第139話 おばあちゃん
今年もまた、空君はハワイに行く。去年は、セスナ機の事故で、大変だったっけ。でも、空君は意識だけ飛ばして、私に会いに来てくれた。
それから空君は幽体離脱という、特殊な才能を身に着けてしまった。今も、時々夜中、空君は私のそばに来る。
たいてい、空君のオーラを感じて、空君が近くにいるのを感じることができる。ハワイに行ったとしても、きっと空君は意識を飛ばしてくれるだろうし、数日会えなくたって、寂しくないよね。と思っていた。
でも、空君はハワイに行くことができなくなってしまった。
夏、花火大会をみんなで楽しんだ。また、杏樹お姉ちゃん家族も伊豆に来て、その時にひまわりお姉ちゃん家族もやってきて、みんなで水族館に行った。
とても、楽しい夏を過ごしていた。去年と違うのは、私も空君も塾に行っているから、お店のアルバイトをできなかったことだ。
キッチンの手伝いに、文江ちゃんも来ていたし、ママも雪ちゃんの面倒をおばあちゃんや、おじいちゃんに頼んでお店を手伝っていた。おばあちゃんは、夏はみんなが来てくれるから、賑やかで楽しいわ…と、喜んでいた。
そして、雪ちゃんをおじいちゃんが抱っこして、おばあちゃんと夕方海に散歩に行っている時のこと、いきなり大雨が降り出した。
「大変。お義父さんたち、傘持って行ってないわ。空君、持って行ってあげて。今頃ずぶ濡れかも」
私と空君は、塾からまりんぶるーに直行して、一息ついているところだった。
「うん。わかった」
くるみママに頼まれた空君は、傘を2本持って走って出て行った。
「お義母さん、大丈夫かしら」
「え?」
「雨なんかに濡れて…。毎日暑かったから、ただでさえ、疲れていたみたいなの。でも、みんなが遊びに来ていたし、ちょっと無理していたみたいで」
「おばあちゃんが?」
「散歩くらいして、足を動かさないとって言って、お義父さんと出て行っちゃったけど…」
くるみママは窓の外を見た。ママも私もその隣に立ち、心配しながら外を見ていた。
5分後、おじいちゃんが雪ちゃんを抱っこして、片手で傘を差し、早歩きでお店に向かって来ているのが見えた。雪ちゃんの頭には、ハンドタオルが乗っかっていて、体には、おばあちゃんのカーディガンがかかっていた。
「いや~~、まいった。ゲリラ豪雨だよ」
そう言いながら、おじいちゃんはお店に入ってきた。
「お義母さんは?」
「あとから空と来る。瑞希は走れないからな。俺は雪ちゃんを雨に濡れたままにしておくわけにもいかないし、速足で帰ってきたよ」
ママがタオルを持ってきて、おじいちゃんに渡した。雪ちゃんは私が受け取り、ママがタオルで髪や体を拭いてあげた。
「このまま、お風呂に入ったら?あ、でも、桃子ちゃん、着替えがないか」
くるみママが、ママに言った。そこに、2階から仕事をしていた爽太パパが降りてきた。
「あ、爽太、仕事は終わったの?」
「ひと段落ついたから、コーヒーでも飲もうと思って」
「じゃあ、雪ちゃん、お風呂に入れてあげてくれない?雨でぬれちゃっているの」
「そりゃ、大変だ。あ、父さんもずぶ濡れだ」
「俺は着替えたら何とかなるから、早く雪ちゃんをあっためてあげて」
「うん、わかった」
爽太パパは雪ちゃんを連れ、バスルームに行った。くるみママは、お風呂の用意を手伝いに行き、ママは雪ちゃんの着替えを取りに2階に行った。雪ちゃんの着替えは、汗をかいたりした時のために、まりんぶるーにも置いてあった。
私はまた窓の外を見た。すると、おばあちゃんと空君がどしゃぶりの中、歩いているのが見えた。空君は、ほとんど傘をおばあちゃんに向けてさし、おばあちゃんを優しくいたわりながら、歩いている。
「おばあちゃん!」
私はドアを開け、おばあちゃんを抱えながら一緒にお店に入った。空君は傘を閉じ、あとから入ってきたが、空君もずぶ濡れになっていた。
「お義母さん、空君、はい、タオル」
「ありがとう」
「おばあちゃん、体冷たいよ。すぐにおばあちゃんもお風呂に入ったほうがいいよ」
私は、おばあちゃんの体が冷えているのがものすごく気になった。
「今、爽太が雪ちゃんをお風呂に入れているんです。そのあと、お義父さんと入ってくださいね」
くるみママが優しくそう言うと、おばあちゃんは微笑んだ。
「瑞希、着替えたほうがいい。早くこっちに来て着替えて」
おじいちゃんはすでに、服を着替えていた。そして、おばあちゃんの腰を抱きながら、リビングに行った。
「空も、びっしょりね」
「俺は大丈夫。すぐに家に帰って、着替えでもしたら…。でも、おばあちゃんが心配だ。体冷たくなっていたんだ」
キッチンから来た春香さんに、空君は暗い顔をして答えた。ああ、空君もおばあちゃんの体が冷たいのわかっていたんだ。
「おばあちゃん、大丈夫かな。くるみママが、最近疲れていたって言っていたけど」
「そうなんだよね。だけど、足腰弱るからって、お父さんとの散歩は必ず行っていたから…」
春香さんも、心配そうにそう言った。
雪ちゃんと爽太パパがお風呂から出てきた。雪ちゃんは、けろっとした顔をしていた。そのあとすぐに、おじいちゃんがおばあちゃんとお風呂に入った。
おばあちゃんは、お風呂から出ると、寒気がするからと言って、寝室に行き寝てしまった。おじいちゃんも、しばらくおばあちゃんのそばにいてあげた。
空君は、「一回自分の家に戻るね」と、大雨の中走って行ってしまった。私は心配で何度かおばあちゃんの寝室の前をうろうろした。
「凪」
そこに爽太パパが来た。
「母さん、今寝ているから、起きたら会ってあげて。父さんもいるし、大丈夫だよ」
「うん」
「それより、仕事に戻るから、雪ちゃんお願いしてもいい?」
「わかった」
爽太パパから雪ちゃんを受け取り、リビングに行った。それから、1時間近くして、空君がまたやってきた。
「おばあちゃんは?」
「寝てる。おじいちゃんがそばにいてあげてる」
「そう…」
「空君は大丈夫?」
「うん。家でシャワーも浴びたし、もう外、雨も弱くなっているから、そんなに濡れないですんだよ」
「ほんわり、石鹸の匂いするね」
「俺?でも、凪からも…。じゃなくって、雪ちゃんかな?寝ちゃったの?」
「うん」
「抱っこ大変でしょ?変わる?」
「ううん。布団に寝かせちゃう」
まりんぶるーのリビングには、雪ちゃん用の赤ちゃんの布団が敷いてある。昼寝をしちゃった時には、ここで寝かせるようにしている。
「雪ちゃんも雨に打たれて、疲れちゃったかな」
「風邪引かなければいいんだけど」
そんなことを言って、私と空君は雪ちゃんの寝顔を見ていた。
「あと1週間もしたら、空君、ハワイだね」
「うん」
「いいなあ。私も行きたい」
「来年、行こうよ」
「空君、受験前だよ?」
「大丈夫。それまで、必死に勉強しちゃうから」
くす。なんか、可愛いかも。
その日、おばあちゃんはずっと寝ていた。翌日になり、雪ちゃんは案の定、熱を出した。
「昨日、雨に濡れたから…」
ママは、まりんぶるーにも行かず、雪ちゃんをパパと病院に連れて行った。
「大丈夫かな」
私も一緒に病院に行くと言ったけど、パパに塾に行けと言われてしまった。熱も38度しかないし、大丈夫だよとママも言っていたけど、心配だ。
「やっぱり、熱出しちゃったんだ」
空君も心配そうだ。塾に来ても、気が気じゃないよ。
「おばあちゃんも、微熱あるみたいだしなあ」
「え?そうなの?」
「うん。昨日の晩から熱あるんだって、母さんが言ってた」
「そうなの?大丈夫なの?」
「微熱が続くようなら、病院に行くっておばあちゃんは言っているらしいけど」
「心配…」
「うん」
最近、体の線がぐっと細くなったおばあちゃん。時々はかなげにも見えていた。大丈夫かな。風邪って、赤ちゃんもだけど、おばあちゃんだって、甘く見たらダメだよね。
塾から家に帰ると、赤い顔をして雪ちゃんが寝ていた。
「さっきまでぐずっていたけど、ようやく寝たの」
「病院ではなんだって?」
「風邪だって。喉も赤いみたいだし」
ママはそう言うと、私におやつを出してくれた。
「パパは?」
「一回、研究所に行って、用事を済ませたら帰るって。水族館も忙しい時なのに休んじゃって、申し訳ないよね」
「そうだね」
「凪?凪が元気をなくさなくてもいいんだよ?」
私が暗い顔をしていたせいか、ママがそう言ってきた。
「うん。でも、雪ちゃんもだけど、おばあちゃんが心配で」
「おばあちゃんも、微熱があるんだってね」
「うん」
雪ちゃんは、一度は37度5分まで下がった熱も、夜中にまた39度近く熱を出した。パパとママが交代で、ぐずる雪ちゃんの面倒を見て、朝には私と碧が、雪ちゃんのことを見た。
パパはほとんど眠れていないのに、仕事に行った。ママも、疲れた顔をしながら、私と碧の朝ご飯を作ってくれた。
「お弁当は、ごめんね。作れなかったの。何か買って食べて」
ママにお金を渡され、碧は部活のために学校に行った。
私は今日も塾だ。空君と待ち合わせをして自転車で塾に向かった。
「雪ちゃん、夜中にまた熱が上がっちゃったの」
「大丈夫なの?」
「うん。朝は37度まで下がっていたし」
「そっか」
「おばあちゃんは?雪ちゃんのことでいっぱいいっぱいで、誰もまりんぶるーに電話もできなかったし。気にはなっていたんだけど」
「咳も出ているから、今日病院に爽太さんとおじいちゃんが連れて行くって」
「咳?」
「うん。肺炎起こしていなかったらいいんだけど」
「そうだよね…。大丈夫かな」
「はあ。こんな時に塾に行って勉強しても、頭に入ってこないよ」
「うん。私も」
そして、塾が終わり、私と空君は一目散にまりんぶるーに行った。雪ちゃんは、熱が下がったとママからメールが来たので、一安心だけど、おばあちゃんが病院に行って、そのまま入院することになったとママのメールに書いてあった。
ママは、病み上がりの雪ちゃんを連れて行くわけにはいかないので、家に残った。私と空君は、おばあちゃんが心配で、まりんぶるーから、櫂さんが運転する車に乗り込み、お見舞いに行った。
櫂さんのお店もまりんぶるーも、臨時休業にして、櫂さんのワゴンに、春香さんやくるみママも乗り込んだ。
「聖は、水族館から直接、病院に行くって」
櫂さんがそう言いながら、車を走らせた。
「おばあちゃん、なんで入院?」
空君が、春香さんに聞くと、
「肺炎だって」
と、春香さんはぼそっと一言そう言った。
「肺炎?」
私と同時に空君が聞き返した。
「ちょっとの風邪も、肺炎起こしちゃうから、気を付けないとならないのに…」
くるみママはそう呟くと、暗い顔をして黙り込んだ。
「やっぱり、すぐに病院に行けばよかったんだよ。なんで、お父さんもお兄ちゃんも、ほっておいたの?」
春香さんがそう責めるように、くるみママに言うと、
「春香」
と櫂さんは、責める春香さんの言葉を止めた。
「本人が、病院に行きたくないって言っていたの。ちゃんと診察を受けたほうがいいと、みんなで言ったんだけど…。何か、お義母さん、感じていたのかも」
「何かって?」
「病院に行ったら、まりんぶるーに戻れないかもしれないから嫌だって、そう駄々をこねていたらしいのよ」
そう言うと、くるみママは、鼻の頭を赤くさせ、目頭を押さえた。
「そんなに悪いの?おばあちゃん」
空君が聞いた。
「大丈夫だよ、空」
運転しながら、櫂さんが空君に優しくそう言った。
空君は黙り込んだ。他のみんなも黙り込み、車内はしんと静まり返った。
私は怖くなって、空君の手を握った。
まりんぶるーに戻れなくなるってどういうこと?ずっと入院して、そのまま病院で寝たきりになっちゃうってこと?
それとも、何?
どんどん、どんどん怖くなった。すると、
「凪」
と、空君は私の手をギュって握り、
「暗くなると、霊が寄ってくる」
と、小声で囁いた。
「そんなこと言ったって、怖くて、不安で、心配で」
泣きそうになると、空君は握っていた手を離し、私の肩に腕を回した。
「大丈夫。おばあちゃんだったら、絶対に」
空君は、そう言って頷いた。まるで、自分に言い聞かせているように聞こえた。
病院に着いた。受付で病室を聞き、私たちは急いで病室に行った。
「あ…」
病室の前のベンチに、爽太パパが一人で座っていた。
「おじいちゃんは?」
「ずうっと母さんに寄り添ってる。手、握りしめて」
爽太パパ、目が真っ赤。
「母さん、意識ないんだ」
「え?!」
意識がない?
「どういうこと?お兄ちゃん」
「意識不明で、今夜が峠かもって、先生が…」
爽太パパは、今にも泣きそうな顔でそう言った。
「嘘でしょ。なんで急に?だって、病院に行く時は、しっかりしていたよ」
「ああ。入院が決まって、ベッドに横になって、父さんと少し話をしたら、すうっと目を閉じちゃったんだ。もしかしたら、安心したのかも」
「安心って?」
「今までは、なんとか生きていようって、気力で頑張っていたのかもしれない」
「じゃあ、やっぱり、お義母さん、こうなることがわかってて、病院に来たがらなかったの?」
くるみママはそう言うと、ボロボロと涙を流し座り込んでしまった。
「くるみ」
爽太パパは、くるみママを自分の隣に座らせた。
そこに、バタバタとパパがかけてきた。
「父さん!母さん!ばあちゃんは?」
「聖、病院だ。走ったらダメだろ」
「んなこと言ってられるかよ。父さん、なんだよ、このメール!意識不明で、今夜が峠ってなんだよ?!」
パパ、顔が思い切り怒っている。その後ろから、碧も走ってやってきた。
「碧も来てくれたのか」
爽太パパがそう言うと、碧は目を赤くさせ、
「ばあちゃん、危ないってこと?」
と、息を切らしながら、爽太パパに聞いた。
「うん。だから、家族のみんな呼んでくださいって…。聖、桃子ちゃんは?」
「雪がまた熱出して、こっちに来たいって言ったんだけど、家にいてもらった」
「そうか。うん。雪ちゃんも無理したら、危ないからね。風邪も命取りになるから…」
「肺炎なんだって?」
パパが聞いた。
「体、弱っていたみたいなんだ。それなのに雨に濡れて、無茶したから」
爽太パパはそう言って、必死に泣くのを我慢しているみたいだった。
春香さんは、真っ青だ。櫂さんが春香さんの背中を優しく撫でている。
「母さん、大丈夫?」
くるみママに、パパが近寄って聞いた。くるみママは、すでに泣いていた。そして、泣きながら頷いた。
「う、嘘だろ。なんで、ばあちゃんが…」
碧がそう言って、唇を噛んだ。空君も今にも泣きそうな顔をしている。
私は、こんなのは悪い夢を見ているんだと、そう思い込もうとしていた。おばあちゃん、絶対に元気になる。元気になって、またみんなでリビングで笑うんだ。
こんなのは、嘘だ。全部、嘘だ!
何もかも、今起きている現実を受け入れたくなくて、泣くのも必死に私は我慢していた。