第135話 かっこよく見える
雨が続いたある日、塾に行くとまたむさい男子に話しかけられた。
「ねえ、あの年下の彼氏、元気?」
「は?」
「彼氏だよ。2年生の彼氏」
「元気ですけど」
「まだ、付き合ってんの?」
しつこい。なんでまた、言い寄ってきたりするの?背筋がゾゾゾっとしてきた。
こんなふうに雨が降って暗い日は、霊も出やすいんだよ。気持ちが下がると寄ってきちゃうよ。
「まっちゃん、早く帰ろう」
「うん、待って。わかんないところがあったから、先生に聞いてくる」
え~~~。一人取り残された…。
いつもなら、空君も一目散に飛んできてくれるのに、まだ来ないってことは空君のクラス、終わっていないのかなあ。
「ねえねえ。年下の彼ってさあ、長続きできるの?」
うわあ。やめてくれ。遊んでいるふうなほうが、私に近寄ってきた。
「まっちゃん!私、空君のクラス、まだ終わらないか見てくるね」
そう言って、早々と教室を出た。
そして空君のクラスの教室に行くと、先生がまだみんなにプリントを配っているところだった。
ゾクゾク。ああ、背中が寒い。まさかもう、引っ付いちゃったのかなあ。
あ。うそ。空君の前の席の女の子が、空君に話しかけている。嬉しそうに、ニコニコしながら。
空君も、何やら答えている。
ゾク。
ああ、やばい。もっと寒気がしてきちゃった。空く~~ん、早く出てきて。
「ごめんね、凪。待たせちゃった。あ、なんだ。空君のクラスまだ終わっていないんだ」
まっちゃんが私の横に来てそう言うと、教室の中を覗き、
「あれ?なんか、可愛い子と話してるね。空君に気が合ったりしてね」
と、私が気にするようなことを言ってしまった。
ゾクリ。
ああ。嫉妬しちゃうと、一気に気持ちが沈むからダメなのに。私ったら。
「あ、空君、こっち見た。凪に気が付いたみたいだよ」
まっちゃんにそう言われて、私も空君のほうを見た。すると、空君は「待ってて」と声を出さず、口だけでそう動かした。
やっと先生が、
「今日はこれでおしまい」
と言うと、空君はすぐに席を立ち、カバンを持って教室を出てきた。
そして、
「凪!」
と言いながら、私の腕を掴み耳元で、
「なんか、嫌なことでもあった?また、男子に言い寄られた?」
と囁き声で聞いてきた。
わあ。顔、近い。
ドキドキドキドキ!
「あ、消えた」
「やっぱり、引っ付いてた?」
私もこそこそと空君に聞いた。
「うん。雨だし、出やすいから気を付けて」
「うん」
そんなことを空君と話していると、教室の中からさっきの可愛い子が出てきて、
「相川君、また明日ね~~」
と言いながら、廊下を歩いて行った。
「誰?」
「ああ。席が前の子」
「…可愛かった」
「そう?」
しばらくの間があって、空君が、
「あ。気にしないでいいよ。なんでもないから」
と、また私に耳元で囁いた。
ドキン!
なんで、さっきから耳元で囁くの?息が耳にかかるたび、ドキッてしちゃう。
「あ、良かった。また光が出た。一瞬消えたけど、大丈夫だね」
「え?消えてた?」
「凪、嫉妬した?」
ああ。そういうのも全部ばれちゃう。こんな嫉妬深いのってうっとおしいよね。
「じゃあね~~。凪、空君」
まっちゃんは、塾を出ると私たちと反対方向に歩いて行った。塾から徒歩10分のところにまっちゃんは住んでいる。
私と空君は、塾から駅に向かい、駅前のバス乗り場に並んだ。バスはあと5分くらいで来る。なんとか間に合ってよかった。これを逃すと、また30分近く待たないとならない。
「さっきね、またしつこく言い寄ってきたの…」
私は空君の優しいオーラを感じながら、そう話し出した。
「例のむさい男子?」
「うん」
「俺が、近づくなって言ったのにな」
「やっぱり、ダメだなあ、私。ああいうむさくるしい男子」
「………」
空君は、黙り込んで私の顔を覗き込んだ。
ドキン。顔、近いってば。
「な、なあに?」
「俺は平気?」
「うん」
「だよね。今も光思い切り出ているし」
やっぱり。
どうやら、ドキドキするだけでも、光が飛び出しちゃうようだ。
最近、ドキドキしちゃうから、あんまり空君に抱き着いたり、しがみついたりできなくなった。空君が顔を近づけただけで、ドキッてなって、身構えてしまうし。きっと、空君も私が変だっていうことには気が付いている。だけど、光が前より強くなっているようで、私が空君を嫌っているわけではないということにも、ちゃんと気が付いている。
バスが来て、私と空君は最後部のシートに座った。
「雨だと、そんなに出やすいのかな」
「うん。学校にもたまにいる」
「じゃあ、文江ちゃん、怖い思いしていない?」
「そうだね。たまに変な霊だと怖がってる。でも、すぐに碧を呼ぶから大丈夫かな」
「変な霊?」
「あ、なんかこう、波動が重いって言うか、暗い感じの霊。でも、そうでもない霊は、だんだんと大丈夫になりつつあるよ」
「そうでもない霊って?」
「害がない霊っていうのかな。まあ、当たり障りのない霊」
そんなのがいるのか。
「ほっとけば、あっちも何もしないしね」
「ふうん」
「俺と黒谷さんにはね。凪は好かれやすいから、ほっといたらやばいけどね」
「好かれたくないのになあ」
ぼそっとそう言うと、空君はくすっと笑った。
最近、空君が大人びて見える。あどけない笑顔も見せてくれるけど、今みたいに「くす」って笑った時の空君は、可愛いよりもかっこいい。
「ねえ、空君。また背伸びた?」
「うん。わかった?180近くになっちゃった」
「そんなに?パパの背も超えちゃったね」
「聖さん何センチ?」
「176?177だったかな。そのくらい」
「ふ~~ん」
「空君、それ以上かっこよくならないでね?」
「へ?!」
あ。空君がびっくりしてる。
「最近、空君、どんどんかっこよくなっちゃってて、心配なんだ」
「……え?」
空君は、目を点にして私を見ている。
「どこの誰が、どんどんかっこよくなってるの?」
「空君がだよ」
「あ、あはは。何言ってるの?凪。最近変だと思っていたけど、なんか、変なもんでも食べた?」
「え~~~。本当にそうなんだってば。自覚ないの?」
「あばたもエクボってやつだよ。凪にはそう見えているってだけで…。え?俺がどんどんかっこよくなっているように、見えてんの?」
自分でそう言いながらも、また空君はびっくりした顔で聞いてきた。
「うん。私がやっぱり、変なのかな?」
「変だよ」
真顔で即答された。
でも、そのあと空君は真っ赤になった。
「なんか、光が増したのって、そのせい?」
「かもしれない」
「じゃあ、最近凪が、俺に抱き着いてこなくなったのは?」
「だって、ドキドキしちゃって」
「………え?」
あ。また目を点にしている。
「だから、抱き着いたり、そばによると、ドキドキしちゃうの」
「へ、へえ。そうだったんだ」
空君は、冷静な口調でそう言ったけれど、みるみるうちにまた顔が赤くなっていった。
「なんか、照れる」
ぼそっと空君はそう言って俯いた。わあ、可愛い。抱き着きたい。
でも、ダメだ。ドキドキしちゃう。
抱き着きたいのに~~~~~~~~。
ブワッ!
「な、凪。光すごいことになっているけど…」
「うん。自分でも見えた」
「バスの中だけじゃない。一瞬外まで明るくなったよ」
「う、うん。ごめん」
「いや。謝らなくてもいいけどさ。なんか、もう凪の光って、最強だね」
「最強?」
「どんな邪悪な霊でも、一瞬で成仏できると思うよ。でも、邪悪な霊も、今の凪には寄りつくこともできないだろうね」
「パパや碧みたいに?」
「う~~~ん。碧や聖さんは、光が出ているわけじゃないんだ。なんていうのかなあ。意識っていうか、波動っていうのかな。強いっていうか、明るいっていうか、高いっていうか。楽天的じゃない?あの二人って。あっけらかんとしていて、霊の波動とは、まったく合致しないんだよね」
「うん。空君が言おうとしていること、なんとなくわかるよ。あの能天気さは、霊も寄ってこれないよね、きっと」
「そうそう」
空君はそう言うと、またくすっと笑った。
ああ、今の笑顔は素敵だ~~~~~。
ブワブワブワ。
「……」
空君は無言であたりを見た。私が光を出しまくったからだ。
「ごめん。空君が素敵に笑うから、つい…」
「え?!素敵?!」
あ。また、空君がびっくり仰天している。そしてまた、しらばくして、顔を赤くさせた。
「凪、変だよ。絶対に変だよ。熱でもあるんじゃない?」
「そうかな。でも、今に始まったことじゃなくって、ここ何日もなの。ずっと熱あったのかな」
「…俺に、あんまり抱き着かなくなった頃から?」
「うん」
素直に頷くと、空君はしばらく黙り込み、
「あ、もしかして、今迄みたいに俺のこと、子供みたいに見えなくなったってことかな」
と、そう呟いた。
「まだ、可愛いって思うことも多々あるよ」
「あ、そうなんだ。やっぱりまだ俺は、子供っぽいんだね」
「子供っぽいっていうか、可愛いって思うの。照れた空君とか、はにかんだ空君とか。前みたいに抱き着きたいって思うんだけど、ドキドキしてそれができなくなっちゃったの」
「……ふ~~~ん」
空君は、何気ない相槌を打っているようで、真っ赤になっているから、相当照れているのかもしれない。
「ふ~~~~ん」
あ、また、「ふ~~~ん」って言った。適当に相槌を打っているのかな。もしや。
「それは、その、俺もどうしていいか、わかんないなあ」
空君はそう言うと、ぼりっと頭を掻いた。そして、
「ああ。でも、俺も凪にドキドキすることあるから、わかる気もするよ」
と、私を見てそう言うとすぐに視線をそらした。そして、赤くなって照れた。
可愛い。
キュン!
ドキドキドキ。
ああ。最近、これなんだよね。キュンってしたあとに、ドキドキドキっていうのもついてくるから、抱き着けなくなったんだよね。
バスの後部座席に揺られながら、私と空君はずっと照れていた。
空君と我が家に帰った。塾帰り、たまに空君は我が家に寄ってご飯を食べる。
「雪ちゃん、ただいま」
「あ~~」
「今日もご機嫌だね」
リビングに赤ちゃん用のプレイマットを敷き、そこに雪ちゃんはごろごろしている。キッチンに入れないよう、そこだけゲージを置いているが、たまに寝返りをうち、ダイニングにいたり、洗面所付近に転がっている時もある。
「あ~~~!」
空君を見つけた雪ちゃんは、空君の方に寝返りを打ってやってきた。空君は、ひょいっと雪ちゃんを抱っこした。首が座っていない頃は、抱っこをするのを怖がっていた空君も、今は簡単に抱っこして、高い高いをしたり、ぐるぐる回ってあげて遊んであげている。
「きゃきゃきゃ」
雪ちゃんは声を出して笑うようになり、それが空君も嬉しいらしい。
「空君、今日寄っていくって言っていたから、多めに作っちゃった。春巻き、好きだったよね?」
ママがキッチンから来て、雪ちゃんを抱っこしている空君に聞いた。
「はい、大好物です」
空君が目を細めて喜んでいる。ああ、可愛いなあ。
「良かった。今、碧お風呂に入っているの。空君もそのあと入って行く?」
「いえ。帰ったらシャワー浴びるからいいです」
空君はそう答えつつも、空君の頬をペちぺちしている雪ちゃんを見て目じりを下げた。
「あ!空、来てたんだ」
洗面所から碧が出てきた。まだ、濡れている髪をバスタオルでゴシゴシと拭きながら。
「うん」
「雪、交代。お兄ちゃんのところにおいで!」
碧は早速雪ちゃんを抱っこしようと手を伸ばした。
「碧、髪乾いてないよ。乾かして来いよ」
さっと、後ろを向いて雪ちゃんを取られないように、空君がそう言った。
「自然乾燥するからいいんだよ。それより、雪、おいで」
くるっと回って、碧がまた雪ちゃんに手を伸ばした。でも、また空君は背を向け、碧の邪魔をする。
「空~~~」
「いいじゃん。だって、俺今抱っこしたばかりだよ?」
「俺だって、部活から帰ってきてすぐに風呂入ったんだよ。まだ、雪のこと抱っこしていないの!」
「俺が帰ってからいくらでも、抱っこできるじゃん」
「空は凪を抱っこしてりゃいいじゃん!」
はあ?
「……。あ、あほ。何を言い出すんだよ」
空君が真っ赤になった。私までつられて、赤くなってしまった。
その隙に、ひょいっと碧は雪ちゃんを取りあげ、
「この二人は、付き合って長いのにまったく進展していないでちゅね~~」
と赤ちゃん言葉で雪ちゃんにそう言った。
「あ~~」
「ね~~?」
雪ちゃんまで、わかったように相槌を打った。
「う、うっさいな。碧だって文江ちゃんと、進展ないくせに」
「……」
あ。今、碧、意味ありげに微笑んだ?まさか、進展…。あ、そうか、キス?
「そんなに早く、碧ったら手を出しちゃったの?だめよ、文江ちゃんは純粋そうだし、大事にしてあげなくちゃ」
ママが、ダイニングテーブルを拭きながら、こっちを見て碧にそう言ってきた。
「手なんか出してね~~よ。出せるわけないじゃん」
あれ?真っ赤になった。
でも、キスはしたんだよね?
なんて、弟に聞けないし、あんまり興味もなかったりして。
私はリビングのソファに座った空君の隣に、間をあけて座った。リビングの床は、デデ~~ンと雪ちゃん用のプレイマットが敷いてあり、私たちが座る場所がなくなってしまった。そして、雪ちゃんはプレイマットを我が物顔で、右から左から、所狭しと転がるのだ。
「凪、なんで最近、空に引っ付かないの?前はべったりくっついて座っていたよな?」
「いいの。碧には関係ない」
「…喧嘩?じゃないよな」
「違うよ」
空君もぼそっと答えたけど、それ以上は何も言わなかった。
「変なの」
碧はそれだけ言うと、また雪ちゃんをグルグル回してみたりして、遊びだした。部屋には雪ちゃんの「きゃっきゃ」という嬉しそうな声が響いた。
空君は、そんな雪ちゃんを眺め…ないで、なぜか下を向いている。
なんで?
「凪はさあ」
「え?」
突然、私を見て空君は話しかけてきた。
「俺のこと、男だって意識し始めているんだよね?」
ぼそぼそと空君が話し出した。
「うん」
「でも、怖くないんだよね?」
「うん」
「そっか」
それだけ言って空君はまた、耳を赤くして俯いた。