第130話 距離を縮めたい
このまま、空君と距離ができちゃうのかな。
そんなことをしているうちに、1年が過ぎたら、私は高校を卒業して、空君と離れないとならない。
空君も私も、受験もあるし、空君にこれからも「勉強があるから」って理由で、避けられちゃうのかな。
それって、すっごく寂しいよね。
やっと、空君のもとに戻ってこれて、我が家にもしょっちゅう来てもらえて、毎日のように空君に会えて、幸せな毎日だったのに。
どうしたらいい?ママは時間が解決するようなことを言っていた。千鶴は、私に覚悟をしろって言っていた。
覚悟って、何をどう覚悟したらいいかわからないけれど、空君はきっと、先に起こるかどうかもわからない未来のことを、今から不安がっているんだよね。
よし。決めた。
このまま、ずるずると空君と距離を開けたまま、時間だけが過ぎるのなんて嫌だ。だって、残り1年だもん。私にとって、毎日が貴重なんだもん。
何を覚悟したらいいかを悩んでいたってしょうがない。わからないことを考えても答えは出ない。じゃあ、もう、こうなったら、私からどんどん空君に近づいちゃうしかないよ。
そう決めてから、一週間が過ぎた。中間試験の時期に重なり、部活でも空君と会えない日もあって、なかなか近づくこともできなかった。なにしろ、バスケ部もないから、碧までが一緒に自転車で帰る羽目になっていたから。
ああ、もう。碧、邪魔だよ。さっさと帰らないで、学校に居残って文江ちゃんと勉強でもしたらいいのに。
と、提案してみた。でも、
「文江ちゃんの勉強の邪魔、したくないから」
と言われてしまった。それもそうか。文江ちゃんだって自分の勉強があるもんね。
中間試験がようやく終わった金曜日、天文学部の集まる日でもないので、私は空君と早々と帰宅した。もちろんのこと、空君は、碧もいない我が家に寄っていこうとはしなかった。
「雪ちゃん、あっという間に大きくなっちゃうよ。いいの?見ないでも」
「碧がいるときに来るよ」
「で、でも、碧だっていろいろと忙しいから」
「うん。そうだな。じゃあ、明日の夜でも、ちょこっと顔出しに来るよ。じゃあ」
「明日は?空君、何してるの?」
「久々にサーフィン」
「私も朝、見に行ってもいい?」
「いいけど。朝早いよ。で、すぐに帰ってくるよ。俺、帰ってきたら寝ちゃうし」
そこまで避ける?
「わかった。櫂さんと行くんだよね。楽しんで」
私は暗くなりながら、家に入った。
なんだか、重い。また、引き連れてきちゃったかな。
「おかえり~~、凪」
ママが雪ちゃんを抱っこしながら出迎えた。
「良かった~~。雪ちゃん、昼寝したいみたいでぐずっているの。お昼ご飯作るから、雪ちゃんのこと寝かしつけてもらえる?」
「うん」
今日、午前中だったし、いっぱい空君と一緒の時間取れたのに。また、避けられた。
「はあ…」
雪ちゃんを抱っこしたままため息をつくと、雪ちゃんがもっとぐずりだした。
「ごめん、ごめん」
謝りながら雪ちゃんを抱っこしてゆらゆら揺れた。そのうち、雪ちゃんはぐずるのをやめて、私を邪気のない目で見つめた。その途端、気持ちが軽くなり、体も軽くなった。
ああ、光で包んでくれたんだ。
「ありがとう、雪ちゃん」
そう言うと雪ちゃんは、満足げに目をつむり、そのまま眠りについた。
気持ちが明るくなり、私の中から力が出てきた。
ここは、ひるんでなんていられない。ご飯食べたら、空君の家に行くぞ!
お昼をママと食べた。ちょっと暑い日だったからか、ママは冷やし中華を作ってくれた。
「ママ、私、これから空君の家に行ってくる」
「え?うん。約束してるの?」
「ううん。うちに誘ったら断られたから、私が行ってくる」
「そう。でも、空君、大丈夫なの?」
「何が?」
「櫂さんも春香さんも仕事だよね。空君、一人だよね?」
「うん。…それで?」
「……あのね、二人っきりになると、その…。えっと…」
ママは言いにくそうにしている。でも、いきなり私の顔に顔を近づけ、
「そうだ、凪。念のため、下着は可愛いのをつけていくといいよ」
と、唐突にそんなことを言い出した。
「ひょえ?!」
下着?!
「ママ、後悔したことあるの。いつも、小学生が着るようなブラや、パンツだったの。やたらと子供っぽい格好の時に聖君に迫られて…。子供っぽい下着を見られたくないって、そう思って抵抗して、聖君を困らせたんだよね」
な、何を言い出すんだ。この親は。
「そんなことにはならないから、大丈夫だよ」
「そんなの、わかんないじゃない?高校2年と3年でしょ?付き合っているわけなんだし、二人きりになったら、そりゃ、何が起きたっておかしくないよ」
「………空君が、そんなことを?」
「だって、それが原因で避けられていたんでしょ?」
「うん、まあ…」
「一応ね、念のため、見られても恥ずかしくないくらいの下着はつけておいたほうがいいと思う」
「う、うん。わかった。着替えてくる」
ママの言うとおりに、私は着替えをしに2階に上がった。
「恥ずかしくない下着って、何?どれも見られたら恥ずかしいんだけど」
ぶつくさ言いながら、引出しをあけた。今、つけている下着は、上下白。これだと、子供っぽすぎる?じゃあ、2年の時に、修学旅行に行く前に千鶴と買った下着がいいかな。
ブラとパンティがお揃いで、ピンクに白のドット。千鶴は赤に黒のドットのを買っていた。これなら、子供っぽくもないし、でも、色っぽくもないし。無難だよね。
って、何を考えているの?空君が迫ってきたりするって、そう私も思っているの?
でも、万が一そうなったら、どうする?
ええい!やっぱり、そんなこと想像することすらできない。とにかく、下着を替えてはいくけど、それだけだよ。進展を期待もしてなきゃ、この下着を見せるために行くわけじゃないんだから。
う。そうは言っても、なんだか、だんだんとドキドキしてきた。
「じゃ、じゃあ、いってきます」
「うん。いってらっしゃい」
ママがにこやかに見送ってくれた。いいのかなあ。彼氏と二人きりになりに行くのに。ママったら、あんな余裕の笑み見せちゃって。
でも、ママの初体験って確か、高校2年だよね。3年で妊娠したんだから。私の年でもう、パパと体験しちゃってるんだよね。それが普通なのかな。私が、奥手なのかな。それも、男の人が怖いなんて…。
空君の家まで、自転車を走らせた。今日は汗ばむくらいの陽気だ。半袖のTシャツに薄手のパーカーを羽織っていたけれど、自転車でスピードを上げて走ったせいか、空君の家に着く頃は体が火照ってしまった。
「こんにちは」
玄関の前に自転車は止めたけれど、お店から入ることにした。お店の奥で伝票の整理をしている櫂さんに挨拶をすると、
「やあ、いらっしゃい。空なら2階でゲームしてるよ」
と教えてくれた。
「お邪魔します」
首筋に垂れてきた汗を手で拭きながら、私は階段を上った。
「空君、いる?」
そう言ってリビングに行くと、ソファに寝そべっている空君が、慌てた顔をして起き上がった。
「凪?!な、なんで?約束していたっけ?」
「ううん。暇だから遊びに来た」
「え?一人?」
「うん。だって、碧は部活だし」
そう言いながら私は、勝手にコップに水をくみ飲み干すと、空君の隣に座った。
「ゲームしていたの?」
「さっきまでは。今は、本読んでた」
床にサーフィンの雑誌が転がっている。この雑誌を読んでいたのかな。
「暑い。自転車漕いだら汗かいちゃった」
そう言って私は、パーカーを脱いで、丸めて床に置いた。すると空君がなぜか、ソファから立ち上がった。
「えっと。あ、そうだ。外でも散歩する?」
「ううん」
「じゃ、じゃあ。あ、そうだ。まりんぶるーに行く?ばあちゃんに会いに。そこでゲームでもする?」
「ううん。ちょっとここでゆっくりしたいな」
私がそう言うと、空君は困ったっていう顔をして私を見た。
そして、空君はすぐに視線をそらした。そして、きょろきょろとあたりを見回し、
「えっと~」
とうろつきだした。なんだか、思い切り、挙動不審だ。
「なんか、飲み物でもいる?」
「ううん。水飲んだから大丈夫。あ、そういえば、空君お昼は?」
「食べた。母さんが弁当持ってきたから」
「そうなんだ」
「………」
まだ、空君は、突っ立ったままだ。両手を腰に当て、何やら考え込んでいる。
「じゃ、じゃあ、ちょっと休んだら、まりんぶるーに…」
「行かないよ。ここでゲームしようよ、空君。なんのゲームをしていたの?」
「凪。俺、これから勉強でもしようかって思っていたんだよね」
「中間終わったばっかりで?」
「塾のほうの勉強」
「今から?」
「うん」
空君、私と視線を合わせようとしない。さっきから、俯いたまま話をしている。
「空君、ここに座って」
私は空君の腕を引っ張り、隣に座らせた。空君は戸惑いながら、私の顔を見た。
「話があるの」
「え?」
空君がもっと、戸惑った表情を浮かべた。
「空君、私、もう3年だよ」
「うん」
「あと1年したら、離れちゃうんだよ」
「………」
空君は黙り込んで俯いた。
「それなのに、最近、ずっと会えていない。空君は寂しいって思ったりしないの?」
「じゃあ、凪、あんまり二人で会っている時、俺に抱き着いたりしないでくれないかな」
空君は視線を上げ、私に力強い声でそう言った。
「え?」
「凪がそばにいたら、安心できたし癒された。でも、今は違うんだ」
「い、嫌になっちゃった?」
とうとう、私嫌われた?
「違う。困るんだ。自分でも、どうしていいか…」
「……」
「ごめん」
泣きそう。ごめんって謝られたって、困るって言われたって、こっちだって、どうしていいか。
「私は、寂しいよ」
「……」
泣きそうになるのを堪えながらそう言うと、空君は私の顔を見て目を細めた。
「ご、ごめん。凪、泣かないでくれないかな。泣かれても、どうしていいか」
「ずるいよ。そんなこと言われたって、私、悲しくって」
ヒックと、とうとう私は泣き出してしまった。
「凪」
空君が、隣でおろおろと困っているのがわかる。でも、私は自分の涙も気持ちも、どうすることもできない。
「空君の隣にいられないのは、寂しいよ。避けられているのは悲しいよ。空君がいないと、光だって出ない」
「……やっぱり、最近光が出ていないのは俺のせいだよね」
コクンと頷いた。それからも、涙は止まらなかった。ずうっと抑えていたものが、一気に溢れ出たように。
「凪が困っている時は助けたい。霊が引っ付いている時には、ちゃんと守るよ。でも…」
空君はそこまで言うと、黙って私を見た。そして、すっと視線を外し、
「でも、凪を傷つけたくない。怖がらせたくない。凪には、凪のままでいてほしいから」
と、力弱い声でそう言った。
「………凪のままって?」
「だからさ、ほわんってあったかいオーラで、周りを癒す凪」
「……」
「凪、塾でもそうだったけど、男子といる時、あったかいオーラ出せないよね。逆に壁作って閉じこもってる」
「そうかも」
「俺に対しても、いっとき、そんなだったよね。俺と凪が話もしなくなった時」
「うん」
「それに、俺が凪の着替え見ちゃった時も、いつもの優しいオーラが一変した」
「あの時は…」
「俺、怖いんだよ。凪に冷たくされるの…。凪の優しくてあったかいオーラ感じていたいし、癒されていたいし」
「………うん」
「ごめん。俺が臆病なだけだ。こんなよわっちくって、ごめん」
「ううん。私だって、空君に冷たくされたら悲しい。今だって、そっけなくされたり、避けられてて、思い切り悲しい思いしているもん」
「……」
空君が視線をあげ、辛そうな表情を見せた。
「凪のこと、結局俺は悲しませているんだよね」
「うん」
正直に頷くと、空君はもっと顔を曇らせた。
「はあ…。情けない。凪を傷つけたくないって言ってて、結局傷つけてる」
空君はため息を吐いて俯いた。
空君は、私に嫌われるのを怖がっている。
私が離れて行くのも、私が変わっちゃうのも、怖がっている。
でも、その気持ちすごくわかる。私だってもう、空君から離れたくないし、ずっと口もきかなかった頃に戻りたくない。あんな悲しくて切ない思いはしたくない。
「どうしたらいいのかな。私が男の人を平気になれたらいいのかな…」
「え?」
「それとも、必要以上に空君に近づかなかったらいいの?私、ずうっと無神経だったのかな」
「………」
空君が黙り込んでしまった。
「空君を苦しめちゃってた?」
「いや。苦しんでいたわけじゃ…」
空君からは、ずっとあったかいオーラが来なかった。それに、きっと私からも光は出ていなかった。




