第122話 真っ白な雪
産院に着いた。パパはママの背中を支えながら、産院に入り、そのあとから碧がカバンを持ち、私とくるみママも中に入った。
土曜日の5時、診察は終わっていて、一階の受付あたりに人はいなかった。でも、お見舞いに来ている人が数人ロビーにいた。
「いたた」
ママがお腹を押さえた。また、陣痛がきているみたいだ。ゆっくりとロビーの椅子に腰を下ろし、パパが隣に並んで座って腰を優しくさすってあげた。
「榎本さん、入院の手続きをお願いします」
産院の奥から、看護士さんがやってきてそう言った。
「じゃあ、私が手続きをするわ」
くるみママがそう言って、看護士さんから手続きの書類を受け取り書き込み始めた。その間もママは、顔をゆがませ痛がっていた。
「荷物はご主人が病室まで運んでくださいね」
看護士さんにパパがそう言われたが、
「聖君。ここにいて」
とママに言われ、パパは、
「父さん!荷物を病室まで持って行ってくれる?」
と、車を駐車場に停めてきた爽太パパに向かって大きな声で言った。
「了解」
爽太パパは小走りでやってくると、碧からカバンを受け取り、看護士さんと一緒に階段を上って行った。
「いたたた。どんどん痛くなってきちゃった」
ママがそう言って、パパの腕にしがみついた。
「腰、どのへんが痛い?」
「もうちょっと下…。その辺が痛い」
パパは言われたところを優しくさすってあげている。
「そ、そんなに痛い?母さん」
碧がさっきから、暗い顔をしてママを見ている。
「碧、大丈夫だ。お前、先に爽太パパと帰ってるか?」
「生まれるまでいるよ」
パパの言葉に碧はそう言った。
「でも、何時間もかかるかもしれないぞ」
「それでもいる!家で待ってなんかいられない」
碧は必死な顔をしてそう言い返した。
「私もいる。そばにいてもいいよね?ママ」
私がそう言うとママは私と碧の顔を見て、
「うん。ありがとうね」
とにっこりと笑った。
看護士さんが、爽太パパと戻ってきた。そして、
「陣痛室に行きましょうか」
とママに声をかけ、パパがママの背中に腕を回し、一緒に産院の奥へと歩いて行った。
「凪ちゃん、碧、今のうちにご飯食べに行く?それか、どこかで買ってきましょうか?」
くるみママがそう言ったけれど、碧はじっとママの後姿を見ているだけだ。
「大丈夫よ。まだ生まれるまで時間かかると思うし、桃子ちゃんには聖がついているから」
「でも…」
「じゃあ、おにぎりやサンドイッチでも買ってくるか。凪と碧は、桃子ちゃんのそばについていてやって。くるみと俺でみんなのご飯買ってくるからさ」
爽太パパはそう言うと、くるみママと産院を出て行った。
「碧、ママのところに行こう」
「う、うん」
「碧、そんなに緊張していたら、ママのほうが気を使うよ。もっと、肩の力抜きなよ」
「凪のほうが強いな。やっぱ、こういう時って女のほうが強いのかな」
「私だって、ドキドキしてる。でも、ママの支えになりたいもん」
「だ、だよな。それは俺もだ!」
碧はそう言うと、一回深呼吸をして、それから「よし」と小声で言うと、廊下を歩き出した。
陣痛室の前に行くとパパがいた。
「今、桃子ちゃん、着替えをしているから」
そうパパは言うと、私と碧の顔を見て、
「今から桃子ちゃん、けっこう大変なんだ。もしかすると時間もかかるかもしれない。俺がそばにずっといてやるつもりだけど、でも、碧や凪にも交代で桃子ちゃんのこと見てもらうかもしれない。そうしたら、桃子ちゃんのこと元気づけたり、励ましたり、支えてあげられるよな?」
と、力強い声でそう聴いてきた。
「お、おう」
碧が、ちょっと顔をひきつらせながら答えた。
「もちろんだよ、パパ」
私はパパの目をしっかりと見てそう答えた。
「そりゃ、心強いな」
パパは嬉しそうに目を細めて微笑んだ。
「榎本さん、どうぞ」
陣痛室のドアが開き、中から看護士さんがパパに声をかけた。
パパが一番に陣痛室に入り、そのあと、私と碧が静かに中に入った。ママはベッドに横になり、パパの顔をじっと見ていた。
「今は平気?桃子ちゃん」
「うん。でも、どんどん感覚が短くなってるの。それに、破水もした」
「そうなんだ。じゃあ、もうすぐだね」
「破水って何?」
こわごわ碧が聞いた。
「赤ちゃんを包んでいる膜が破れることを言うんだ」
ママではなくパパが答えた。
「そ、それって、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。破れないと赤ちゃん出てこれないし」
「あ、そうか」
碧がほっとした顔をした。
「凪は知ってたの?」
碧が冷静な顔をしている私を不思議がって聞いてきた。
「うん。ママの持っている出産のための本読んだもん」
「さすが」
碧がぼそっとそう言った。でも、顔が無表情だった。
「碧、大丈夫か?もしかして、血とかお前弱かったっけ?」
「い、いや。別に」
パパの言葉に碧は言葉少なに答えた。でも、強いほうでもなかったよね。パパも今は平気になったみたいだけど、病院嫌いで、血も苦手だったって言っていたっけ。
「いたたた」
ママがまた痛がり出した。パパがすぐにママの腰をさすってあげた。
「う~~~~。痛いよ~~~」
「そんなに痛む?桃子ちゃん」
「うん」
ママの顔、すっごく辛そうだ。
「いった~~~~~~~~~~。いった~~~~~~~~~~い!」
ママがパパの腕に必死にしがみついている。
「……」
隣で碧が青い顔をして、ママと同じくらい辛そうな顔をした。
「そ、そんなに痛むのかな」
「うん。陣痛ってすごく痛いって言うもん」
碧の言葉にそう答えると、碧はもっと辛そうな顔をした。でもわかるよ、碧。大好きなママが痛がっている姿、私でも見ていると辛いもん。
「聖君!看護士さん呼んで!」
ママが突然顔をあげてパパに言った。
「え?」
「なんか、変。変なの」
「何が?お腹?」
「違う。お尻のあたりに何か当たるの。もうすぐ生まれちゃうかも。それに、ものすごく今、力みたい!!」
「わかった!」
ベッドについているボタンをパパが押すと、
「どうしました?」
と、看護士さんの声が聞こえてきた。
「生まれそうなんです!すぐに来てください」
パパがそう大きな声で言うと、看護士さんがバタバタと陣痛室に来て、
「分娩室に移動しましょう」
と、慌てて陣痛室の隣にある分娩室の準備をしに行った。
「う、生まれるの?」
碧が青い顔をしたまま、パパに聞いた。
「ああ、早いかもしれないな。碧の時にも早かったけど」
「母さん、大丈夫?」
「うん。大丈夫」
ママは痛いだろうに、碧に笑顔を見せた。
分娩室に明かりがともり、何人か人がやってきている気配がした。それに、ガチャガチャと何かを準備している音も聞こえてくる。
「榎本さん、さあ、どうぞ」
一人の看護士さんがママを呼んだ。
ママはパパに支えられながらベッドから起き上がり、よろよろと立って、お腹を丸めながら分娩室に入って行った。
「ご家族の皆さんは、廊下で待っていてくださいね」
「はい、よろしくお願いします。桃子ちゃん、頑張って!」
「うん。頑張って元気な子を産むから、待っててね」
ママがそう言うと、看護士さんは分娩室のドアを閉めた。
私たちは廊下の長椅子に座った。
ドキンドキン。心臓が高鳴りだした。もうすぐ、生まれる。もうすぐだ。
碧を見た。血の気の無い顔をしている。パパは、そんな碧を見て、碧の肩を抱いた。
「大丈夫だって。桃子ちゃん、ああ見えてもすげえ強いから。あと少しで、碧の妹か弟にご対面できるんだよ。楽しみだろ?」
「うん」
碧はそう言ってパパの顔を見て、ほんのちょっと微笑んだ。
「もうすぐ碧はお兄ちゃんだな」
「うん」
「凪も楽しみだろ?赤ちゃん」
「うん。楽しみ」
「俺も!きっと可愛いんだろうなあ。早く抱っこしたいよなあ」
パパは目を細めてそう言って、にっこりと微笑んだ。
バタバタと廊下を、くるみママと爽太パパが走ってきた。
「もしかして、もう分娩室に入ったの?」
「うん。今さっきね」
「早いなあ。まだまだかかると思ったのに」
「経産婦って、産道できているし、早いのよね」
爽太パパの言葉にくるみママはそう言うと、
「はい。夕飯買ってきたわよ」
と、袋をパパに渡した。
「碧、凪、今のうちに食べておくか?」
「いい。俺、腹減ってない。生まれてから食べる」
「そうか。俺も食べれそうもないな…」
そう言ってパパは袋を長椅子の端に置き、分娩室のほうに顔をむけた。
「桃子ちゃん、今、頑張っているんだよなあ」
「そうね。今頃力んでいる頃かしら」
「碧の時は早かったよなあ」
「そうだったなあ」
くるみママと爽太パパは、パパとそんな話をしてから、しばらくすると、ちょっと離れた長椅子に座りに行った。
しばらく、私たちは黙り込んだ。碧は両手を握りしめ、俯きながらじっとしている。くるみママと爽太パパは、肩を寄せ合って分娩室のドアを見ている。
パパは、時々碧や私の顔を優しい目で見つめた。もしかすると、私や碧の生まれた頃のことを思い出しているのかもしれない。
それから、どのくらいの時間が過ぎただろう。静かな廊下に、大きな赤ちゃんの「ほんぎゃ~~!」という泣き声が響いた。
「生まれた!!!!」
パパの顔が一気に明るくなり、爽太パパもくるみママも、一緒に長椅子から立ち上がった。
私も立ち上がった。碧も、顔を上げ立ち上がると、
「う、生まれたね、父さん」
と、パパに震える声でそう言った。
「ああ、生まれた。すげえ元気なうぶ声だ」
パパも声が震えていた。目も真っ赤だ。私は嬉しくて、パパの背中に抱き着いた。
「良かった~~~」
そう言って、私は泣き出してしまった。
「凪」
パパはゆっくりと私のほうを向いて、それからギュッと私をハグした。
「もうすぐ、赤ちゃんに会えるね」
「うん。会えるね」
「見て!」
くるみママが、廊下の奥の窓を指差した。
「雪よ」
「本当だ」
爽太パパも窓の外を見てそう言った。
「綺麗な粉雪ね…」
「真っ白な雪だ…」
おぎゃあ、おぎゃあ…。赤ちゃんの声がしばらく続き、そして泣き声がしなくなった。そのあと、数分すると、分娩室のドアが開いた。
「榎本さん、おめでとうございます。元気な女の子ですよ」
看護士さんが赤ちゃんを抱っこして、分娩室から現れた。
「う、うわ~。小さい」
碧が赤ちゃんを見て、ちょっとびびっている。パパは赤ちゃんの顔を覗きこみ、
「桃子ちゃん似だ。色白で、髪がぽやぽやだ。すげえ、可愛い」
とそう言って涙ぐんだ。
くるみママと爽太パパも赤ちゃんの顔を見て、
「凪ちゃんが生まれた時に似ているな」
「本当ね」
と微笑んだ。
「妹なんだね?」
「うん。妹だな」
私の言葉にパパは頷いた。
私は赤ちゃんの顔を見た。赤ちゃんはもう泣いていなかった。目を閉じた小さな顔は、赤かったけど、でも、パパが言うように、きっと色白な女の子だ。
窓の外をちらっと見た。窓からは真っ白な雪が降っているのが見えた。
「雪…。雪ちゃんがいいな」
私はもう一回赤ちゃんの顔を見てそう呟いた。
「真っ白な雪?この子のイメージだね」
パパもそう言ってにっこりと笑った。
「さあ、そろそろ新生児室に連れて行きますね」
「え?もう?」
「はい。お母さんのほうも、そろそろ病室に行けますので、もうちょっとここで待っていてください。お母さんも、すごく頑張ったんですよ」
「あ、あの。母体も元気ですか?」
パパが心配そうに看護士さんに聞いた。
「ええ、元気ですよ」
「良かった」
パパがほっとした顔を見せた。
ああ、私たちには心配させないように、パパは余裕を見せていたけど、心の中では心配していたんだな。
赤ちゃんは、看護士さんがまた分娩室に連れて行った。そして、私たちは長椅子に座り、
「赤ちゃん、可愛かった」
「雪ちゃん、いい名前ね」
「榎本雪か~~。うん、いいね」
なんて話をしていると、また分娩室のドアが開いた。
そして、車椅子に座ったママが看護士さんと一緒に出てきた。
「ママ!」
「桃子ちゃん!」
私とパパがママのもとにすぐに駆け寄った。
「よく頑張ったね、桃子ちゃん」
「聖君、赤ちゃんに会った?」
「うん。あ、そうだ。凪がね、今、雪が降ってて、赤ちゃんの名前、雪ちゃんってどうかなって」
「雪ちゃん?うん。いい!」
ママが嬉しそうにそう言って私を見た。
「今、雪が降っているの?」
「うん。綺麗な真っ白な雪が降っているの。赤ちゃんも色白で、真っ白なイメージがあったから」
「うん。いいね、雪ちゃん、可愛い。ね?碧」
「うん」
碧は泣くのをこらえているようで、ママの近くにも来れないようだった。
「桃子ちゃん、大丈夫?」
くるみママがママに聞いた。
「はい。けっこう元気です」
ママはにっこりと笑って元気にそう答えた。
「そろそろ、病室に行きましょうか」
看護士さんが車椅子を押した。そのあとから、みんながぞろぞろとついて行き、みんなで大きなエレベーターに乗り込んだ。
「個室だから、みんなで行っても大丈夫だな」
パパがそう嬉しそうに言うと、ママも嬉しそうに「うん」と頷いた。
本当にママ、元気そうだ。ちょっと顔が白い気もするけど、でも、さっきからすごく嬉しそうに笑っている。
病室につき、ママはベッドによっこらしょと言って寝転がった。
「何かありましたら、呼んでくださいね」
看護士さんがそう言うと病室を出て行った。
「うぶ声元気だったね」
パパがママに優しくそう言った。さっきから、パパがすっごく優しい目でママを見ている。それに、ママも幸せそうな顔をしてパパを見ている。
「うん。元気だった」
パパはベッドの隣にある椅子に座った。そして、ママの髪を優しく撫で、手を握りしめた。
「桃子ちゃん似だね」
「そうかな」
「うん。超、超、可愛かった」
「女の子だから、また聖君を取られちゃうね」
「ん~~~。そりゃ、桃子ちゃんとの子だからさ、俺、めちゃくちゃ可愛がるけど、でも、桃子ちゃんのことも可愛がるよ?」
「本当に?」
「本当に」
そう言うとパパは、ママのおでこにキスをした。
「安心したら、お腹すいちゃった。パパ、私、碧とロビーでおにぎり食べてくる」
「あら、じゃあ、私も。ね?爽太」
「うん。喉も乾いたしなあ。聖の分はここに置いておくから。お茶も買ってあるから」
くるみママと爽太パパも、私と碧と一緒に病室を出た。
「さすが、凪ちゃん。気がきくなあ」
「え?何が?」
碧がきょとんとしてそう聞いた。
「二人きりにしてあげたんだろ?」
「ううん。ただ、あのまま、二人がいちゃつきだすのを見ているのが、恥ずかしかっただけ」
そう言うと、
「ああ、なるほどね」
と、碧は納得したように頷いた。
そして、私たちはロビーの長椅子に座り、おにぎりを食べだした。碧は顔色もよくなり、元気におにぎりを二個ぺろりとたいらげた。
「そうだ。空君にも電話入れるって約束していたんだ」
私は携帯を取り出し、産院の外に行って、空君に電話をした。
「空君、生まれたよ」
「ほんと?早かったね」
「うん。元気な女の子なの。今、降っている雪みたいに、綺麗な純白が似合う赤ちゃんだったから、名前は雪ちゃんにしようって、決まったの」
「可愛いね」
「うん」
空君の声は穏やかだった。私はその声にほっとした。
「ママ、すごく痛がってたの。ちょっと見てて怖かった。でも、赤ちゃん、すごく可愛くってね、うぶ声聞いたとき、泣いちゃった」
「うん。そうなんだ」
空君の声が優しくて、私は雪が降って寒いのに、外でしばらく電話をしていた。
いつか、私も、大好きな空君との子を生む日が来るんだろうか。その時、今のパパみたいに、空君も優しく私に微笑みかけ、おでこにキスとかしてくれるのかな。
「凪、よく頑張ったね」
なんて言いながら。




