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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第一部 晴雨の章
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第一話 飛べなかった飛行機の話 File-2

 1-2 消せない記憶


 ……消す?

 フィラは呆然と、心の中で男の言葉を復唱した。

 ――消すって、何を?

「私の、すべてを……ですか?」

 バルトロの震える声に、フィラははっと身を引き、それからそろそろと隣の部屋を覗き込む。

 居間には二人の男が向かい合って座っていた。一人は白髪を上品になでつけた壮年の男――バルトロだ。よく整えられた口ひげの下で、いつもは穏やかな微笑をたたえている唇が強く引き結ばれている。

 もう一人は見たことのない金髪の青年だった。年齢は二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。長く伸びた真っ直ぐの髪は、首の後ろで素っ気なく一つにまとめられて背中に流れている。着ている服はカイと同じ、聖騎士団の団服だった。縁に鮮やかな青のラインが入った白いロングコートが、薄闇に慣れた瞳にまぶしく映る。横からではよく分からないが、胸の前部にはアシンメトリーにスカイブルーの十字がデザインされているはずだ。間違いなく、光神リラに仕える聖騎士の服装だった。

 聖騎士団の団服を着た青年は、かすかに頷くとおもむろに立ち上がった。バルトロは表情を強ばらせて、青年を見上げる。

「な、何をするつもりだ……!」

「先ほど言ったとおりです。まずは、一緒に城へ来ていただきます」

 気色立つバルトロと対照的に、冷静な声で青年は告げた。バルトロは青年から視線を外し、救いを求めるように周囲を見回す。その視線が、呆然と事の成り行きを見守っていたフィラを捉えた。目を見開いたバルトロの視線を追って、青年がこちらへ振り向く。

 とっさに隠れる余裕もなく、フィラはまともにその視線を受け止めてしまった。青年の瞳が、ほんのわずかに見開かれる。フィラも呆然と青年を見つめ返す。

 ものすごく、綺麗な人だと思った。野生動物のような生命力にあふれた美ではなく、どちらかといえば大理石の彫刻や鋭い刃物を思わせる、無機物的な美しさだったけれど。冷たい美貌という言葉がこれほど――落花生のさやに収まったピーナッツのようにしっくり来る人間も、あまりいないんじゃないだろうか。

 嵐の合間の凪のような、奇妙な沈黙が場を支配する。誰もが呆然とその沈黙を受け入れ、呼吸すらも忘れた。

 一番最初に我に返ったのは、見知らぬ青年だった。

「お前は……」

「逃げなさい! フィラ!」

 弾かれたように身を起こしたバルトロが叫ぶ。青年は一瞬ためらうような素振りを見せてから、バルトロの額に手のひらをかざし、何事か呟いた。途端、バルトロは糸が切れた人形のようにぐったりと椅子に倒れ込む。

「バルトロさん……!」

 フィラはとっさに駆け寄ろうと扉を押し開けて、そのまま凍り付いたように動きを止めた。

 青年の瞳が、もう一度フィラを見た。冷ややかに。

「どうやって入ってきた?」

 威圧するような調子で訊ねられる。

「ど、どうって……」

 気圧されて一歩後ずさると、青年は迷いのない歩調でこちらへ歩み寄ってきた。

「どこから入ってきた。この家には、彼と私以外の人間はいなかったはずだ」

 色素の薄い瞳がフィラを見下ろす。逆光のせいで色まではわからないが、優れた芸術家の手によって石に閉じこめられた神々のような冷たい美貌の中で、瞳だけは強い意志力を宿して、確かに彼が『生きている』のだと感じさせた。

「わ、私……」

 フィラは必死で言葉を探し、結局ろくな言葉が見つからずにまともな説明を放棄する。

「とく、特異体質で……それより、バルトロさんに何をしたんですか?」

 青年がかすかに瞳を細める。酷薄な印象がより強くなって、フィラはまたじりじりと後ずさる。青年がフィラを追って居間から工房へ入ると、暗かった天井に明かりが灯った。いつも工房を照らしていた電球の赤みがかった光とは違う、目を射るような白色光だ。けれど今のフィラには、光源を確かめている余裕などない。

「別に。話をしていただけだ」

「嘘ですよね、それ」

 せいいっぱい虚勢を張って青年をにらみ付けながら、フィラは少しでも扉へ近づこうと、今度は意図的に後ずさる。

「嘘ではないが、ただ話の内容が聞かれてはまずいものだったことは確かだからな。聞いていたのなら、お前も消すしかない」

 青年は言い終わると同時に急に歩調を速めて、フィラの行く手を遮った。本能的に青年に向き直って距離を取ったフィラは、飛行機の骨組みの間で自分が逃げ場を失ってしまっていることに気づく。このまま後退し続けても、背後には壁しかない。

 ――消すって、やっぱり殺されるってことなんだろうか。

 胃の中に氷をつっこまれたような気分だった。足が震える。今すぐに、あの変な『魔法』が発動してくれればいいのに。

「私も……消すって……?」

 かすれた声で訊ねる。死とは別の答えが返ってくれば良いと願った。だが、青年は答えない。無言のまま右手を上げる。その手に圧されるように、フィラはまた一歩後ろへ下がった。壁に立てかけられていた木製の翼は、寄りかかると不安定に揺れて、フィラは軽いめまいを覚える。それでも、青年の動きから目を離すことはできない。

 青年は、さっきバルトロにそうしたように右手をフィラの額にかざした。

 それが、恐怖の限界だった。

「いやっ!」

 ほとんど本能的にその手を払いのける。

 振り払われた青年は、一瞬呆然としたようだった。

「いやです、嫌です死ぬのはっ!」

 めちゃくちゃに両手と持っていたノートを振り回し、バランスを崩してとっさにぶつかった『何か』に片手をついた。

『何か』は壁に立てかけられた流線型の翼だった。もちろん固定などされていなかった。翼はあっさり倒れ、視界が斜め右方向に約三十五度回転し、次いで同じくらいの角度を左斜め前に引っ張られた。目の前が真っ白になり、ついでに左の上腕がリング状に痛かった。

 何が起こったのか、とっさに状況が把握できずに、フィラは息を呑んだ。真っ白な視界の中、自分の鼓動だけが耳元で響いている。

 ふと目の前の白がため息をつき、遠ざかった。同時に左腕を締め付けていた感覚も消える。

「わかったから、お前の名前と職業と住所を言え」

 目の前の真っ白が青年の団服だったことはわかった。左の上腕が痛かったのは青年が掴んでいたからだということもわかった。

 と、いうことは?

「おい、聞いてるのか?」

「は……?」

 フィラは呆然と青年を見上げながら思う。

 殺そうとしていた相手がうっかりこけようとしているところを助ける必然性って何だ?

「名前、職業、住所」

 噛んで含めるような口調で、青年は言った。騎士が職務質問するときの聞き方だと知っていたせいか、青年の態度が命令しなれた者のそれだったせいか、フィラは思わず居住まいを正して答えてしまう。

「……フィラです。フィラ・ラピズラリ……職業はウェイトレス兼ピアノ弾きで……住所は……住所、は……」

 言いかけて、はっと口をつぐむ。

 言ってしまって良いのだろうか。自分がここで『消されて』しまって、この人が酒場のみんなにまで手を出したりしたら。記憶のない自分を引き取って寝場所と仕事を与えてくれた人たちに、恩を仇で返すようなことになってしまう。

「住所がないわけじゃないだろう」

 口をつぐんでしまったフィラに、青年は訝しげに眉根を寄せた。

「……言えません」

「何故」

 目を伏せると、青年のつま先がちょうど視線の先に来る。カイと同じ、つま先に金属片の取り付けられたブーツだ。本当に、この男は聖騎士なのだろうか。だとしたらなぜ守るべき民を『消す』などと言うのか。納得できないし、腑に落ちない。

 フィラは目を伏せたまま、低く答える。

「あなたが信用できないから。一緒に住んでいる人に、迷惑を掛けたくありません」

 青年は呆れた様子で短くため息をついた。

「今日、新しい領主が来るという話は聞いているな」

「え? は、はい」

 話の展開について行けなくて、フィラは思わず顔を上げ、青年の表情を窺う。だが、軽く眉根を寄せた表情からはいらだち以外の感情は読み取れない。

「俺がそうだ」

 そのままの表情で、青年は傲然と言い放った。

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