第14話 さざ波
ザザザザーン…。
波の音が大きい。やっぱり風があるから、今日は波が高い。
海沿いの歩道の脇に自転車を止めた。そして、浜辺を歩いて海に近づいた。
真っ白い砂浜と、エメラルド色をした海。海の途中から色がいきなり変わり、群青色をしている。江ノ島ではこのコントラストの配色は見られなかった。
そしてどこまでも青い空。綺麗だな~~~。
「あ、あれだ」
キラキラと輝く波間の先にサーファーが見えた。櫂さんとやすお兄ちゃん、そして空君だ。
他にも数人のサーファーがいるけれど、浜辺は静かだった。
空君。海と青い空がすごく似合っている。いつの間にか、たくましくなっちゃったよね。
そんなことを思いながら、しばらく私は空君を見ていた。
ぼけ~~~っとしていると、いつの間にか櫂さんが浜辺にいて、
「あれ?凪ちゃん?」
と私に気がつき、サーフボードを抱え、やってきた。
「おはようございます」
「おはよう。どうしたの?」
「まりんぶるーに行く前に、ちょっと寄ってみたんです」
「そっか~~。なんだ。凪ちゃんもサーフィンがしたくなったのかと思った」
「え?それは、無理」
「なんで?やってみたらいいのに。案外はまるかもよ?凪ちゃん泳ぎも得意なんだし」
「でも…。私、パパに影響されちゃって、潜る方が興味あって」
「あ、そうか。素潜り得意だし、ダイビングのライセンスも取りたいんだっけ?」
「はい」
「クス」
?櫂さん、笑った?
「最近、あいつもダイビングしてみようかなって言ってるよ」
「あいつ?」
「空…」
「え?でも、空君はサーフィンの方が好きなんじゃ…」
「まあね。プロのサーファーもなれたらいいよなあって言ってたこともあったけど、潜る方もしてみたいなって、ほんと、つい最近そう呟いてた」
本当?じゃあ、いつか一緒に海、潜れるかもしれないの?
「あれ~~?凪ちゃん」
「やすお兄ちゃん!」
「どしたの?」
やすお兄ちゃんも海から上がってきた。その後ろから、空君もこっちに向かってやってきている。
「ちょっと、まりんぶるーに行く前に海を見に…」
なんて言って、本当は空君を見に来たんだけど。
「は~~。疲れた。サーフィンは疲れるよ。俺、もう年かな」
「え~?やすお兄ちゃん、まだまだ若いでしょ?」
「空君に比べたらおっさんだよ。やっぱ、違うよね」
そう言いながらやすお兄ちゃんは、空君の方を見た。空君は、やすお兄ちゃんの方を見てから、ちらりとこっちに視線を向けた。
真っ白な砂浜の上を、日に焼けた空君が歩いてくる。サーフボードを抱え歩く姿は、とっても大人に見える。うわ~~~。かっこいいかも…。
って、見とれている場合じゃなかった。挨拶。なんか言わなくっちゃ。
「お、おはよう、空君」
「……」
あ、あれ?無視された?うわ~~。前は無視されても、やっぱりなって感じだったけど、今日は返ってくると思っていたから、かなりショック…。
空君は、櫂さんの近くまで来ると、
「俺、ちょっと休む」
と櫂さんに一言言って、俯きながら、ゆっくりと私の方に歩いてきた。
「凪、まりんぶるー、行くの?」
「え?うん」
ドキ~~~。無視されたわけじゃなかった。ちゃんと話しかけてきてくれた!
「こんなに早くから?」
「ママが二日酔いで、私が代わりにお手伝いに行こうかなって思って」
「あ、そうなんだ。そっか~~」
空君はそう言うと、もっと下を向いてしまった。
「ちょっと、海でも一緒に見ようかなって思ったけど、すぐに行くんだね?」
「え?」
「……」
うそ。海を一緒にって、私と?!
え~~~~!それ、したかった。思い切りしたかった!
「あ、あの、えっと。5分、ううん、10分くらいなら」
「いいよ。無理しないで」
「え?ううん。無理じゃない。大丈夫」
あ、そうだ。杏樹お姉ちゃんと話もしたかったんだった。でも、空君と一緒にいたいよ。
「じゃ、ちょっとだけ」
そう空君は言って、サーフボードを置いた。
ドキドキ。う、嬉しいかも。朝から、空君と一緒にいられる。
「空、俺とやすは駐車場のほうに行ってるよ」
「ああ、うん」
櫂さんに空君は答えた。そして砂浜に座り込んだ。私もその横に座った。
「今日は車で来ているの?」
「うん。やすさんもいたから」
「そっか…」
いつもは自転車だもんね。自転車にサーフボードくくりつけてくるの。あれでよく自転車に乗れるなって、いつも感心して見ていたんだよね。でも、そんな姿もかっこよく見えていたけど…。
「今日、波あってよかったね」
「うん。いい感じで風があったから」
「…私が来ても、風あったね」
「え?」
「前に、私が見に来た時、風がピタッと止んじゃって、谷田部君が、凪って名前の人が来たせいだって責められたの」
「そんなことあったっけ」
「……うん。それから、見に来づらくなった」
「凪のせいで風が止んだんじゃないのに。鉄の言うことなんか、間に受けなくていいよ」
「そうなんだけど…」
その時、空君も冷ややかな目で私を見た…なんて、勝手に私、思い込んでいたのかな。あの時は、なんにも話しかけてくれなかった。
「鉄のやつ、サーフィン、そんなにしに来ないくせに、そんな憎まれ口たたいて…」
「私のこと、ムカつくんだって」
「え?」
「そう言ってたよ」
「………凪、傷ついた?」
ドキン!
空君が、なんか、優しい目で見てる?!
「う、ううん。全然」
「ほんと?」
「谷田部君の言うことなんて、気にしないし」
「……でも、風が止んだこと言われて、海見に来れなくなったんでしょ?」
「あ、あれは…。本当に私が原因だったら、空君に悪いなって思って」
「え?俺に?なんで?」
「波がなかったら、サーフィンできないでしょ?だから」
「……じゃ、なんで今日は」
「風強かったから、大丈夫かなって思って…」
本当は、サーフィンしている空君、どうしても見たくなっちゃったんだけど。
「……それで、あんまり見に来なかったんだ」
「え?」
「……」
空君は黙り込んで、海の方を眺めた。
しばらく黙って二人で海を見た。風が徐々に止んできていた。
「あ、やっぱり、風止みそうだね」
私がそう言うと、空君はちらっとこっちを見て、それからまた目線を前に向けた。
「俺、サーフィンする時は風も波も欲しいけど、ただ海を見ている時は、穏やかな方がいいかな」
「え?」
「穏やかな海って、好きだよ?」
ドキン!
うわ。今、自分のこと言われているかと思っちゃった。
「わ、わ、私も…」
私も、空君のことが大好き。なんて言えない!
「そろそろ行く?」
「え?」
「10分たった」
「…う、うん」
行きたくない。まだまだ、空君の隣にいたい。そんな願いも虚しく、空君はさっさと立ち上がり、
「じゃ…」
と一言言って、サーフボードを持って歩きだした。
ガックリ。あっさりしているんだな。空君。
「あ、あの…」
「え?」
「夜、写真集、見に行っていいんだよね?」
ドキンドキン。ダメだって言わないよね?大丈夫だよね?
「…うん。碧と一緒に来て」
「うん。わかった」
空君は、ほんのちょっと微笑み、そしてまた背中を向けて歩きだした。
良かった。夜、会えるね。私はホッとしながら、歩道に止めてあった自転車に乗り、まりんぶるーに向かって走り出した。
やっぱり、空君とはちゃんと距離が縮まってるよね!
頬を高揚させたまま、まりんぶるーに到着した。そして、中に入ると、舞花ちゃんとクロが遊んでいて、二人がけのテーブルに、杏樹お姉ちゃんと爽太パパが向かい合って座っていた。
「おはよう、凪ちゃん。あれ?お姉ちゃんは?」
「おはよう、杏樹お姉ちゃん。ママ、二日酔いであとから来る」
「え~~。桃子ちゃんが二日酔い?」
爽太パパが驚いている。
「ワイン飲みすぎたみたいで」
「あ~~あ。聖が飲ませすぎたな~~」
爽太パパが苦笑した。
「だから、私が代わりにお手伝いしようと思って。何をしたらいいかな?爽太パパ」
「凪ちゃんはえらいなあ。じゃ、ドアのガラス拭いてもらおうかな」
「私は窓ガラスを拭くよ」
杏樹お姉ちゃんも雑巾を持って、私の隣で窓ガラスを拭きだした。
「杏樹お姉ちゃん」
「ん?」
「ちょっと、相談があったの」
「いいよ。聞くよ?」
「あのね…」
私は杏樹お姉ちゃんに近づき、小声で話を始めた。杏樹お姉ちゃんは窓ガラスを拭きながら話を聞いてくれた。
「わ、私ね、空君と全然話もしないって前に言ってたけど、空君が天文学部に入ってきてから、なんだか話をするようになって」
「うん。おじいちゃんとおばあちゃんも、空君と凪ちゃんが昔に戻ったみたいだって言ってたよ。また仲良くなったんだね?よかったじゃない」
「…うん」
ああ、顔が一気に火照った。
「そ、そ、それでね?」
「うん」
「私の中学からの友達が、昨日突然、空君のことが好きになったって言ってきて」
「空君に?」
「ううん。私に。それで、応援してって言われたの」
「え?凪ちゃん、なんて答えたの?」
「なんにも言えなかった。応援なんて出来そうもなくて。だけど、千鶴…、あ、友達の名前、千鶴っていうんだけど、勝手に私が応援するって解釈しちゃって」
「凪ちゃんも空君が好きだって言えなかったの?」
「杏樹お姉ちゃんは、私が空君を好きだって気づいていたの?」
「……それは、まあ。うん」
「そっか。誰にも内緒にしてたけど、バレちゃったんだ」
「え?内緒だったの?」
「うん」
「なんで?」
「だって…。空君とは話もしなくなったし、もう昔みたいに仲良くなれないって、そんな気もしてたし」
「うん」
「私が好きでもどうしようもないだろうし、私の気持ちを知られるのも、なんか、嫌だったし」
「誰に?空君に?」
「うん」
「そっか~~~。じゃあ、友達の千鶴ちゃんにも、それで言えなかったの?」
「うん」
「…でも、千鶴ちゃんは、ちゃんと話してくれたんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、凪ちゃんも、自分が空君をどう思っているか、正直に言えばよかったのに」
「………」
「言ったほうがいいと思うな」
「でも、そんなこと言って、千鶴、どう思うかな」
「別になんとも思わないんじゃない?」
「……」
そうかな。
「ママ~~~!」
舞花ちゃんが杏樹お姉ちゃんに引っ付いてきた。
「なあに?舞花」
「パパは?」
「もうすぐ帰ってくるよ」
「舞花、パパと遊びたい~~」
「じゃあ、パパが帰ってくるまで、ママと一緒に窓拭きしようよ。あ、雑巾、凪ちゃんの貸してもらってもいい?」
「うん。どうぞ」
私は舞花ちゃんに雑巾を渡して、他に手伝うことがないかを春香さんに聞きに行った。
それからテーブルセッティングや、花瓶に花をいけたりしていると、ママがやってきた。
「凪、ありがとうね」
「ううん。ママ、もう大丈夫なの?」
「うん。元気になったよ」
ママはにっこりと笑って、キッチンの奥へと入っていった。
私のお役目は終わったかな。杏樹お姉ちゃんはすっかり舞花ちゃんに取られちゃたし、家に帰ろうかな。
「じゃ、ママ、私家に帰ってるね」
「凪、お昼はどうする?」
「適当に碧と食べるから大丈夫」
私はお店から出て、また自転車を走らせた。その間も頭の中は、千鶴に私が空君を好きだって、打ち明けるかどうかを悩んでいた。
打ち明けて、千鶴はどうするかな。
ライバルみたいになっちゃうのかな。
友達関係にヒビが入らないかな。
それに…。もし、千鶴がそのことを空君に話しちゃったりしたら?
凪は空君を好きなんだよって…。
ダメだ。言えない。千鶴には言えない。
だけど、応援もできない。
どうしたらいいんだろう……。
結局、振り出しに戻ってしまった。
千鶴は、いつか空君に告白するんだろうか。そうしたら、空君はどうするんだろうか…。
私の心は、穏やかじゃない。さざ波が立ってしまっていた。




