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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第一部 晴雨の章
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第三話 ピアノと拳銃 File-6

 3-6 煙草の煙とピアノとカイ


 フィラが礼拝堂のピアノを使い始めてから三日が経った。

 新しいピアノはもうすっかり指に馴染んで、まるで十数年来の戦友のようにも感じられた。裏門から城へ入るのはいまだに少なからず緊張するが、礼拝堂にたどり着くまでに特に誰かと会うわけでもないので、いずれ慣れるだろうとフィラは思っている。

 ティナは結局城には近寄りたがらなかった。話を聞いたソニアは予想通り一緒に行くことを希望したが、ジュリアンに釘を刺されていたフィラは申し訳なく思いながらも断ることしかできなかった。断られた後、ソニアは見回りのついでに酒場へ立ち寄ったカイに城への立ち入りを許可してもらえないかと尋ねていたが、こちらでも今は無理だと断られ、仕方がないから話だけでも聞かせてね、と残念そうに笑っていた。

 なので、練習に行くときフィラはいつも一人だ。

 城の東側へ回り込み、先日ジュリアンと一緒にフィアを待っていた場所から、虫食いの激しい裏門の木戸を開けて城の中へと入る。早朝と午後、どちらの時間帯であっても、裏門から礼拝堂へ行く間に人と出会うことはほとんどない。時折紺色の僧兵服を身につけた見習い兵が草刈りをしているのを遠くに見かけることはあったが、話したことのある聖騎士たちと出会うことはなかった。

 裏木戸から荒れ果てた庭を抜け、アーチをくぐって中庭に面した回廊へ出る。見習い兵たちの努力によって蔦や雑草の間から掘り出された噴水の女神像を眺めながら奥へと進み、礼拝堂に辿り着くと、それからは思う存分ピアノを弾くことができた。

 ジュリアンが提供してくれたピアノは非常に良いピアノだった。置かれている場所が場所なだけに練習用としては少し響きすぎたけれど、音色の繊細さを損なうほどではなかったのでフィラは満足していた。響きにごまかされないよう、よく注意して音を聞いていれば練習に支障はない。

 気持ちよくピアノを弾きまくっていると、練習場所を与えてくれたジュリアンがすっかり良い人のような気がしてくるのだから現金なものだ。礼拝堂の静寂に気圧されておそるおそる弾いていたのも、三日目にはもう慣れてしまって、フィラは誰はばかることなくピアノの練習に没頭していた。

 ジュリアンが礼拝堂へやってきたのは、ちょうどそんなタイミングだった。

 ピアノを使い始めてから三日目の午後。一日目にこれと決めた曲の部分練習を繰り返していたフィラは、礼拝堂の扉が軋む音で来訪者に気付いた。

 練習の手を止めて入り口を見やる。丁寧と言うよりは優雅といった方が正しい感じの動作で扉を閉めたジュリアンを、フィラは手を止めたまま見つめ続けた。ジュリアンが何をしに来たのか、一体どう反応するべきなのかさっぱりわからなかったのだ。

 信者席の最前列まで歩み寄ったジュリアンは、戸惑ったままのフィラをちらりと見上げて口を開いた。

「練習、続けていても良いんだぞ」

「でも、練習を聞いてても楽しくないんじゃないかと」

「俺は別にお前の練習を聴きに来たわけじゃない」

 ジュリアンは冷ややかに答えながら、コートの下の胸ポケットに手を伸ばす。

「ええと……それじゃあ」

 フィラはジュリアンの一挙手一投足を見守りながら理由を探った。一体何をしているのかと思えば、シガレットとジッポライターを取り出して火をつけている。

「……もしかして喫煙しに来たんでしょうか……?」

「そうだが。何か問題が?」

 ジュリアンはライターの蓋をかちりと音を立てて閉じながら頷いた。次いでそれを胸ポケットにしまい、ゆったりと煙を吐き出す。

「いえ……特には」

 どんな魔術を使っているのやら、煙がまったくこちらへ流れてこないのを見て、フィラは首を横に振った。自分が煙たくないならば、この場所の責任者に向かってどうこう言える立場ではない気がする。

「でも、どうしてわざわざここで?」

 礼拝堂はどう考えても喫煙場所に指定されるようなところではない。少し離れたブロックに執務室を構えているジュリアンがわざわざやって来る理由としては、どうにも不自然だった。

「ああ。リラ教会の施設は基本的に禁煙なんだ。この城も全域禁煙だから、喫煙しているところをカイに見つかるとうるさい」

 ジュリアンは最前列の信者席に深く腰掛け、無遠慮に足を組む。

 光神リラに仕える騎士が光神リラを奉る礼拝堂で取る態度としては色々つっこみどころに満ちあふれているような気がするが、言っても無駄なような気もする。フィラはため息と共に色々な疑問を飲み下し、呑み込みきれなかった疑問だけを口にした。

「ここは例外なんですか?」

「いや。例外ではないが、カイはここには来ないからな」

 紫煙の向こうの表情が、少しだけ曇る。

「それはなぜ……?」

 反射的に尋ねてしまってからフィラは少し後悔した。妹がいるかと尋ねたときと同じような表情をしているジュリアンに、さらに疑問を投げかけるのはやめておいた方が良かったかもしれない。また気まずくなってしまったらやりきれない。

 フィラの躊躇に気付いているのかいないのか、ジュリアンはふと目を伏せて短く息を吐き、また顔を上げた。

「そのピアノがあるから、だな」

「ピアノ?」

 鍵盤の上に置いていた手を思わずぱっと持ち上げて、フィラはピアノの筐体を眺め渡す。

 ピアノがここにあることと、カイが礼拝堂に来ないことのつながりがよくわからなかった。しかし、あえてわかりにくく言ったのだろうジュリアンに、これ以上突っ込んだことを尋ねるのは気が引ける。でもどうしてなのかはやっぱり気になる。

 ――聞くべきか聞かざるべきか。

 フィラが難しい表情で考え込んでいる内に、ジュリアンは携帯灰皿を取り出して煙草の火を消し、吸い殻を放り込んで立ち上がった。

「そろそろ休憩時間が終わる」

「あ、ああ……そうですか」

 冷静な声音に、フィラは慌ててジュリアンへ向き直る。唐突な宣言だが、要するに早く話を終わらせたかったんだろう。煙草を一本吸うにしても短すぎる時間しか経っていない。

「そうだ、フィラ。お前、ここに来た時持っていたものはまだあるのか?」

 立ち上がると同時に気持ちも切り替えたのか、さっきまでよりも心持ち明るい声でジュリアンが尋ねてくる。

「ありますよ」

 フィラもいつの間にか緊張していた肩の力を抜いて頷いた。

「今どうしてる?」

「部屋に置いてあります」

「誰かに譲ったり、なくしたりしたものは?」

 壇上のピアノと信者席の最前列では、微妙な表情までは読み取りにくいほどの距離がある。ジュリアンが何を考えているのかいぶかりながら、フィラは首を横に振った。

「ありません……たぶん、おおむね」

「概ね?」

「ピンを何本かなくしてしまった気が」

 ――これって重要なことなんだろうか。

 やはり、いまいちジュリアンが何を考えているのかわからない。困惑しながらもしかしたらとんちんかんかもしれない返事をするフィラに、ジュリアンは短くため息をついて言った。

「まあ、それくらいならば良い。残っているものは全部、明日城へ持って来てくれ」

「え? えーと、それはどういう……?」

 フィラの困惑は大きくなるばかりだ。

「違法なものが混じっている可能性があるからな。検査させてもらう」

 対するジュリアンは、相変わらず冷淡なほど冷静な口調で説明を続ける。

「……不満か?」

 フィラの表情が徐々にこわばってきたのを見て、ジュリアンは口の端を歪めて笑った。

「疑われてるみたいで……少し」

 挑発的な態度にむくれながら、フィラは低く答える。

「我慢しろ。本来なら、ここに入り込んだ時点でやっておくべき事だ」

「前の領主様は何もおっしゃいませんでしたけど」

 高圧的なことを言われれば、フィラの口調も自然とけんか腰になってしまう。しかしジュリアンは、人を食ったような笑みを引っ込めない。

「前領主がクビになった理由には、職務怠慢も入っているんだが?」

 ――確かに、そう言われればそうだ。

 フィラは鼻白んで絶句した後、反論を諦めて長くため息をついた。

「……わかりました。持って行きます」

「服や小物も、全部持ってくるんだぞ」

 ジュリアンは言いながら、フィラに背を向けて歩き出す。

「……あの、団長」

 立ち止まってこちらを見上げるジュリアンに、壇上のフィラは困惑しながら問いかけた。

「下着とかも、ですか?」

 ジュリアンが何か反応するまでに、一瞬の間が開く。

「……当然だ。全部と言っただろう」

 嫌そうに顔をしかめながらジュリアンはそう言い捨て、今度こそ早足で礼拝堂を出て行った。

 ジュリアンの余裕をわずかなりとも突き崩せたことに満足するべきか、失言に赤面するべきか。

 微妙な気分でピアノに向き直りながら、フィラはまたため息をついた。

「……ちゃんと全部揃えられるかな?」

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