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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第一部 晴雨の章
31/195

第五話 月のない真昼 File-1

 5-1 影の中の影


 ジュリアンが礼拝堂にふらりとやって来たのは、叙任式から五日後の、暑くて気怠い午後のことだった。

 また煙草を吸いに来たのだろうかと思いつつ、つい手を止めてしまったフィラを、ジュリアンは無言かつ無表情でじっと見上げる。怖い。

「な、何ですか?」

「眠い」

 たじろぎながらの疑問に対する返答は明瞭かつ簡潔だった。

「これ以上の不眠不休は業務に支障を来す。従って俺は寝る」

「は、はあ……?」

 言葉の意味はわかるが、なぜそれを自分が聞かされているのかがさっぱりわからない。困惑するフィラには頓着せず、ジュリアンは手近なベンチに座り込んで目を閉じた。

「練習の邪魔をして申し訳ない。申し訳ないついでに頼むが、十五分たったら起こしてくれ」

 フィラは何とも言えない気持ちで頷いたが、すでに目を閉じているジュリアンに見えるはずもない。音を立てないようにゆっくりと鍵盤の蓋を閉めながら、フィラは(この人何考えてるんだろう)と結構真剣に思い悩んだ。


 音を出すわけにもいかないので、フィラはずっと練習中の楽譜を暗譜しようと見つめていた。しかしオタマジャクシはちっとも頭に入ってこないし、構造を考えようにも論理的な思考が止まってしまっている。まったく集中できていない。

 ――本当に寝ているのだろうか?

 頻繁に楽譜から目を離して、ちらちらとジュリアンを伺ってしまう。両腕を組んで目を閉じたジュリアンは、うつむいたまま微動だにしない。引き結ばれた口元と寄り気味の眉根は難しいことを考え込んでいるようにも見えるが、呼吸は睡眠時特有の長く深いものだ。本当に寝ているのかもしれない。

(フェイルさん、団長は寝起き悪いって言ってなかったっけ)

 ジュリアンが本気で寝ていた場合、果たして自分はちゃんと起こすことができるのだろうか。

(……自信ないな)

 そういう様子は見せていなかったけれど、あまり穏やかとは言えない寝顔はどこか疲労が滲んで見える。これ以上の不眠不休は、とか言っていたから、きっと仕事が忙しかったのだろう。領主の仕事ってそんなに忙しいのだろうか。

 ――わからない。

 フィラはため息をつき、聖歌台後ろの扉脇にかかった時計へ目を向けた。並んでかかっている温湿度計はよくチェックしているのだが、時計の方はいつも太陽の動きと時計塔の鐘で時間を判断しているものだからあまり見たことがない。時計の針は、もうすぐ十五分が経過することを示している。

 フィラは立ち上がり、ジュリアンの前まで歩み寄った。気配で起きないだろうかと少し期待していたのだが、ジュリアンの反応はまったくない。

 正面に立って見下ろす。プラチナブロンドに近い薄い色の髪はうらやましくなるくらい真っ直ぐで柔らかそうだ。まつげも長いし、本当に綺麗な顔立ちをしていると思う。それが『冷たい』美貌としか表現できない気がするのは、きっといつも彼がまとっている張り詰めた空気のせいだ。

 聖騎士団団長として行動しているときも、私人として行動しているときも、どこか一歩踏み込ませないよそよそしさがある気がする。フィラに対してだけでなく、誰に対しても。言外に何も訊くなと、俺のことを理解しようなんて考えるなと言われているような気分になることがある。特に彼の家族や私生活に関することを、うっかり質問してしまったときは。実際、放っておけと言われたこともあるわけだし。

(いいんだ)

 フィラは首を振って自らの思考を振り払った。

(団長のこと知りたいとか、別に思っていないから)

 信用できるかどうかは判断したいけれど、だからといって彼のプライベートに首を突っ込む必要はどこにもない。興味もない。絶対ない。

 そう自分自身に言い聞かせなければならないことの意味を考えそうになって、フィラは思わず視線を落とす。そういう余計なことを考えてしまうのは何か非常にマズい気がする。どこがどうマズいのかはわからないけれど、とにかく考えたくない。

 ふと、落とした視線の先に違和感を感じた。フィラは瞬いて違和感のありかを探す。

 ステンドグラスを通した光が、フィラの背後から降り注いでいた。白い聖騎士の団服の上には、フィラの影が落ちかかっている。色とりどりの曖昧な光の作る影は、ぼんやりとした輪郭を信者席と床の上に描く。フィラとジュリアンの影が重なったところだけが、他の部分よりもはっきりと濃い影になっている。

(……あれ?)

 フィラは一歩、位置をずらしてみる。

 違う。影の重なっていた部分と、フィラだけの影の濃さは変わらない。違っているのは、ジュリアンの影だ。彼の影の色だけが薄い。それって物理的にありえないんじゃないだろうか。

「団、長……?」

 ホラー映画の冒頭部を見てしまったような薄ら寒い気分になって、フィラは恐る恐る呼びかけた。

「あの、時間です」

 ジュリアンは微動だにしない。一応騎士がこんなに簡単に寝込みを襲われそうな寝起きで大丈夫なんだろうか。自分が心配するようなことではないが、気になる。

 フィラはため息をつき、次いで大きく息を吸い込んだ。とにかくこの薄ら寒い違和感を消し去って、早く現実感を取り戻したい。

「団長、朝です!」

 嘘だ。言った後で気付いた。

「間違えました、昼です」

 いや、しかし、考えてみればどちらかというと夕方に近いかもしれない。

「と、ともかく起きる時間です!」

 フィラは動揺した勢いでジュリアンの肩を掴み、軽く揺さぶりながら呼びかける。

「十五分経ちましたよ、団長!」

 ジュリアンがうっすらと目を開けて、フィラはほっとしながら一歩離れた。

「大丈夫ですか?」

 ぼんやりと瞬きを繰り返すジュリアンに、フィラは控えめに尋ねかける。

「……ああ」

 だるそうに首を回すジュリアンの影は、ちゃんとフィラと同じ色だ。気のせいだったのだろうか。改めて見ていると、そんな気がしてくる。

 ――でも、言うだけ言ってみようか。

 馬鹿にされるかもしれないけれど、一応。否定してもらえないと何だか怖いから。

「あの、変なこと聞いても良いですか?」

「変なこと?」

 やはりどこか茫洋とした表情で、ジュリアンはフィラを見上げてくる。

「今までもさんざん聞かれているような気がするが……」

「気のせいですよ」

 即座に言い返しながら、今まで何か変なことを聞いたことがあっただろうかと、フィラはすごい勢いで思考を巡らせた。思い当たる節が全くないかと言われればちょっと自信がないけれど、さんざんとか言われる筋合いはない気がする。

「さっき、団長の影が薄くなっているように見えたんですけど」

 気を取り直しての質問に、ジュリアンは眉根を寄せて難しい表情になった。

「影が? ……参ったな」

 ジュリアンは顔を上げ、複雑そうな表情でフィラを見る。

「何ですか?」

「いや……人が近くにいれば大丈夫かと思ったんだが、油断したようだ。眠り込んでしまって悪かった」

「いえ、別に」

 何がどう大丈夫で影と油断がどう繋がるのかさっぱりわからない。質問しようにもそもそも何を聞けばいいのかわからずに、フィラは黙り込んだ。不安を払拭できなかったのがとにかく嫌な感じだ。

 ジュリアンは緩慢な動作で立ち上がり、まだ少し眠そうな瞳でフィラを見下ろす。

「お前に聞きたいことがあったんだ」

 何を聞かれるのかと身構えるフィラに、ジュリアンは無表情で言葉を続けた。

「お前、リーヴェ・ルーヴの話し相手になってくれないか?」

 リーヴェ・ルーヴといえばこの間の竜の名前だ。魔力回復に時間がかかるため、しばらくはユリン研究所跡地で保護されると聞いていた。話し相手と言うからには別に何かがあったわけではないのだろうが、なぜ自分なのだろう。

 返事をためらったフィラに、ジュリアンは珍しく早口で言い募る。

「一晩で良いんだ。彼女も退屈しているようだし、その後の経過も確認しておきたい。仕事を押しつけるようで悪いんだが、こっちも手が足りなくてな。俺とフェイルは中央からの視察団を迎える準備で忙しいし、リサには先日の列車事故の事後処理に当たってもらっているし、フィアは今任務で出ているし、カイとランティスとクロウは忙しい上にそもそも話し相手としての相性が悪いらしい」

「相性……?」

「カイやクロウと彼女では話が弾まない。ランティスは話題は豊富だが、単純に馬が合わないんだそうだ」

 ジュリアンは急に言葉を切り、気まずげに視線をそらした。

「まあ、嫌ならいいんだが」

「ち、違います」

 フィラは慌てて否定する。単純にずいぶん饒舌だから、寝ぼけているのかな、とか考えていただけだ。

「嫌ってわけじゃないんです。リーヴェさんとは私も話したいし……ただ、エディスさんにお休みをもらわないといけないかなって」

「それは俺が交渉する。場合によっては謝礼も」

「良いですよ、謝礼なんて」

 フィラは慌てて首を横に振る。ジュリアンはフィラに視線を戻し、淡い微笑らしきものを唇の端に浮かべた。

「彼女は夜行性だから夜になるな。夕方城まで来てくれ。それから城で仮眠を取って、研究所跡地に行ってもらうことになるだろう」

 どうやら彼の中ではもう決定事項になってしまったらしい。きっと仕方がないのだろう。多少強引なところがなくては、聖騎士団団長なんてやってられないに違いない。

「わかりました」

 フィラはため息混じりに頷いた。

「日時は明日でも良いか」

「はい」

 一度諦めてしまえば、後はもう反対する理由は存在しない。

「協力、感謝する」

 ジュリアンは、略式だが礼法に則った優雅な騎士の礼をして見せた。そんな風に改まられると、フィラはなんだか落ち着かない気分になるのだった。

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