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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第一部 晴雨の章
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第一話 飛べなかった飛行機の話 File-4

 1-4 ピアノ弾きのラピズラリ


「ピアノ弾きのフィラ・ラピズラリ、だって?」

 アンチョコ片手に部屋の半分以上を占める大きな魔法陣を白墨で描きながら、ランティス・セルバリウスは眉根を寄せた。

 魔法陣を描く邪魔になる飛行機の部品やエンジンは、壊さないように注意を払いながら部屋の隅にどけてある。部屋を照らすのは、ジュリアンが呼び出した安定魔力光の無機的な白い光だ。

「知ってるのか」

 まさかそういう反応が返ってくるとは思わなかったジュリアンは、魔法陣を描く手を止めて向かいにいるランティスを見る。

「二年前、ピアニスト、フィラ・ラピズラリ……ね。ああ、知ってるぜ。まあ、まず間違いねえとは思うが」

 ランティスは意味ありげな調子で言葉を切った。

「記憶喪失の理由も、恐らく、な」

「どういう意味だ」

 ランティスは無言のままポケットから携帯端末を取り出し、投げてよこす。ちょうど手のひらに収まる大きさに二つ折りになったそれを開いて、『フィラ・ラピズラリ』の名で検索をかけた。ジュリアンが過去の新聞記事を閲覧している間に、ランティスはさっさと魔法陣を完成させていく。

「……なるほどな」

 ランティスが魔法陣の全容を描き終わった頃、ジュリアンはかちりと音を立てて携帯端末を折りたたんだ。

「彼女が自分で記憶を封じた可能性もあると考えられるわけか」

「ああ、時期的に一致してっからな。……思い出させんのか?」

 ランティスが気遣うような声音で問いかける。ジュリアンは返答を一時保留し、描き上がった魔法陣に己の魔力を流して場に『定着』させた。

 必要なだけの魔力を流し終えてから、ジュリアンは顔を上げて首を横に振る。

「……いや。このままで良いだろう」

 ランティスが何か言いたげに身じろぎするのを遮って、ジュリアンは魔法陣の中に一歩踏み出した。

「どうせ、魔法はいずれ解ける」

「それまで時間をやるって? ……お優しいことで」

 ランティスは大げさに肩をすくめながら、手近にあった四気筒エンジンを載せた台車に手をかける。

「……優しい、ね。さて、どうなんだろうな」

 ふと瞳を伏せながら、ジュリアンは低く呟いた。

「どうした?」

 台車を魔法陣に押し込んだランティスが半分心配そうに、半分興味深そうに顔を覗き込んでくる。

「別に」

 短く答えて瞳を閉じた。魔法陣に組み込まれた術式を順に呼び出して、接続先の座標を探る。魔法陣を描く線の上を紫色の魔力光が走り、術式が作動すると同時に青、緑、黄色を順に経て赤に達し、蒸発するように消える。

「繋がったか?」

 魔力光が収まったのを見てランティスが訊ねた。

「ああ」

 ジュリアンは短く答え、壁際にどけてあった飛行機の部品や模型に歩み寄る。

「よくわかんねえが、なんか上手くいきそうだよな、この飛行機」

 エンジンの周囲に丁寧に周りにあったものを寄せ集めながら、ランティスが呟いた。壁から額縁に入った製図を取り外しながら、ジュリアンも深く頷く。

「ラドクリフがほとんど仕事をしていないことは知っていたが、これほど進んでいたとは意外だった。あと二月も遅れていたら、彼は空を飛んでいたかもしれないな」

「そんなことやっちまったら追放だってのにな……」

 ランティスはため息をつき、製図机の上に登って天井からつり下げられたプロペラを取り外した。

「ランティス、今気づいたんだが」

 あらかた片づけ終わった部屋の中を見回しながら、ジュリアンは埃に汚れた手をはたく。

「フィラ・ラピズラリが自分で記憶を封じたと考えた場合、一つ問題がある」

「あ?」

 天井から外し終えたプロペラやら模型飛行機やらを製図机の上に並べていたランティスは、手を止めてこちらへと視線を上げた。

「無意識に魔術を使う可能性があるのはある一定以上の魔力を持った者だけだが、彼女の魔力は強くない。というか、無い」

 たぶん驚くだろうな、と期待を込めて、ジュリアンは爆弾を投下する。ランティスは期待に違わずあんぐりと口を開け、目を見開いた。

「……は? マジかよ? だって、転移するんだろ?」

 声までひっくり返っている。

「そうだが。それでも、魔力はない」

 両腕を組みながら、ジュリアンは必要以上に重々しく頷いた。

「……変じゃねえか?」

「ああ、変だ」

「なんかほかに言うことないのかよ?」

「別にない」

「あっ、そう」

 ランティスは半眼で頷き、最後の模型を机の上に並べる。

「それで終わりだな?」

「うし、じゃあ、送ってもらいましょうかね」

 頼んだぜ、と軽い口調で言って、ランティスは部屋中の物品が積み上げられた魔法陣の中から退いた。


 居間にいるフィラとカイの間には、何とも重苦しい沈黙が漂っていた。隣の部屋から聞こえていた物音がやんでしまって、沈黙はますます重さを増すばかりだ。カイは暖炉の前で右足に重心をかけて両腕を組んで立ち、難しい表情のままさっきから微動だにしない。バルトロも目を覚まさない。

「……あの」

 フィラが意を決して口を開いたところで、タイミング良く隣の部屋に通じる扉が開けられた。

「団長、終わりましたか?」

 カイが明らかにほっとした様子で組んでいた腕をほどき、姿勢を正す。

「ああ。とりあえず、飛行機械に関連すると考えられるものはすべて本部に送っておいた」

 扉を開けて入ってきた金髪の青年は、儀礼用の白手袋をはめながら頷いた。

「それでは……」

 カイは困惑したような視線をフィラとバルトロに向ける。ジュリアンとその後ろから現れたランティスも感情の読み取れない視線をフィラに向けるので、フィラは落ち着かない気分で身じろぎした。

「ともかく、口止めだけして今日は帰ってもらった方が良いだろうな」

 ジュリアンがやや投げやりな口調で決定を下し、カイに向き直る。

「カイ、送っていってくれ。もうだいぶ暗い」

「はい」

 すぐさま頷いたカイの視線に、一瞬不満げな光が過ぎったのに気づいてしまって、フィラは思わず一歩踏み出した。

「結構です。私、一人で帰れます」

 ジュリアンが視線だけをこちらに向ける。その視線に促されるように、フィラは必死で別の理由をひねり出した。

「それに……それに、バルトロさんの所へ行った私をカイさんが送るって変じゃないですか」

「それもそうだな」

 あっさりと納得したジュリアンは、たぶんフィラと同じくカイのわずかなためらいに気づいていたのだろう。

「だ、だから、良いです。それより、バルトロさんをお城へ連れて行くって……」

 さっきまで敵対していたはずのジュリアンと微妙に結託している状態が居心地悪くて、フィラはさっきの話を蒸し返した。

「城で話をする必要がある。その後のことは彼自身が決めるだろう」

 ジュリアンは言いながらバルトロに歩み寄り、その額に手をかざした。続いて唱えられた呪文に、バルトロがふっと瞳を開く。ジュリアンが数歩身を引くと、バルトロも操り人形のようにふらりと立ち上がった。足取りの定かでないバルトロを、いつの間にか近くに来ていたランティスが脇から支える。

 そのまま三人がバルトロを連れて引き上げ始めたので、フィラも続いて裏口から外へ出た。裏口へ続く工房は、何が起こったのかほとんど空っぽになっていて、足音の響き方まで虚ろになってしまったみたいだった。

「あの……!」

 裏口を出てすぐの石段を登ったところで、フィラは思い切って声を上げる。先を行く四人が立ち止まり、ジュリアンが一瞬間をおいてから振り返る。

「フィラ・ラピズラリ」

「は、はい」

 改めてフルネームで呼ばれ、フィラは手放すタイミングを逸したままのノートを両手で抱きしめながら背筋を伸ばした。

「お前が案じる必要はない。結論がどうであれ、三日後には一度ここへ戻ってもらうが、その後のことは彼自身が決めたことに私たちも従う。それと、重ねて言うが今日のことは他言無用だ。他人を巻き込みたくないならな。――行くぞ」

 ジュリアンに促されて、カイとランティスが夢遊病者のような足取りのバルトロを連れて歩き始める。

 フィラは思わず一歩踏み出し、呼びかけようと口を開いていた。

『領主様』なんて絶対呼びたくない。でも、名前で呼ぶなんてチャレンジャー過ぎる。

「……だ、団長!」

 思い立って呼んでみた呼び名は、さっきカイが使っていたものだ。

「何だ」

 まだ何かあるのかとうんざりした様子で振り向くジュリアンに、フィラはできるだけきっぱりと宣言する。

「私、あなたのこと信用なんてしませんから! いくら、カイさんの言うことでも……!」

「別に、俺を信用する必要はないさ」

 再びこちらに背を向けながら、ふとジュリアンの横顔に陰が差す。苦しげに眉根を寄せた表情は、怒っているふうではなく、なぜか寂しげなものに見えた。錯覚だろうかと思う間もなく、ジュリアンは台詞の続きを口にする。

「お前は余計なことさえ口にしなければそれで良い」

 風に乗って届いたつぶやきは、ひどく冷淡な声音だった。


 三日後、戻ってきた左官屋は、飛びたいという願いも、新しい領主と何を話していたのかも覚えていなかった。

 工房の飛行機や図面もすべて撤去されていたから、バルトロが注いだ夢の痕跡はどこにも残っていない。

 ただ一つ、フィラがあのまま持ち帰ったノートを除いては。

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