第121話 バレンタイン前日
先生になんとか席を交代してもらった。
隣が男子で嫌だからとはさすがに言えず、こっそりと男子生徒が集まって、ちょっとうるさいのでと、そんなことを先生に打ち明けてみた。
先生は若い女の先生。うるさいからと言ったけど、なんとなく理解はしてもらえたようだ。
「そうね。男子ばかりが集まってくる席じゃ、ちょっと嫌よね」
そして私は、一番前の席の男子と交代してもらい、両隣が女子という安心できる席に移動できた。
ただ、私がいた席が男子だらけになり、休み時間のたびに、そのあたりの席がうるさくなることになった。ちらっとその席のほうを見てみると、わあ、むさくるしい男子生徒がわらわらといる。見ているだけで、嫌な気分になってくる。
「千鶴は、男の人って嫌じゃない?」
放課後、部室に向かう途中聞いてみた。
「うん。別に。でもさあ、そんなに男を毛嫌いしてて、空君がもし狼に変身した時、大丈夫なの?」
「お、狼?空君が?」
それを聞いて、吹き出しそうになった。
「凪、いつまでも、そんなふうに空君を子ども扱いしていたら、わかんないよ。空君だって、そろそろ高校2年生。17歳になるんだよね?」
「うん」
「小河さんさあ、初体験、17だって」
「え?そんなこと聞いたの?」
「つい、気になって。それも、一個上の先輩とだってよ。まるで空君と凪みたいじゃない?」
本当だ…。
「相手のほうが、遊びなれている感じの先輩だったらしい。小河さんも、なんていうのかな。そういうのに興味が出るお年頃で、つい出来心でって言ってた」
「何それ。じゃあ、遊びでってこと?」
「うん。あ、一応付き合ってはいたらしいけど。そのあと、すぐに別れたって」
「そういう話って、聞いてて嫌にならない?」
私が千鶴に聞くと、千鶴は平然と「別に」と答えた。
「だって、今はその人と何の関係もないし、小河さん、ちゃんと私のこと真剣に思ってくれているもん」
そうか。そういうものか。まあ、過去と言えば過去だもんね。
「だからさ、17歳っていったら、もう十分にそういうお年頃ってことなんだよ。いつまでも、可愛いって思っていたら、いきなり空君だって狼になるかもしれないんだよ?どうするの?凪」
「空君が狼?」
あの可愛い空君が?
「あり得ない」
「あ~~、もう、凪ってば。あとで、空君に襲われるようなことがあっても、知らないからね」
「襲う?空君が?ますますあり得ない」
「……」
千鶴が私を呆れた目で見た。
「だって、千鶴だって、小河さんに襲われたわけじゃないでしょ?」
「襲うって感じじゃないけど、でも、けっこう触ってきたり、キスして来たり、積極的に迫られたよ」
「それ、嫌じゃなかった?」
「別に。ドキドキしたけど、嫌じゃなかった。ただ、最後の一線を越える時は、ちょっと勇気がいったけど」
「…そ、そうなんだ」
「だけど、いざとなったら、覚悟ができるもんだよね」
「そ、そうなんだ」
私はまだまだ子供でいいや。それに、あの、抱き着いただけで真っ赤になって固まっちゃう空君が、狼になるなんて思えないし。きっと私たちはまだまだ、このまんまだよね。
天文学部に入ってきた男子は、さすが文化部に入ってくるだけあって、男臭さがなく、私にとってはありがたいような男子ばかりだった。
あの、憎たらしげな鉄でさえ、男臭さがない。まだ、背も170センチあるかないかで、細身で小年ぽさを残しているし。
他の男子も、声も小さく、いつもぼそぼそと話をして、いるかいないかもわからないくらいの存在の薄さの男子たったり、部室では大人しくしていて、部活が終わると、目当ての女子に話しかけるようなそんな男子だったりで、野球部や、サッカー部のような汗臭さや、男臭さがない男子だけだ。
その中で、一際目立つのは空君だ。存在感が濃いわけではないが、他の男子に比べたら、とにかく爽やかだ。やはり、口数は少なく、はしゃいだり、騒いだりしないのに、立ち姿が凛としているからか、とても爽やかに見える。
私は密かに、部活中、空君のオーラを感じながら、幸せを満喫している。それが、文江ちゃんにだけはばれてしまう。なにしろ、光を出しまくっちゃうからだ。
その光が部室全体を包み込むので、毎回天文学部は、まったりとした空気感の中で活動をしている。
今日もまた、星の話を空君がしていて、そんな空君を私はずっと光で包んでいたらしい。部活が終わって、文江ちゃんから「光いっぱい出てました」と今日も言われてしまった。
そんなこんなで、のんびり穏やかな日々が過ぎていき、いよいよ、クリスマスの次のイベント、バレンタインが近づいてきた。
碧は、バレンタイン前日が受験日だ。いよいよ、受験日も近づき、あの楽天家の碧が最近家で、ぴりぴりとしている。
だけど、週に一回、文江ちゃんが我が家に来ると、一気に碧はデレデレになり、リラックスしてしまうようだ。
そんな文江ちゃんと私、そして千鶴とで、バレンタインのチョコを作りに、まりんぶるーに行った。
2月13日。碧は受験日だ。その日は、朝から小雨が降り、午後には止んだが、とても寒い日だった。
学校が終わり、私たちはその足でまりんぶるーまでやってきた。そして、お店が空いている夕方の時間、まりんぶるーのキッチンを借りて、春香さんの指導の下、トリュフをみんなで作った。
悪戦苦闘するかと思いきや、さすがパテシェの指導があっただけのことはある。流れるようにことは運び、今、トリュフを冷蔵庫で冷やしている最中だ。その間、私たち3人は、お店の一角でお茶をしている。
「小河さん、喜んでくれるかなあ。でも、メインは私なんだ」
千鶴の言葉に私と文江ちゃんは、きょとんとした。
「だから、バレンタインのメインディッシュは私なの」
その言葉でようやくピンときた私と文江ちゃんは、顔を赤くしてしまった。
「もう、何を千鶴は言い出すんだか」
「二人はまだまだだよね」
「あ、あ、当たり前です。手作りのチョコ渡すのだって、ドキドキなのに」
文江ちゃんはそう言いながら、胸に手を当てた。
「凪は?」
「チョコレートだけだよ。空君だって、もし、私をあげるって言ったとしても、困り果てちゃうよ」
「そうかな。案外鼻の下伸ばして喜んだり」
「しない、しない、しない」
私は全否定した。
「でも、空君だって男なんだし」
その言葉にも私は首を横に振った。
千鶴ったら、私よりもかなり大人の世界をリードしちゃっているからか、余裕ぶってそんなことを常に言うようになった。そのたび、私はけっこう困っている。
もしいつか、そんな日が来るとしたら、千鶴は相談相手になってくれるだろう。その時には頼もしい相談相手かもしれないけれど、今のところ、そんな相談をする必要もないし、こんな話をする千鶴はちょっと、困ってしまう存在だ。
冷蔵庫でしっかりとチョコも固まり、それを箱に入れてリボンもかけ、それぞれのカバンに仕舞い込んだ。黒谷さんは、明日、碧とデートの約束をしていて、その時にチョコを渡すらしい。
千鶴も明日はバイトのシフトが入っているから、その時小河さんに渡すと言っている。
私は…。明日は土曜だ。まだ空君となんの約束もしていない。どうしようかな。うちに来てもらうか、空君の家までいって、チョコを渡すか。
そんなことを考えつつ、家に帰ると、
「あ~~!凪、凪、凪!!!助けて」
と、玄関を開けた途端、碧が家の中からそう叫んでいるのが聞こえた。
「ど、どうしたの!?」
「母さん、陣痛だって!!」
え~~!!!
ママは、ソファで丸くなっていた。
「碧、そんなに騒がないで。今、病院にも、聖君にも電話したし」
「大丈夫?お腹痛い?すぐ生まれる?」
「まだだよ。陣痛も10分おきくらいだから。破水もしていないし、聖君が帰ってくるまでは持ちそうだよ」
ママは、私や碧を安心させようと笑顔を作った。でも、ちょっと笑顔が引きつっている。
「まりんぶるーにも電話しないと」
碧が慌てながら、受話機を持った。でも、なかなか電話をできないでいる。
「貸して!」
私は碧から受話機を奪い取り、くるみママに連絡を入れた。
「爽太パパとくるみママが来てくれるって」
「でも、お店は?」
「どうせ客もいないし、春香さんだけで大丈夫だって。もし、パパが遅くなったら、爽太パパの車で行こう。今、車もこっちに回してくれるって」
「わかった」
ママがふうっとため息をはいた。もしかして、辛いのかな。
「腰さすろうか?」
「ありがとう、凪。今度陣痛が来たらお願いね」
「うん」
碧は真っ青だ。立ったままおろおろしている。そして時計を見ると、
「父さん、遅い」
とそればかりを呟く。
「碧、寝室にカバンがあるの。入院の用意をしてあるから持ってきて」
ママがそう言うと、碧は一目散に2階にすっ飛んで行った。
「落ち着きがないなあ、碧ったら」
「碧がいる前で、陣痛が来たって言っちゃったから、碧、慌てちゃったの。とりあえず、聖君には碧が電話をしたんだけど、聖君に、碧、落ち着けって怒られてたよ」
「パパは落ち着いてる?」
「うん。だって、3人目だもん。でも、凪の時には、慌てていたかもしれないなあ」
ママもさすが、3人目だけあって余裕だ。
碧がカバンを持って降りてきて、またうろうろと玄関に行ってみたり、戻ってきてみたりし始めた。そしてようやく、家の外から車の音がして、
「父さんだ」
と叫びながら、ドアを開けに行った。
「どう?桃子ちゃんの様子」
その声はくるみママだった。パパじゃなくって、爽太パパの車の音だったみたいだ。
「お母さん、まだ、陣痛の感覚も、10分あるから大丈夫です」
「そう。でも、初産じゃないんだし、早いかもしれないわよね」
「はい。だけど、碧を生んでから、もう何年もたっているし」
そう言った後、ママは「いたた」と腰を抑えた。
「来た?陣痛」
くるみママはママの隣に座り、腰をさすりながら聞いた。
「はい。でもまだ、そんなに痛くない」
「じゃあ、まだ大丈夫ね?」
そこに爽太パパが玄関から入ってきた。くるみママも爽太パパも上着を着たままだ。
「桃子ちゃん、病院にはまだ行かないでも平気?」
「はい。もうちょっと、聖君を待っていようかな」
「聖、すぐに来れるって言ってた?」
「はい。電話入れたら、すぐに行くって」
「じゃあ、もうすぐ来れるかな」
爽太パパはそう言って、碧の頭をポンポンと叩き、
「碧、そんなに心配そうな顔するな。大丈夫だって。俺もくるみもついているし、聖もすぐに来るから」
とそう優しく言った。
さすが、爽太パパ。碧が青い顔をしているのに気が付いたんだなあ。
その時、また車が停まる音がして、すぐにそのあと、パパが家の中にすっ飛んできた。
「桃子ちゃん!!!!」
そして、靴を履いたまま、リビングに駆け込み、
「病院、行くよ!」
とママに叫んだ。
「聖君」
ママが思い切り安心した顔を見せた。もしかして、ママもパパが来るまで不安だったのかな。
「聖、靴」
くるみママがそう言うと、
「あ、脱ぐの忘れた。でも、いいや、もう」
とパパは靴を履いたまま、ママの背中に優しく手を置き、ゆっくりとママと玄関に向かった。そして、ママのコートをパパがママに着せてあげていた。
「碧、荷物頼む」
爽太パパが、上着をもたもたと着ている碧にそう言って、車のカギを持ってパパやママよりも先に玄関を出た。
「聖、俺の車で行こう。6人乗れるし、俺が運転するからお前は桃子ちゃんについててあげろよ」
「わかった」
私も上着を着て、最後に家から出た。そしてみんな車に乗りこむと、爽太パパは静かに車を発進させた。パパはママの背中や腰を、ずっとさすってあげていた。
「来た…」
ママが顔をゆがめると、パパは優しく、
「大丈夫?今、何分おきくらい?」
と聞いた。
「さっきより短い。7分おきくらい」
「そっか。さすっているの、ここでいい?」
「うん。ありがとう、聖君」
「桃子ちゃん、今日は遠慮いらないからね。俺に気兼ねしないで、わがまま言うんだよ?わかった?」
「うん」
最後部の席から私と碧は、ママとパパのやり取りを聞いていた。パパは本当に優しい。ママが安心しきっているのもわかるし、パパがママのことを本当に大きく包み込んでいるのもわかる。
私が生まれた時も、碧が生まれた時もこんなだったのかな。
碧が生まれた時のことを私は覚えていない。それもそうか。だって、まだ2歳だもん。だけど、碧が小さい時のことは覚えている。
パパも、ママも、爽太パパやくるみママ、杏樹お姉ちゃん、みんなで可愛がった。ううん。私も思い切り、みんなに可愛がられていた。
いつも安心感の中にいた。いつでも、みんな優しくてあったかかった。
だから、生まれてくる赤ちゃんにも、私は愛を持って接したい。あの頃、みんなが私と碧にいっぱいの愛を注いでくれていたように。
あ、いけない。私、空君のチョコ、ダイニングテーブルの上にだしっぱなしだ。冷蔵庫に入れ忘れちゃった。
あ、それだけじゃない。もしかして、家の鍵、誰も閉めていないんじゃないの?
「鍵、閉め忘れたかも」
私がそう言うと、
「あ!」
とパパが大きな声を出した。
「空に留守番頼むか。今、家にいるよな」
そう言ってパパは携帯を取り出し、空君に電話をかけたようだ。
「空?うん、俺、聖。あのさあ、俺の家、今、空っぽなんだ。桃子ちゃん、産気づいて、慌てて鍵も閉めないで出てきちゃったから、空、留守番頼めないかな?」
パパがそう言ってちょっと黙り込むと、
「空の夕飯、春香さんにでも作ってもらうか…。とりあえず、そのへんは頼む」
と、そう空君に話している。
「パパ、変わって」
私はパパと電話を代わってもらい、空君に、
「あのね。ダイニングテーブルの紙袋の中に、空君へのプレゼントが入っているの。それ、食べていいからね」
と、そう告げた。
「え?」
「本当は明日あげる予定だったんだけど、ごめんね。冷蔵庫に入れないで来たから。あ、食べないなら冷蔵庫に入れて。生クリーム使ってあるから」
「あ、ああ。そっか」
空君ははにかんだような声で答えた。
「サンキュ。じゃあ、夕飯は、うちにあるレトルトカレーでも持っていく。すぐに凪の家に行って、留守番しているから、生まれたら連絡くれる?」
「うん。わかった」
電話を切った。ママはまた陣痛が来たのか、腰を丸めている。そしてパパは腰をさすってあげている。
ドキドキしてきた。もうすぐ、弟か妹が生まれてくるんだ。
どうか、無事生まれてきますように!
そんなことを祈りながら、私は両手を握りしめた。その横で、碧も同じことをしていた。ああ、碧も今、神様に祈っているんだな。




