第99話 台風の中
教室に戻ると、もう誰もいなかった。私と千鶴は鞄を持って、昇降口に向かった。外はビュービューと風が唸り、窓からは木々が思い切り揺れているのが見えた。それに、雨も降りだしてきていた。
「すごい風。電車動いているのかなあ」
千鶴がそうボソッと言った。
昇降口に行くとすでに空君たちがいて、私たちのことを待っていた。
「外、風強いね」
「うん。雨もまた降って来たね」
そう言いながら、靴に履き替えた。
すると、校舎の外から帰ったであろう生徒が数人、
「すげ~~風!飛ばされるかと思った」
「うえ~~、雨まで降ってきてびっしょりだよ」
と、そんなことを言いながら、バタバタと昇降口に入ってきて、私たちに気が付いたようだ。
「今から駅に行くの?」
その中の一人が聞いてきた。その人たちが履き替えた上履きは黄色だから、3年生のようだ。
「はい」
千鶴がそう答えると、
「行っても無理。電車止まったよ」
と、背の高いその男子生徒が答えた。
「止まったって?どっち方面のですか?」
「どっちも。再開の目途はたっていないってさ。駅に着いたやつからメールが来た。そいつらも、そのうち学校に戻ってくるか、また雨も降ってきたし、風、半端ないし、駅のどこかで時間つぶすのかもね」
「え?じゃあ、帰れないってこと?」
黒谷さんが、青ざめながらそう聞いた。
「無理なんじゃね?家の人に迎えに来てもらったら?俺らは学校で時間つぶすけどさ。電車動いていないんだし、しょうがねえよな」
そう言って、その人たちは、廊下を歩いて行ってしまった。
「どうする?教室行くか?」
「とりあえず、職員室に行って、帰れないって言っとく?」
「あ~~。さっさと帰りゃよかったな。そうしたらまだ、電車動いていたよな」
「教室で遊んじゃったからなあ~~」
そんなことを言いながら、どうやら1階の奥にある職員室に向かったようだ。
「ごめんなさい。私のせいでみんなまで帰れなくなってしまって」
黒谷さんが暗い顔をしてそう言った。
「黒谷さんのせいじゃないよ。悪いのはあいつらだ」
そう空君は階段から降りてきた子たちを見て、静かに言った。
「今から帰っても無駄だって。電車止まったらしいから」
鉄は冷ややかな声で、その子たちに言った。
「え?嘘」
サチさんが顔を曇らせそう言うと、くるりと久恵さんのほうを見て、
「何だってこんな日に、黒谷さん呼び出したの?とっとと帰ったらよかったよ」
と責めだした。
「サチも乗り気になっていたでしょ。私だけのせいにしないでよ」
久恵さんまで怒り出した。でも、その真ん中で、
「やめようよ。また揉めたりしてて、霊にとり付かれたらどうすんの?久恵」
と広香さんが2人を止めた。
久恵さんは、一瞬にして黙り込み青ざめた。きっと、さっきのトイレでの出来事を思い出したに違いない。
「こんな日に、学校に残るの嫌だ、私」
広香さんもかなり怖がっているみたいだ。
「じゃあ、俺らといたら?」
突然、空君がそう言った。
「これから、職員室に行ってどうしたらいいか聞いてくるけど」
「いいの?一緒にいても」
広香さんは空君に聞いたあと、私の顔を見た。
「うん、いいよ」
空君じゃなくて私が答えた。
「私がいたら、安心でしょ?」
そのあと、続けてそう言うと、広香さんも久恵さんもサチさんもホッとした顔になり、私のそばに駆け寄ってきた。
「よくわからないけど、空君の彼女、なんだか、すごいね」
「凪がいたら、霊、弾き飛ばすから、一緒にいたらいいよ」
空君は静かな声でそう言うと、スタスタと廊下を歩きだし、職員室に向かって行った。
私たちもそのあとを急いでついていった。鉄だけは、
「こんなやつら、幽霊にとりつかれたって、ほっときゃいいじゃん」
と後ろからぶつくさ言いながら、ゆっくりとした足取りでついてきた。
職員室の前まで来ると、
「お前ら、さっさと帰れって、だから言ったろ?」
という先生の怒鳴り声が聞こえてきた。どうやら、先に行った3年生の人たちが怒られているようだ。
「まさか、こんなに早く電車が止まるって思っていなかったんで」
「こんなに早くじゃない。放送流してから1時間はたってるぞ。すぐに帰ったら、電車は動いていたんだぞ」
「1時間も時間がたってたって、気づかなかったもんで」
そんな会話を聞き、私は腕時計を見てみた。あ、本当だ。もう3時を過ぎている。
「家の人は車で来てくれるのか?」
「うちは無理っす。親も働いてて、電車止まって帰れないんじゃないかなあ」
一人の生徒がそう言っているのが聞こえた。
私たちは職員室のドアの前で立ち止まり、その生徒と先生の会話に耳を澄ませていた。
「しょうがない。視聴覚室を開けるから、帰れなくなった生徒をそこに集めさせるか」
先生はそう言って、職員室を出てきた。
「あ、お前らも学校に残って帰れなくなったのか」
「はい、すみません」
「まったく、他にも何人もいるのか?今から、放送で視聴覚室に集まるように言うけど、お前らも視聴覚室に行け。家に連絡取って、迎えに来れるものは迎えに来てもらえ」
先生はそれだけ私たちに言って、放送室に向かって行った。
私たちはぞろぞろと階段を上り、視聴覚室に行った。だけど、3年生たちは、
「教室にいたって同じだろ?」
と言いながら、自分たちの教室に行ってしまった。
「俺らも教室に行くか?」
鉄が聞いた。
「ここでいいじゃん」
空君がそう言いながら、視聴覚室に入り、どかっと椅子に座り込んだ。
放送が流れた。でも、誰も視聴覚室には来なかった。面倒くさがって来ないのか、他の生徒はみんなすでに帰ってしまったのかはわからない。
「あれ?お前らだけか?3年の奴らはどうした?」
さっきの先生が視聴覚室のドアから顔をだし、そう聞いてきた。名前も知らない先生だ。多分3年生の担任だろうな。
「教室に行くって言ってました」
「ったく、あいつら、本当に言うことをきかないよな。あ、適当に映画でもなんでも見てていいぞ。どうせ、暇だろ?」
そう言って先生は、視聴覚室を出て行きかけたが、また戻ってきて、
「腹が減ったら、自販機のパンでも食えよな。これは俺からのおごりだ」
とポケットから千円札を取り出した。
「8人だろ?120円のパンだったら、足りるな」
「120円のパン~~?たいしたのないじゃん」
「文句を言うな」
先生は鉄の背中をバンッと叩いて、視聴覚室を出て行った。
「なるほど。暇だろうから、映画でも観れるようにって、ここを解放してくれたのか。ありがたいな。3年生いないほうが気も楽だ。俺らだけで、楽しむか。鉄、先にパン買って来るか?」
空君はそう言って、机の上にある千円札を手にした。
「え?空君、行っちゃうの?だったら、私も行く」
「榎本先輩、行っちゃうんですか?だったら、私も」
結局8人で、ぞろぞろと食堂まで行き、食堂の外にある自販機でパンを買った。
「なんだか、誰もいないし暗いし、風や雨の音が不気味だし、怖いよね」
そう言ったのは、サチさんだ。
「でも、あんまり嫌な感じはしないよ」
サチさんの横で、広香さんが明るい顔で答えた。
「なんで、平気なの?広香」
「だって、榎本先輩がいるし。ね?黒谷さん、さっきから、榎本先輩のそばにいたら、全然怖い感じもしないよね?」
「うん。榎本先輩、ずっと光が出てるから」
「その光っていったいなんなの?」
久恵さんが聞いてきた。
「凪の光は、凪から発しているオーラみたいなもんかな。普通の人も、そういうの出しているけど、凪は特別強いんだ。それも、邪気がないから、変な霊はそうそう寄ってこないし、来たとしても、浄化されちゃうよ」
「浄化?!」
「うん。だから、トイレでも一瞬にして浄化されたっていうかさ、成仏していったっていうの?」
「すごい。なんか、霊媒師みたい」
空君の説明で、広香さんが目を丸くしてそう言った。
「霊媒師とはちょっと違うかな」
「すごい力があるんですね。先輩には」
あの久恵さんが、私を見て目を輝かせている。
「じゃあ、榎本先輩がいたら、怖いもん無しですね」
サチさんまでがそう言って、私に近づいた。
「黒谷さんも、もしかしてそれで、空君や榎本先輩と一緒にいるの?」
広香さんがそう黒谷さんに聞くと、
「うん。私が怖がっていることも理解してくれるし、榎本先輩は私のこと助けてくれたり守ってくれるから」
と、恥ずかしそうに答えた。
「…納得。なんで、空君の彼女なのに、黒谷さんが空君にくっついていても平気なのかとか、黒谷さんが、榎本先輩とも仲よさそうにしているのかとか、ようやくわかった」
久恵さんはそう小声で言うと、黙り込んだ。
それからみんなで、視聴覚室に戻った。視聴覚室には先生がいて、
「あ、パンをみんなで買いに行っていたのか?これは教頭先生からのおごりだ。適当に買っておいたから飲め。それから、映画何がいい?」
と私たちに聞いてくれて、映画を上映してくれた。
机の上には、8本の缶のジュースや、缶コーヒーが置いてあった。
映画が始まると、
「じゃあ、何かあったら職員室にいるから呼びに来いよ」
と言って先生は出て行った。
「なんか、楽しいかも」
「この教室も、榎本先輩が入るまで、ちょっと暗い感じだったけど、今は明るいし」
千鶴の言葉に、黒谷さんがそう言った。
「え?じゃあ、幽霊いた?」
「わかりませんけど、今はいません。榎本先輩がいるから」
「すごいんだなあ、榎本先輩って」
黒谷さんの言葉に、広香さんは私を尊敬の眼差しという目で見てきた。
そんなに尊敬されても。私はすぐそばに空君がいてくれるから、きっと光を出しまくっちゃっているだけで。
空君は、空君が好きなSF映画だったからか、さっきから嬉しそうだ。私は空君のすぐ隣に座って、空君の可愛いオーラを感じていた。
「あ、凪、家に電話しないでもいいの?」
「そうだった。空君はしたの?」
「俺はさっき、メールで簡単にしておいた。父さん、怪我してて運転できないから、爽太さんが来てくれるかもって。そんときには凪も乗って一緒に帰ろう」
そう空君が言うと、
「うそ!榎本先輩帰っちゃうの?それは困ります」
と黒谷さんが悲痛な声をあげた。
「黒谷さん、お母さんは車で来れないの?」
「はい。メールしたら、母も仕事場から帰れない状態だって」
「じゃあ、私と一緒に、いったんうちに行こうよ。そっちのほうがお母さんも安心するんじゃない?」
「いいんですか?」
「全然うちは平気」
そう言ってにっこりと微笑むと、
「私もいい?今から家に電話してみて、迎えに来れないって言われたら」
と千鶴が聞いてきた。
「いいよ。全然平気」
そう答えると、千鶴は携帯を取り出して電話を掛けだした。
他の人たちも電話を家にしているみたいだ。
私も家に電話した。
「凪?今どこ?電車止まっちゃってるでしょ?」
ママがすぐに心配そうな声で電話に出た。ああ、早くに電話したらよかったと後悔した。
「今、学校なの。空君も一緒にいる」
「そうなの?パパに電話して車で迎えに行ってもらうね。パパもこの台風で、水族館に人も来ないし、仕事もないから凪を迎えに行っても大丈夫だよって、さっき電話があったの。凪からパパに電話してあげて。もしかすると、パパから電話行くかもしれないけど」
「わかった。爽太パパも迎えに行くようなことを言ってたみたいなんだけど」
「じゃあ、爽太パパにはママから電話しておくから」
「うん。空君と黒谷さんと帰るね。あ、千鶴も一緒かも」
そう言うと、千鶴が、
「私はママが車で来てくれるから平気」
と、横から言ってきた。
広香さんたちも、広香さんのお母さんが迎えに来れるらしく、サチさんと久恵さんも広香さんの家に行くそうだ。
私はすぐにパパに電話を入れた。パパは明るく、
「30分くらいしたら、こっちを出れるから、空と待ってて。空がいれば安心だろ?」
とそう聞いてきた。
「うん。安心!パパも気を付けて車運転してね」
「ああ、わかってるって!じゃあな、凪」
パパの声、明るいし元気だ。なんだか、声を聞いただけでも、私の力が湧いてくるような気がした。
「鉄は?」
空君が、ずっと静かにしている鉄に聞いた。
「俺?父さんが来るってメール来た。父さん、小学校から車で迎えに行けるってさ」
そうだった。鉄のお父さんは、小学校の先生をしているんだった。
「じゃあ、どうにかみんな家には帰れそうだし、迎えが来るまで、ここでのんびりしているか」
空君は静かにそう言うと、買ってきたパンの袋を開け、ばくっと食べだした。
「俺、缶コーヒーも~らい」
鉄が一番に机の上にあった缶コーヒーに手を出した。そのあと、みんなも次々に缶ジュースやコーヒーを手にして、パンを食べながら、映画を観始めた。
映画は、何年も前の映画だ。SFだけど、そんなに怖そうじゃない。空君は興味津々。鉄はあまり興味ないのか、アイフォーンを取り出してゲームを一人でしていた。
サチさんたちは、私のすぐ後ろに座り、静かに映画を観ていた。黒谷さんは私の右隣、その隣に千鶴、そして私の左隣には空君が座っている。
私は空君の右腕に、自分の左腕をぴったりとそわせて座っていた。空君の右腕はとってもあったかい。
ビュー、ガタガタと窓ガラスに雨と風があたってきしむ音も、映画の音にかき消され、まったく気にならなくなった。それに、視聴覚室全体は、とっても穏やかな、あったかい空間になっていて、
「ねむ~~~」
と、鉄がうとうとと居眠りを始めるくらい、穏やかな空間となった。
「黒谷さん、たまには私たちとお昼食べたりしない?」
唐突に、広香さんがそう後ろから話しかけてきた。
「え?」
黒谷さんはびっくりしながら、後ろを振り返った。
「あんまり空君といると、私たち以外にもよく思っていない子もいるからさ。その子たちからまた、いじめられても嫌でしょ?それに、うちのクラス、久恵のこと怖がってる子も多いし、私らと一緒にいたら、いじめられないでもすむかもよ」
うわ!驚きの発言。それって、黒谷さんを守ってくれるってことかな。
私も隣で聞いていた空君も、驚きながら振り返った。広香さんの隣で、サチさんも「そうしなよ」と言っている。
「私を怖がってるって何それ~。人聞き悪いなあ」
久恵さんはそう言うと、あははと笑った。
「いいの?私なんかが一緒でも」
「あ、そういう考えは嫌いだな。私なんかって言葉言わないほうがいいよ」
広香さんはそう言うと、ちょっとだけ黙り込み、
「霊感が強いって、あんまりいいことじゃないよね。私も小学生の頃、幽霊が見えちゃうことがあって、友達に言ったら怖がられたことがあるの。ちょっとそのあと、避けられたりもして嫌な思いをしたんだ。だから、黒谷さんの気持ちはわかるんだ」
と言い出した。
「わかるくせに、いじめるようなことしてごめんね」
広香さんがそう言うと、黒谷さんは顔を真っ赤にさせ、泣きそうになった。
「くす」
空君が微笑んだ。そしてなぜか、私を優しい目で見た。
「凪マジックだね」
そう耳元で、他の人に聞こえないくらいの音量で空君は囁くと、また前を向いて映画を観始めた。
私?私の力なのかな。わからないけど、きっと広香さんたちの邪気みたいなのまで消えちゃったのかもね。
でも、良かった。黒谷さんに友達ができて。
それは千鶴も感じていたのか、黒谷さんを見てにこにこと優しく笑っていた。




