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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第一部 晴雨の章
30/195

第四話 踊る小豚亭豪遊記 File-8

 4-8 過去


 叙任式が終わった後、フィラはソニアとレックスに先に帰っていてくれと一言声をかけてからティナと合流し、フィアとの約束を果たすべく控え室へ向かった。聖歌台の後ろの扉をくぐり、手近にいた見習い兵に場所を尋ねて、いくつか並んだ聖具室の扉の一つを叩く。

「フィラさん! 来て下さって嬉しいです。どうぞ中へ」

 扉を開けたフィアは満面に笑みを浮かべてフィラを招き入れ、中央の四角いテーブルを囲む質素なソファに座らせた。礼拝堂の荘重さと対照的に、天井の低い聖具室の中は飾り気がなくて簡素だ。

 ティナはフィラの肩から飛び降りると、隣のソファに丸くなって目を閉じた。どうやら話に加わるつもりはないらしい。

「すみません、ちょっとぬるいんですけど、給湯室が遠いから……」

 フィアは少し悔しそうにそう言って、壁際の荷物が積み上げられたテーブルで水筒からコップにお茶を入れ、フィラの前に置いた。

「あ、うん。お構いなく」

 フィラと向かい合って座ったフィアは、お茶を一口飲み込んだフィラを見つめて微笑む。

「ん? 何?」

「やっぱり似てますよね、私たち」

 言われたフィラは、改めてじっくりとフィアの顔を見つめた。

 確かによく似ている。髪型や服装や表情から来る雰囲気はだいぶ違うけれど、その他の部分を見ればそっくりだと言っても間違いではないだろう。

 そう思って、フィラは頷いた。

「髪型揃えて服を入れ替えたら、結構間違われるかもね」

「今度休日があったら、こっそり入れ替わってみましょうか」

 フィアが微笑みながらもごくごく真面目な口調で言うものだから、フィラは小さく吹き出してしまう。

「良いね。誰かびっくりしてくれたら面白いんだけど」

 二人は顔を見合わせて笑いあった。ひとしきり笑った後、フィアはふと表情を真面目なものに切り替える。

「実は、ちょっとお話ししたいことがあるんです。ここに来る前、フィラさんを引き取って下さった方のことを調べてみたので、そのことについて。私もいろいろとばたついていたので、詳しいことまでは調べられなかったんですけど」

 思わず姿勢を正すフィラに、フィアは小さくため息をついて視線を落とした。

「フィラさんを引き取って下さった方はエステル・フロベールというピアニストで、音楽教育の復興に大きな貢献をされた方です。私も何度かお名前を耳にしたことがあります。ただ、フィラさんを引き取った時点ではもう第一線を退いてらして、気まぐれに世界中を放浪しながらコンサートや路上ライヴなどの活動をされていたとのこと。フィラさんを引き取ってからは少し落ち着いたらしいのですが、それでも一箇所に腰を落ち着けている期間はさほど長くはなかったようです」

 フィアは淡々と報告書を読み上げるように話し続ける。エステルという名に聞き覚えは感じられるのに、思い出せることは何もない。フィラはそれが少しもどかしくて、つらい。

「その方は、二年前に亡くなっています」

 ふっと思考が真っ白に染まった。

「二年前……?」

「正確には、二年と一ヶ月前です」

 ぼんやりと目を上げたフィラの視界に、感情を押し殺したフィアの、無表情な顔が映る。

「エステルさんの遺産を……それほど多くはなかったようですが、それを処理した後、フィラさんは保護者がいない状態で失踪しています。フィラさんは世界的なコンクールでの優勝実績もあったので、失踪当時は話題にもなったらしいのですが、もともとエステルさんが誰にも告げることなくふらっと旅に出てしまう人だったのと、フィラさんを預けられるような知り合いの人数が非常に多かったのとで、ほとんど誰もフィラさんの行き先については心配しなかったようです。皆、フィラさんは誰か別の人を頼ったのだろうと考えたらしくて。つまり、今現在、あなたの行方を捜している方は誰もいないんです」

「ティナは私を探してた……」

 まだ半分放心状態のまま、フィラは小さく呟いた。

「ええ、彼はエステルさんの守護神でしたから、恐らくフィラさんの保護を頼まれていたのではないかと思います。そうでなかったとしても、見た感じではフィラさんとは家族のようなご関係のようですし。でも、ティナさんは人間にあなたの行方を尋ねるようなことはしなかったでしょう。神々と人間では、人捜しの手段がだいぶ異なりますから。だからあなたが行方不明であることが、事件にならなかったのだと思います」

「そっか……だから、『帰る場所がない』んだ」

 以前ジュリアンに言われた言葉を思い出して、深くため息をつく。同時に少しだけ落ち着きを取り戻したフィラは、フィアの両手が膝の上で震えていることに気付いた。

「フィア? 大丈夫?」

「え? ええ」

 フィアははっと顔を上げ、慌てて頷く。

「少し、緊張してて……本当は、話すべきことじゃないんです。もしも記憶が戻ってしまえば、フィラさんをユリンから追い出さなくてはならないから。でも……」

 フィアは唇を噛み、再びうつむいた。

「何も知らせようとしないことについて、私たちに不信感を抱くのは仕方がないと思います。だけど、私はあなたをつまらないことで危険にさらしたくない。それだけは信じて欲しいんです。そして、団長のことも……」

「う、うん」

 まさか無理だとか難しいとか言えるはずもなく、フィラはためらいながらも大きく頷く。フィアは弱々しく微笑んでコップを手に取り、フィラも手持ちぶさたを解消すべく、ぬるいを通り越して温まってきたお茶を飲み干した。

 気詰まりな沈黙の後、フィラは思い切って気分を切り替え、フィアの方へ視線を上げる。

「あ、あのね」

「はい、何ですか?」

 フィアは弾かれたように顔を上げ、首を傾げた。

「昨日、敬語が願掛けって聞いたけど、それ、名前も入るの?」

「名前も、ですか?」

「うん。呼び捨てにしてもらうとか、ダメかな?」

「いえ、それくらいなら」

 当惑していたフィアの表情が、だんだんと笑みに近づいてくる。

「わかりました、フィラ。呼び捨てにします。家族ですもんね」

 フィラが笑って頷くと、フィアの表情も決定的に笑顔になった。

「あ、そういえば、私、フィラにもらって欲しいものが」

 フィアが言いながら立ち上がりかけたとき、控え室の扉がノックされた。

「どうぞ」

 フィアは立ち上がる途中で動作を止め、顔をそちらに向けて呼びかける。それに応えて扉が開き、ジュリアンが中に入ってきた。

「お邪魔します。今日は大丈夫でしたか?」

 ジュリアンの声が聞こえた途端、それまでずっと丸くなって目を閉じていたティナがのっそりと起きあがる。ティナはあくびをして伸びをして、それから油断無くジュリアンの動きを見張り始めた。

「ええ、緊張しましたけれど、おかげさまで大きな失敗もなく乗り切ることができました。ありがとうございます」

 さすがにその態度はあからさますぎないかと呆れるフィラを後目に、ジュリアンとフィアは形式的な会話を交わし続ける。

「お話を中断させてしまってすみません。明日の連絡なのですが……」

 ジュリアンは中途半端に立ち上がっているフィアに申し訳なさそうな表情を向け、次いでちらりとフィラを見た。

「あ、私のことは気にしないで下さい。何でしたら、席を外しますから」

 フィラは慌てて腰を浮かせる。

「いや、その必要はない。ただ、話を遮ってしまったのではと」

 フィアに視線を戻しながら、ジュリアンは首を横に振った。フィアは背筋を伸ばしながら微笑み、壁際のテーブルに向かって歩き始める。

「たいしたことじゃないんですよ。ただ、フィラにもらって欲しいものがあって」

 テーブルに置いてあった鞄の中から小さな包みを取り出すフィアを、フィラとジュリアンは無言で見守った。

「よろしければ、団長もどうぞ」

 フィアは中央のテーブルに戻り、中腰になって包みを開く。東洋のものだろうか。変わった柄の布を開いた中には、昨日フィラがもらったのと同じ桜餅が綺麗に並んでいる。

「いっぱいあるね」

 フィアの手元を覗き込んだフィラが言うと、彼女は視線を上げて恥ずかしそうに微笑んだ。

「お恥ずかしい話ですが、昨日、緊張していたら作りすぎてしまって」

「これ、手作りだったの?」

 目を見開くフィラに、フィアは微笑を深める。

「ええ。大好きなんですけどなかなか売っているところがないので、自分で作るようになったんです。お口に合うかどうかわかりませんけど……どうぞ」

「ありがと」

「いただきます」

 言いながら差し出された桜餅を、フィラとジュリアンは一つずつ受け取った。

「……つぶあんか」

 一口食べて中身を見たジュリアンがぼそりと呟く。

「団長、この黒いのが何だか知ってるんですか?」

 何か納得が行ったらしい響きに、フィラは首を傾げながらジュリアンを見上げた。

「ああ。つぶあんだろ」

「ツブアン? それって、何でできてるんですか?」

 美味しいけれどいまいち正体のわからない不安を感じていたフィラは、これ幸いと聞き募る。

「小豆と砂糖と少量の塩」

「へえ……てっきりイカスミでも入っているのかと」

 冷淡に返された答えに、それでもフィラは感心して桜餅を見下ろした。

「味も匂いも全然違う。お前、イカスミ食べたことがないんだろう」

 ジュリアンは呆れた様子で首を横に振る。まったくもってその通りなのだから、フィラには反論のしようがない。

「確かにないですね。海、遠いですし」

「挑戦するなら美味いところで食べろよ。不味いところは本当に不味いからな」

 立ったまま桜餅を味わいながら、ジュリアンは偉そうに忠告してくれる。

「心しておきます。でも、ユリンにイカスミを出してくれるお店ってありましたっけ?」

「そういえば見かけないな。じゃあ、諦めろ」

「そんな身も蓋もない意見って」

 反論しかけたフィラは、フィアが口元を押さえて肩を震わせているのに気付き、言葉を止めた。

「……フィア?」

「す、すみません。仲が良いんですね」

 フィアは笑いをこらえながら震え声で言う。

「そんなことないと……思う……けど」

 勢いよく否定しようとしたフィラは、途中でマズイかなと思い直してちらりとジュリアンを見る。

「先に否定されてしまった」

 しかしジュリアンには特に異存はなかったらしく、軽く肩をすくめただけで流された。

「ありがとう、大変美味しかった」

 笑いを収めたフィアに、ジュリアンは礼儀正しく微笑みかける。

「明日、午前七時に最初の任務を下します。それまで良く休養を取っておいて下さい。明日からよろしくお願いします」

「ええ、私の方こそ、お世話になります」

 素早く立ち上がったフィアは、さっと緊張感をまといながら頭を下げた。

「あ、フィラ、良ければもう一つどうぞ。私、団長をお見送りします」

 そのままフィアとジュリアンは部屋を出て、フィラは一人控え室に取り残される。閉まった扉の向こうで、明日の打ち合わせなのか低い話し声がし始めた頃、フィラはゆっくりと二つ目の桜餅に手を伸ばした。

「……フィラさ、餌付けされてるんじゃないの?」

 ずっと獲物の動きを見つめる猫そっくりの瞳でジュリアンを見張っていたティナが、長い沈黙を破ってフィラを見上げる。

「されても良いかも」

「は?」

 うっとりと呟いたフィラに、ティナは不審そうな目を向けた。頬を押さえ、夢見るような瞳でフィラは答える。

「フィアのこと好きだし、桜餅おいしいし」

「……あ、そ」

 ティナは呆れた声で首を振り、大きくため息をついた。


 夜寝る前、寝床の中で今日一日のことを思い出していたフィラが最終的に行き着いたのは、やはりジュリアンについてのことだった。――自分を引き取ってくれた人の死については、今はまだ考えたくなかったのだ。

 フィアが信じて欲しいと言ったこと。ウィンドと話して考えたこと。

 ジュリアンを信用しても良いのだろうか。それは、バルトロとの友情を裏切ることにはならないのだろうか。

 例えばこの間、夕食を一緒に食べろと命じられたとき。

 自分が本気で嫌がっていたなら、彼はたぶん無理強いはしなかった。そんな雰囲気を感じたし、そうでなければカイが本気になって抗議しないはずがない。基本的には、決して底意地の悪い人ではないのだろうと思う。

 でも、ことが『仕事』に関することであれば、どんなに相手が嫌がっていようと、しなければならないことを冷酷に実行に移す人なのだとも思う。あのとき、バルトロにそうしたように。

 では、その仕事の内容が間違っていると感じたら彼はどうするのだろう。間違いを正そうとするのだろうか?

 ――わからない。

 フィラには、ジュリアンがバルトロにしたことが正しかったとはどうしても思えない。例え空を飛ぶことが叶えてはいけない夢なのだとしても、夢そのものを忘れさせてしまう必要なんてなかったんじゃないかと思うのだ。バルトロだって、ちゃんと理由を聞いて納得すれば、無理矢理空を飛ぼうとしたりはしないだろう。

 そう思っていたはずなのに、いつの間にか何か自分にはわからない正当な理由があったのでは、と考えてしまっている。それが決まりだからとか、取り締まるのが彼の仕事だからだとかそういう理由ではなく、他人の夢を記憶ごと消し去ってしまうことすら正当化できるほどの、何かのっぴきならない理由が。

 空を飛ぶことの禁止は、フィラにとっては前領主が数多く発布した、嗜虐心と優越心を満足させるためとしか思えない無意味な法律群の中の一つに過ぎなかった。誰もが従うふりをして結局全然従っていなかった、意味のない決まり事。バレればとても聖職者とは思えない柄の悪い僧兵たちに、罪の重さ以上に酷い目に遭わされるけれど、いちいち従っていてはとても生活していけない。そういう法律。

 ジュリアンが領主に就任してからは、それらの法律たちは次々と廃止になっていた。それに伴ってジュリアンの人気も当然高まっている。フィラだって、あの事件がなければジュリアンのことを素直に慕っていただろう。

 けれど、飛行禁止の条例は撤回されない。注意して見ていれば、他にもいくつか根拠のわからない禁止事項が残っていることに気づいてしまう。それをどう解釈すれば良いのか、今フィラが迷っているのはそこだ。ティナが空を飛ぶことについてはジュリアンに賛成していることもあって、迷いは段々信じる方へ傾きつつあるけれど。

 枕元に置いてあるバルトロのノートに手を伸ばし、表紙に指を滑らせた。皮革に特有の、少し湿ったようななめらかな感覚。バルトロにこれを見せたら、もしかしたらすべてを思い出させることが出来るのかもしれない。

 表紙に描かれた縁飾りを指先でなぞりながら、フィラはまた迷っていた。

 所持することが禁じられている飛行機の設計図。

 領主であるジュリアンに渡すべきなのか、本来の持ち主であるバルトロに返すべきなのか。未だに決意は固まらない。ジュリアンをちゃんと信じられるようになれば、迷わずに渡すことができるはずなのに。

 フィラは大きくため息をつき、手をシーツの間に引っ込めた。

 今はまだ、どちらとも決められそうになかった。

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