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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第一部 晴雨の章
24/195

第四話 踊る小豚亭豪遊記 File-2

 4-2 領主権限の活用と乱用


 夕方の酒場はいつもより混み合っていた。昨日の嫌な天気から一転、気持ちよく晴れた一日だったので、少し遠くに住んでいる者も足を運んでくれたらしい。

 人の輪の中心では、ソニアの父である花屋と、酒場の向かいに住んでいる踊る小豚亭常連の楽器屋が談笑している。話題はもっぱら、最近ユリンが格段に住みやすくなったことについてだった。

 いくつかの職業では規制の解除やら関税の引き下げやらの恩恵で収入が増え、城への出入りが一部許可されたことから新たな仕事も増えた。前領主が出した不必要な条例は次々に撤回され、城の兵士たちも以前の高圧的な人々から、住民を第一に考えろと教育された親切な人々に変わった。城に買い占められていた評判の良い美味しい酒が巷にも出回るようになった。踊る小豚亭にも新しい酒が入り、メニューが増えた。

 皆は口々に良い変化を数え上げ、一つ意見が出るたびに祝杯をあげている。前領主が街を治めていた頃、皆が愚痴ばかり言っていたことを知っているフィラにとっても、その変化は確かに好ましいことだった。それでもなんとなく釈然としない気分が消えないのは、隅のテーブルに腰掛けたバルトロに元気がないせいだ。

「最近どうしたんだろうねえ、バルトロは」

 バルトロは心配そうなエディスの視線の先で、皆との会話にも加わらず食事を続けているが、皿の上の料理はさっきから一向に減る気配がない。

「食欲ないみたいだけど……病気じゃないだろうね?」

「ご病気だったら、バルトロさんは無理しないんじゃないかと思います」

 料理を運ぶ合間にエディスと囁き交わしたフィラは、ため息混じりにバルトロを見た。

 病気ではないだろう。恐らく。急に生き甲斐を奪われてしまったことに、きっとまだ対応できていないのだ。記憶がないからなおさら、どうしたらいいかわからなくなってしまっているのかもしれない。どうして自分に覇気がないのかも把握できなくて。

「フィラちゃん! エールのジョッキ三つ追加してくれるかい!」

「あ! はい、ただいま!」

 まだ夜になったばかりだというのに、もうできあがってしまっているらしい花屋の声が、フィラの思考を遮った。


 注文が一段落した頃、酒場の入り口が音もなく開いた。

「まあ、領主様……ようこそいらっしゃいました。すみませんねえ、なんだか今日はいつも以上にとっちらかっていて……」

 たまたま入り口の近くにいたエディスが、入ってきた人物をいち早く認めて声をかける。

「いえ、どうぞお気遣いなく。今日は私も客の一人として足を運んだだけですから」

 領主様――つまりジュリアンは見事な微笑を浮かべ、エディスに向かって騎士の礼を取った。ジュリアンと一緒に来たらしいカイも、その場から一歩下がって微笑んでいる。

「お、領主様!」

 新入りは誰かと顔を上げた楽器屋が、ジュリアンを見て声を上げた。

「今ちょうど領主様の噂をしとったところなんですよ!」

 楽器屋の言葉を皮切りに、人々は一斉にジュリアンを取り囲む。

「先日は金物売買の規制を解いてくださってありがとうございます!」だの「一昨日納入した花はどうですか枯れていませんか?」だの「こんな美味い酒が飲めるのも領主様のおかげです、一杯いかがですか?」だのと、フィラが聞き取れただけでも大変な騒ぎだ。どこぞの異国の聖人君子でもない限りはとても全部は聞き取れそうにない。しかし、喧噪にかき消されがちなジュリアンの声を聞く限りでは、彼はできる限り全員に丁寧に返事をしているようだった。

「……ちょっと、すごい、ですね」

「本当だねえ」

「私も驚きました」

 ジュリアンを取り囲む人垣を眺めながらエディスに話しかけたフィラは、返事が一つ多かったことにぎょっとして振り返る。

「か、カイさん?」

 いつの間に来ていたのか、カイがカウンターに手をかけて立っていた。

「すみません。驚かせてしまいましたか?」

「あ、いえ。そんなこと」

 カイはゆっくりとカウンターに体重を預け、ため息をつく。

「あの人垣からはじき出されてしまいました」

 どうしたものかと思案に沈むカイに、フィラは小首を傾げた。

「団長さん、お食事にいらしたんですよね?」

「ええ。しかし、あれでは……」

 頷くカイの笑顔は、どちらかというと苦笑に近い。

「食事どころじゃないね」

 エディスも首を振りながら苦笑を漏らした。

「二階の個室にテーブル用意した方がいいですかね?」

「そうしていただけると助かります。先に注文しておいても構いませんか? 皆さんの話が一段落したら、一緒に上へ参りますので」

 カイは礼儀正しくエディスの提案に応じ、エディスはフィラに注文を取るように言いつけて二階へ上がっていく。ジュリアンはまだ熱心な人垣の向こう側で、人々の話に耳を傾けている。


 カイが注文した二人分の料理がテーブルに並んだ頃、ジュリアンはようやく人垣から解放された。

 ジュリアンはぼんやりと何か考え込みながら前菜を平らげ、フィラが運んできた素朴な味付けのローストチキンをものすごく難しい表情で切り分け始める。

「団長……まずいんですか」

 ワインを注ぎに来たフィラは、眉根を寄せてチキンを食べているジュリアンに我慢できずに話しかけた。脳裏に過ぎるのは、「あいつがちゃんと楽しく食事するように、厳重に指導してやってね。ほっといたらぜーったい楽しまないから、あいつ」というリサの言葉だ。

「いや、美味しいが」

 完璧に上の空な調子で、ジュリアンはワイングラスを口に運ぶ。フィラは少し考えた末、苦言を呈することに決めた。わざわざ足を運んだのに仕事のことばかりでは意味がないだろうし、何より働いている店の料理は美味しく食べてもらいたいと思う。

「だったらそんな苦虫を噛み潰したような顔で食事しないで下さい。腕をふるったエルマーさんに失礼ですよ」

「フィラさん……」

「ああ、悪い。考え事をしてたものだから、つい」

 たしなめるようなカイの呼びかけを遮って、ジュリアンは顔を上げた。

「そんな、眉間にしわ寄せて深刻な顔をするような考え事なんですか?」

 さっきよりもいくぶん穏やかな口調で、フィラはジュリアンの顔を覗き込む。

「……いや、別に」

 ジュリアンは目を伏せ、頭を横に振った。

「楽しく食事をした方が良いですよ、って話だったじゃないですか」

 呆れ半分で言うと、ジュリアンはやはりぼんやりと食事を再開する。

「ああ、そう言えばそんな話をしていたか」

 まるで寝起きのような反応の鈍さに、フィラは思わずため息を漏らした。

「カイさんとお話ししながら食べるとか、やっぱりお店で食べるとかすれば良かったんですよ。黙々と食べてたら楽しくなりようがないですなら」

「なら?」

 語尾を聞き咎めたカイが不思議そうな顔をする。

「……楽園訛りだな」

「やはり、間違いないようですね」

 ジュリアンの断定にカイも賛同し、フィラは何のことやらよくわからなくて首をひねった。

「何の話ですか?」

「お前が田舎者だという話」

「は?」

「だ、団長……」

 フィラは憮然と聞き返し、カイは慌ててジュリアンを止めるような仕草をする。ジュリアンはいったん食事を中断し、真っ直ぐフィラを見上げた。

「話し相手が必要だと言うのなら、お前が一緒に食べてくれ」

「わ、私、今仕事中です。だから駄目です。話ならカイさんと」

 一体何を言い出すのかと、フィラは動揺して視線をそらす。いくらリサに頼まれたからって、それはちょっと遠慮したい。夏祭りで昼食を一緒に取ったときも、どうしてこんなことにと思っていたくらいなのだから。

「夕食はまだなんだろう?」

「それは……まだですけど」

 何か上手い言い訳はないものかと思案する間にも、ジュリアンはたたみかけるように言葉を続ける。

「だったら良いだろう。領主の命令に従うのも仕事だろ?」

「……違います」

「団長……」

 フィラは疲れた声で首を振り、カイはいっそ泣き出しそうなほど情けない声を出す。

「フィラ、いつまで油売ってるんだい?」

 階下から聞こえたエディスの声が、言葉はきついのにまるで救いの神の声のように聞こえた。しかしフィラが何か返事をするより先に、ジュリアンが立ち上がって返事をしてしまう。

「申し訳ありません、マダム。私が引き留めていたんです」

 様子を見に上がってきたエディスに、ジュリアンは完璧に礼儀正しい微笑を向けた。ほとんどの人間に警戒心を与えないだろう、穏やかな微笑だった。

「申し訳ないついでに、私の食事に付き合っていただきたいので、しばらく彼女をお借りしてもかまわないでしょうか」

「だ、団長、何言って……!」

「ええ、あたしはかまいませんよ」

 狼狽するフィラを、救いの神はあっさりと見捨てた。

「こ、困りますよ、エディスさん!」

「あら、フィラ、光栄じゃないか。ちょうど注文も途切れたところだし、お相伴に預からせてもらっても良いんだよ」

 詰め寄るフィラからごく自然な動作でトレイを取り上げながら、エディスは人の悪い笑みを浮かべてみせる。

「いや、良いんだよじゃなくてですね、だいたいお客さんいっぱい来てるじゃないですか」

「気のせい気のせい」

 確かにさっきよりは注文も落ち着いてきたけれど、客が多いのが気のせいだなんてありえない。絶対にない。

「もちろん、食事の代金は私が持たせていただきます、マダム」

 何やらすっかりその気になっているエディスに、ジュリアンが追い討ちをかける。

「ほらほら。せっかくなんだから」

 敗北を悟ったフィラは、深く深くため息をついた。


「職権乱用だな」

 しぶしぶ目の前の席に着いたフィラを眺めて、ジュリアンはしみじみと呟く。

「初めてやった」

「もしかして、反省してるんですか?」

 ローストチキンの回りに何種類かの料理を付け合わせた従業員用のメニュー(コース料理はさすがにお断りした)を前に、フィラは恨めしそうにジュリアンを見上げた。

「そこそこ」

 唇の端に意地悪げな微笑をたたえながら、ジュリアンはワイングラスを手に取る。

「嘘ばっかり」

 せめて表情だけでも取り繕ったらどうなのだと思いながら、フィラは食器を手に取った。

「俺はお前が思っているほど嘘つきじゃない」

「本人の申告なんて当てになりません」

 にべもなく答えたはずなのに、なぜかジュリアンは満足げな微笑と共にワインを口にする。

「フィラさん、団長は本当に……」

 親の仇でも取るかのように猛然とローストチキンを切り分け始めたフィラに、カイがたしなめるような声を上げた。

「カイ。俺は構わない。信じる信じないは本人の自由だ」

「しかし」

「疑われているのは俺だけだろう。俺が気にしていないんだから、お前が気にする必要はない」

 生真面目に反論しようとするカイをあっさりと封じ込めて、ジュリアンは食事を再開した。

 何か上手く丸め込まれてしまったような釈然としない感じはあるが、それでもまあさっきよりは楽しそうだし、当初の目的は達せられたのかもしれない、と、フィラは思う。そのために自分がダシにされているのは非常に納得がいかなかったが、リサに報告したら彼女はきっと喜ぶだろう。

 ――まあ、いいか。

 何かこだわるのも馬鹿馬鹿しく感じられてきたフィラは、心の中でそう呟くと、食材や雑貨はどこの店で買うのが良いかと議論するジュリアンとカイの会話に加わって、おすすめの店や普段お世話になっている商店街の名前を挙げ始めた。

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