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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第一部 晴雨の章
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第一話 飛べなかった飛行機の話 File-3

 1-3 利害の一致、感情の不一致


「え、えっ?」

 しゃっくりのような声が出た。

「領主に逆らえばどうなるかはわかるだろ? どうせカイあたりに調べさせれば分かることなんだ。素直に答えておいた方が身のためだぞ」

 青年はゆっくりと両腕を組み、偉そうな態度で言いつのる。

「そんなこと……信じられません。カイさんは、今度の領主様は尊敬できる方だって言ってました」

 頑なに相手をにらみ付けるフィラに、青年はため息をついて踵を返した。青年が向かった部屋にバルトロがいることを思い出したフィラも、慌ててその後を追う。青年は大股でバルトロに歩み寄り、額に手をかざして何か呪文を唱え始めた。

「ちょ、な、何やってるんですか!?」

「命に別状があるようなことじゃない。いちいち騒ぐな」

 駆け寄って青年とバルトロの間に立ちはだかったフィラを、青年は迷惑そうな表情で見下ろす。

「それで、特異体質とはどういうことだ?」

「バルトロさんに何をしたんですか!?」

 はぐらかされてなるものかと、フィラも強い調子で聞き返した。自分がそれを聞いたところで何の解決にもならないだろうという、理性の冷ややかな判断には気づかなかったことにする。今は、勢いを失ってはならないような気がした。どう考えても気がしているだけだけれど。

「質問をしているのは俺だ」

「先に質問したのは私です!」

 自分の混乱ぶりと裏腹に、ひどく冷静な青年の態度が腹立たしい。

「機密事項だ。答えられない。特異体質とはどういう意味だ?」

 青年は面倒くさそうに答え、ケンカを売る勢いでにらみ付けるフィラを見返す。そこでようやく、フィラは青年の瞳の色を認識した。

 青だ。冬のよく晴れた空のような、綺麗で冷たい青。他人を従えることに慣れた者に特有の、一種の強制力を持った――けれどどこかに諦念を含んだような、穏やかな青い瞳だ。

 短いにらみ合いの後、フィラはその瞳が持つ静かな強制力に屈した。

「……短い距離だけなんですけど、たまに瞬間移動してしまうことがあるんです。自分の意志と関係なく、勝手に」

「で、たまたま移動した先がその部屋だったと?」

 青年の視線がフィラを離れ、隣の部屋へ続く扉を見る。

「はい」

 視線が外れたことにほっとしながら、フィラは頷いた。青年はふと表情を曇らせる。

「それにしても、まさか結界を超えて入ってくるとはな。その能力が発現したのはいつ頃だ?」

「わかりません。私、記憶がないから」

「記憶が? いつから?」

「二年前からです」

「その前からこの街にいたのか?」

 青年は横目でフィラに視線をやりながら訊ねた。なんだそのうさんくさそうな視線は、ケンカ売ってるのか、と思いながら、フィラは不機嫌に口を開く。

「いいえ。二年前にここに来て、それ以前のことを覚えてないんです。町の人たちも、誰も私のこと知らないって」

「なるほどな」

 青年は、再び視線を隣の部屋へ向けた。

「カイはそのことを知っているのか?」

「話してはいません……けど」

 さっきから、青年がカイの名を気軽に口にするたびに胸がざわつく。そんなはずはないと訴える感情と、もしかしたらと考える理性がせめぎ合っている。

「……前の領主には?」

「ここに住むことになったって届けは、出てるはず、です」

 青年は忌々しげに舌打ちをした。

「……ラドクリフの野郎、サボりやがったな」

 泣く子も黙る前領主の名を呼び捨てにした上、悪態までついた青年をフィラは目を丸くして見上げる。

「何はともあれ、興味深い体質だ」

 青年は、今度は体ごとフィラに向き直った。特に背が高いわけでもないのに、まっすぐ見下ろされると妙な威圧感を感じる。青年本人に、自分の持つ威圧感というか、一種の強制力を自覚しているような節があるのが、また腹立たしい。

「命は助けてやる。その代わり研究に協力してもらおう」

「命は……?」

 緊張が続いたせいで膝が震え始めて、バルトロが腰掛けたままの椅子の肘掛けにつかまりながらフィラは呟く。

「お前は俺と左官屋の一連のやり取りを見てしまった。本来なら許されない行為だが、消されたくないわけだ、お前は。俺としては興味深い研究対象をみすみす無かったことにしてしまうのも、まあ惜しいと言えば惜しい。利害が一致してるだろ」

 利害の一致、という言葉が、萎えかけていたフィラの怒りに油を注いだ。実質は脅迫なのに、利害の一致なんてどの面下げて言えるのだろう。

「口止め料は……命だけ、ですか?」

「不満か?」

 攻撃的なフィラの視線を軽く受け流して、青年はどこか楽しげな微笑を口の端に乗せる。

「その上研究材料にまでされるなら……公平じゃないと思います」

「肝が据わってるな。……そうだな、だったら」

 青年はふと言葉を切り、微笑を消して正面玄関から続く扉へ視線をやった。フィラもつられてそちらを見る。

 玄関の扉がいささか乱暴に押し開けられる音と、ドアの上方にバルトロがつり下げたカウベルのどこかのどかな音が、会話の途切れた家の中に場違いに響く。次いでどたどたと遠慮のない足音と規則正しい足音が、同時にこちらへ近づいてきて、扉の前で止まった。

「悪ぃ悪ぃ、遅くなっちまった」

 屈託のない大声と共にドアを押し開けて部屋に入ってきたのは、大柄な黒人の男だった。縮れた黒髪は五分刈りで、分厚い聖騎士団団服の上からでもよく鍛えられた筋肉が想像できる、逞しい体格の男だ。

「遅いぞ。何分過ぎたと思ってる」

 とがめると言うより、義務だからたしなめているといった調子で青年が答える。

「申し訳ありません、私が酒場に寄っていたもので……え?」

 黒人男性の後ろから現れた青年が、フィラを見つけて固まった。フィラも呆然と、あっけにとられた表情で固まっている青年を見つめ返す。

 カイだった。黒髪黒眼の東洋系の顔立ちも、やや細身の体格も生真面目な表情も、何もかもひっくるめて間違いなくカイだった。

「だから言っただろう。カイ、俺が新しい領主だと彼女に言ってやってくれ。さっきからそう言ってるのに、まったく信じようとしないんだ」

 先ほどまでと比べると心持ち肩の力が抜けた口調で、自称領主がカイに命じる。

「ええ、この方が新しい領主に就任されたジュリアン・レイ様です。しかし、団長」

 カイは機械的な早口で言うと、すぐさま青年に視線を振り向けた。

「なぜ彼女がここに……?」

「ヘマするなんて、お前らしくないじゃんか。結界張り忘れたのか?」

「ランティス、失礼ですよ。さっききちんと手順を踏んで結界を通り抜けてきたばかりじゃないですか」

 からかうように言った黒人の男を、カイが生真面目な調子でたしなめる。

「いや、嬢ちゃんが入ってきてから慌てて結界張ったのかと」

「馬鹿を言うな。結界を張り忘れていたとしても、誰か入ってきたら気配でわかる。そうなってから結界を張ったって、ここまで入ってこられるわけがないだろう」

 自称領主は腕を組み、半眼で黒人の男をにらみ付ける。

「じゃあ何で嬢ちゃんがここにいるんだよ。こんな顔してお前から気配を隠し通せるほど腕が立つのか? この嬢ちゃん」

 黒人の男はずかずかとフィラに歩み寄り、物珍しそうに観察を始めた。

「腕が立つかどうかは知らないが、転移して入ってきたそうだ」

「転移? 転移魔法? お前の結界をすり抜けて? 馬鹿な」

 黒人の男はフィラの容姿には特に気になるところは見あたらなかったらしく、あっさりと顔を上げて自称領主に向かって肩をすくめる。

「俺もそう思うがな。どうやら本当らしい。それらしい魔力の残滓も向こうの部屋に残っている」

「……信じられんよ」

 男は首を振りつつ、半ば無意識らしい動作でフィラの頭に軽く手を置いた。スイカすら上から片手で掴み上げられそうな、大きな手のひらだ。

「だろうな。それより、例の物を始末する。カイは残って、彼女を見張っていてくれ」

「わかりました」

「ランティス、行くぞ」

 カイが了承したのを見て、青年はフィラの頭に手を置いたままの男に向かって頷いた。

「おう」

 男の手のひらが前髪をかすめて離れ、青年に従って隣の部屋へ向かう。

「信じられないことはもう一つある。彼女にはあれが無い」

「アレ?」

 青年は黙って左の側頭部を指し、そのまま二人は隣の部屋へ消えた。なんだか馬鹿にされたような気がして、フィラの機嫌はさらに下降する。

「あの、カイさん。どういうことなんですか? あの人が……バルトロさんを消すって……」

「申し訳ありませんが、お答えできません」

 カイは眉根を寄せ、事務的な調子で答えた。

「あの人が新しい領主様だというのは、本当なんですね?」

「はい」

「だったらどうして……聖騎士は民を助けるものじゃないんですか?」

「その通りです。ですが、このことに関してはお答えできません」

 カイはやはりにべもなくそう答える。

「わかりました。もう、いいです」

 低い声で答えて、フィラは瞳を伏せた。握った手のひらに爪が食い込む。

 燃え上がっていた怒りが、ゆっくりと冷たい失望に変わっていくのを感じた。

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