第109話 ヤキモチはいらない
今日は天文学部のある日だ。千鶴とホームルームを終え、とっとと部室に行った。
まず、部室の掃除から始める。毎回片付けたり掃除をしているので、今ではすっかり綺麗な部室になった。多分、峰岸先輩だけで片づけをしていた頃は、こんなに丁寧に掃除もしなかったんだろう。
ファンタジー好きな部員が、ちょっとメルヘンチックなポスターを勝手に壁に貼り、天文学オタクの部員は、星の写真をベタベタと壁に貼り、水原さんが可愛い卓上のカレンダーや花を机の上に飾ったりしているので、今や殺風景だった部室はカラフルな可愛い部屋に変化している。
そんな中、今日もまた、空君の星の解説が始まった。
星が好きな部員たちは、特に目を輝かせ空君の話を聞き、質問をしたり、自分の知っていることまで話し出したりする。
空君目当ての女子部員は、ただただ、うっとりと空君を見る。そして、水原さん目当ての男子部員は、空君より水原さんのほうを見ている時がある。
鉄は、ずっとむすっとしていて、千鶴はそれなりに楽しんでいる。
私はというと、空君をずうっと見て、ほわほわとあったかい気持ちに包まれている。そしてあとからいつも、こっそりと黒谷さんに言われてしまう。
「今日も部室が光で包まれてました」
黒谷さんはその光があるから、すっごく安心できるんだと言っていた。
ただ、一瞬光が消えてしまう瞬間がある。それは、水原さんが空君に可愛らしい声で話しかけている時。
「空君、さっきの説明の中で、聞きたいことがあるんだけど」
必ず説明が終わって、空君が一人で資料を片付けたりしている時に、水原さんは話しかける。
「あ、うん」
空君は嫌がることもなく、ちゃんと話を聞き答えている。その間、水原さんは頬を染め、嬉しそうに空君を上目づかいで見ながら話を聞いている。
時々目を伏せ、嬉しそうに笑う。栗色の長い髪、真っ白な肌、綺麗な指、そして綺麗にピカピカに磨かれた爪。どこをとっても水原さんは、完璧なほどの女の子だ。
話し方も、声も、笑い方も、仕草も女の子らしい。
鞄についているキーホルダーも可愛らしいし、携帯についているストラップも女の子らしいものだった。唇はうっすらとピンク色のリップ。それから、水原さんに近づくと、いつも甘い香りがした。
男子だけじゃなく、女子の私ですら、なんて可愛らしい女の子なんだろうって思う。水原さん狙いの男子が、水原さんに話しかける時だけ態度を変えるのも無理はない。私ですら、話しかける時にどぎまぎするし、言葉使いにまで気を使ってしまう。
空君は?空君だって一般男子。可愛いって思っていたり、他の子と接し方も違っちゃったりする?
私は、そのへんが気になっちゃって、この時だけは光が出ないようだ。
「大丈夫ですよ。空君、榎本先輩一筋ですから」
「そうそう。浮気なんかしないって。あの空君に限っては」
部活が終わり、千鶴と黒谷さんと3人でトイレに行きながら、そんなことを突然二人に言われた。
「え?私が水原さんのこと気にしているのわかった?」
「わかります。水原さんが空君と話していると、光消えちゃうし」
「私は光なんて見えないけど、凪の顔つき観ているだけでわかるよ」
「え?わかっちゃった?」
それ、他の子や、空君にもわかってるってことかな。
「水原さん、可愛いけど、どの男子も水原さんが好きかって言ったら、そんなことないと思うよ。特に空君は、凪しか見てないし」
「え?」
ドキ。
「空君って、榎本先輩といる時、表情が変わりますよね。なんか、優しいっていうか、ほわんって小さな子供みたいになる」
「子供?」
黒谷さんの言葉に聞き返すと、
「あ、わかる。安心しきっている子供みたいな、無邪気な、純粋無垢な、そんな顔つきになるよね~~」
と千鶴まで言い出した。
「そうなんだ」
確かに、そんな空君の表情が私は好きだ。可愛いなっていつも思う。でも、それって私にだけ見せる表情だったのか。
「凪もだよ。空君といる時、安心しきっているって顔しているし、すごく優しい表情になってるよ」
「え?私も?」
顔に出ていたのか。
「二人して、ほわわんってしてる。たまに入っていけない空気感があるよ」
「そうなの?」
「でも、そんな二人を見ているだけで、私も光に包まれるから安心できるんです」
黒谷さんはにこにこしながら、そう言った。そして女子トイレのドアをあけ、
「きゃあ!」
と黒谷さんが悲鳴を上げた。
幽霊がいたらしい。見えちゃうのはほんと、辛いだろうなあ。
「いるの?!」
千鶴が何歩か下がってそう聞いた。黒谷さんはすぐに私の後ろに隠れた。
「どんなのがいたの?」
「じょ、女子生徒っぽいけど、うちの制服じゃない」
「最近、めっきりいなくなっていたのにね。そういえば、この辺、暗くなってるね」
黒谷さんはべったり私の背中に張り付いている。
「大丈夫だよ」
私はそう言ってトイレに入った。思い切り空君のことを思いながら。
「あ、すごい光」
後ろで黒谷さんがそう呟き、
「あ、消えた」
と、私の背中から離れながらそう言った。
「消えちゃったの?」
千鶴もおそるおそる女子トイレの中を覗いた。
「はい、一瞬にして光になっちゃいました。やっぱり榎本先輩すごいです」
黒谷さんも安心した顔つきに変わった。
「でも、これが碧だったら、一瞬にして霊が逃げるよ。碧と一緒にいて幽霊見たことないでしょ?」
私がそう聞くと、黒谷さんは真っ赤になった。
「はい。碧君といると、本当にいつでも安心できます」
わあ。さらに赤くなっていく。黒谷さんも色白だから、真っ赤になるとわかりやすいなあ。
「碧君と付き合っているんだよね。どう?碧君って」
千鶴がトイレから出て、手を洗いながら黒谷さんに聞くと、黒谷さんはさらに赤くなった。
「ど、どうって?」
「優しいとか、面白いとか」
「楽しいです。でも、碧君と二人でいる時はちゃんと勉強してます。他の時はたいてい、榎本先輩やお父さん、お母さんもいて、みんなでわいわいと話しててすごく楽しいんです」
「あれ?二人でデートは?」
「しないです。碧君、受験生だし」
「ふ~~ん。なんだ、そうなのか」
それからまた、3人で部室に戻った。空君、鉄、久恵さんたち3人だけがいて、他の部員はもう帰ったようだった。
「水原さんも帰ったの?」
千鶴が聞いた。
「1年男子が送って行ったよ。もろ、わかるよね。あいつらって水原さん狙いだよね」
鉄がそう言うと、
「え?そうなんだ」
と空君が驚いた顔をした。
あれ?
「空君、気が付いていなかったの?」
黒谷さんが聞いた。
「あ、うん。あんまりそういうの、興味ないし」
「じゃあ、水原さんが誰を好きかもわかってなかったり?」
千鶴がそう聞くと、
「え?わかんないっすよ、そんなの。興味もないし」
と、空君は淡々と答えた。
え~~?驚いた。一目瞭然なのに、わかんないんだ。
「やっぱり、空君って女の子どうでもいいよね。興味あるのは星と、海と凪だけでしょ」
わあ。千鶴がすごいことを言った!
「ああ、はい」
え?!空君、無表情で頷いたよ?
「え?!凪?」
突然、空君は千鶴に聞き返した。あ、今、適当に相槌をうってた?もしや。
「そう、凪」
千鶴がにやっと笑いながらそう言うと、空君は赤くなって俯いてしまった。
照れてる。可愛い!
ぶわ~~~。
「わあ、すごい光」
ああ、黒谷さんに言われてしまった。黒谷さんにはばればれなんだよね。
かああ。空君がもっと赤くなった。そして、
「そろそろ帰ろう。遅くなる」
と、鞄を手にして、さっさと部室から出て行ってしまった。
駅までみんなでぞろぞろと歩いた。鉄はなぜだか、広香さんをやたらとからかっていた。広香さんはからかわれて、鉄に怒り返し、むすっとした表情をして歩いている。
あれって、鉄、広香さんのこと好きってことかな。鉄、私の時もそうだったけど、屈折しているからな。典型的な好きな子をいじめて楽しむタイプ。でもきっと、広香さんには伝わっていない。本気で広香さん、怒っているみたいだし。
「それじゃ、さようなら。みんな、気を付けてね」
「は~~い。お疲れ様でした」
駅のホームでみんなと別れ、私と空君、千鶴と鉄は電車に乗り込んだ。
「鉄さあ、なんで広香さんのことからかっているの?」
私は唐突に鉄に聞いた。すると、鉄はびっくりしたような顔をして私を見ると、
「な、なんだっていいだろ。からかいやすいんだよ、あいつは」
とふてくされたように答えた。
「文化祭の頃からだよね。広香ちゃんにかまうようになったのって」
千鶴もにやにやしながら、鉄にそう言った。
「だから!からかうと面白いだけだって」
ああ、むすっとしてそんなことを言っているけど、耳が赤いよ、鉄。
「まあ、頑張ってね。でも、からかってばかりだと、思いは伝わらないよ」
そう私が言うと、かっと鉄は顔を赤くして、
「う、うっさいよ、先輩は空と水原のことでも心配していたらいいだろ」
と、口を尖らせ言ってきた。
「え?俺と何?」
ぼけっと窓から外を見ていた空君が、こっちを向いて聞いてきた。突然自分の名前が出てきて、我に返った感じのようだ。多分、意識、どっかに飛んでいたよね。
「水原だよ。明らかにお前のことが好きだろ」
鉄がもっとふてくされた顔になって、空君に言った。
「……」
空君はちょっと、目を丸くしたけど、
「どうでもいいや」
と、肩をすぼめてまた外を見た。
「どうでもいいの?空君」
千鶴がしつこくそう聞いても、空君は窓の外を見たまま、コクンと頷いただけだった。
電車を降り、私と空君は自転車に乗って家路についた。
「今日、うちに寄っていくよね?空君」
「うん」
わあい。嬉しい。
「くす」
空君が可愛く笑った。あ、今きっと、私からものすごい光が飛び出したんだよね。それで、笑われちゃった。
しばらくは二人で黙って自転車をこいでいた。空君は、何やら上機嫌。でも私は、水原さんのことがまだ気になっていた。
「ねえ、空君。本当にどうでもいいの?」
「何が?」
水原さんのことをもう一回私は聞いてみた。
「女の私が見ても、水原さんは女らしいと思う。可愛らしいし、仕草も女の子らしいし」
「へえ、そう?」
「そう思わないの?」
「……う~~~ん。よくわかんないな。女の子らしい仕草って何?」
空君が首をかしげながら聞いてきた。
「えっと~~~」
自転車をこぎながら、私も首をかしげた。
「俺、無邪気に笑う凪の表情とか、可愛いと思うけど」
「え?!」
「あと、嬉しそうに笑う時とか、幸せそうにしている時の顔とか、寝顔とかも可愛いと思うけど」
「私の!?」
「うん。他の子見ても、可愛いと思ったことないな」
そうなんだ!照れるけど嬉しい。
「凪のはわかりやすい。すぐに光出るし」
「え?私の何?」
「感情とか、何を今思っているのかとか…」
じゃあ、光が出なくなったのもわかってたのかな。
「あ、そうか。今日、光が消えたときあったけど、凪、俺と水原さんのこと気にしてた?」
「やっぱり、消えたのわかっちゃった?」
「うん。一瞬消えたよね。ずうっと光に包まれていたのに、なんでかなって思ってはいたんだ。でも、またすぐに光出ていたから」
「…ヤキモチ妬いちゃった。そういうのも空君に全部ばれちゃうね」
「ごめん、わかんなかったよ、俺。だってすぐに、光に包まれたから」
「……」
「まさか、ヤキモチ妬くとも思わなかったし」
「え?なんで?」
「だって、ヤキモチ妬く必要もないし。俺、凪のことしか思ってないよ。凪もそれ、わかってるよね?」
「………う、うん」
その時家についた。自転車を降りると空君は、私の真ん前にやってきて、
「あのさ、凪、なんにも心配しないでいいし、ヤキモチも妬かなくていいよ。俺、まじで浮気とかする気もないし、他の子、どうでもいいんだから」
とそう言ってから、キスをしてきた。
「うん。わかった」
私がそう言うと、空君は照れくさそうに笑って家の中に入っていった。
家に入ると、すでに碧はリビングでテレビを観ていて、
「空!今、面白いテレビやってるよ」
と自分の隣に空君を呼んでしまった。
ああ、碧に取られちゃった。
私は、キッチンに行ってママの手伝いをし始めた。
「また、碧に空君取られちゃった」
「くす。あの二人も仲いいもんね。兄弟みたいだよねえ」
「うん。仲いいことはいいんだけどさ~~」
夕飯の準備が終わる頃に、パパは帰ってきた。そして、すぐに碧と空君のところにいって、わいわいと話し出した。
息子が二人いるみたいで、楽しいよなって前にパパが言っていたけど、本当にパパも空君を可愛がっているよね。たまに、髪をくしゃくしゃってして、
「空~~、お前って可愛い奴だよな」
って言っている。
空君もパパにそう言われると、嬉しいようで、はにかんで笑う。
本当に、家族だよね。もう空君は。こんなだから、家で二人きりになる時間なんてまったくない。
ずっとこうなのかな~~。最近、ちょっとだけ物足りないって感じちゃうのは私だけかな。毎日のように空君といられるのは嬉しいんだけど。
「じゃあな、空。また明日も来いよ」
「はい」
今日も玄関にはパパも来て、空君を見送った。
「また明日ね、空君」
「うん、また明日」
空君は可愛い笑顔を見せて、玄関を出て行った。
ああ、空君の笑顔可愛かったなあ。
「空は可愛いよなあ」
ぼそっと横でパパがそう言った。
「え?」
びっくりした。私がそう思っているのがパパに伝わっちゃった?
「どっか、今まで自分を殺してたっていうか、うちにこもってた部分あったけど、今の空は違うね」
「違うって?」
「自分を出せるようになってるよね、空は」
「……う、うん」
「空は、まっすぐに育っているよなあ。あいつ、純粋だよなあ」
「うん」
「俺、碧と凪ももちろんだけど、空も可愛いよ」
「…」
パパの可愛いってもしかして、自分の子供を思うように可愛いのかな。
「凪を俺から取ろうとしている、にっくいライバルだったんだけどね」
「ええ?!」
「今は、ほんと、息子みたいに思ってるよ」
「じゃあ、私と空君が結婚したら、本当に息子になるよ、パパ」
「何それ。凪は空と結婚する宣言でもしたいわけ?」
「……ずっと一緒にいたいなって思っているけど」
「ふ~~~ん」
パパは意味深な相槌を打ち、
「ずっと一緒にいるんじゃないの?空は凪が必要みたいだしね」
と、そう言ってさっさとリビングに行ってしまった。
私もだよ、パパ。私も空君が必要なの。
そんなパパの後姿を見ながら、心の中でそう言ってみた。
パパとママは、10代で結婚してからずっと一緒にいる。ちょっと羨ましいな。
私も、早くに空君と結婚できたらいいなあ。
ぼんやりとそんなことも、私は思っていた。




