第119話 複雑な心境
「凪、夕飯作るの手伝って」
ママが私の部屋に顔を出し、そう言った。時計を見ると6時だった。
「うん」
「空君は先にお風呂入らない?もう沸いてるから」
「え?俺、あとでいいです」
「いいよ、先に入って。そのあと、碧。夕飯済んでから、凪と文江ちゃん、それから私と聖君が入るの。あとが詰まっているから、今入ってくれると助かるんだけどな」
ママがそうにこにこしながら言うと、空君は、
「じゃあ、入ります」
と言って、立ち上がった。
空君はずっと部屋の隅で漫画を読んでいた。私は雑誌を見たり、空君に話しかけたりしていたんだけど、空君は上の空のようで、へんてこりんな返事をしていた。だからって、漫画に夢中になっていたわけでもなさそうだ。
「着替えは、これでいいよね?パンツ、これって碧が泊りに行った時、空君のを借りちゃったやつでしょ?」
「あ、はい。それ、俺のです」
ママが手にしていたパンツ、可愛い黄緑色のチェック柄だ。うん。絶対碧は買いそうもないパンツだ。空君だったらきっと履いたら、可愛いだろうなあ。
あ。パンツ見ても可愛いと思うようになっているなんて、重症だ、私。
「パジャマは碧の洗ったばかりのだから、これを着てね。それと、パーカーは聖君のなんだけど、大きさ、ちょうどいいよね?」
「え?聖さんの着てもいいんですか?」
「うん。これも、洗ったばかりのだから」
「すみません」
空君は恐縮そうにそう言って、着替えを受け取った。
そして、ママ、空君、私は一階に降りた。碧と黒谷さんは、まだダイニングテーブルに勉強道具を広げていた。
「熱心に勉強していたんだな、碧」
空君がそう言うと、
「まあね」
と碧は得意げな顔をした。
「え、でも、1時間くらい、雑談しちゃったから」
黒谷さんは顔を赤くしながら、正直にそう言った。
「あ、言わなきゃばれなかったのに」
「ごめんなさい」
碧の言葉に黒谷さんは本気で謝っている。やっぱり、この二人は面白いなあ。
「夕飯作っちゃうから、碧は空君がお風呂から出たら入っちゃって」
ママはそう言ってから、キッチンに入って行った。私も後に続くと、
「私も手伝います」
と、黒谷さんが慌てて椅子から立ち上がった。
「リビングでのんびりしていていいよ、文江ちゃん。碧と一緒にテレビでも見てて」
「でも…」
「先輩、ゲームしようよ、ゲーム!」
碧は黒谷さんの手を取って、リビングに連れて行った。黒谷さんは真っ赤になりながら、手を引かれていた。
碧、なんだか、すっかり黒谷さんになついちゃったなあ。っていうのは、変な言い回しかな。だけど、平気で手なんか繋いじゃったし。それだけ、仲良くなっちゃったってことかな。
そして、二人でテレビゲームを始めた。碧は思い切りテンションが上がっていて、時々大笑いもしている。まったく、受験生だっていうのに。
黒谷さんはずうっと、顔が真っ赤だ。でも、とっても嬉しそうだ。時々、大笑いをしている碧をうっとりと見ている。
なんだか、変な感じ。弟をうっとりと見ている人がいるのって。私から見たら、大笑いをしている碧の顔は、あほ面にしか見えないんだけどなあ。
キッチンで料理の手伝いをしていると、空君がお風呂から出てきた。体からほかほか湯気が立っているように見える。うっすら頬も赤いのが可愛い。バスタオルで髪をゴシゴシ拭きながらリビングに行き、
「碧、入ってきていいよ」
と言って、絨毯の上に座った。
「へ~~い。じゃあ、先輩の相手、空がしてて」
そう言うと、碧は2階に一段抜かしで階段を上って行った。
「ゲームの相手、私じゃ弱すぎるから、碧君が出てきたら二人でして?私、キッチンの手伝いをしてくるね」
黒谷さんがそう空君に言っているのが聞こえた。そして、キッチンにやってきた。
「空君、一人になっちゃうね。凪が話し相手でもしてあげたら?」
ママ、なんでそんなこと言うのかな。でも、今、すぐそばに行きたいって思っていたけど。私の気持ち、通じちゃったかな。
「うん。じゃあ、そうする」
隣に行きたい気持ちを我慢せず、私は素直に空君の隣に行った。そして、まだ石鹸の匂いのする空君の隣にぴとっと引っ付いて座った。
「……」
空君がちらっと私を見た。でも、黙って髪をバスタオルで拭いている。
「私が髪、拭いてあげようか?」
「い、いい」
あ。空君、照れた。
「えへ」
「何?」
空君の顔を見てにやけると、空君が聞いてきた。
「空君、石鹸の匂いするんだもん」
「………。だ、だから、何?」
「え?なんでもないよ」
「ふうん」
空君は、そのあとゴシゴシと髪を拭き、バスタオルを肩にかけてしばらく黙り込んだ。
「?」
「俺ってそんなに子供っぽい?」
「え?」
「…なんか、凪、子供の頃のことでも思い出しているのかなと思って」
「どんな?」
「俺から石鹸の匂いがするって、子供の時にも言ってたよ。まだ、5歳か、6歳の頃」
「そうだった?」
「そういえば、あの頃はよく一緒に風呂も入ったね。碧も一緒に」
「うん。3人できゃあきゃあ言いながら入ったよね」
「……うん」
「楽しかったね。水鉄砲で遊んだり、お風呂のおもちゃで遊んだり。夏場だったし、お風呂じゃなくって水遊びに近かったよね」
「うん」
「夜寝るのも楽しかったなあ。一緒の布団に潜り込んで寝たよね」
「う、うん」
「あの頃の空君、可愛かったなあ。あったかかったし」
「……まだ、凪は、今の俺も子供の頃の俺みたいに思えているんじゃないの?」
「そうかも。今でも空君、可愛いもん」
むぎゅ。空君の腕にしがみついた。
「だから、いつもなんでそんなに、不用心なの?」
「何が?」
「気にしないでしがみついてくるけど、今も胸、俺の腕に当たってるよ?」
「ごめん、気になった?」
「……なんで、凪は平気なんだろ。これが俺じゃなくって、たとえば、健人さんとかだったら…」
「やだよ!近づきたくもないよ」
私は顔をひきつらせてそう答えた。
「胸が当たるのもいや。腕に触るのもいや。近づくのもいや」
「……そうなんだ」
「うん」
「じゃ、なんで俺は…」
「空君は、空君だから」
「…その理由がわからない」
「だから、空君だからいいの」
ぎゅ~~~~。そう言ってからも私は、空君の腕に思い切りしがみついた。
「空君、お風呂上がりだからあったかいね?」
「……」
ああ、空君の顔、みるみるうちに真っ赤になった。でも、離れてって言わないし、そのまま私は空君に引っ付いていた。
「え?あ!」
ダイニングのほうから、ちょっと驚いたような黒谷さんの声が聞こえて振り返ると、私と空君を見て目を丸くさせ、顔を赤くして、
「ごめんなさい」
と謝りながらキッチンに戻って行った。どうやら、ダイニングテーブルを拭いていたようだ。
「?どうしたのかな」
「凪が俺にべったりくっついているのを見て、びっくりしたんじゃないの?」
空君が横でぼそぼそとそう言った。
「あ。そうか。黒谷さんの前でも、学校でも、ここまでくっついたことなかったね」
「そうだよ。凪、引っ付きすぎだよ」
「でも、空君、離れてって言わなかったから」
「……時々、凪のオーラに包まれて、やたらと気持ちよくなる時があって」
「え?」
「あ、ほら。眠くなるような、まったりとした気持ちになるような、そういう気持ち良さだからね?」
「うん」
他のどんな気持ちの良さと、比べたんだろうな、空君。
「今も、気持ちよくなって、眠くなってて、それで…」
その割には、顔が真っ赤だったけど。
「なんで、これだけくっついていても、桃子さんは何も言わないのかな」
「おばあちゃんやおじいちゃんも言わないよ?いろいろとうるさく言ってくるのはパパぐらいかな。碧だって何も言わないじゃない?」
「うん。確かに…」
空君がそう頷いた時、碧がお風呂から出てきて、私と空君の隣に座ると、
「あれ?黒谷先輩とゲームしなかったの?空」
と空君に聞いた。
「うん。キッチンの手伝いするって。その代り凪がここにやってきて」
「いちゃついていたのか。っていうか、いつも、空、凪にまとわりつかれているよね。大変だね」
「何よ、それ」
また碧が憎たらしいことを言い出した。
「たまに空、うっとおしくならない?ばあちゃんちのリビングでも、いつも凪に引っ付かれてるじゃん?」
「そうなんですか?榎本先輩」
後ろから、黒谷さんのびっくりした声がまた聞こえてきた。振り返ると、ダイニングにお箸を並べにやってきていた。
「あ、手伝うよ、私も」
そう言って私が空君の隣から立つと、その場所に碧が移動して、
「なあ。空、どうなんだよ。うっとおしいって思う時もあるの?ないの?」
と、まだしつこく空君に聞いていた。
「………。碧も黒谷さんにべったりくっついてもらったら、わかるんじゃないの?」
空君は、すごく冷静な声でそう答えた。すると、碧も黒谷さんも赤くなり、
「そ、そんなの、先輩がするわけないしっ」
と碧は動揺し、
「も、もう、何を言ってるの?空君」
と黒谷さんも慌てまくっていた。
「でも、もし、先輩が凪みたいに引っ付いてきたら…」
碧はどこか宙を見た。それからもっと顔を赤くし、
「う、うっとおしくなんか、ないかな?」
とぼそっと呟いた。
なんだ、そりゃ。もしや、自分たちもそんなふうにデレデレしてみたかっただけなんじゃないの?碧。もしや、羨ましがっていたとか?
あれ?っていうことは、私と空君はいつもいちゃついている、デレデレのカップルってことになるのかな?ちょっと違うか。私ばかりが空君にべったりしているだけだもんね。空君はただただ、固まっているばかりで。
空君が私にハグをするのは、霊に寄りつかれた時だけ。その時は、すぐにあったかい腕で抱きしめてくれる。なぜかその時の空君は、硬直もしないし、顔も赤くない。優しくあったかいオーラで包み込んでくれる。
「そろそろ聖君が帰ってくる頃だ。みんな、ダイニングについてね」
「へ~~い」
碧はとっても機嫌がいい。黒谷さんがいるから当たり前かな。黒谷さんは、まだ髪が濡れているスエット姿の碧を見て、顔を赤らめている。
どうして顔を赤くするのかがわからないけど、私は、紺色のパジャマを着て、その上にグレイのパーカーを着ている空君が新鮮な感じがして、ちょっとドキドキしている。
「ただいま~~~~!」
みんなが食卓に着いた時、ものすごいタイミングの良さでパパが帰ってきた。お腹の大きいママはゆっくりとパパを出迎えに行き、
「おかえりなさい」
「ただいま、桃子ちゅわん」
と仲良く二人でダイニングに入ってきた。
「あ、空と文江ちゃんだ」
「今日は二人とも泊まっていくの」
「え、まじ?」
ママの言葉にパパが、思い切り嬉しそうな顔をした。
「文江ちゃんも泊まっていくの?どこに?凪の部屋?」
「もちろん、そうだよ」
私がそう言うと、
「碧、夜中に襲いに行くなよ」
と、パパが碧に耳打ちした。
「す、するわけないじゃん。だったら、空にも注意したら?」
「空?空はしないだろ。あ!でも、凪が危ない。凪、夜中に空を襲いに行くなよ!」
「しないから、安心して」
もう、パパったら、何を言い出すの?ほら。空君は赤くなっているし、黒谷さんはまたびっくりして目を丸くして固まってるよ。
そして、和やかに…、いや、かなり騒がしい夕飯時になった。
夕飯が終わり、後片付けは私と黒谷さんでした。ママはパパとしばらくダイニングでゆったりとくつろいでいた。
碧と空君はさっさとリビングに移動して、テレビゲームをし始めた。
「碧、受験生なのに遊んでいいのか?」
パパにそう言われ、一瞬碧はゲームをする手が止まり黙り込んだ。でも、
「まあ、いいか。たまには息抜きもな?」
とパパに言われ、碧はゲームを再開した。
パパったら、本当に楽天家なんだから。でも、私にも碧にも勉強しろとうるさく言ってきたことないけど、そこがパパの良さなのかもしれない。
あ、ママだって、全然言わないけど、そういうこと。
後片付けを終わらせると、
「凪、文江ちゃんと一緒にお風呂入っちゃえば?」
とママが言ってきた。
「うん。じゃあ、そうしよう、黒谷さん」
「え?先輩と一緒にですか?」
「うん。そのほうが安心でしょ?」
「は、はい。確かにお風呂って、よく幽霊出るから一人だと怖いんですけど、でも、いいんですか?」
「私は全然かまわないよ」
「まじで?お風呂って出やすいの?」
碧がリビングでゲームをしながら聞いてきた。
「水場って出やすいんだよ」
空君がそう言うと、碧は「へ~~」と感心したように言った。
「でも、碧は絶対に遭遇しないだろうから安心しろよ」
「あ、じゃあ、私より碧と一緒にお風呂入ったほうがより安心かもよ、黒谷さん」
「え?!」
「何言ってんだよ、凪!」
ほとんど同時に、碧と黒谷さんが大きな声を上げた。
「冗談だってば。さ、私着替え持ってくるから待っててね」
そう言って2階に上がると、1階から碧の、
「バカ凪!」
という叫び声が聞こえてきた。
ありゃりゃ。黒谷さんがいるっていうのに、いつものガキ臭い碧になっちゃってるよ。いいのかな~~。
黒谷さんはお風呂に入ってからも、まだ顔が真っ赤だった。顔だけじゃない。ものすごく色が白くて、首まで真っ赤なのがわかってしまった。
「色、白いんだね、黒谷さんって」
「あ、はい。日焼け苦手なんです。すぐに色も落ちちゃうし」
「羨ましいなあ。私も外見はママに似ているんだけど、色白なところは似なかったんだ。焼くとそのまま黒くなっちゃうの」
「私はそっちのほうが健康的で羨ましいです。私、髪も黒いし、色白だし、なんだか病的に見えるみたいで、ますますみんなに気持ち悪がられていたから」
「え~~~。お人形さんみたいで可愛いのに。肌もすっごく綺麗だよね?」
「そんなことないです。寸胴だし、胸ないし、先輩が羨ましいです」
そんなことを言いながら、私たちはバスタブに入っていた。我が家のバスタブは、ママとパパがゆったり二人で入れるように、ちょっと大きめのサイズになっている。だから、黒谷さんと一緒に入っても余裕だった。
「私だって、くびれもないし、胸も小さいよ」
「そんなことないです。すごく女らしいと思います」
「そうかな~~~」
本当に黒谷さんはお人形さんみたいだ。
そして私たちはお風呂から出て、リビングに移動しても、
「いいなあ。黒谷さん、色が白くって肌も綺麗で」
「先輩だって、肌綺麗だし、女らしいラインだし羨ましいです」
と、まだお互いを褒めあっていた。
「…く、黒谷さん、そういう話はここであんまりしないで」
顔を赤くしながら、空君がそう言った。それに、その隣では碧が、黒谷さんを見ながら顔を赤くしている。
「え?」
黒谷さんはきょとんとして空君を見た。
「空!何を顔赤くしているんだよ、お前は~~」
そこにパパがやってきて、空君の頭をくしゃくしゃと撫でまわした。
「す、すみません!」
思い切り空君ったら、謝ってる。もう、本当に可愛いなあ。
だけど、女らしいラインなんかしていないと思うんだけど、もし、そうだったら嬉しいなあ。
あれ?でも、そう言う目で男の人に見られるのは嫌だなあ。
なんだか、複雑。
大人の女性へと変化していくと、周りの男の目が気になって、寒気すら覚える。だけど、空君には、女らしいって思われたらいいなって、そんなことを思っている。
私、変。思っていることがチグハグ。なんだか、本当に複雑な心境だ。




