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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第二部 黒雨の章
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第二話 Live in a fool's paradise. File-5

 2-5 楽園の空


「ハァイ! フィラちゃん、お久しぶりー」

 やけに楽しそうな声と共にリサが現れたのは、ジュリアンが去ってから四半刻ほどたった頃だった。

「とりあえず、部屋にご案内しちゃうよ~」

 リサは華麗なターンを決めながら機嫌良く言う。

「フィラちゃんの部屋はね、フィアちゃんの隣にしといたから」

「し、しといたって……」

 ものすごく軽い調子で言われて、フィラは逆に不安になってしまう。

「まあ、フィアちゃんならフィラちゃんの異変に気付きやすいんじゃないかなっていうのもあってね。最適任者はジュリアンなんだけどさ、さすがに団長つけとく訳にもいかないでしょ?」

 それはまあそうだ。どうもリサに言われると軽く感じてしまうが、一応いろいろと考えられた結果なのだろう。

「今ジュリアンが踊る小豚亭に説明に行ってるんだけど、説明終わったらフィアちゃんと必要なものまとめて戻ってくる予定だから、着替えとかは心配しないで」

「ありがとうございます」

 リサに手招きされるままに立ち上がりながら、フィラは軽く頭を下げた。

「んで、ここにいる間のことなんだけど、ただいてもらうだけってのもなんだかなって思ってさ。ちょっと手伝ってもらいたいこととかあるんだけど」

 その提案は、フィラにとってもありがたいことだった。ただ保護されて食事を与えられているだけなんて、申し訳なくて耐えられそうにない。

「私に出来ることなら喜んで」

 勢い込んで答えたフィラに、リサは苦笑した。

「ありがとね。正直人手足りてなくって、実はかなり助けてもらっちゃうことになりそうなんだ」

 説明は歩きながら、というリサの言に従って、少ない荷物を持ったフィラは彼女の背を追う。

 石の廊下は静まりかえっていた。敷き詰められたカーペットに、二人の足音すら吸い込まれて消えてしまう。

「まず頼みたいのは食事の世話ね」

 静寂を破ることなど気にも止めずに、先を行くリサが話し始めた。

「専業の料理人はいるんだけど、一人だけだから毎日僧兵が持ち回りで手伝いしててさ。しかしこれがすこぶる評判悪くって。選任つけろってずーっと言われてたんだけど、それをフィラちゃんに引き受けて欲しいんだ。下ごしらえとか盛りつけとか手伝って欲しいんだって」

「それなら大丈夫だと思います。踊る小豚亭でもその辺りは任せてもらえてましたから」

 前を行くリサが急に華麗なターンを決めて舞い踊る。

「頼もしい! ありがたいね~。あとはフィアちゃんのお手伝いね。これは午後の二時あたりから薬品とかの在庫確認をお願いしたいって。毎日やれば三十分くらいの仕事らしいよ。空き時間はピアノの練習ってことで」

 解説しながら、リサは小さな木戸の扉を開いた。

「はい、ここがフィラちゃんのお部屋。フィアちゃんとことは続き部屋になってるから」

 部屋の配置はフィアの部屋と同じだった。今リサと共に入ってきた小さな木戸と向かい合うように、それよりもしっかりとした作りの扉。白漆喰の壁の片面は空の書棚で占められ、もう片面の壁際には簡素なベッドが置いてある。部屋の中央には折りたたみ式の机と椅子が一脚置かれていた。

「着替えはあとでフィアちゃんが持ってくる予定。ティナちゃんは本人の希望によって来るかどうか決めるって。お風呂は共同ね。後でフィアちゃんに案内してもらって。トイレはそっちのドア出て廊下を右に行った突き当たり。ほかに何か質問ある?」

「いえ、大丈夫、だと思います」

 部屋を見回し、必要最低限なものが揃っているのを確認したフィラは頷いてリサを見上げる。

「そか。じゃあ、しばらくゆっくりしてて。フィアちゃんは夕方には戻ってくるはずだから、それまでは自由時間ね。礼拝堂でピアノの練習とかしててもオッケーだから」

「はい。ご案内、どうもありがとうございます」

 フィラが頭を下げると、リサは照れくさそうに笑って手を振りながら部屋を出て行った。取り残されたフィラはとりあえずベッドに腰掛けてほっと息をつく。環境が大きく変わった中、これからどんな生活が始まるのか、ぼんやりとした不安が胸を支配していた。


 夕方まで暇を持て余したフィラは、リサに言われたとおり礼拝堂でピアノを弾いて過ごした。夕食の時間に部屋に戻ると、ちょうどフィアも戻ってきたところで、持ってきた着替えを部屋に置いた後、連れてきたティナと一緒に食堂へ案内してくれた。

 食堂は城内の他の場所と同じく重厚な石造りの広間だったけれど、人の出入りが多いせいか入り口も開け放たれたままで、どこか雑多な生活感が漂っていて親しみやすかった。

「朝食は朝礼の後、午前六時半から。昼食は十二時、夕食は午後七時からです」

 食堂の入り口で一週間の献立表を指差しながら、フィアは丁寧に説明してくれる。メニューは各国のものが取り揃えられていて、かなり豊富だった。

「午前六時までに来て、裏の勝手口で制服に着替え、当番の僧兵に身体検査を受けて食事の準備を開始してください。厨房には私物は持ち込めません。料理の仕込みや配膳については、その都度料理長から指示があると思います」

 そこまで硬い口調で説明した後で、フィアはふっと微笑む。

「でも今日のところは食べる側ですから。受け取るときに軽く挨拶しておくと良いと思いますよ」

「うん。そうする」

 フィラも肩の力を抜いて笑い返し、フィアの後に続いて食堂へと入った。

 セルフサービス形式の食堂は、入って左側がカウンターになっている。カウンターの向こうは硝子張りの棚になっていて、中に作り置きの小皿料理が並んでいた。入り口のすぐ脇に置いてあったトレイを手に取り、フィアはカウンターの方へ向かう。

「あらせんせ。今日は早いのね」

 カウンターの奥、棚が途切れた部分は厨房と繋がっている。硝子で仕切られたそこに立っていた男性が、野太い声と妙に女性らしい話し方で声をかけてきた。

「こんばんは、ダレルさん」

 フィラには料理名のわからない、和食らしい小鉢をいくつかトレイに取ったフィアはカウンターの男性に微笑みかける。

「こちらは姉のフィラ・ラピズラリです。明日から厨房の手伝いに入る予定なので、ご挨拶も兼ねて少し早めに来たんです」

「まあまあ」

 カウンターの男性がフィラに視線を向ける。麦のような金髪を短く切り、薄茶色の瞳に薄い色つきの眼鏡をかけた、かなり体格の良い男性だった。白いコックコートにコック帽の料理人らしい服装をしているが、黙って立っていれば屈強な戦士にしか見えない。

「先生のお姉さんなら期待できるわね。アタシ、ジェフ・ダレルって言うの。よろしくね、フィラちゃん」

 しかしその口から繰り出されるのはどう聞いても女言葉だ。

「あ、その、こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」

 予想外のことにしどろもどろになるフィラに、ジェフ・ダレルと名乗った男性は硝子越しに微笑みかけた。

「安心して。アタシ、女の子には優しくする主義だから」

「お料理には厳しいですけどね」

「せんせ、今日は何にするの?」

「和風定食で」

 硝子に張り出された数多いメニューには目もくれず即答したフィアに、ジェフは苦笑する。

「あなたいつもそれねえ。まあ、和食は栄養バランス良いからいいけど」

 硝子で仕切られた食堂と厨房を繋ぐ回転テーブルを回して、ジェフが彩りのきれいな和食が並んだお膳をフィアに差し出す。一方向にしか回らない回転テーブルは、厨房に戻る方向は硝子で遮断されていて、厨房に私物は持ち込めないとか身体検査が必要だとか言われていたとおり、食堂側から何かを渡すことは不可能になっているようだ。

 で、あなたはどうするの? とジェフが指し示したメニュー表を睨みながら、フィラは十数カ国の料理の中から馴染みのある料理名を探し出して注文した。


 フィアと向かい合っての食事は、何だか不思議な感じだった。フィアはユリンの町でのフィラの日常生活について聞きたがり、フィラが尋ねたときだけ少しずつ自分のことも話してくれた。

 治癒魔術への適性と一度記憶したことは二度と忘れない記憶力のおかげで、若くして聖騎士団に入れたこと。中央省庁区にいた頃は軍部で治癒魔術と医学を専攻していたこと。

 フィアの話にはフィラにはわからない単語が数多く出てきたし、フィアはフィラがわかっていないと気付いていながら説明してはくれなかった。それでもフィアがそこで友人と呼べるような人と過ごしたり、自分なりに目的と目標を持っていろいろなことを学んでいたのだということは伝わってきたから、フィラは聞いて良かったと思う。血の繋がった家族と呼べる唯一人の存在なのに、フィアのことはまだどこか遠く感じてしまう。フィアとすぐ近くで生活できるせっかくの機会なのだから、少しずつでもフィアのことを知って距離を縮めたかった。

 そんな風に喋りながら食事をしていたせいで、食べ終わるまでにいつもよりも長くかかってしまった。ティナはずっとフィラの隣の席で丸くなったまま一言も喋らなかった。


 食事の後は風呂だった。フィアは夜の連絡会があるから空いている今のうちに入ってきてくれと、場所だけ教えてどこかへ行ってしまった。フィラは部屋に残ると言ったティナを置いて、一人でタオルと着替えを持って浴場へと向かう。浴場は礼拝堂から城を挟んで反対側の位置、今までフィラが足を踏み入れたことのない区画にあった。浴場へ続く廊下へ入ると、ほの暖かい湯気の気配が全身を包み込む。湿気があるせいか廊下には他の場所と違ってカーペットも敷かれておらず、石の廊下に足音が響く。フィアが空いていると言ったとおり、人の気配はなかった。

 鍵付きロッカーの並んだ脱衣室ももぬけの殻で、フィラは落ち着かない気分で服を脱ぎ、タオルを身体に巻き付けながら浴場へ入っていく。大理石作りの、ギリシアかローマの遺跡のような浴場は広大で、奥の方は湯煙でよく見えないくらいだ。

 別れる前にフィアに教えてもらったとおり、先に身体を洗ってから湯船に入ることにした。誰もいないとわかっていても、共同浴場は初めてなので妙に緊張する。音の響く浴場には、湯船に流れ込むお湯の音だけが響いている。

 出来るだけ手早く身体を洗って湯船に入り、ほっと息をつく。この湯船というものも馴染みがない。踊る小豚亭では、たらいにくんだお湯で身体を洗うくらいだったし、それ以前の記憶はない。でもこうやって広い湯船でのびのびとお湯に浸かるのは確かに気持ちが良かった。

「あら」

 ふいに背後から平坦な呟きが聞こえて、フィラはびくりと身体を震わせながら振り向く。誰も来ないと思っていたので、明らかに油断していた。

「こんなところで会うなんて、奇遇ね」

 振り向けば、入り口のすぐ近くにダストが立っている。ダストは軽くかけ湯をかぶると迷いのない足取りでフィラの隣へ入ってきた。化粧を落としてもその鋭い印象は変わらない。思わずその動きを目で追っていたフィラは、ダストが身体を隠していたタオルを外した途端はっと息を呑んだ。

「気になるの?」

 ダストに問われて慌てて目を逸らす。きめの細かいダストの肌の、胸の辺りだけが何故か漆黒に染まっていた。何だか見てはいけないものを見てしまった気分になる。

「竜化症よ。知ってる? 竜化症がどんなものか」

「は、はい。一応……」

 以前フィアが説明してくれた。竜化症の症状で一番わかりやすいのは、身体の一部が竜素という物質に変化していくことだと。ダストの胸部は確かに光をまったく反射していないような漆黒に染まり、虹色の細い光がそこに幾何学的な模様を浮かび上がらせている。これがフィアが言っていた竜素というものなのだろう。

「あなた、記憶喪失だったはずよね? 誰かに聞いたの?」

 ダストは胸元を隠しもせずにフィラの顔を覗き込んできた。

「え……と、それは……」

 フィアが話してくれたことは、決して話して問題がない内容ではなかったと思うから、フィラは口ごもりながら逃げるようにさらに視線を逸らしてしまう。

「まあ良いわ。だいたい想像はつくから」

 ダストは皮肉げに微笑してフィラから少し体を離した。

「こういうのを見るのは初めて?」

「たぶん……」

「触ってみる?」

 何か反応する前に手首を掴まれる。そのままダストは、フィラの手を自分の胸に押し当てた。湯に浸かっているはずなのに、外気に触れたようなひやりとした感触が手のひらに沁みる。

「冷たい……」

「竜素は通常のエネルギーを受け付けない。湯に浸かっても暖まることはないのよ」

 呆然とするフィラの手を放して、ダストはどこか自嘲するような笑みを浮かべた。

「見ていて気持ちの良いものじゃないでしょう? だから人がいない時を狙って来たんだけど。あなた、タイミング悪いわね」

「すみません……」

「謝ることないわ」

 俯くフィラにダストは軽い調子で首を振る。

「あなたがここにいる理由は聞いてる。魔女に追いかけられて逃げてきたんでしょう?」

「はい。夢の中で……」

「夢かどうかなんて、大した問題じゃないわ。真実を見せてやるって言われたそうだけど、見えたの?」

 手持ち無沙汰なのか両手でお湯をすくい上げながら尋ねかけてくるダストに、フィラもなんとなく水面を撫でながら首を横に振った。

「わかりません。見えたのは、知らない風景ばかりで……記憶を失う前に見たものかも知れませんけど、私は……何も思い出せなくて」

「そう。じゃあ、推測で良いわ。それ、どこの風景だと思う?」

「どこって……ユリンではないですよね」

 ダストの手からこぼれ落ちたお湯が、軽い水音を立てる。

「どうしてそう思うの?」

「空が……空の色が、全然違っていて……」

「そう」

 うっすらと微笑むダストの顔色は真っ白で、彼女自身も熱を受け付けていないように見えた。

「でも、空の色なんて世界のどこだって同じだと思わない? 天気が悪いだけだとは思わなかったの?」

「どういう意味、ですか?」

 本当は聞きたくない。ダストが自分に何を求めているのかわからないけれど、それは魔女が見せようとしたものと同じような気がした。

「気付いてるんでしょう? ユリンは外界から隔絶された町だって。外の世界とは空の色さえも違う。そういう場所なんだって」

 聞きたくない。聞くのが怖い。暖かなお湯に浸かっているのに、指先が冷たくなっていく。

「ここは竜化症の治療施設なのよ。竜化症の影響で記憶障害を持つようになってしまった人々を集めているの。あなた以外の人はみんな望んでここにいるのよ。自分が魔術を使えるということすら忘れて、いつか竜化症が治るかもしれないという、儚い望みに希望を託して」

 ダストは淡々と言葉を続ける。

 信じられないような話だけれど、今までのことを考えれば腑に落ちる。ユリンの人々が誰もここに来る以前の記憶を持っていないのも、ここから出たいと思わないのも。

 ――昔々、魔法使いが魔法をかけて、あたしたちをこの町に閉じこめた。その魔法を破って町を出ると、不幸になってしまう――

 いつかエディスが話してくれた言い伝えを思い出す。

 魔法。なぜ空を飛んではいけないのかと尋ねたとき、ジュリアンは「魔法が解けてしまうから」だと答えた。ウィンドの答えも同じだった。

 ――そう。それは大切なものを失わないための魔法。忘れるための魔法。そして思い出すための魔法。いつかは解ける魔法。いつか……本物に変わるための魔法――

「竜化症の進行は患者の精神状態にも左右されるから、こういう処置をしているの。外の世界がいかに厳しい状況かを忘れさせるために、記憶を消して、空の色だって変えている。本当はこの世界に青空なんてない。あなたがユリンの中で見ている空は、偽物なのよ」

 それが「魔法」なのだろうか。いつか、本物に変わるための――

「どうして私にそんな話を……? 話しても良いことなんですか?」

「だめに決まってるじゃない」

 ダストの返答はあっさりしたものだった。

「あなたには期待しているのよ」

「期待……?」

「そう。それも儚い望みだけどね。でもあなた、どうやら勇敢な人間みたいだから」

 こちらを見つめるダストの瞳に、どこか親しげな気配が灯る。

「勇敢でなければ、あの男には踏み込めない。少なくとも私には無理よ。だからあなたに期待することにしたの。あなたの妹も勇敢よね。フランシス・フォルシウスに対する態度を見ていて思ったわ。それに、あの経歴で聖騎士団に乗り込んでくる度胸も大したものよね」

「あの経歴って、どんな……?」

 ダストは一瞬迷うように視線を動かしてから肩をすくめた。

「その話はやめておくわ。私から言うことじゃない気がするから。そろそろのぼせそうなんじゃない? 出た方が良いわ」

 冷え冷えとした心地なのでちっとものぼせそうな気はしなかったけれど、フィラはその言葉に従うことにした。少し一人になって考えをまとめたかった。

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