第19話 大きなあったかい手
また屋上に行った。さっきよりももっと風が冷たくなっていた。
クシュン!空君がクシャミをした。あ、寒いんだ。そりゃそうだよね。半袖Tシャツ1枚なんだもん。
ちらっと千鶴を見た。千鶴は、鉄に何かを言われ、冗談を返して笑っていた。
それに、なんだか嬉しそうだ。時々、空君のシャツを嬉しそうに見ている。
「星の位置が変わっている。ほら」
先輩が話を始めた。空君はすっかり先輩の話に夢中になり、鉄はかったるそうな顔をして、ブラブラとその辺を歩き出し、千鶴は私の横に来て、
「ねえ、帰り、空君に送ってもらいたいな」
と言ってきた。
「え?どこまで?」
「うちまでだよ」
「でも、空君の家とは方向違うよ?」
「知ってる。でも、私の家って、誰も近くにいないんだもん」
「去年はお父さんが迎えに来ていたよね」
「今年も来るって言ってたけど、部の誰かに送ってもらうからいいって断ったんだ」
なんで?!
「いいよね?鉄ちゃんって、凪の家と同じ方向でしょ?凪は鉄ちゃんに送ってもらいなよ」
やだよ、そんなの!
「帰りに空君に頼んでみようっと」
千鶴はそう言いながら、シャツの裾をつかみ、
「ね?このシャツ可愛いよね。空君ってセンスいいよね」
と笑って言った。
千鶴。それを千鶴が着ているから、空君、さっきから寒そうにしてるよ?大丈夫かな。空君、風邪ひかないかな。それより、空君に送ってもらいたかったのに、千鶴と帰っちゃったら、一緒に帰れないよ。それに、私、鉄と帰りたくなんかないよ。
どうしよう。ああ、もっとモンモンとしてきた。心の中の暗雲が、もっと広がっているのを感じちゃう。
「さてと。もう9時だな。そろそろ解散とするか。榎本と小浜は誰かに送ってもらうか、家の人に迎えに来てもらったらどうだ?」
先生がそう言って、片付けを始めた。峰岸先輩も片付けながら、
「榎本さんは確か、相川君の家が近いんじゃなかったっけ?」
と聞いてきた。
「私、家が一人だけ違う方向なんです」
千鶴が話をさえぎりそう言った。
「ああ、去年はお父さんが迎えに来てくれてたっけ。今年も来てくれるの?」
先輩がそう聞くと、
「今年は来てもらえそうもなくて」
と千鶴は暗い顔をしてそう答えた。
「じゃあ、俺が送っていこうか」
先輩がそう言うと、千鶴は焦ったように、
「でも、空君に服も借りてるから、家まで送ってもらって返そうかな~~、なんて」
と可愛く空君のほうを見ながらそう言った。
「俺?」
空君は、望遠鏡を片付けている手を止め、顔を上げた。
「うん。いいよね?空君」
「でも、凪が…」
「鉄ちゃんが凪を送っていったらいいじゃん。ね?」
「ああ、じゃ、相川、小浜のことを送ってやれ。それから鉄だっけ?榎本を送っていってやれ。さてと、これを部室に戻したらすぐに、解散だな」
先生はそう言うと、荷物を抱え、屋上から階段を下りていってしまった。
先生!勝手に決めないでよ。
「げ~~。なんで俺が榎本先輩を送っていくんだよ。めんどくせ~~。家だってそんなに近くないよ」
鉄が嫌そうな声を上げた。私だって嫌だ。冗談じゃないよ。
「じゃ、鉄が小浜先輩送っていったら?」
空君は淡々とそう言った。それを聞いて千鶴が、
「でも、この服を返せなくなっちゃう」
と慌てた。
「あ、いいっす。それ、今度会った時に返してくれたら」
「だけど、寒いでしょ?帰り道」
「う~~ん。でもなあ、一番寒いのって屋上だったと思うし、自転車こいでたら、暑くなってきそうだし」
空君はそう言うと、階段を下りだした。
「で、でも、空君」
千鶴はかなり焦っているみたいだ。だけど、私は心の中で、空君、千鶴を送っていかないで!と叫んでいた。
部室に戻る廊下は、さっきよりも暗く感じた。それに、なんとなく寒い。
「ねえ、やっぱり空君が送って。私、その…」
千鶴は何か言い訳を考えているようだ。
「小浜先輩の家の方が遠いじゃん。もっと面倒」
鉄がそう言うと、
「ほら!鉄ちゃんもああ言ってるし」
と千鶴は空君の腕を掴んでそう言った。
「あ…」
また空君が廊下の奥を見ている。まさか、またいるの?
クルリ。空君はいきなり私の方を向いた。
ゾクゾク~~~。何、この寒気。
「凪」
空君が私に近づき、
「部室入ろう」
と言って、私の背中を押した。
いたの?いたんだよね?
ギャヒ~~~~!私、霊感もないし、幽霊見たこともないし、こんなの初めてなんだけど?!
「ねえ、空君」
まだ千鶴は空君に言い寄っていた。
「あ、峰岸先輩、小浜先輩のこと送ってあげてください」
空君は最後に部室に入ってきた先輩にそう言った。
「え?」
「俺、凪のこと家まで送っていかないとならないから」
「ああ、いいけど」
先輩は私をちらっと見て、また視線を空君に向けた。
「なんで?空君」
千鶴がそう言うと、
「……聞きたいですか?理由」
と空君はもったいぶった。
「聞きたいよ。なんで?」
「部室の外にいるんです」
「誰が?」
千鶴は半分キレ気味だ。自分を送ってくれないことに、頭に来ているのかもしれない。
「さっきから、なんか、凪に近づこうとしてて。でも、俺には近づかないから、俺がそばにいないと、多分、凪にくっついて家まで来ちゃう」
「え~~~~?!!!」
私の方がそれを聞いて、真っ青になった。
「まさか、幽霊見えた?空」
鉄が聞いた。
「うん。久々に見た」
空君は、淡々とそう答えた。
「え~~~~?!」
それを聞き、千鶴も先輩も真っ青になった。
「わ、わかった。それは大変。でででも、私にくっついてくる可能性だってない?」
千鶴がそう聞くと、きっぱりと空君は、
「ないっす」
と断言した。
「ほ、本当に?」
「凪、多分、今、一番引き寄せやすいかも」
空君はそう言うと、私を心配そうに見た。なんでかな。
「じゃ、じゃあ、そういうことなら、榎本さん、相川君に送ってもらって。っていうか、部室から出るのが、ちょっと怖いなあ。あははは」
先輩が、変な汗をかきながら笑った。いや、笑っていない。思い切り怖がっているようだ。
「空にくっついて、出ようぜ」
鉄もそう言った。みんなして、空君を囲むようにしてドアを開け、そろりそろりと部室を出た。
「いるの?空」
「うん」
「ど、どこに~~~?」
千鶴が聞いた。
「えっと、その壁のところ」
空君が指をさすと、千鶴と鉄は、
「うわ~~~~!」
と叫びながら、昇降口に走っていってしまった。
「ああ!待って!小浜さん」
先輩も慌てて後を追った。
「い、い、いるんだよね」
私は空君にしがみついていた。
「大丈夫だよ、凪」
空君は優しくそう言うと、私の背中に手を回して歩きだした。
なんだか、空君がいつもより優しい。
「クシュン」
校舎を出たところで、また空君がクシャミをした。
「大丈夫?」
「うん」
「風邪、引いちゃったんじゃない?私のパーカー着る?」
「いいよ。そうしたら、凪が寒いでしょ?」
「私、大丈夫。風邪とかまったく引かないんだ」
「いいよ。それより…」
ドキン。空君が声を潜めた。まだ、もしかしてくっついてきているの?
「凪、なんか沈み込んでる?」
「へ?」
「気持ち、下がってる?」
「どうして?」
「うん。下がっていると、寄ってくるかも」
「なな、なんで?」
「凪、いつもは寄ってきても弾き飛ばせそうだけど、今、そんな感じじゃない気がして」
うそ。まさか今までも寄ってきてた?それを弾き飛ばしてたの?
「えっと」
もしかして、千鶴のことでモヤモヤしたからかな。
「大丈夫。今は、空君がすぐ隣にいて安心しているし」
そう言うと、空君は後ろを振り返った。
「ああ、そうだね。もうついてきていないし」
「ほんと?いない?」
「うん」
「良かった~~~~~。あ、でも、まだそばにいてね?」
「うん」
空君はそう言うと、私の手をとって歩きだした。
わ。手、繋いじゃった!
「そそ、空君、まだ見えたりしたんだね」
「幽霊?」
「うん」
「久々に見たよ。あんなに近くではっきり見たのはかなり久しぶり」
「そうなの?」
「凪がいるからかな」
「え?!なんで?」
「だから、凪、好かれるんだよ。癒されるんじゃないの?」
「ゆ、幽霊まで私、癒しちゃうの?」
「でも、弾き飛ばしたり、すごい時は、凪のそばで一気に光になっちゃうのもいた。俺、そういうのも見えてたんだ」
「光?」
「成仏しちゃうんじゃないの?」
「そんな力ないよ!それに、今のはついてこようとしたんでしょ?」
「うん。珍しいね。前はそんなこと一回もなかったのにね」
「………私の気持ちに関係しているのかな」
「……多分。だから、あんまり落ち込んだりしている時は、やばいかも。あ、去年とか大丈夫だった?」
「わかんないよ。だって、見えないもん」
「そうだよね。でも、気分が悪くなったとか、変に疲れちゃったとか」
「あ、あった。流星群見たときは、パパもいたし、なんとなく安心できて、大丈夫だったけど」
「あ、それは聖さんのパワーが強いから。聖さんのそばになんて寄ってこないよ」
「そうなの?」
「うん」
そんなことってあるんだ。
「やっぱり、学校で星の観察をしているとき、寒気がして、頭痛もして、風邪ひいたんだって思った時が」
「大丈夫だったの?そのあと」
「パパが迎えに来て、車に乗ったら、すぐに気分が良くなったから」
「やっぱり、聖さんが知らない間に追っ払ってくれたんだね」
「そっか~~~」
「凪…」
「え?」
「……」
「なあに?」
空君は私をしばらく黙って見て、また前を向いて歩きだした。
「な、なあに?空君」
「ううん。なんでもない」
なんだろう。
「あのさ、もし、なんか気持ちが悪くなった時とか、俺に言ってね?」
「え?うん」
「あ、聖さんでも大丈夫だと思うけど、俺も少しは役にたてると思うから」
「うん。ありがとう、空君」
空君と手を繋いで歩いていると、手からあったかさが伝わってきた。
空君、私がいるとホッとするって昨日言ってたけど、私もだよ。
黙って、駅まで歩いた。電車に乗っても空君は黙っていた。でも、ずっと空君は手を繋いでいてくれた。
子供の頃よりずっと大きくなった空君の手。
空君はドアに寄りかかり、外を見ていた。私はそんな空君を見たり、繋がれた手を見たりして、幸せを感じていた。




