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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第二部 黒雨の章
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第五話 闇の竜と魔女 File-4

 5-4 決戦


 フィラの姿が消えると同時に、水の神器を模倣した自分の魔力の気配が一気に増幅されるのを感じた。ジュリアンの魔術は正確だ。リラの魔力が使われたことも、水の神器の魔力が本物から偽物に切り替わったことも、事情を知らずに外側から観測しているだけではきっとわからないだろう。実際、魔女の気配は迷うことなくこちらへ近付いてきている。

 転移の制御、リラの魔力の隠蔽、ティナの魔力の増幅、フィラにかけた守護の魔術の変更。どれ一つとっても単独で難易度の高い魔術のはずなのに、全てを平行するなんて、こいつの頭の中はいったいどうなっているのかとティナは疑問に思った。ジュリアンの技術も魔力も人間としては規格外だ。特に魔力は、これでもだいぶ制限をかけてあるのだということが契約してみてわかった。左手首にかなり強力な魔力制御装置がつけられている。

(よく今まで生きてこられたな)

 フィラと初めて会ったときもよくこんな少ない魔力で生きていられるものだと思ったけれど、ジュリアンは逆に魔力が強すぎて生きているのが不思議に思える。生まれたその瞬間に消滅ロストしていても不思議はないほどの魔力だ。本当に人間なのかと疑いたくなるが、魔力の強さを除いて見れば人間としか思えないのも確かだった。リサやフィアのように、後天的に何か魔術的な操作を施されているのかもしれない。同族相手にそんなことをするなんて信じられないけれど、ティナからすればぞっとするほど恐ろしいようなことも、平気でやってのける人間はいるのだ。

 考えている内に魔女が間近に迫っていた。行き場のない嫌悪感を脇に押しやって、ティナは周囲の状況把握に努める。戦闘が始まってしまえば、もう水の神器の偽装を続ける必要はない。ティナにはジュリアンの強大な魔力を受け止める器がないから、戦闘用の魔術は基本的にレーファレス――ジュリアンがもともと契約していた雷の神を経由して使われるはずだが、万一ということもある。どうしても気に入らない相手ではあるが、フィラを守るためにはここでジュリアンに死なれるわけにはいかない。

 幾重にも構築された魔力障壁を乗り越えて、魔女の『核』が玄関広間へ入ってくる。強大な魔力が竜素を現界に現出させ、核を中心として魔女が望んだ形を取っていく。これで魔女も現界の存在と同等になり、魔術を扱えるようになるのだ。世界律をねじ曲げる人間を滅ぼすためとはいえ、自らの意志で世界律を大きく書き換える荒神はもはや世界律を守る存在ではないだろう。

 荒神は元々矛盾に満ちた存在だ。世界律を歪めるという理由で人間を憎みながら、自らも世界律を歪めることで人間に対抗している。そしてそれは、人間と契約した神にも当てはまることだった。世界律を歪めることに抵抗を覚えながら、それでも人間の意志に従って世界律を歪める。ジュリアンと契約しているティナも、今は魔女と大差がないのだ。複雑な気分だった。

 魔女が身体を構築すると同時に、カイが結界魔術を発動させる。これで魔女は簡単にはこの広間から出て行くことは出来なくなった。姿を現した魔女の表情が訝しげに歪む。

「あの娘を逃がしたのか……? まさか……」

 一瞬生じた隙に、情け容赦なくリサが切り込む。歪められた世界律が、空気中の水を、酸素と水素を集めて水の刃に変える。音速を超えるスピードで魔女に襲いかかった刃は、片手の一振りで四散させられた。けれど本命は魔女の背後から迫るランティスの炎だ。魔女は気配だけでそれを察知し、核だけを素早く逃がした。ランティスの炎に焼かれたのは残された竜素だけだ。少し離れた位置で魔女は再び竜素を現出させ、人の形を取る。

 先ほどのリサの一撃に対する手応えで、水の神器がこの近くにないことは魔女にもわかったはずだ。ジュリアンはティナの魔力波を増幅する魔術を解除し、「安全な所にいろ」と指示を出してきた。そう言われても神を封じ込める結界が張られている以上、ティナも玄関ホールから出て行くことは出来ない。ティナは少し考えた末、実体化を解いて光そのものになり、空間全体に自分の存在を拡散させた。

 これで聖騎士たちに対する物理的な攻撃からのとばっちりは避けられるし、全体の様子を把握できるから場合によっては聖騎士側に有利な情報を提供できるだろう。

「小癪な真似を……水の神器を取り戻すためには、まずお前たちを殺すしかないようですね。残念です、宿命さだめの子」

 憎々しげな呟きと共に魔女の魔力が膨れあがった。水の神器が遠いのでその力を十全には引き出せていないようだが、それでも人間が対抗するには大きすぎる力だ。

(いったい何者なんだ?)

 ずっと感じていた疑問がますます大きくなる。神でありながら現界の生き物のように神と契約をすることができるのも、底知れない魔力の大きさを感じさせながら自分自身のそれを使うことが出来ない様子なのも、何もかも普通じゃない。魔女――カルマと呼ばれる存在が人類を滅ぼしたがっている荒神であることは間違いないが、同族であるはずのティナにもその正体はよくわからなかった。

 考え込む間にも、魔女は間断なく黒い霧の槍を繰り出している。水の性質を持ちながら半分は竜素でもあるそれを、魔女は自在に操っていた。自らの手足のように世界律を動かせる神と守護神を通じてしか世界律を動かせない人間では魔術の発動スピードに大きな差が生じるはずだが、聖騎士たちはよく喰らいついている。高度に洗練された連携で、破壊された防御結界はすぐに修復され、誰かが魔女の結界を破れば即座に別の誰かがそこに攻撃魔術を叩き込む。魔女は遠い水の神器から、それでも強力な魔力を引き出して力業で対抗しているけれど、それでも少しずつ核に対するダメージも蓄積されているはずだ。勝機があるなんて未だに士気を上げるためのはったりだとしか思えないが、フィラが神器を届けるまでの時間稼ぎなら何とかなるかもしれない。

 一つ気になるのは、ジュリアンの――というよりジュリアンの守護神であるレーファレスのことだ。ティナほどではないが、聖騎士たちが契約している神の中ではレーファレスはヒューマナイズが進んでいる。恐らく簡単な人間の言葉なら理解できるはずだし、好悪の感情くらいならあるのかもしれない。そのレーファレスが、魔女に攻撃するときにだけ妙な抵抗を示しているのだ。正確な魔術式と強大な魔力が抵抗を許していないが、ぎりぎりの戦いの中では致命傷になりかねない。何か因縁でもあるのだろうか。だとしたら、なぜジュリアンがそんな神を守護神にしているのかもよくわからない。

(確かに力は強いみたいだけど……)

 ジュリアンの強大な魔力を受け止めて、よく魔術を発動させているとは思う。でもその力の強さはヒューマナイズの進行具合と比べてアンバランスでどこか人工的だ。本人だけではなくその守護神まで得体が知れないなんてどういうことだと思う。

 なぜフィラはジュリアンを信じると決めたのだろう。ティナと再会したばかりの頃は信じることに迷いがあったようなのに、さっき水の神器を届けると宣言したときのフィラは真っ直ぐに彼を信頼しているようだった。

 魔術の素養がないフィラには、ジュリアンの異常な魔力も彼を取り巻く神々の複雑な駆け引きも見えてはいないはずだ。フィラはきっと自分には見えていないものが多いことには気付いている。それをわかっていて、信じると決めたのだろうか。

(ああもう、苛々するな!)

 人間同士の信頼の基準なんてティナにはよくわからない。これだけ隠し事が多くて正体も良くわからない相手を信じるなんてティナには出来そうにない。

 魔女と聖騎士たちの戦闘は、いつの間にか最終局面に入っていた。手数でカイの結界を押し切った魔女の槍が、ランティスの身体を貫いたのだ。急所は外したようだが、もう立ち上がることは出来ない。拮抗していた戦力のバランスが一気に崩れた。時折攻撃を織り交ぜながら援護に回っていたリサは動けないランティスの防御に専念することになり、カイの援護を受けつつもほとんどジュリアン一人が魔女と戦うことになってしまう。

 勝利を確信したわけではないはずなのに、魔女の顔が愉悦に歪んだ。獲物をいたぶるように。

 膨れあがる魔女の魔力に対抗するように、ジュリアンが左手首の魔力制御装置の出力を下げていく。同時に抑えつけられていた魔力が凶暴に荒れ狂い始める。契約を交わしたティナには、ダイレクトに感じることが出来る。内側から器を破壊するほどの凶悪な魔力。

 魔女とジュリアンの魔術がぶつかり合う。レーファレスを通した魔力が強烈な雷撃に変わり、魔女が現出させた黒い霧の槍と相殺し合う。正面から攻撃魔術をぶつけ合うそれは、もう魔術の相性など関係ない純粋な魔力と魔力の勝負だ。先に力を緩めた方が負ける。

 迷ったのは一瞬だった。契約したのはフィラを助けるためだ。ジュリアンがフィラを守るために戦っている以上、力を貸さないわけにはいかない。使われるそばから『気化』して出口を求める魔力に接続する。ティナが受け止められる限りは、これで魔力容量を増幅したのと同じ効果を得られる。

「人の身でそれに耐えられると思っているのですか?」

 全力のぶつかり合いの中で魔女が微笑む。

「全て捨ててしまえば良いのです。そうすれば……」

「黙れ!」

 怒鳴り返したジュリアンは、激昂したというよりは自分に気合いを入れ直したように見えた。精度を上げた魔術がじりじりと押され気味だった体勢を入れ替えようと、魔女の魔術の芯を狙う。

 そのときふっと魔女の放出する魔力から力が抜けた。忌々しそうに顔をしかめる魔女の魔術を跳ね返し、ティナが増幅した魔力容量までぎりぎり使い果たすくらいの出力でジュリアンは最後の魔術を叩き込む。

「仕方がありません。お前にもひとときの安らぎを……」

 魔術の奔流に呑み込まれながら、魔女は艶然と微笑んだ。雷撃の光が白く風景を灼き尽くす。魔女を構成する魔力も、それに呑み込まれてかき消された。

 光が収束し、荒れ狂っていた音と魔力が沈黙した後も、しばらく誰も動けなかった。防御結界を維持したままのカイとリサも、負傷して蹲ったランティスも、最後の一撃を全力で叩き込んだジュリアンも。

「やった……のか……?」

 負傷した腹部を押さえながら、ランティスが周囲を見回す。

「っぽい、ね」

 リサもそろそろと防御魔術を解除しながら緊張も一緒に解いていく。ジュリアンがほとんど崩れ落ちるように剣を杖にして蹲った。

「カイ君カイ君、ジュリアンよろしく。私ランティス治療するわ」

「あ、ああ」

 最初に気を取り直したリサにつられるように、カイも慎重に周囲の気配を伺いながらジュリアンへ近付いていく。カイが剣に縋るようにしてしゃがみ込んでいるジュリアンに竜化症の応急処置を施し始めたのを見て、ティナも竜素を現出させ、再び子猫の姿を取ってその足下に立った。

「まったく、無茶してくれるよね。吹っ飛ばされるかと思った」

 カイの治療を受けながら、ジュリアンが億劫そうに顔を上げる。

「死ぬわけにはいかないとか言いながら相討ち覚悟だったわけ?」

「お前が負荷を逃がしていてくれただろう」

 血の気が失せた顔をしながら、ジュリアンはゆっくりと立ち上がった。

「カイ、もういい。今回は竜化症の進行はほぼなかった」

「ですが……」

 不安そうに見上げるカイに、ジュリアンは宥めるように穏やかな微笑を返す。

「脅威は去った。それより城の結界の補修を頼む。リサは残された天魔の掃討を。ランティスはダストと僧兵を起こして怪我の治療をしてくれ」

 順に指示を下された騎士たちは、一様に複雑そうな表情で「了解」と答えた。

「あんたはどうすんの?」

 リサがランティスの傷口に手を当てながら顔だけをこちらに向けて問う。

「私は光の巫女を保護する。ティナ、そこまでは付き合ってもらうぞ」

「……いいけどさ」

 ため息を吐くティナを、ジュリアンは無造作に抱き上げた。

「カイ、後は頼む」

「……はい」

 頭を下げるカイに一つ頷いて、ジュリアンは玄関広間を後にした。その肩によじ登ったティナは小さくため息を吐く。

「フィラ、間に合ったみたいだね」

「そうだな。助かった」

 その返答に混じった安堵するような雰囲気に、ティナは思わずジュリアンの横顔を見上げた。その表情は相変わらず感情を押し殺した冷静なものだったけれど、もしかしたらこいつも意外と不安だったのかもしれないとティナは思う。

「フィラは無事だよね?」

「ああ。ただ……」

 微かに曇った表情にティナは全身を緊張させる。

「何だよ。もったいぶらずに言えよ」

 車庫に向かう歩調が妙に早足なのも不穏な何かを感じているせいなのだろうか。ティナの不安に、しかしジュリアンは首を横に振った。

「いや、フィラ自身には問題ない。ただ、リラの魔力が途切れた。また封印されてしまったのかもしれない」

「その状態でフィラが光の巫女だって証明出来るの?」

 証明できなければ、聖騎士団が望む光の巫女の後ろ盾という立場も手に入らないだろう。

「難しいな。だが、それで時間が出来るならそれはそれで助かる」

「時間……?」

「聖騎士団の立場はそれほど強くない。現段階でフィラが光の巫女だと確定してしまった場合、フォルシウス家に奪われないためにはかなりの努力が必要だ。証明までに時間がかかれば、その間に結婚を既成事実に出来る」

「既成事実って、お前フィラに手出すつもりじゃないだろうな」

 鋭く問いかけると、早足で歩くジュリアンの足が一瞬止まりかけた。

「……そういう意味じゃない。書類上だけの問題だ」

 何事もなかったようにまた淡々と歩き出すジュリアンに、ティナはうさんくさそうな視線を向ける。

「どうだか。お前……たぶんアレだよね。エステルが言ってた『悪い虫』」

 もうずいぶん前のことのような気がするが、バルコニーでフィラをからかっていたときのことを思い出していた。立場も責任もあるこの青年にとってはあれだって気まぐれで渡るには相当危ない橋だっただろうし、それ以上のことがあるなんて思いたくないが、釘は刺しておくに限る。

「否定……しきれないな」

 後悔と自己嫌悪がない交ぜになったような苦い表情でジュリアンは呟いた。自覚があるなら自制するだろうが、念のためもう一押ししておこうかとティナは口を開く。

「フィラを泣かせたら顔面十字に引っ掻いてやるから。覚悟しといてよね」

 言っている間に、ジュリアンは明後日の方角に視線をすっ飛ばした。

「なんで目を逸らすんだよ!」

 泣かす気なのかと盛大に騒ぎ立てるティナを肩に乗せたまま、ジュリアンは城の南東にある車庫へと向かう。

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