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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第一部 晴雨の章
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第四話 踊る小豚亭豪遊記 File-4

 4-4 カイ


 路地裏から一歩出た先は、派手な身なりの人々が行き交う歓楽街だった。色のない裏路地と違い、色とりどりの看板が道を飾っているが、どぎつい色合いはどこか乱雑で、美しさを感じさせない。

 フィラは出来るだけ周囲の人と目を合わせないように、うつむきながら早足で歩いた。この場でフィラの存在は、余りにも場違いだ。とにかく誰の目にも止まらずに、早く通り過ぎてしまいたかった。

 今まで足を踏み入れたことのない治安の悪い地区は、確か町の南側に広がっていたはず。そう見当をつけて、フィラは街並みの向こうにそびえ立つ風泣き山を目指して進む。明るすぎる悪夢のような色の洪水はどこまで行っても終わらない。早く、早くと気ばかりあせる。

 それでも歩き続けるうちに、ようやく派手な看板は数を減らし始め、街並みの雰囲気も落ち着いたものに変わってきた。もうすぐ歓楽街を抜けられるのだろう。フィラは唇を引き締め、歩調を早めた。

 誰かに腕を掴まれたのはその時だった。

「な、な、あんた、花売りなんだろ? 買ってやるからさあ」

 ぎょっとして振り向いたフィラに、前衛的な色合いに髪を染めた軽そうな雰囲気の若者が笑いかける。

「お前、こんな子供が趣味なのかよ?」

 若者の隣にいた同年代らしい男が、似合わない髭の下からそう言った。フィラは若者の手から静かに自分の腕を取り戻し、逃げるタイミングを探る。

「たまにはいいじゃねえか、こういう純情そうなのも」

「……申し訳ありません。私、花売りではないので」

 低い声で答えてさっさと立ち去ろうとするフィラの腕を、声をかけてきた方の若者がもう一度捕らえた。

「安心しろって。こう見えても俺、金払いは良いんだぜ?」

「放して下さい!」

 嫌悪と恐怖に思わず荒らげてしまった声が、自分の耳にも悲鳴じみて聞こえた。道行く人々が振り返り、目の前の青年の機嫌は目に見えて急降下する。

「なんだよ、悲鳴なんかあげてんじゃねえよ!」

 思わぬ反応に相手も焦ったのかもしれない。悪者になってしまいそうな空気を回避したかったのだろうが、彼が発したのはまったく逆効果にしかならない台詞だった。

「何をしている!」

 集まり始めた野次馬をかき分けて、叩きつけるような良く通る声が聞こえた。

「聖騎士だ!」

 野次馬の中から誰かが叫び、それを合図に人々はモーゼの前の海のごとく道を空ける。若者二人は慌てふためき、何かよく意味のわからない言い訳を口にしながら、人混みに紛れるように逃げ出していった。

「大丈夫ですか!?」

 物見高い野次馬たちの間から、白い団服に身を包んだ黒髪の青年が姿を現す。

「か、カイさん?」

 フィラは助かった、と長く息をついてから、質問されていたことを思い出して姿勢を正した。

「あ、すみません、大丈夫です。完璧です」

 何が完璧なのか自分でもよくわからなかったが、カイはそういうところにつっこみを入れられる人間ではなかった。

「間に合って良かったです」

 カイはフィラに向かって安心させるように微笑みかけてから、表情を厳しくして周囲を睥睨する。その視線に気圧されて、野次馬たちはあからさまな見学を諦め、ちらちらと振り返りつつも三々五々散っていった。

「ありがとうございます。助けていただいて」

 深々と頭を下げるフィラに向かって、カイは何故か申し訳なさそうな表情で首を横に振る。

「いえ、すみません。本来なら、最初からこういったことがあってはならないのですから。治安が悪いのは、ひとえに私たち聖騎士の責任です」

「そんなことないです!」

 自分でも思いがけないくらい強く否定してしまって、フィラは狼狽した。なぜか連鎖的にソニアからカイのことが好きなのかと尋ねられたことまで思い出してしまい、一気に頬が熱くなる。カイも驚いたように目を見開いてフィラを見下ろした。

「だって、り、領主様だってまだ就任したばかりで……これでもだいぶ、治安は回復したって思ってます。……領主様には感謝しているし、きっとユリンは今よりずっと良くなるって、みんなも言ってます」

 自分も心から、疑うことなくそれを信じられたらどんなに良かっただろうと思いながら、フィラは続ける。

「カイさんが責任を感じることないです。本当に、ありがとうございました」

 改めて深々と頭を下げるフィラに、カイは少し迷った末、静かに微笑みかけた。

「そう言っていただけると……私の方がありがたいです。またこんな目に遭うことがないよう、我々も努めて参ります」

 フィラは頷きながら深呼吸して、どうにか気持ちの昂ぶりを押さえようとする。

「ともかく、ここを抜けましょう」

 カイは前に立って歩き出し、フィラもそれに続いた。二人はしばらく無言で歩き続ける。

 やがて頬の火照りも収まったころ、フィラは前を行くカイに遠慮がちに話しかけた。

「あの、そう言えば、カイさんはどうしてこちらに?」

「声が聞こえたんです」

 気持ちのこもっていない声で、カイは振り向きもせずに答えた。どこか上の空な調子を不思議に思って、フィラは歩調を早めてカイに並び、その横顔を見上げる。

「私を呼ぶ声が……」

 カイはつらそうな表情で考え込みながら、やはり上の空で答えた。質問に答えたと言うよりは、フィラの質問がちょうどカイの思考と合致したから答えを口にしてしまったと言った方が正しそうな雰囲気だ。

「私、カイさんのこと呼びましたっけ?」

 もう一度問いかけると、カイはやっと質問の主がフィラであることに気付いたらしく、慌てた様子でフィラへ振り返る。

「いえ……あ、いや、おそらく、そんなことは……すみません」

 誠実に答えようとしたカイは、途中で言葉に詰まってため息をついた。この人嘘つくの下手なんだな、と思って、フィラは微笑する。

「その……見回りをしていたんです」

 しどろもどろになりかけながら、カイはどうにか説明し始めた。

「この辺りは前領主が部下の要望に応えて作った歓楽街なのですが、どうやら彼には管理しきれなかったらしく、今ではご覧の通り犯罪の温床になってしまっています。この地区も少しずつ手を入れて解体していくつもりなのですが、取り締まるには人数が足りないので、もうしばらく時間がかかりそうなんです。その分、見回りは毎日欠かさないようにと団長の命令で」

 話しているうちに、カイの口調はだんだん自信と確信を取り戻していく。

「今日もそれで立ち寄ったんです。たまたま通りかかって良かった。フィラさんはどうしてここに? こんな所に足を踏み入れるなんて、あまり褒められた行為ではないですよ」

 それはそうだ。フィラだって足を踏み入れたくはなかった。苦笑と不安の入り交じった複雑な表情で、フィラは首を横に振る。

「私、転移してしまって。バルトロさんの家で団長と会ったときみたいに」

 カイははっと目を見開き、すぐに理解の表情を浮かべた。

「すみません、そうでしたね。酒場までお送りしましょう。私も今から行こうと思っていたところですから」

 その言葉に、フィラは思わず唇の端に微笑を浮かべる。

「どうかしましたか?」

 カイが不思議そうに尋ねた。思い出し笑いなのだから、訝しがられて当然だろう。

 少しだけ恥ずかしく思いながら、フィラは今度はちゃんとカイに向かって微笑む。

「いえ、ただ、最近同じような台詞を聞いたなと思って」

「同じような?」

「はい。先日もそう言って、クロウさんが送って下さったんです」

 フィラはカイを見上げたまま、目を細めて笑みを深めた。

「私、なんだか、聖騎士の皆さんにすごく親切にしていただいてますね」

 カイもフィラに微笑み返し、誇らしげに口を開く。

「当然のことです。あなたは、我々が守るべき市民のお一人なのですから」

「そうですね。……ありがとうございます」

 心から感謝の言葉を述べながらも、フィラはふと考えていた。果たしてジュリアンにとっても、自分は『守るべき市民の一人』なのだろうか、と。


 カイが一緒にいるのを良いことに辺りをきょろきょろと見回していたフィラは、周囲の景色に既視感を覚えて立ち止まった。

「どうしました?」

「この道、見覚えがある気がして……あ」

 不思議そうに首を傾げるカイに、フィラは微笑みかける。

「思い出しました。覚えてらっしゃいますか? 私、以前も一度カイさんに助けていただいたことがあるんです。正確には助けてもらったというか、道を教えてもらったんですけど」

 カイは返事を期待しているフィラを見つめたまましばし考え込んだ。

「確か……私が着任したばかりの頃ですね?」

「ええ。私もここに来たばかりで道に迷っていたら、そっちに行ったら危ないって声をかけてくれて、踊る小豚亭まで道案内をしてもらったんです」

 フィラは道ばたに向かって片手を広げる。

「その時会ったの、確かこの辺りでした。私、あの時、歓楽街の方に行ってしまうところだったんですね」

「この辺りは特に治安が悪かったので、あの頃から出来る限り目を光らせてはいたんです。お役に立てていたなら嬉しく思います」

 カイはごく自然な動作でフィラに向かって騎士の礼を取り、また先に立って歩き出した。

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