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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第一部 晴雨の章
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第六話 Dance on the balcony. Dance with the half moon. File-6

 6-6 天魔


 手すりに寄り掛かったまま月を見上げていたジュリアンが、不意に体を起こした。短くなった煙草を素早く携帯灰皿に放り込む騎士の姿を、ティナは不審げに見上げる。そのままつられるように体を起こして何か尋ねようとする前に、広間からランティスが飛び出してきた。

「おいジュリアン、ヤベぇぞ、シャレんなってねえぞ」

「わかっている。数は?」

 いささか取り乱した様子だったランティスは、落ち着き払ったジュリアンの声にいつもの調子を取り戻す。

「推定三十体。すべてEランクの天魔だ。正門から十、裏から二十。正門は僧兵が食い止めてる。裏はまだ距離がある」

「了解。お前は裏へ。リサを呼んで討伐を急げ。私は避難の指示を出してくる」

「了解」

 敬礼するランティスを背に、ジュリアンは広間へ戻っていく。ランティスは懐から携帯端末を取り出しながら、早足で中庭へ降りていった。ティナは耳としっぽをぴんと立て、周囲の気配を探る。

「天魔……」

 人間たちが天魔と呼んでいる存在は、結界に阻まれてユリンには入って来られないはずだ。中央省庁区の視察団と聖騎士の密かな対立。天魔の侵入。ずいぶんきな臭い話だと、ティナは顔をしかめる。

(フィラが巻き込まれないと良いんだけど)

「ご歓談の最中、失礼いたします」

 だからまずフィラを探そう、と歩き出したティナの耳に、広間へ戻ったジュリアンの声が届いた。


「緊急事態につき、皆様には迅速な避難をお願いしなくてはなりません。係の者の指示に従い、地下シェルターへの移動をお願いします」

 ジュリアンの声は、拡声の呪文によって広間の隅々まで運ばれる。その場の空気を引き締める緊張感を持ちながら、同時に混乱を鎮めるだけの落ち着いた穏やかさを保った声だった。ジュリアンが言い終えると同時に、既に広間へ集まっていた聖騎士――ダストとクロウは町民、フェイルとフィアは客人の誘導を開始する。

「カイ、私たちは表に向かう」

 ジュリアンは剣の柄に手を添えながら駆け寄ってきたカイに声をかけた。

「手伝おうか?」

 場違いなほど爽やかな声が、歩き出した二人の動きを止める。怒りのオーラを漂わせながらも無表情なカイと、礼儀正しく感情を押し殺したジュリアンが、揃って声の主であるフランシスへ振り返った。

「避難区域は地下のB95シェルターです。お急ぎください」

 提案を無視して冷淡に言い放ったジュリアンの手元で、白い剣がばちりと鳴って電気的な火花が飛ぶ。

「相変わらずこういう局面では容赦ないんだな、君は。わかった、天魔の討伐は任せますよ」

 フランシスは軽く肩をすくめ、フェイルの指示に従って列を作っている人の流れに向かっていった。

「フランシス様は……いったい何を考えておいでなのか」

「今はどうでも良いことだ。行くぞ」

 ジュリアンは言いながら広間の脇の回廊へ入り、人々から姿が見えなくなった瞬間に走り始める。向かう先にある城の正門ではすでに僧兵たちが戦闘に入っているらしく、間断なく飛び交う魔術の気配が漂ってきていた。


 とある初年兵にとって、その日は初陣だった。直接聖騎士団団長の指揮を受ける部隊に配属された彼の任務は、ジュリアンが指示を終えて前線に到着するまで天魔の足止めをすることだった。大した魔力も実戦経験も持たない彼らに、天魔の討伐という難易度の高い任務は与えられない。とにかく結界を維持して、人々が避難するための時間を稼ぐこと。出来る限り怪我人を出さないこと。それが至上の任務だった。パーティーが始まる前に天魔への対処法まで指示が出るとはずいぶん用心深い話だが、いざ天魔の襲撃を受けたときにはその用心深さに救われた。ジュリアンとカイが到着するまでの数分間、僧兵だけで持ちこたえられたのは事前に出されていた指示が的確だったおかげだ。

 しかしそれでも天魔の攻撃を完全に防ぎきることは出来ず、結界をすり抜けて山猫型の一体が門の内側まで侵入し、運悪くその爪の一撃を食らったのがその日初陣だった一人の少年だった。

「うわあああぁあっ!」

 爪は右の腿をかすった程度だったが、少年は取り乱す。まだ天魔は目の前にいる。普通の山猫とは明らかに違う、虎ほどもある巨大な体躯。薄黄色い光を放つ両眼は真円に近く、酷く無機物的で生命を感じさせないのに、忙しなく吐き出される息は獣臭い食欲にまみれている。両の前足から胴体にかけては竜素――竜の身体を構成しているものと同じ、つやのない漆黒の物質に変質し、その表面を虹色の回路が縦横に走り回っていた。竜素と体毛の境目は赤黒く染まり、浮き出た血管が竜素の浸食に抗うかのように脈打っている様はおぞましくも痛々しい。

 天魔は少年を見据えたまま、低く身構えた。初撃からここまでほんの一瞬。酷く長く感じられたが、実際には指一本動かす暇さえなく、少年は死が目前に迫っていることだけをただ強く感じていた。天魔の肩の筋肉が運動に備えて盛り上がる。

「ひっ」

 少年がしゃくり上げるように息を呑んだその瞬間、目の前で火花が爆ぜた。真っ白に染まった視界が元に戻ると同時に、少年は慌てて周囲を見回す。真っ先に目に入ったのは、聖騎士団に支給される白いアーミーブーツのかかとだった。

「総員、結界を再構成しろ! 重点は左翼に置け! 右からは私が打って出る! カイ、結界再構成の援護を!」

 アーミーブーツの上から張りのある声で指示を出し、抜き身の剣を手にしたまま迷いのない歩調で歩み去るのは、聖騎士団団長ジュリアン・レイその人だ。さらに周囲を見回した少年兵は、すぐ近くにぼろ切れのように横たわっている天魔に気付いた。つい数秒前まで生きていたとは思えないあっけなさで、天魔は死体に変わっていた。先程目の前で爆ぜたのは、ジュリアンの攻撃魔術だったのだろう。噂には聞いていたが、あれだけ至近距離にいた少年兵を傷つけることなく一撃で天魔を沈めるなど、とても人間業とは思えない。

「ヤン・バルヒェット三等兵、シェルターへ退避しろ。治療部隊もそこにいる」

 名を呼ばれて目を上げると、ジュリアンが背中越しにこちらを見下ろしていた。

「お、俺、ま、まだ戦えます!」

「命令だ。退避しろ」

 慌てて立ち上がる少年に、ジュリアンは冷たく言い放つ。

「それと……恐らく逃げ遅れた者がいる。第二控え室に寄って合流し、シェルターまで護衛してやれ。その際、『目』に見つからないよう最大限注意を払え」

「り、了解」

 邪魔だと言われたも同然に感じられた。それでも命令に異を唱えられるはずもなく、少年は気落ちしながら敬礼する。天魔の一撃で取り落としてしまった剣を拾い上げ、結界を立て直している同僚たちに背を向けて城内へ走り込む。

 ――惨めだった。


 ジュリアンの言葉通り、第二控え室では逃げ遅れたフィラ・ラピズラリが困惑していた。拡声の呪文によって会場の隅々まで運ばれたジュリアンの声は、当然フィラにも届いていたのだが、フランシスの指示によって控え室前に立たされた視察員の存在が、フィラに逃亡を許さなかったのだ。五分間だけ城の裏手と正門の戦力バランスを観測しろと命令されていた視察員は避難が始まってしばらく後に立ち去ったが、今度は外に誰の気配もしないので出るに出られない。地下シェルターがどこにあるのかわからないし、今ここを出て安全なのかどうかもわからない。

「どうしよう……」

 フィラは泣き出したい気分でドアの前に立ち尽くす。先程視察員の向こうで僧兵が魔力感知による走査は終了したと誰かに報告していた。魔力値がほぼゼロであるらしいフィラは見落とされてしまったのだろう。このまま皆が戻ってくるまで待っていた方が良いのだろうか。

 その時、外の様子を探るためにそばだてていた耳に誰かの足音が聞こえてきた。フィラは警戒しながらドアの脇の壁に張り付き、さらに耳を澄ます。足音は控え室の前で立ち止まり、一瞬ためらってから扉をノックした。

「聖騎士団団長ジュリアン・レイ配下、第一僧兵団ヤン・バルヒェットです。団長の命令でお迎えに上がりました。……ど、どなたかいらっしゃいますか?」

 暗い控え室から人の気配を感じなかったのか魔力を感じなかったせいか、ヤンと名乗った少年の声が徐々に自信を失っていく。

「い、います、います!」

 フィラは慌てて扉を開き、手を振って自分の存在をアピールした。

「うわ、ホントにいた!」

 ドアの前にいたフィラと同い年くらいの少年は思わずといった感じで素に戻って叫び、一瞬の沈黙の後に顔を真っ赤にして目をそらす。

「あ、ええと、その、避難場所までご案内します」

「ありがとうございます」

 明後日の方向を見上げるヤン少年に、フィラは心の底からほっとした笑顔を向けた。


「でもどうして団長は、フィラさんが逃げ遅れてることに気付いたんでしょう?」

 魔法光を掲げて前を歩く少年兵が、不思議そうに小首を傾げる。二人は先日ジュリアンと共に発見したような隠し扉を通り、螺旋状に続く緩い下りの廊下を歩いていた。ヤンは少し足を引きずりながら歩いているが、それを気遣うフィラへの返答は大丈夫だ心配いらないの一点張りだった。天井はあと頭一つ分も背が高ければつっかえてしまうくらい低く、両側の重厚な石積みと相まってひどく圧迫感がある。

「魔力感知で発見できなかったから、てっきり誰もいないのかって焦ったくらいなのに」

「団長は私の魔力がほとんどゼロだって知ってるから」

 フィラはヤンの背中に苦笑を向けて答えた。

「それだってすごいですよ。ほとんどゼロに近い魔力値に合わせて走査をするなんて、さすがは団長です。それなのに、俺は……」

 感激に興奮していたヤンが、ふと気落ちしたように肩を落とす。

「俺……やっぱ役立たずだって思われてるのかも」

「ど、どうしてですか?」

 通路が少し広くなったのを良いことに、フィラは早足でヤンに追いついて横に並んだ。天井もさっきまでより高く、ここなら充分並んで話を続けられそうだ。ヤンの表情もよく見える。

「この間、魔術訓練の最中……俺、もう耐えられないって思って、こんなの無理だって弱音吐いちゃったんです。それをたまたま団長に聞かれてて……『だったら出て行け』って冷たく言われちゃって」

「それは……怖いですね」

 突き放した態度を取るときのジュリアンの冷たさを思い出して、フィラは思わず遠くを見つめた。

「それ以上にショックでした。俺、団長のこと尊敬してるから」

 尊敬している相手にそんな風に言われれば、確かにショックだろう。

「その後のフォローはなしですか?」

 なんとなく部下にショックを与えっぱなしというのはやりそうにない気がして、フィラは話の続きを促す。

「あ、いや。一言じゃなかったんですよ。この程度で音を上げていては足手まといにしかならない。そして戦場で足手まといを守ってやる余裕など誰にもない。無理だと思うなら死ぬ前に僧兵などやめてしまえ。僧兵として君の代わりを務められる人間ならいくらでもいるし、君にだって僧兵の代わりになる仕事はいくらでもあるはずだ。もっと自分の人生を大切にしろ。って、確かそんなことを仰ってました」

 ヤンはぐ、と右手で拳を作り、奥歯を噛みしめた。

「心、入れ替えようと思ったんです。俺、確かに緊張感足りてなかったかもって。ユリンは安全な職場ですけど、聖騎士団の下で働くことになったからにはいつ前線に飛ばされてもおかしくない。聖騎士の皆さんが要求してるのは、最低でも自分自身の命は自分で守れるように、ってことなんだと思います」

 射撃訓練の時、せいぜい余暇を習い事に当てている程度の訓練ですが、と言いつつ時々妙に要求が高いレイヴン・クロウのことを思い出す。フィラに対してがああなのだから、正式な訓練を受けている僧兵たちへの要求の高さは推して知るべしだ。

「だから俺、がんばります。今日は……戦闘から外されちゃったけど……」

「あの、でも、もしかしたら逆かもしれませんよ」

 また肩を落としてしまったヤンに、フィラは考え込みながら話しかける。

「逆?」

「最低限自分の命を守れるだけ、って思われてたら、たぶん、私の護衛は任されないと思うんです。だってほら、護衛ってつまり、自分と護衛する人間の二人分の命を背負わないとってことじゃないですか」

 ジュリアンがこの機会に体よく厄介者を始末しよう、とか考えていない限りは、きっとそういうことだ。

「そ、そうですか?」

 ヤンの表情に明るさが灯る。

「そうだと思います」

 そうでなければ困る、という思いも込めて、フィラは頷いた。

「そうか……団長、俺のことちゃんと評価してくれてるんだ……」

 今にも感涙にむせび始めそうなヤン少年は、本当に真剣にジュリアンのことを尊敬しているらしい。たった一筋の希望に、こんなにも嬉しそうな表情をしている。

「あ、あとね」

「なんスか?」

 水を差すようで悪いんだけど、と思って、フィラは苦笑した。

「今日私に話しちゃったこと、秘密にしておいた方が良いと思います」

「え? なんでですか?」

 振り向いたヤンの顔には、わけがわからないと大書してあるようだ。

「フィラさん、フィアさんのご姉妹だし礼拝堂に出入りしてるからてっきり団長の関係者で機密……あ、あれ? もしかして……」

 どうやら本当に思った通りの勘違いをしてくれていたらしい。フィラは参ったな、と頭に手をやる。

「すみません。私、普通のユリン市民なんです。機密情報? とか、そういうの、知る立場にないから。お城の中で普段何が行われているのかとか、たぶん話しちゃだめなんだと思います」

 ヤンはものすごくわかりやすく愕然とした表情を浮かべた。

「最初から言っといてくださいよ……」

「す、すみません」

 反射的にヤンを見上げて謝ってから、ふと足下へ視線を落とす。

「あの、誰にも言いませんから」

「い、いや。俺も……申し訳ないです。余計なこと勝手にべらべらしゃべっちゃって……聞いてもらって。……すみません。よろしくお願いしま」

 訥々と謝っていたヤンの声が、何かがぶつかるような音と同時にいきなり途切れた。重い袋を投げ出したような音がそれに続く。『す』はどこに行った、と顔を上げるフィラの目の前に、よりにもよって抜き身の剣を手にしたフランシス・フォルシウスが立っていた。足下には意識のない少年兵が崩れ落ちている。剣の柄で頭を殴って昏倒させたらしい。酷い。

「こんばんは。君とお話ししたかったんだ」

 剣を鞘に戻しながら、フランシスはにこやかにそう言った。

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