好きなのに。千鶴ちゃんはちゃんと、空君が好きだって教えてくれたんでしょ?なんで、凪は言えないの?それとも、千鶴ちゃんのために身を引くの?応援したいの?」
「ううん。それはできないよ」
「じゃあ、ちゃんと千鶴ちゃんに言わないと。凪の空君に対しての気持ちって、真剣なんでしょ?」
「う、うん」
「じゃあ、ちゃんと言ってもいいと思うよ?隠すことなんかしないで」
「ママだったら、言う?もし自分の友達が、パパのことを好きだったとしたら、言ってた?」
「ママだったら?」
ママは少し考え込んだ。
「なかなか言えないかもしれないし、もしかしたら、自分の気持ちは封印して友達のことを応援したかも」
「え?」
「でも、そうやって自分の気持ち誤魔化して、押し殺しても、いつか友達との関係もおかしくなっちゃうかもしれない」
「……」
「本当に、親友だったら、自分の気持ちを押し殺して嘘をつくのは、その親友を騙したり、信じていないってことになるかもしれない」
「信じていない?」
「うん。もしね、自分の気持ちをちゃんと言って、それでダメになるようだったら、それはそれで仕方ないかもしれない」
「友達と縁が切れちゃうってこと?」
私はそれを聞いて、中学2年の頃のことを一気に思い出した。
「だけど、本当の友達なら、ダメにならないよ。ママも、菜摘や蘭といろいろとあったけど、それが原因で逆に絆が深まったもん。それでいまだに親友してるんだから」
「そうだよね。蘭さんも、菜摘お姉ちゃんも、夏に伊豆に遊びに来るよね。それで、ママといまだに仲いいもんね」
「葉君と、基樹君も、いまだにパパと仲いいし。パパも友達と喧嘩しても、言い合っても、そのあとも友達してるよ」
「そうなの?」
「うん」
ママはにっこりと笑った。
「もし、凪が正直に千鶴ちゃんに空君が好きだって言って、それで友達の関係がダメになったり、傷つくことがあったら、いつだってママもパパも、凪に胸を貸すから。パパなんか、凪とママ専用の胸なんだから。パパの胸でワンワン泣いても大丈夫だよ?」
「うん。パパなら、きっといっぱい優しい言葉かけてくれたり、励ましてくれるよね?」
「凪が思う存分泣いて、元気になるまでずっと胸を貸してくれるよ。だから、大丈夫」
「ありがと」
「うん。じゃあ、もう寒くなってきたから、部屋に入ろう」
ママはそう言って私と部屋に入り、窓ガラスを閉めた。
「じゃあね、凪。おやすみなさい」
「おやすみなさい、ママ」
ママは静かにドアを閉め、1階に下りて行った。
「は~~~~」
私は溜息とともに、ベッドに座り込んだ。ママが、あんなことを言うなんて思わなかったな。また、
「わかるよ、ママもそうだもん」
って言ってくれるかと思った。
だけど、ママもきっと、パパとの間にも、友達との間にも、いろんなことがあって、泣くことも傷つくこともあって、そういうことがあったから、絆が深まったりしていったのかもしれないよね。
ゴロン。ベッドに横になり、天井を見上げた。
「空君のことは、本当に好き。この気持ちは嘘じゃないし、誤魔化したりしたくない」
そう独り言を言って、それから、ちゃんと千鶴にそのことを正直に話そうと心で決意した。
でも、心の奥で怖がっている私がいる。
大丈夫。もし、何かあっても、パパとママがいる。
怖くないよ、凪。また、クラスの全員が敵になっちゃうようなことはないから。
あんなに辛い思いは、もうきっとしないから。大丈夫。
私はそう言い聞かせ、それから布団に潜り込んだ。
あの頃の夢をどうか、見ませんように。そう願いながら、目をつむった。
そうだ。私はいまだに、中学2年のあの夏休み前の夢を見て、うなされる。これはママにもパパにも言っていない。
冷や汗をいっぱいかいて目が覚める。夢でよかったと安心する。そしてすぐに、あの頃のことを思い出さないよう、心の奥深くに封印する。
大丈夫。あれはもう遠い過去。あんなことは起こらないから。そう自分に言い聞かせる。
翌日、朝からものすごく緊張した。
今日、ちゃんと千鶴に言おう。応援できないこと、私も空君が好きだったっていうことも。
ドキドキした。血の気が下がっていく思いもした。頭痛もしてきた。だけど、ちゃんと言おう。
自転車に乗って、海辺を走った。空には大きな雲が広がり、青空はどこにも見えなかった。
ああ、私の心の中みたいだ。
「凪~~~。お先~~~」
そう言って碧が追い抜いていった。ああ、まただ。
その数分後、後ろから自転車をこぐ音が聞こえてきた。あ、きっと空君だ。
ドキドキ。
「おはよう」
空君の声が後ろからした。そして私の隣に来ると、空君は速度を落として微笑んだ。
うわ。朝から笑顔見れちゃった。
「おはよう」
「碧、行っちゃったね。あれ?」
空君は前を向き、そしてもっと速度を落とした。
空君が見た先には、碧が自転車を止め、自転車で別の道から来る女の子を待っていた。
あ、まさか、彼女?!
「碧、何してんの」
空君は、わざとらしく碧の横で自転車を止めてそう聞いた。そして、こっちに向かってくる女の子を見た。
私は無言で、空君の隣で自転車を止めた。そして私も女の子を見た。碧は私と空君の方を見て、顔を赤くして、
「さっさと行けよ」
と私たちを追い払った。
「誰?あの子」
空君が自転車を走らせてから、私に聞いてきた。
「多分、彼女」
「ああ、バスケ部のマネージャー?」
「え?空君知ってたの?碧が彼女できたこと」
「付き合うようになったのは知らない。でも、手紙もらったってことなら聞いたよ」
碧、さては誰にでも自慢していたな。
空君はそのあとも、私の走る速度に合わせて自転車をこいだ。そして一緒に駅に着いた。
自転車置き場に自転車を置き、二人で改札口を抜けると、その先に千鶴が待っていた。
「おはよう、空君、凪」
千鶴はものすごく明るい笑顔でそう言った。
「あ、どうも」
空君の表情はその逆で、一気に顔から明るさが消えていった。
「空君、一昨日借りたシャツ、洗濯したんだけど、まだアイロンかけてないの」
「え?洗濯?別にしないでもよかったですけど」
「ううん。私汗かいちゃったりしたし、ちゃんとアイロンかけてから渡すね」
そう言ってから、千鶴はちょっと空君に近寄り、
「あのシャツ、もらったりしたらダメだよね?」
と可愛い声を出した。
「え?」
空君、驚いてる。
「あ、ダメだよね?」
また千鶴は可愛い声を出した。顔つきも、今までと違う気がする。
「あ、はい。すみません。あれ、気に入ってるから」
空君は淡々とそう答えた。
「だよね~~~。あのシャツ、可愛いもん。空君にも似合ってるし」
千鶴はそう言って、冗談だよって笑った。
「お~~~~っす」
そこに鉄がやってきた。千鶴は「おはよう」と軽く言うと、まったく鉄には話しかけず、また空君に話しかけた。
「おはよう、鉄ちゃん、空君」
あ、山根さんだ。空君は、山根さんを見ると、小さく頷いた。
「うっす」
鉄は山根さんに返事を返すと、ゆっくりと私の方を見た。
「あ、いたんだ。榎本先輩」
またか。なんだって鉄は、私にはこういう言い方をするんだか。
「なんだよ、また無視?」
ふんだ。そんなこと言われて愛想よく挨拶なんかできますか。
「ね!空君。今日は部活に出るの?」
明るく千鶴が空君に聞いた。空君は、「ああ、はい。多分」と、俯きながら返事をした。
その横に山根さんが立った。そして、山根さんはジロリと千鶴を睨んだ。それに気がついた千鶴も、山根さんを睨み返した。
こ、怖い。
その真ん中に空君は立っている。でも、二人が睨み合っているのには気がついていない。何しろずっと下を向いちゃってるから。
「なんか、怖くない?あそこ」
気がついたのは、ちょっと離れたところから見ていた鉄だ。私の横に来て、小声でそう言ってきた。
「う、うん。怖いね」
私も鉄に頭に来ていたのに、つい答えてしまった。
「二人して、空を取り合ってる?まさか」
「そうかも」
「こえ~~。女の戦いかよ」
もっと声を潜めて鉄がそう言った。そして鉄は、3人には近づかないようにして電車に乗ると、空君たちとは離れて空いているシートに座った。
私は鉄の横に座るのも気が引けて、でも、千鶴と山根さんの近くにいるのも怖くなり、鉄とは反対側のシートに座った。
空君がこっちをちらっと見た。そしてドアにもたれかかり、千鶴や山根さんの方を見ることもなく、外を見つめた。それから、時々「コンコン」と咳をしていた。
ああ、そうだった。空君、風邪ひいてたんだ。大丈夫かなあ。
って、空君の心配をしている場合じゃない。今日、千鶴に、私の気持ちを正直に伝えなくっちゃ。そう思うと、胃がキリキリと痛み出してしまった。
たったひと駅だけなのに、やけに今日は長く感じられた。




