ハシブトさんの指輪物語
常識的に考えて、カラスが喋るということはありえない。
ありえないはずだが、今私の目の前にいるカラスはその常識を覆した。
「おい、俺は腹が減った。何か食い物をくれ」
随分と偉そうに喋るこのカラスは、自称『ハシブトガラスのハシブトさん』である。
ハシブトさんは、ずんぐりとした体躯で、光沢のある黒い羽を毛繕いしながら、私のお気に入りのソファを陣取っている。
食事の催促をされ、私は溜息を吐きながら、残り物の肉じゃがを提供した。
「なんだよこれ、残り物じゃねぇか」
「……カラスが贅沢言わないでください。というか、もう帰ってください」
「お前がそれを返してくれたらな」
ハシブトさんは肉じゃがをつつきながら、小さな黒い瞳で、私の指に光る指輪を見た。
「それができたら、とっくにしてます……」
私はうな垂れた。
事の始まりは昨日。
友人と飲みに行った帰り道の途中、街灯の下でキラキラと輝くものを見つけた。
近づいてみると、それは指輪だった。
指輪は街灯に照らされて、淡い銀色の光を放っていた。指輪を手に取りよく見ると、表面に細かな模様が施され、色とりどりの小さな石が散りばめられていた。
「うわぁ、綺麗」
思わず声が出るほど指輪は美しく、そのまま指輪を左手の中指にはめた。
指輪はぴたりと指にはまった。
私はまるで、小さな子供が宝物を見つけたような気持ちになり、指輪をはめた手を街灯にかざした。
その時だった。
「それを返せ」
バサバサという音と共に、黒い塊が私の目の前に飛び込んできた。
私は驚いて身をすくめた。
目の前に突如現れた黒い塊は、一羽のカラスだった。
カラスは驚く私をよそに「いいから早くそれを返せ」と、少し怒ったように体を膨らませた。
「ぎゃああっ」
私は間の抜けた悲鳴を上げ、その場から走って逃げた。
後ろから「あ、こら、逃げんなっ」という声が聞こえたが、無視。だって、カラスが喋るなんてありえない。飲みすぎて自分の頭がおかしくなったか、そうでなければ一体何だ。
とにかく、無我夢中で家に帰り、一目散に布団にもぐり込んだ。
布団の温もりに安堵した私は、得体の知れない恐怖に襲われつつも、残されたアルコールの力でそのまま眠りについた。
どうかこれが夢でありますようにと願いながら。
――コツン、コツン。
妙な音で私は目を覚ました。
――コツン、コツン。
音はベランダから聞こえる。
私は、二日酔いで少し重たい頭をさすりながら、ベランダに行き、カーテンを開けた。
その瞬間、一気に目が覚めた。
カラスがそこにいたからだ。
「よう、早く開けてくれよ」
カラスは、くちばしで窓ガラスをコツンコツンと叩き、中に入れるよう催促した。
そして話は冒頭に戻るのである。
最初こそ恐怖で何も考えられなかったが、ハシブトさんの自己紹介から始まり、この指輪が『ソロモンの指輪』である事、指輪の影響で私と彼の会話が可能になっている事、指輪さえ返せば私に用はない事を告げられた。
そうとわかればさっさと指輪を返そうと、私は指輪を取ろうとしたが、外れないから困った事になっている。
散々指輪を引っ張っていたため、指が擦れてじんじんと痛む。
もう駄目だと諦めかけたその時、ハシブトさんがおもむろに「いっそ俺が引きちぎってやろうか?」と言って、私の指をぱくりと咥えた。
「ぎゃあっ」
突然の行動に驚いた私は、思わず手を振り回した。
ハシブトさんが吹っ飛んだ。
正確に言うと、いつでもお引き取りいただけるよう開け放ったベランダの外まで、吹っ飛ばしてしまったのだ。
慌ててベランダに駆け寄る。
しかし、そこは鳥である。ハシブトさんは、そのまま羽ばたき、上空で一度ゆっくり旋回した後、「あほー」と鳴いて飛び去っていった。
私はその場にへなへなと座り込んだ。
指輪は無事に外れていた。
2作品目の投稿です。
掌編小説講座で出されたお題「カラス」用に書き上げたものです。
原稿用紙5枚という設定があるのですが、5枚に収めるのは難しいです。
読んでいただいてありがとうございます。
ご感想をいただけると勉強になります。