第128話 空君が変
その後も、碧はモテまくった。だが、宣言通り、碧は女の子と、まったくと言っていいほど、話をしなくなった。ただ、天文学部にいる女子には普通に接していた。
文江ちゃんも前と比べると、本当に明るくなったし、逞しくなっていた。いつも俯いていた顔は、常に堂々と前を向き、話し声も前より大きくなったし、食堂でもよく笑うようになった。その笑顔も、笑い声も可愛くて、段々と、碧の彼女であるということを、周りが認め始めていた。
家では、爽太パパとパパが、雪ちゃんの世話の競争をしている。パパはすっかり雪ちゃんに夢中になり、ママのことを忘れがちだ。だから時々、私と碧で、
「雪ちゃんの世話をするから、パパはママのことたまにはかまってあげて」
と、パパをママのもとに行かせた。
「桃子ちゅわん!ごめんね。桃子ちゃんのことを忘れたわけじゃないから」
そう言いながら、パパはママのもとにすっ飛んで行き、二人で寝室でいちゃついていた。その隙に私と碧は、雪ちゃんのお世話をした。
「ゆっきちゃ~~~ん」
碧の可愛がりぶりも、パパに負けず、あほ丸出し。兄バカとでも言うんだろうか。
雪ちゃんも、視線が合うようになり、あんぐう、うっくんと可愛い声でお喋りをし始め、ますます私も碧も雪ちゃんの虜になっていた。
「可愛いよな~~~~」
碧は目じりを下げデレデレだ。時々やってくる空君も、雪ちゃんを見ると、目じりが下がっている。でも、空君は前のように毎日我が家に来ることがなくなった。
ゴールデンウイークに突入。星の観察をしに学校に集まった。その時ですら、空君は私にそっけない。
うちにも全然遊びに来ないし、来たとしても二人になることも、私に近づくこともなくなった。私が近くによると、すっと避けるようになっていた。
碧と文江ちゃんの距離は、私たちとは逆に縮まっているようだ。碧は文江ちゃんがいると、ずっとそばにいて、絶えず文江ちゃんを守っているように見えた。文江ちゃんも碧がすぐそばにいると、顔を赤らめてはいるものの、安心しているように見える。
私と空君は、なんだかどんどん距離が離れていっている気がする。どうしたんだろう。登下校は前と変わらないけれど、どこか、空君が変だ。
4月から、私は塾に通いだした。空君も、受験のためにと一緒に同じ塾に通っているが、その帰りも自転車で一緒に帰ってきて、家の前で「じゃあね」と空君はさっさと自分の家に帰ってしまう。
「ただいま~~」
ゴールデンウィークが開け、塾から帰ってきて家に入ると、
「あれ?空はまた寄っていかなかったのか?」
と、水族館の定休日で家にいたパパが聞いてきた。
「うん。さっさと帰っちゃったよ」
「喧嘩か?」
「ううん。帰りの道は、いろいろと話もしたし…。でも、どこか空君、よそよそしくなったかも」
「まさか、浮気か?」
「聖君、変なこと凪に吹き込まないで」
雪ちゃんを抱っこしながらママがそう言った。
「あ、ごめん、凪。今のは冗談だ。空が浮気なんかできるわけないから」
パパはそう言うと、キッチンに入って行き、
「今日は俺が夕飯作ってるから」
とにこやかにそう言った。
「うん。碧は?」
「まだ、部活から帰ってきてないぞ~」
「そう」
私はドスンとリビングに座った。ママもソファに腰掛け、
「塾、大変?」
と優しく聞いてきた。
「うん。けっこう難しくてついていくのが大変」
「そう」
「でも、大学行きたいし、頑張るよ」
「無理しないでね」
「うん」
私は雪ちゃんの顔を覗き込んだ。雪ちゃんは、目を開けて、どこか宙を見ている。その顔が無邪気で、ものすごく癒された。
「ああ。赤ちゃんってなんでこんなに癒されるのかなあ」
「ほんとよね」
ママもそう言いながら、雪ちゃんの顔を見た。
「は~~あ。空君が最近そっけないから、空君に癒されることもあまりなくなったし。今は雪ちゃんだけだよ」
「どうしたの?空君、なんでそっけなくなったの?」
「わかんない。原因なんてないと思うんだけどなあ」
「聞いてみたら?」
「え?なんで、そっけないのかって?」
「うん」
「……なんだか聞くの怖いなあ」
「その気持ちもわかるけどね」
ママはそう言うと、優しく私を見た。
ママはいつも、考えを押し付けたりしない。こうしてみたら?とアドバイスをくれるけど、私の気持ちも汲んでくれる。
「なんとなく、今度聞いてみるよ」
そう言うとママは、優しく微笑んだ。
「あ~~~」
まるで、私の気持ちを察したように、雪ちゃんまでが私を見て、何やら話しかけてきた。なんだか、頑張ってと応援してくれているみたいだ。
「うん、雪ちゃん、頑張るよ」
そう言うと、雪ちゃんは私の目をじっと見つめた。その瞬間、なんだか優しいあったかいオーラに包まれた気がした。もしかすると、雪ちゃん、今、光を放ったんじゃないのかなあ。
5月半ば、夏のような日差しが続いた。土曜日も午後から塾があり、空君と一緒に自転車で塾まで通った。
「じゃあね、また帰りにね」
私がそう言うと、空君は可愛く微笑んで頷いた。
やっぱり、空君は可愛い。でも、可愛いからってハグしようとしたり、腕に引っ付こうとすると、するっと逃げてしまう。
寂しいよなあ。
塾には、同じクラスの友達がいる。その子と一緒にいるから、特に不便さもなかったし、一人になることもなかった。でも、今日はその子が風邪で休んでいて、一人きりになってしまった。
授業が終わり、次の授業まで席でぼけらっとしていると、隣の席にいる男子が友達と話しかけてきた。
わあ。ちょっと苦手な、むさくるしい男子。それも、汗臭いし。
「榎本さんだっけ?どこの大学狙ってんの?」
「えっと。市内のです」
「静岡市内?じゃあ、一緒だ。俺もそうなんだ。こいつは東京の大学目指しているけど。な?」
隣の席の子がそう言った。背が高く、がっちりとした体系だ。
「でも、ここ通っている間は仲良くしようよ」
そう言ってきたのは、遊んでいそうなタイプの、にやついている男子。
「私、友達と通っていて」
「今日は休み?いつも一緒にいるよね。今度4人でご飯食べに行かない?」
「行きません」
頑なに断った。すると、にやけたほうが、私の肩に手を置き、
「榎本さん、隙がないね。そんなじゃ彼氏もできないよ」
と言ってきた。
ゾゾゾゾ!うわあ。寒気。
「彼氏、いますから」
とっさにそう言って席を立ち、私は教室を出てトイレに駆け込んだ。
気持ちが悪い。やっぱり、男子苦手かも。それも、ああいうむさくるしいのは本当にダメ。
やばいかも。寒気もおさまらない。このままだと、霊に寄りつかれちゃう。
2年生の教室まで行き、空君を呼んだ。空君は青い顔をしている私にすぐに気が付き、
「凪?大丈夫?」
と聞いてきた。
「霊、くっついてる?」
「いや、大丈夫だけど」
「じゃあ、寒気がしたのは、むさい男子のせいかな」
「え?何かされたの?」
「ううん。ただ、話しかけられて。あ、肩に手を置かれた。それだけで、気持ち悪くなって」
そう言うと、空君は戸惑った表情を見せた。
あれ?すぐにハグか、せめて手でも繋いでくれるかもと思ったのに、視線すら合わせてくれない。
「空君」
私は空君の腕を掴んだ。でも、パッと空君は腕を離し、
「そのむさい男に近づかないよう気を付けて」
とそう言ってきた。
「う、うん」
「授業終わったら、すぐに教室飛んでいくからさ」
「うん」
空君は微笑み、私の頭を優しくぽんぽんとすると、教室の中に入って行った。
優しい。今はあったかいオーラを感じた。でも、ほんの一瞬、空君は私を避ける。
なんで?前みたいに、すぐにハグしてくれなくなっちゃった。
私が何か変なことをしたかな。いつから空君、私を避けるようになったっけ。
やばい。気持ちが沈むと、もっと寒気がしちゃう。霊を寄せ付けちゃうから、気持ちを切り替えないと。
だけど、教室に入ると、私の隣にあのむさい男がいて、気持ちはもっと萎えた。
なんだって私はこう、男の人が苦手なんだろう。健人さんのいやらしい目を見てからだよなあ。きっと、男の人が不潔に見えちゃうんだ。ちょっと触られただけでも、寒気がするし、すごく嫌だ。
空君とか、碧とか、パパなら大丈夫なのに。
どうにか授業中は集中をして、隣の男子のことは気にしないようにした。そして授業が終わると、本当に空君がすっ飛んできてくれた。
「凪!帰るよ」
私の席まで来てくれると、空君は隣の席のむさくるしい男子をじろっと見た。
「誰?2年生?弟とか?」
隣の席の男子がそう空君に聞くと、
「……凪は俺の彼女だから、手、出そうとしないでくれる?」
と、ものすごくクールにそう言った。
「え?こいつが彼氏?」
「そうです」
私もそう言い切り、カバンを持って空君の腕を掴み、さっさと教室を出た。
「あいつ、前から凪に言い寄ってた?」
「ううん。今日初めて声かけられた。今日、まっちゃんがいなかったから」
「まっちゃんって、同じクラスの子だっけ?」
「うん。風邪で休みだったの」
「そっか」
空君は、何気に私の腕を振り払い、自転車置き場に向かった。ああ、また、さりげなく避けられた。
「これからも、言い寄ってきたらどうしよう」
「無視するか…。あんまりしつこいようだったら、先生に言ってもいいかも。塾なんて勉強するために来てるんだから、女の子に声かけるために来てるわけじゃないんだしさ」
「うん」
「……凪、大丈夫?」
「え?」
「最近、光出ていないよね。なんか、あった?」
「…」
空君のせいだよ。って、さすがに言えないかも。
「空君にハグしてもらったら、光出るんだけど」
「え?あ、ああ。うん」
空君は困ったように頷き、そっと私にハグをした。でも、すぐに離れて、自転車を取り出した。
「空君、光、出た?」
「え?」
「光、私から出てる?」
「うん」
「ほんと?」
「……いつもより、少ないけど。もしかして、まだ、さっきの男のこと気になってる?」
「ううん。平気」
だから、空君なんだったば、原因は。
もやもやする気持ちのまま、私も自転車に乗った。そして、一緒に帰りながら、
「ねえ!今日は寄っていかない?雪ちゃん、最近笑うんだよ」
と言ってみた。
「笑うの?」
「うん。すっごく可愛い」
「そっか。うん。じゃあ、寄って行こうかな。あ、碧はいる?」
「今日はいる。部活の無い日だから」
「じゃあ、寄って行くよ」
「……」
碧がいたら、寄って行ってくれるんだ。なんで?碧がいなかったら、寄って行かなかった?
最近の空君、やっぱり、変だよ!
もやもやしながら、家に着いた。ああ、気持ちが暗い。どんよりしている。
「凪」
空君が自転車から降りると、私に近づいてきた。
「何?」
「そのまま、家に入るとやばいかも。あ、でも、碧、いるんだっけ?」
「うん。いるよ」
「じゃあ、大丈夫かな」
「え?あ、もしかして、なんか引っ付いてる?」
「うん。海沿い走っている間に、引っ付いてきたみたい」
「空君、ハグ!」
「碧がいるから、家の中には入ってこれないよ」
空君はそう言って、さっさと玄関のドアを開けた。
うそ。前だったら、何も言わないでもハグしてくれたよね?
もっと寒気がしてきた。私も空君のあとに続いて玄関に入り、とぼとぼと重い足取りでリビングに行った。すると、雪ちゃんを抱っこしながら、赤ちゃん言葉であやしている碧が私と空君を見て、
「おかえり。空、久しぶりだな」
と明るく笑顔で言ってきた。
その途端、すっと肩が軽くなった。それに寒気もなくなった。そのうえ、雪ちゃんが私を見ただけで、気持ちがあったかくなってきた。
今、きっと霊が退散しちゃったんだろうなあ。
「雪ちゃん、笑うんだって?」
空君が碧に聞いた。
「うん。すげえ、可愛いんだ。なあ?雪」
碧はそう言って、雪ちゃんをあやした。雪ちゃんはにこ~~~っと笑いながら碧を見た。
「本当だ。すげえ可愛い笑顔だ」
空君がその笑顔を見て、目をキラキラと輝かせ、
「俺も抱っこしていい?」
と碧に聞いた。
「いいよ」
雪ちゃんを抱っこした空君は、にっこにっこ顔で雪ちゃんの顔を見つめている。
「にこ~~」
雪ちゃんが今度は空君に微笑んだ。
「うわ。可愛い!」
空君が思い切り喜んだ。
あ~~~。雪ちゃんに嫉妬している私がいる。空君の腕に抱かれて羨ましい。空君に可愛いって言ってもらって羨ましい。
私もハグしてほしい。ううん。ギュって抱きしめてほしい。空君の腕に抱かれたい。避けられたくない。もっと近づいていたいし、空君のあったかいオーラを感じていたい。
「可愛いなあ。それにしても、ちょっとの間に大きくなったね。それに、重くなったね」
「だろ?赤ちゃんの成長は早いんだから、空、もっと頻繁にうちに来いよ。何、遠慮していたんだ?」
「遠慮?」
「雪がいるからって、来るの遠慮していたんじゃないのか?」
碧がそう聞くと、空君は、
「いや。そういうわけじゃないけど」
と、言葉を濁した。
「じゃ、なんでだ?凪と喧嘩したわけでもないんだよなあ?」
「うん。ちょっとさ、受験勉強本格的にしようかなって思って、家で勉強してた」
「まじで?」
「今から頑張んないと、俺、大学行けそうもないしさ」
空君はそう言った。でも、どこか誤魔化しているように見える。
「そっか。だったら、まあ、しょうがないけど。ね?雪。雪も空が来ないから寂しかったよなあ?」
碧はそう言って、雪ちゃんの顔を覗き込んだ。それから、碧と空君は二人で、雪ちゃんにべったりになってしまった。
私、忘れ去られているのかな。ママの気持ちが、手に取るようにわかるな。雪ちゃんが妬ましくなっちゃうなんて。
「空君、夕飯食べていくよね?」
ママが空君に聞くと、空君は、
「いえ。帰ります」
と、すぐにママに答えた。
「え~?食べて行けば?空」
「うん。でも、塾で宿題すごく出たし。ちゃんとやんないと、ついていけそうもないし」
空君は碧の腕に雪ちゃんを返し、
「雪ちゃんの笑顔も見れたし、俺、帰ります」
と、立ち上がった。
「もう?」
私がびっくりしてそう聞くと、空君は私に、
「うん。また明日ね」
と一言言って、リビングを出て行ってしまった。
「そ、空君」
私は空君を玄関まで見送りに行った。
「空君、そこまで送る」
「いいよ、ここで」
「ううん。送りたいから送る」
私は靴を履き、空君と一緒に玄関を出た。
「夜もあったかくなってきたね」
「うん」
空君は自転車にまたがり、
「じゃあね」
と漕ぐ体勢を取った。
「空君、待って」
私は空君の腕に手をかけた。
「空君、変だよ」
「え?」
「私のこと避けてるよね?」
「凪を?俺が?」
「うん」
「そんなことないよ」
空君はそう言ってから、すぐに俯いて目を合わせないようにした。
「やっぱり、変だよ」
「そんなことないって」
空君は顔を上げ、私を見ながらそう言ってきた。でも、どこか、わざとらしい。
「じゃあ、なんで最近、手も繋いてくれないし、ハグもしてくれないし、キスもしてくれないの?」
私が責めるようにそう聞くと、空君はすごく困ったという表情を見せた。




