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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第二部 黒雨の章
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第三話 不確定要素の雨 File-6

 3-6 orbit


「……お前の中にある力は、たぶん、光の巫女の力だ」

 不自然にためらうような沈黙の後で、ジュリアンは言った。

「カルマが狙う理由として最も可能性が高いのはそれだ。瞬間転移の理由も、一応それで説明はつく」

「え……?」

 突然何を言われたのか理解しがたくて、フィラは呆然とジュリアンを見上げる。

「それ、えっと、リラの魔力を引き継いだっていう……」

「そうだ」

「地球の軌道を変えてしまった力、ですよね……?」

「そうだが、引き継がれた力は人間が抱えられる程度のものだから、そこまでは出来ない。引き継がれた分の力さえ、歴代の巫女で完全に使いこなせていた者はいない。お前の場合、使うどころか使われてるみたいだしな」

 そう言われてもまったく実感は持てない。まるで全然違う世界の話に聞こえるのに、自分のことだと思うと全身の力が抜けていくようだった。

「本当は確証を得てから言うつもりだったんだが」

 へたり込んでしまったフィラに目線を合わせるようにしゃがみ込んだジュリアンが、静かに言葉を続ける。

「フランシスさんが言ってたの、そういう意味、だったんですね」

 視察団が来た時に言われたことを思いだして呟いた。あの時はいろいろな情報を一度に詰め込まれて混乱していたし、光の巫女なんて雲の上の存在だと思っていたから意識の隅に追いやられてしまっていたけれど、ヒントはあったのだと思う。

「あれははったりだろう。あの段階であいつに確信があったとは思えない。お前や俺があの話題にどんな反応をするか見たかっただけだ」

 苦笑するジュリアンの表情には、何故か力が入っていないように見えた。

「でも……どうして私が……」

「なぜお前がそれを引き継ぐことになったのかは、俺にもわからない。先代の光の巫女は後継者として訓練を受けていたアースリーゼに力を引き継ぐことなく消滅ロストした。それ以来光の巫女の力は行方不明になっていたんだ」

「じゃあ、アースリーゼ様は……?」

「リラ教会が光の巫女の力を失ったなどと公言するわけがない。正式に光の巫女の力を引き継いだと偽って、彼女を巫女として立てているだけだ」

 以前ジュリアンが聖騎士団再興のために光の巫女に取り入るという手段があると話していたことを思い出す。フォルシウス家にとって危険だと判断されれば光の巫女であっても切り捨てられるという話は、アースリーゼが偽の巫女だったからなのだろうか。

「本物が現れれば、彼女と、彼女の後ろ盾であるフォルシウス家の権威は失墜する。代わりに本物を手に入れた者が力を手に入れるだろう」

 ――本物。

 この話が本当だとしたら、本物の光の巫女はフィラだ。性質の悪い冗談としか思えなかったが、こちらを真っ直ぐ見つめるジュリアンの瞳は真剣だった。

「お前を欲しいと思う人間は、これからいくらでも現れる」

「でもそれは、私が欲しいんじゃなくて私の中にある力が欲しいんじゃないですか」

 そんな行き場所が嬉しいはずがない。ジュリアンにもわかっているのだろう。彼の表情は苦しげだった。

「そうだ。そして俺も、その力を欲している一人に過ぎない」

 一瞬、迷うように外された視線は、すぐにさっきよりも強い決意を持ってフィラに向けられた。強すぎる視線は、わけがわからないままフィラを緊張させる。

「それを踏まえた上で聞いてくれ」

 いつも通りの冷静な口調だったけれど、なぜかジュリアンもフィラに負けないくらい――むしろそれ以上に緊張しているように思えた。つられるように鼓動が早くなっていく。魅入られたように、青い瞳から視線を逸らせない。

 やけに長く感じられた沈黙の後で、ジュリアンはようやく口を開いた。

「この戦いが終わったら、俺と結婚して欲しい」

 間近で見つめ合ったまま、時が止まる。何を言われたのか、脳が理解を拒否していた。

「……はい?」

 数秒後にようやく問い返した自分は、さぞかし間抜けな顔をしていたことだろう。ジュリアンは緊張を解くように視線を逸らしてため息をつき、またすぐにフィラを見た。

「もう一度言うか?」

 その調子がさっきのような緊張感を孕んだものではなかったせいか、フィラの思考もようやく回り始める。

「いやっ、良いです。えっと、政略結婚ってことですよね」

 視線を逸らし、早口で問い返した。自分でわかるくらい頬に血が上っている。目を逸らしていても、すぐ前に跪いたままのジュリアンがじっとこちらを見ているのがわかる。何だかわからないけれど妙に気恥ずかしくて、ジュリアンの前から消えてしまいたくなった。

「そうだ。必ず不幸にするだろうし、さんざん利用させてもらうだろうし、未亡人にしてしまう可能性も高いが、最終的にユリンに戻せるように努力したいとは思っている」

 冷静な声が何だか酷いことを言っている。いくら政略結婚だからって、必ず不幸にするとかプロポーズの段階で言う人がそうそういるだろうか。たぶん、嘘はついていないのだろうが。

「……酷いプロポーズですね……」

 正直な感想だった。

「最悪だな」

 当然のようにジュリアンも同意する。

 酷い話だと脱力しながら、フィラは心のどこかでほっとしている自分を感じていた。ジュリアンが欲しがっているものがフィラの中にある光の巫女の力だけだとしても、相手がジュリアンならば必要とされていることを嬉しいと感じてしまう。不幸になるのも未亡人になるのも御免だが、利用されるのは構わないと思う。

 でも、正直にそう言ってしまうのは気が引けた。

「他に選択肢はありますか?」

 答えは決まっているくせに尋ねていた。好意を悟られて重荷に思われるくらいなら、ユリンに戻るためだけに協力していると思われていた方がマシだ。

「他の選択肢など与えてやるつもりはないが、カルマに攫われるかフランシスと結婚してフォルシウス家につくか、どちらかなら、可能性としてはあり得る」

 魔女は論外として、フランシス・フォルシウスの得体の知れなさを思い出したフィラは思わず小さく呻いていた。どんな会話でも腹の探り合いにしかならなさそうで、三十分たりとも耐えられる気がしない。

「……団長以外に選びようがない選択肢で安心しました。お受けします」

「そうしてくれ」

 まったくかわいげのない返事だったけれど、答えるジュリアンの声にはどこか安堵したような気配があった。

「あの、ところで、もし私が光の巫女でなかった場合ってどうなるんでしょうか?」

 聞いてしまってから後悔した。ジュリアンの表情が、明らかに聞かれたくなかったと言いたげに曇っている。

「お前が光の巫女でもないのにカルマに狙われていて行き先がなく、そんな人間に俺がリラ教会の最高機密を漏らしてしまっていた場合、か」

 ジュリアンは視線を逸らして短くため息をつくと、ふっと遠い目をして笑った。

「そうなった場合、俺は裏切り者として暗殺されるだろうし、お前は記憶を洗浄されて放り出された挙げ句カルマに攫われる、という可能性が一番高い」

 絶句するフィラに、ジュリアンは半分やけっぱちみたいな妙に優しげな笑みを向ける。

「救いがないな。世を儚んで心中でもするか」

「……止めてください。縁起でもない。せめて駆け落ちとかにしましょうよ」

 どうせ逃げるならあの世よりこの世が良いと思ったけれど、だからって駆け落ちはどうなんだと言ってしまってから思った。さっきからプロポーズだの心中だの駆け落ちだのと言っている割りに、まったくロマンチックのカケラもない。

「その場合、俺を追ってくるのはダストだぞ」

「団長と一緒なら逃げ切れそうな気がするんですよね、一人よりはまだ」

「ダストとカルマ相手に逃げ続けるなんて死んだ方がマシだろうけどな。まあ、もしそうなったら責任取って付き合おう」

 軽い調子で重い約束をしたジュリアンは、ふと悪戯を思いついたような微笑を浮かべてフィラの髪を一房手に取る。

「どちらにしろ、生き延びることが出来たら、その時は俺の側にいれば良い」

「……な、何だか口説いてるみたいなんですけど……?」

 慌てて身を引いて髪の毛を取り戻しつつ、紅潮してしまった頬を誤魔化すように抗議の視線を送ってみたが、妙に楽しそうな笑みを浮かべたままのジュリアンは肯定も否定もしなかった。

「とにかく、今はカルマの襲撃からお前を守ることが先決だ。ダストとレイヴン・クロウが与えたダメージからカルマが回復するまで三日くらいはあるはずだが、こちらの準備を考えるとあまり余裕はないな」

 立ち上がったジュリアンが手を差し伸べる。その手を取って立ち上がりながら、フィラは心を切り刻むような不安や寂しさが薄れているのを感じた。

「俺はこれから二時間ほど結界の構築作業を行う。お前はその間、隣で仮眠を取っておいてくれ。昨日から寝てないだろう」

「はい。でも……」

 この忙しそうなときに、一人だけ寝ていても良いのだろうか。

「次はいつ睡眠を取れるかわからない。眠れる内に眠っておいた方が良い」

 少しだけ迷ったけれど、起きていたからといって何が出来るわけでもない。

「わかりました」

 素直に頷くと、ジュリアンは控え室への扉を開いてフィラを招き入れた。

「ソファしかなくて悪いが、目の届くところにいてもらう必要があるからな」

「大丈夫です。私、だいたいどこでも眠れますから」

「それは頼もしいな。ちょっと待て」

 隅のクローゼットから予備の団服を出して差し出してくる。

「寝具はないから、代わりに羽織っておけ」

「ありがとうございます」

 軽く頭を下げると、ジュリアンは小さく微笑んだ。

「じゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」

 ジュリアンが隣の執務室に消えるのを見送ってから、団服を羽織ってソファに寝転がる。まだ眠くないと思っていたけれど、横になった途端に眠気が襲ってきた。全身の材質が鉛に取り替えられたみたいに重い。思っていた以上に疲れていたようだ。ぶかぶかの団服に埋まるようにして、フィラはあっという間に眠りに落ちていった。


 夢を見た。

 一面に続くホログラムの白樺の森。新緑の柔らかな緑が、降り注ぐ明かりを優しい色に染めている。

 森には人工の雨が降っていた。結界内の湿度を調整するために、この森にだけ降る雨だ。白く輝く天井から降り注ぐ雨が、幻の木々をすり抜けて地面を叩く。ホログラムの木々は葉擦れの音さえも立てることはなく、ただ静かに立っているだけ。生き物の気配もない。上層部で暮らす光王庁の人々の目を楽しませるために作られた森には誰も入り込めない。フィラがここに入り込めるのは、魔力がないからだ。幼い頃から一緒に遊んでいたティナも、結界に阻まれてここには入ってこられない。

 たった一人で、フィラは森の奥へ進んでいく。誰かが待っている。雨傘を叩く雨が歌う。レインコートの下に抱えたアルバムには、フィラを引き取って育ててくれたピアノの師匠と一緒に巡った、世界中の写真が収められている。

 急ぎ足で歩きながら、フィラの心は弾んでいた。今日は何の話をしよう。

 旅先で見たサーカスの話。新しく覚えた遠い国の歌。ものすごく大きな滝のこと。

 今回の旅は長かったから、話したいことはいつもよりたくさんある。

 でも何よりも嬉しいのは、彼女に会えることだ。誰にも内緒。秘密の友だち。

 この森でしか会えない不思議な女の子は、幼いフィラにとってはおとぎ話の中から抜け出してきたお姫様のような存在だった。金色の髪の、天使か妖精みたいに綺麗な女の子。いつだってフィラの話を聞きたがってばかりの彼女は、自分のことは全然教えてくれなかった。だからこそ彼女は謎めいていて、フィラは本当に物語の中の登場人物か天使が人の姿を借りて現れたみたいに思っていたのだ。

 彼女が現実に存在している人間だなんて、わかってはいなかった。――あの頃は。

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