第102話 千鶴の話
翌日、台風一過で見事に晴れた。
空君は、自転車で通学できるようになり、一緒に駅まで自転車で行った。
「お先~~」
碧が後ろから駆けぬけて行った。
「碧、元気だなあ」
ぼそっと空君が呟いた。
「空君、元気ないの?」
そう隣で走っている空君に聞くと、
「元気だよ」
とにっこりと笑って答えた。
空君は、私の速度に合わせて走ってくれている。前は碧と競争しながら駅に行ったのに。
隣にいる空君を感じながら、ほわわんとしていると、空君が、
「あ!」
と声をあげた。
碧だ。碧が元カノと自転車を止めて話している。
私と空君は邪魔しちゃ悪いと思い、横を黙って素通りした。
駅に着き、自転車置き場に自転車を停めながら、
「碧、元カノと話してたね」
と空君に話しかけた。
「うん…」
「碧、よりを戻したりしないよね」
「なんで?」
「だって、黒谷さん…」
「……。どうなんだろ。碧のことだから俺は何も言えないけど」
「うん」
ちょっと二人の間には、緊張の空気が漂っていたなあ。別れ話とか、嫌だろうな。付き合う時と違って、いろいろと辛い思いをするんだろうな。
改札口を抜ける空君のすぐ後ろを歩きながら、私は空君と別れが来ることをちょっとだけ想像した。でも、想像するだけでも苦しくなるから、すぐにやめた。
「凪?どうした?」
空君が振り返って聞いてきた。
「え?」
「光が、一瞬消えたけど」
「ほんと?じゃ、ずっと出てた?」
「うん。会った時から出まくってた」
そうなんだ。今日も光全開だったのか。
「ほんのちょっとだけ、空君と別れることになったところを想像しちゃったの」
「え?」
「辛くなったからすぐにやめた」
「なんで別れなんて…」
あ、空君まで顔が曇っちゃった。
「碧を見て、別れるって大変なんだろうなってそう思っちゃったの」
「俺らにはないよ」
「え?」
「俺、別れる気なんかまったくないから」
「うん」
嬉しい。そう言いきってくれるのって。
ギュ。空君の腕にしがみついた。でも、ホームに千鶴がいるのが見えて、私はぱっと離れた。
「おはよう」
「おはよう、千鶴」
「朝からラブラブだね~」
うわ。言われた。空君が千鶴にそう言われ、真っ赤になっちゃった。
可愛い。抱きつきたい。
「おっす」
ああ、鉄まで来た。さすがにみんなの前では抱きつけないよなあ。
「今日、部活すんの?部長」
鉄がそう言った。私はぼけらっとまだ、空君を見ていた。
「部長、無視すんなよ」
「え?あ、私のことか」
「榎本先輩、部長って自覚まったくないじゃん」
「うん。ないよ」
「そんなでいいわけ?」
「じゃあ、鉄が部長になって」
「嫌だよ!」
鉄とそんな会話をしていると、なぜか空君が私と鉄の間に割り込んできた。
「なんだよ、空」
「え?別に」
「部長と話していたのに、お前がいたら邪魔で話せないじゃん」
「じゃ、話さなくてもいいじゃん」
「どれだけお前、ヤキモチ妬きなんだよ」
「うっさいな」
「もう榎本先輩のこと狙ってないから安心しろよ」
「……」
「女と付き合うのも大変そうだし、彼女も欲しいとか思わないし」
「……」
「だから、邪魔だって」
「狙ってないなら、話しかけるな」
「お前、どれだけ独占欲強いんだよ」
「うっせーな」
ああ。鉄と空君、喧嘩しそう。
その時電車が入ってきて、私たちは乗り込んだ。私は千鶴とシートに座り、空君たちはドアのあたりに立ったままだった。
空君と鉄はなにやら、まだ話をしている。
「千鶴、今日話がしたいんだ」
私は小声で千鶴に話しかけた。
「え?」
「あ…、ほら。まだ千鶴の話聞いていなかったから、聞きたいなって」
「…そのことなら、もう」
千鶴が赤くなった。
「あ、話したくなくなっちゃった?」
「ううん。聞いてくれるの?凪。無理してない?」
え?無理しているように見えたのかな。
「うん。ちゃんと聞くよ」
「じゃあ、放課後ね」
「うん」
昼休みは、また食堂で天文学部員が集まった。でも、黒谷さんは今日、広香さんたちと一緒にいた。
「大丈夫かな、黒谷さん」
私がそう言うと、空君が、
「大丈夫だよ」
と静かに言った。
そうだよね。黒谷さんに友達ができたんだから、喜ばなくちゃ。
数人の女子の、
「黒谷さんが、久恵たちと食べてる。あれってどういうこと?」
という声が聞こえて来たけど、気にするのはやめた。
「榎本先輩!昨日はありがとうございました」
と広香さんたちが、食べ終わってから私のところに明るくやってきて、その笑顔を見て、私も大丈夫だと思ったからだ。
「無事帰れた?」
「はい」
「あ、先輩、昨日はお邪魔しました」
黒谷さんも小声で私にそう言った。
「家に帰ってから大丈夫だった?」
私がそう黒谷さんに聞くと、
「いえ。夜中にラップ音とかなっちゃって、怖かったんですけど、布団に潜り込んで寝ました」
と黒谷さんはちょっと暗い顔をして答えた。
「家でもそういうことあるの?」
広香さんが聞いた。そして、
「あ、でも、私も金縛りにあうことがあるんだよね」
と続けた。
「私も、金縛りはしょっちゅう」
黒谷さんがそう言うと、広香さんは空君を見て、
「空君も?」
と聞いてきた。
「俺はないけど、そういうの」
「そうなんだ」
それから、なぜか広香さん、久恵さん、サチさんも同じテーブルに座り、みんなで話し始めていた。
周りの子たちが私たちを見て、こそこそと話しているのが聞こえた。でも、私たちがわいわいと楽しそうに話しているからか、そのうちに何も言わなくなった。でも、ちらちらとこっちを気にしているのを感じた。
空君が、こんなに女の子たちに囲まれているのは不思議な光景かもな。
放課後、一応みんなで部室に集まるようにした。そして私と千鶴はホームルームが終わると同時に、ダッシュで部室に行った。
「まだみんなが来る前に、話を聞いてね」
部室に入ると千鶴が、こそこそと私にそう言った。
「う、うん」
いよいよだ。覚悟を決めよう。
「あのね、私、夏に…」
「うん」
ゴックン。
「小河さんの家に遊びに行って」
「う、うん」
「両親がいない時で、それで」
ドキドキドキ。千鶴がいきなり頬を染めたから、こっちがどぎまぎしちゃう。
「あ、あげちゃったんだ」
「え?」
「だから、小河さんに、全部あげちゃったの」
うわあ。その表現がとっても恥ずかしい。
「そ、そうだったんだ。でも、急展開だったね」
「そうでもないの。それまでも、キスとか、そういうのはしていたし。私、怖かったことは怖かったんだけど、家に遊びに行くならそういうこともあるだろうなって、覚悟はしていったし、準備もしていったし」
「準備?」
「無駄毛の処理とか、可愛い下着つけていったりとか」
そ、そうなんだ。ゴックン。さっきから、生唾が出るよ。
「でも千鶴、まだ早いって言ってなかった?」
「そうなんだけど。でも、私のこと遊びなの?って聞いたら、本気でちゃんと付き合ってるよって言うから」
「それで?」
「それで、なんだか覚悟できちゃって」
すごい。早い展開だ。私にはついていけない。
「こ、怖くなかったの?」
私は思い切って聞いてみた。
「怖かったよ。それに、い、痛かったし」
「やっぱり、痛いの?」
「うん。でも、小河さん、優しかったし」
うわ!なんだか、聞いててもっと恥ずかしくなってきた。
「そっか」
「凪と空君は?」
「そういうの、まだまだだと思う」
「え?」
「私、そういうのを想像することすらできない。まだまだ、私には覚悟もないし」
「まったく、そういう感じになったことってないの?空君、キスはしてくるんだよね」
「うん」
「それ以上は?」
「……。どっちかっていったら、避けられてるかな」
「え?何それ」
「あ、だから、そういうことにならないように、空君が気をつけてくれてるっていうのかな」
「凪が怖がっているから?」
「怖がっていないよ。でも、想像できないの。空君とそういうことをするっていうのが、どうも…」
「空君、年下だしね。まだ、時々幼さが見える時もあるしね」
「うん。真っ赤になっているのを見ると、可愛いって思う」
「男としてあんまり、見ていないってこと?」
「え?」
千鶴にまで言われた。
そうなのかなあ。
「ねえ、千鶴。そのあとって、小河さん、変わった?」
「うん。前よりもっと優しくなったよ」
「そうなの?」
「私、小河さんが変わったらどうしようって怖かったけど、前よりも優しくなってくれて良かったって思って」
「うん」
「小河さん、今、アルバイトだけど、社員になれるかもしれないんだって。ちょっと頑張ってみるって言ってた」
「え?そうなの?」
「なんか、私と付き合ってて、アルバイトしてふらふらしていられないよなあって、そう言ってた」
「そっか。ちゃんと千鶴のこと、真面目に考えてくれているんだね」
「…でも、私が卒業したらどうなるのかな。私、地元にいる気ないし」
「え?じゃあ、その時って」
「別れることになるのかなあ」
私は何も言えなかった。
私は空君と別れる気なんかない。大学に行ったとしても、また伊豆に戻ってくるつもりだ。それはきっと空君もだ。
これからも私は、空君の隣にずうっといるつもりだ。でも、千鶴は違うんだな。
「先のことなんてわからないんだし、今は今だよね」
千鶴がそう言って笑った。
そうか。そう言われてみたらそうかもしれない。
でも、私にはなんとなく、ずっと空君と一緒にいるんだろうなって、そんな未来が想像できる。
これからも、まりんぶるーにみんなで集まって、空君と私もそこにはいて、空君と私の子供もそこにいるかもしれない。
パパが私の子供を溺愛して、爽太パパやくるみママも可愛がってくれて、もちろん、ママも春香さんも、櫂さんも、おじいしゃんやおばあちゃんも。
碧も、碧の奥さんも、その子供もまりんぶるーにいるかもしれない。
みんなでちょくちょく集まって、みんなで、わいわいとしているそんな未来が想像できる。
みんなと離れることになることすら、考えられないなあ。
5分後、空君、鉄、黒谷さんがやってきた。そして、その後ろから広香さんまでが顔を出した。
「あれ?どうしたの?また、なんか変な幽霊でも出たとか?」
私がそう聞くと、
「いいえ、入部したいんです」
と広香さんが真剣な顔で言ってきた。
え?入部ってことは、天文学部に?
「私、星のこととか詳しくわからないんだけど、でも、ちょっと興味あるし、それに、榎本先輩とも、もっと仲良くなりたくって」
私?!空君じゃなくって?
「いいですよね?」
そう言って来たのは黒谷さんだ。
「うん。入ってくれるのは嬉しいけど、たまに星の観察をするくらいで、あとは特に何もしていないの。前の部長は天文オタクで、あれこれ知っていたけど、私はよくわかんないし」
「いいよ、凪。俺が星のことなら、説明したりできるし」
「空君が?わあ!それも楽しみ」
広香さんが喜んだ。
そうなの?空君、そういうの苦手そうなのにちゃんと説明とかしてくれるの?
「なんか、入部希望の用紙とかなかったっけ?」
鉄がそう言って、用紙を探してくれた。
「あ、これだよ。これに名前書いて」
鉄に渡された紙に、広香さんは『田所広香』と名前を書いた。
「じゃ、この用紙をあとで顧問に渡せばいいんじゃね?」
「うん。そうだよね」
なんだか、鉄までが積極的に私に協力してくれてる。
あれ?なんか、空君、鉄を睨んでる。
「俺があとで、顧問のところに持って行くよ」
今度は空君がそう言った。
あ、鉄が空君を睨んでる…。なんなんだ、この二人は。仲がいいんだか悪いんだか。
とりあえず、新入部員が入り、部員数が6人になった。今後、天文学部はどうなっていくのかわからないけど、空君と鉄が協力的で、私はほんのちょっとだけ、ほっと安心した。ただ、喧嘩だけはやめてほしいけど。




