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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第一部 晴雨の章
23/195

第四話 踊る小豚亭豪遊記 File-1

 4-1 舌戦の美女


「幽霊?」

 翌日の午後、またも喫煙しに礼拝堂を訪れたジュリアンは、フィラの話を聞いて鼻で笑った。フィラはむっとしながら姿勢を正してピアノの鍵盤に向き直る。

「間違いなくリサさんじゃなかったし、一般の僧兵の方にもああいう雰囲気の人はいなかったと思うんです。あ、でも、あとで考えたんですけど、リサさん以外にも女の人、もう一人いらっしゃってるんですよね?」

 確か、リサがそんなことを言っていた。もう一人女性の聖騎士が来ている、とかなんとか。

「確かに来てはいるが、昨日のその時刻なら彼女は俺の部屋にいたぞ」

 無意味にぱらぱらと楽譜をめくるフィラに向かって、ジュリアンは不審そうな口調で言った。

「あの区域に立ち入りを許可しているのは、部外者ではお前だけだしな……」

 煙と共にため息を吐き出して、首を横に振る。

「一応、調べてみよう。侵入者がいたとしたらやっかいだ。……侵入者よりは幽霊の方がましだな」

 ピアノの練習を再開しようとするフィラの耳に、ジュリアンの低い呟きが届いた。


 帰り道、フィラは廊下の向こうから歩いてきた書類の山と出会った。

「あれ、フィラちゃんだ」

 フィラの前で立ち止まった書類の山から、リサが顔を出す。両手いっぱいに高く積み上げられた書類に顔まで隠れてしまっていたのだ。

「こんにちは。それ、運ぶの手伝いましょうか?」

 いったいどこからこんなに運んできたんだろう、と思いながら、フィラは小首を傾げる。

「いいの? 助かるなあ、コレ前見えなくってさ。危ないったらないんだよね。上三分の一くらい持ってくれる?」

「はい」

 頷きつつ、フィラは紙束を半分ほど取り上げた。

「ありがとー。今度なんかおごるね」

 書類の下から顔を出したリサが笑う。

「いえ、お気遣いなく」

「ジュリアンの執務室まで持ってくから、ついてきて」

 リサは笑いながらそう言って、フィラの前に立って歩き出した。


 領主の執務室は城の東端に位置していた。以前の領主が使用していた玉座の間を改装して作った豪華で偉そうな執務室は、ジュリアンの趣味には合わなかったらしい。

「広すぎるとか派手すぎるとか、掃除している時間がないとか、いろいろぐだぐだ言ってたけどね」

 執務室へ続く廊下を歩きながら、リサはそう説明した。

「あいつ、朝一番で明るくなる部屋じゃないと起きるのがつらいのよ。絶対それが本音よ。だから真っ先に東向きの部屋を確保したのよ。絶対そう。そうに違いない」

「寝起き悪そうですもんね……」

 闇の竜に会いに行った朝の有様を思い出して、フィラはしみじみと頷く。

「悪い悪い、かわいそうなくらい。毎日意志力だけで自分の身体をベッドからひっぺがしてるらしいよ。あんまり寝起き悪くて寝込み襲われたらヤバイってんで、毎晩レーファレスに不寝番させてるんだよね。あれで労働基準法違反だって怒られないの、よっぽど懐いてんだろうな、レーファレス」

「レーファレス?」

「あいつの守護神」

 リサが答え、フィラがさらに質問しようと口を開きかけたとき、行く手の扉が開いて黒髪の女性が姿を現した。

 ものすごい美女だった。緑がかった黒髪は顎のラインできっちりと切りそろえられ、つり目を強調するアイメイクや艶やかな赤い口紅と相まって、えらくシャープでキツそうな印象をその美女に与えている。

「リサ、そちらは?」

 こちらへ向かって真っ直ぐ歩いてきた女性は書類を抱えて歩いてきたリサとフィラを見つけ、秀麗な眉を微かにひそめた。

 彼女がリサやジュリアンが言っていたもう一人の女性聖騎士なのだろう。聖騎士団の団服を身に纏った彼女は、男性的な服装にもかかわらず不思議と色っぽい雰囲気を漂わせていた。

「フィラちゃんだよ。城下町の酒場でピアノ弾き兼ウェイトレスしてるんだって」

「そういうことを聞いているんじゃないわ」

 黒髪の女性は透明で小粒な宝石が縦に連なっただけのシンプルなデザインのピアスを揺らし、冷ややかに首を振る。

「その子、出入りの許可もらってるの?」

「信用ないなあ。大丈夫だって」

 両手の塞がっているリサは、手を振れないのが残念だと思っていそうな調子で明るく答えた。

「あなたって、その辺適当そうなんだもの。許可をもらっているなら良いけど、それでも無闇に団長執務室まで連れてくるのは感心しないわね」

 対する女性はあくまで冷ややかな態度を貫き、隙のない視線でフィラを上から下まで観察する。

「荷物運ぶの手伝ってもらっただけだって。前見えないの危ないからさ」

「あなたが最初から、二回に分けて運ぶくらいの知恵を働かせれば良かったんじゃないかしら?」

 黒髪の女性は冷たい微笑を浮かべながら小首を傾げ、疑問符まで言い終えると同時に冷徹な無表情に戻った。

「まあいいわ。今度から気をつけるのね」

「はいはい」

 右から左へ流してやろうという態度が見え見えのリサを、黒髪の女性は去り際にじろりと睨み付け、不機嫌そうに歩み去る。リサは彼女の背中に向かって舌を出し、目を丸くしているフィラに向き直った。

「あれ、ダスト・アズラエル」

 女性と話していたときの不自然なまでの明るさは影を潜め、リサの声の調子にも少しだけ険が混じる。

 ――リサとさっきの美女は相性が悪いのだろうか?

 考え込むフィラの耳に、さらにリサの言葉が飛び込んでくる。

「ジュリアンの恋人」

 一瞬、何のことやらわからなかった。お約束的にそれは食べられるものだろうかとかしようもないことを考えて、それからようやくフィラは意味を理解する。

「団長の……?」

 呆然と繰り返した。なぜだか腕の中の書類が急に重くなったような気がする。

「とは言ってもね。あの二人の間に恋愛感情なんて甘ぁいものがあるとはちょっと思えないんだけどね」

 リサは軽く肩をすくめて言い放ち、さっきダストが出てきた扉に向かって歩き出した。

「そう……なんですか? でも、恋人同士、なんですよね?」

 慌てて後を追いながら、フィラはどうにか動揺と折り合いをつけて尋ねる。

「うん。だけどあの二人にあるのって、愛情より執着心だと思うな」

「執着心……?」

「もしくは同族嫌悪?」

 扉の前で立ち止まったリサは、複雑そうな表情でフィラを見下ろした。

「け、嫌悪って……それじゃ恋愛にならないじゃないですか」

「そのはずなんだけどねえ。ま、どうせ偽装だろうしね。不自然なことしてるよね、あの二人も」

 リサは珍しく重苦しい表情でシリアスなため息をつき、ふっと視線をそらす。

「……なんて、人のことは言えないか」

 リサは目の前の扉を見つめ、無表情でぽつりと呟いた。

 それは一体どういう意味ですか、とは、聞いちゃいけないような気がする。

 フィラは落ち着かない気分で、書類の束を抱え直した。


 執務室に入った後も、リサの不機嫌は続いていた。さながら獲物を求める獣の如く突っかかる先を求めていた彼女は、執務机で遅い昼食を取っていたジュリアンに猛然と襲いかかった。

「ちょっとそれ、ご飯?」

 本を右手に持ちワイングラスを左脇に置き、左手に持ったあまり美味しくなさそうなクッキーのパッケージをくず入れに捨てようとしていたジュリアンは、迷惑そうにリサを振り仰ぐ。

「ちゃんとお料理食べなよって前々から言ってるじゃん」

 リサは書類の束を勢いよく執務机に載せ、不機嫌そうに訴えた。

「たまには豪遊しなって、豪遊!」

「なぜそんなもったいないことをする必要がある」

 ジュリアンはリサが運んできた書類を引き寄せ、ワイングラスを空にしてから素早く決済を始める。

「気晴らしに決まってんじゃん! つーかさ、料理を食べなっての、料理を。栄養ブロックをワインで流し込むなんて、到底まともな食事とは言えないっつのよ。ね、フィラちゃんもそう思うっしょ?」

 リサはまくし立てながらフィラの書類を奪って執務机に積み上げ、さっきジュリアンがゴミを捨てた机脇のくず入れを指差した。くず入れの中は半分以上栄養ブロックの抜け殻たちで埋まっている。その他のゴミと比較すると、この部屋の主が三食全部同じ内容で通しているらしいことが推測される。

「活動には特に支障ない。それ以上何を求める必要がある?」

 リサはため息をつくとおもむろにジュリアンの机に両手を置き、わざとらしくその顔を至近距離から覗き込んだ。

「こっちに来てるんだからちょっとくらいぜいたくしたっていいじゃない。君、レイ家の御曹司でしょ? ぜいたくの味ってもんを知ってるんじゃないの? 今だって充分金持ちのくせに、なんでそんな金銭感覚が厳しいのよ」

「俺が俺の金を俺のために使わなくたって別にお前は困らないだろうが」

 ジュリアンは会話を続けつつも書類に目を通し、サインをしては作業済みの山に移動させていく。素早く移動する書類の動きは、リサに邪魔だからどけと訴えかけているようにも見えた。

「ちょっとフィラちゃん! 君も何か言ってやってよこの頑固オヤジに!」

 リサは大げさに身を起こし、フィラに向かって助勢を求める。

「へ? あ、ええと、栄養ブロックって何ですか?」

「食事」

 リサより一瞬早く、ジュリアンがごく冷静な声で答えた。

「だーかーら、あんなの食事とは言わないって! 単なる栄養摂取手段じゃん! 確かに吸収の良し悪しとかその辺りも考えてあるから栄養は偏らないかもしれないけどさあ! そういう問題じゃないって、ホント。ぜんぜん不満に思わないわけ?」

「思わない。それが食事だろう」

 ジュリアンはため息をつきながら手を止め、何か問いかけるようにフィラを見る。

 どうもその視線が「リサはダストと会ったのか」と尋ねているように思えたので、フィラは曖昧に頷いて見せた。

「違う! 料理は文化、食事も文化! この世界の文化を見つめ、体験せよって爺さんも言ってたでしょ! 守んないなら言いつけちゃうよ!」

 ジュリアンは納得した表情でフィラから視線を外し、面倒くさそうにリサを見上げる。

「なぜいちいちそんなことを報告する必要がある」

「君を叱ってくれるただ一人の人だったからに決まってるじゃない」

 リサが大げさに手を振って言い放ち、二人はしばしにらみ合った。

 フィラは一体どうしたものかと内心おろおろした後、思い切って口を開く。

「あの、そんな方がいらっしゃるんですか?」

「いらっしゃったのよ、ありがたいことにね。でなきゃこいつ、とっくにのたれ死んでるって」

 リサはジュリアンとにらみ合う姿勢を崩さないまま、言葉だけを返してきた。

「ああ、確かにそれはそんな感じですね」

 生活能力はありそうなのに、気が向かないとちゃんと発揮しなさそうなあたりが。

「何を納得しているんだ、お前は」

 ジュリアンはため息と共にリサとのにらみ合いを止め、書類の決裁に戻る。

「だって、顔色悪いですよ。いつもどんな食事をされてるのかは知りませんけど、もうちょっと日光に当たるとか、楽しく食事するとか、した方が良いって私も思います」

「楽しく食事? 俺がか」

「そうですよ」

 何でこんなお節介な話をジュリアン相手に始めてしまったのかさっぱりわからないまま、フィラは勢いに任せて話し続けた。

「だってほら、食事の楽しさって消化吸収に影響するらしいじゃないですか。それにちゃんとした料理を食べることは、自律神経にも影響があるってどこかで聞いたことが」

「ほらほらほらほら」

 ジュリアンとフィラを交互に見ていたリサが、我が意を得たりとばかりにほくそ笑む。

「やっぱり君も食事文化を楽しむべきだって。おーいしいんだよ、踊る小豚亭のポークステーキ」

 ジュリアンは諦めの表情を浮かべて首を横に振った。

「豚肉は嫌いだ」

「ビーフステーキが良いって事? そっちのがぜいたくじゃない?」

「牛肉も嫌いだ」

 それでもリサに直接敗北宣言をするのは悔しいのか、ジュリアンはフィラに視線を移して複雑そうな表情で尋ねる。

「……魚料理はあるのか?」

「魚はあんまり……海近くないんで。でも、鶏肉料理だったらおすすめありますよ」

 フィラは営業用の声と笑顔で答えた。

「……わかった。じゃあ、今日の夕食はそちらで取る」

 ジュリアンはため息混じりにリサを見上げる。

「そうしないとずっとうるさく言い続けるつもりなんだろう」

「まあね。早めに折れてくれて助かったわ」

 リサはそう言うと、勝ち誇ったような笑顔を苦笑に変えて肩をすくめた。

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