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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第一部 晴雨の章
47/195

第七話 誰が雨を降らすのだろう File-1

 7-1 雨が好きな女の子


「なんで! よりにもよって今日! 雨なのよー!」

 ソニアの絶叫が、教会前の広場に響き渡った。

「昨日はよく晴れてたのにねえ」

 レックスののんびりとした口調にも、残念そうな響きが混じる。

「あーあ、もう。せっかくお弁当作ってきたのに……」

 ソニアは傘の下から恨みがましく曇天を見上げた。

「外で食べるのは無理そうだね。今日は中止にする?」

「まあ、このお天気じゃ仕方ないし……」

 フィラの提案に、ソニアは渋々頷く。

「この雨じゃ、惑いの泉だって水たまりに紛れて見つからないだろうからね」

 レックスも重々しく同意して、三人は踊る小豚亭に戻って昼食にすることに決めたのだった。


 フィラとソニアとレックスの仲良し三人組は、ピクニックを計画して集まったところだった。今回の目的は、ユリンの南にある惑いの森のどこかに湧き出ているという、惑いの泉を探すことだ。惑いの泉は常にその居場所を変化させていて、いつどこで行き会えるかわからないという不思議な泉で、その泉の水を飲めば、何でも一つ願いが叶う、という伝説がまことしやかに囁かれている。危険な獣の侵入によって久しく立ち入り禁止になっていたユリンの南にある惑いの森が、つい最近聖騎士団の掃討計画を経て開放されることになったため、探しに行こうとソニアが言い出したのだ。

「楽しみにしてたんだけどなあ」

 踊る小豚亭へ戻る道すがら、フィラと一緒に傘に入っていたソニアが天を仰いでため息をつく。

「本当、残念だったね」

 頷くフィラの肩の上で、ふいにティナが身体を起こした。不思議に思ったフィラが歩みを止めた瞬間、ティナは急に肩を飛び降り、脇道へ走っていってしまう。

「あ! ティナ!」

 フィラは持っていた傘をソニアに押しつけると、慌ててその後を追いかけた。

「ごめん、先行ってて!」

 走りながら振り向いて、唖然としているソニアとレックスに呼びかける。

「手伝おうか?」

「傘くらい持って行きなさいよ!」

 答えるレックスとソニアに、「大丈夫」と返事をして、フィラはティナが消えた脇道へと飛び込んだ。


 ティナのしっぽが曲がり角に消えるのがちらりと見えた。一体何をそんなに急いでいるのか、フィラは不思議に思う。何か事情があるのだろうか。思わず追いかけてきてしまったけれど、もしかして放っておいた方が良かったのだろうか。

 考え込んでいるうちに、フィラは立ち止まったティナに追いついていた。

「いったい何の用?」

 細い通路の奥の暗闇に向かって、ティナは問いかけている。

「ティナ、どうしたの? 急に……」

「ウィンドだよ。僕を呼んだんだ」

 フィラが呼びかけると、ティナはため息混じりに振り向いて答えた。

「ウィンドさんが?」

「でも、もう消えた」

 ティナは納得いかないと言いたげに首を振ると、フィラの右肩に飛び乗る。

「……何だったんだろう?」

「さあね」

 ティナは不機嫌に呟くと、フィラの肩の上で丸くなった。

「さっきの通りに戻るより、教会前の広場を通って帰った方が早いかな?」

 フィラは軽く首を傾げると、来た道と直角に交わる角へ足を向ける。細い小路をいくつか抜ければ、踊る小豚亭にほど近い教会の前に出るはずだ。


「げ」

 教会前広場に出た途端、ティナが小さく呻いた。

「僕、先に帰ってるよ。いろいろうるさく訊かれるのも嫌だし」

「うるさく訊かれるって……?」

 フィラの言葉を待つことなく、ティナはさっさとフィラの肩を飛び降りて走っていってしまう。

「さっきから一体何?」

 一人置いて行かれたフィラは、呆然と立ち尽くしながら深いため息をついた。

「何だかなあ、もう……あ」

 ため息混じりに何気なく広場を見渡して、フィラはティナが逃げていった理由を見つけた。広場の中心に据えられた、天使を象った噴水の脇に、彼は立っていた。

「……団長」

 フィラが気付いたのに一瞬遅れて、ジュリアンもこちらに目を向ける。立ち去るタイミングを逃したフィラは、微かな緊張を覚えながらジュリアンへ歩み寄った。

「団長……風邪、引いちゃいますよ」

 パーティーの時のもろもろを思い出して、いつもより控えめな声のかけ方になってしまった。しかし、本来はこちらの方が適切な態度なのかもしれない、とも思う。相手が貴族で自分が平民なら。なんかもう、今さら過ぎてどうしようもない感じではあるのだけれど。

「お前こそ、濡れてると禿げるぞ」

 自分で声をかけておきながら物思いにふけりかけていたフィラの耳に、聞き捨てならない単語が飛び込んできた。

「は、禿げ!?」

 慌てて両腕で頭をかばう。しかし既に濡れ鼠なこの状況では、確実にムダな抵抗だ。

「……冗談だ。ここの雨なら、禿げないさ」

 本降りの雨に濡れそぼった聖騎士団団長は、そう呟くとフィラから視線を逸らして空を見上げる。

「何なんですか、禿げるって。そういう迷信でもあるんですか?」

 一気にいろいろ馬鹿馬鹿しくなって、フィラは大げさなため息をついた。

「ああ、いや、何と言うか……」

 ジュリアンは空を見上げたまま言いよどみ、雨に濡れて束になった前髪を掻き上げる。

「そういえば、前に外の雨は性質が良くないとか話してましたっけ。外の雨に当たると禿げるんですか?」

 ジュリアンは再びフィラに視線を向け、軽く目を瞠った。

「そんなこと話してたか? よく覚えてたな」

「どうして雨のことを気にするんだろうって、ちょっと引っかかってたんです」

「ふうん。今日は出かけてたのか?」

 ジュリアンは気のない様子でまた空を見上げる。

「あ、はい。ピクニックに……行く、予定だったんですけど」

 ワンテンポ遅れて空を見上げたフィラは、顔にぶつかってくる雨粒に目を細めた。

「この通り降って来ちゃったから、今日は中止です。また今度にしようって」

「それは運が悪かったな。どこへ行くつもりだったんだ?」

 尋ねかける横顔は、少し顔色が悪い。ちらりと盗み見たフィラは、この状況に奇妙な感覚を覚え始める。

 雨に濡れながらのんびり世間話。奇妙だ。相手の体調があまり良くなさそうなら、早めに切り上げるべき状況だろう。

「惑いの泉です。惑いの森の、どこに現れるかわからない泉。見つけたら願い事が叶うって噂があって、ソニアやレックスと探してみたいねってことになって……惑いの森、最近ようやく入れるようになったから」

 それでもとにかく、質問には答えてから、またちらりと顔色を窺う。

「そうか。まあ、あそこなら当分は大丈夫だな」

 ジュリアンは半分独り言のように呟いて、突然フィラに正面から向き合った。こっそり見ていたつもりのフィラは、いきなり目が合ってしまって凍り付く。

「延期するなら四日後にしとけ」

「え? 延期? ですか?」

「四日後なら快晴だ。それまでは降ったり曇ったりだが」

 なんでそんなことがわかるんだろう。

「天気予報、ですか?」

 ウィンドさんみたいに占いとか言い出したらどうしよう、と思いながら小首を傾げる。

「ああ、まあ、そんなようなものだな」

「団長の予報、当たるんですか?」

 用心深く小声で尋ねると、ジュリアンはごく平然とした態度で頷いた。

「ここの天気なら、大概は」

「わかりました。じゃあ、四日後にします」

 言葉の調子で、なぜわかるのかは聞いても教えてもらえなさそうだと判断して、フィラはただその事実だけを受け入れることにする。

「……あれ? でも、だったらどうして団長も濡れてるんですか? 予報が当たるんだったら、今日雨が降るってこともわかってたってことになりますよね?」

 尋ねながら前髪を掻き上げると、指の間を幾筋もの水が伝っていった。どしゃ降りと言うほどの雨ではないけれど、長時間打たれていればやっぱりずぶ濡れだし身体も冷えてくる。

「雨が降ることは知っていた。濡れてみたかったんだ。昔……雨に打たれるのは気持ちが良いとか言ってた奴がいて……」

 ジュリアンは半分独り言のように呟きながら、また視線を空の彼方へ投げた。

「気持ち良いですか?」

 空へ向かった横顔を見上げながら、フィラはだんだん心配になってくる。やっぱり体調が良くないとしか思えない。決して良いとは言えない顔色。それ以上に、無表情なのに妙に無防備に見える、普段の彼からはなかなか想像し難い表情が。

 そういえば、パーティでフランシスと話していた後――つまり、バルコニーでいろいろあった直前にも、同じような表情をしていた。

「いや……そうだな……どうなんだろう?」

 そんな表情をしている自覚があるのかないのか、ジュリアンはぼんやりと灰色の空に視線をさまよわせる。

「まあ、思っていたより気持ち悪くはない、と思う」

「なんだか歯切れ悪いですね」

 果たして自分は今ここに存在していて良いのだろうかと落ち着かない気分になりながら、フィラは小さく呟いた。

『昔』『言っていた奴がいて』。

 過去形で語られる言葉。

 隣にいるのが誰なのか、彼はちゃんとわかって話しているのだろうか。熱とかあったりするんじゃないだろうか。

 不安げなフィラの視線を頬に受けながら、ジュリアンはふっと目を細めた。

「……そろそろ気温が下がる。帰った方が良いな」

 呟いてからフィラへ向き直り、まるでたった今夢から覚めたばかりみたいな表情で瞬きをする。

「送るか?」

「いえ、大丈夫です。それより、団長も早く帰って着替えた方が良いですよ。濡れっぱなしで冷えると、本当に風邪引いちゃいますなら」

 案じる気配を感じ取ったのか、ジュリアンは苦笑いを浮かべた。

「そうだな。気をつけて帰れよ。あと、訛りは直せ。今は良いが、また外から人が来ると厄介だ」

「普段はもっと気を付けてるんですけど……」

 親しい人相手だと気が緩んでしまうのだと付け足そうとして、フィラは思わず息を呑む。

 ――今何と? 親しい人? 親しい人!? 一体誰が!?

「どうした?」

 内心パニックに陥っているフィラに、ジュリアンが不審そうな声を上げる。

「えっ、あ、いえ! 何でもないです! それじゃ、失礼します。団長もお気を付けて!」

 明らかに不自然な速度でターンを決めて、フィラはぎくしゃくと歩き始めた。

 数歩行ってから、つっこみがないことを確認するように恐る恐る振り返って見る。ジュリアンはまた空を見上げていた。何かを待っているようにも、空へ帰りたがっているようにも見える。何かに焦がれるような横顔に、フィラは視線を奪われる。

 その瞳が見つめる、灰色の空。広いはずなのに、なぜかひどく狭く感じられる空。

 ――どうして?

 胸の奥が、ふいに締め付けられるように痛んだ。思わず胸を押さえて前屈みになってしまうくらい、明確な痛みだった。

 理由なんてないのに苦しい。息が詰まる。こんなはずじゃないのに、と、心のどこかが訴えている。

 灰色の空。違和感。四日後は晴れ。

 ――そうだ。

 目を閉じて考える。瞼の裏に浮かぶ、何かを待ち焦がれているようなジュリアンの後ろ姿。その向こうには灰色の空。彼もきっと待っている。青空を――四日後の快晴を?

 違う。青空を、待っている。

 ――それは一体、どういう意味?

 混乱した自分自身の思考から逃げ出すように、フィラはジュリアンに背を向けた。

 待っている――青空を、青空を、青空を。

 言葉だけが頭の中で空回りしている。自分で自分の思考が制御できない。自分が考えていることの意味がわからない。

 そのこと自体がひどく恐ろしく思えて、フィラはすべての思考を振り払うように、全速力で石畳の道を走り始めた。

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