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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
番外編
194/195

星の海 遠い願い

本編前時間軸。本編に名前だけ出てきたシリイという聖騎士のお話。

 幼い頃、プラネタリウムに住んでいた。

 なぜそこに自分が住み着くことになったのか、詳しいことは覚えていない。

 天魔に襲われ壊滅した集落から、救出に来た賞金稼ぎによって救いだされ、『シリイ』という名前をもらった。愚かな、とか、ばかげた、という意味の単語だ。戦場で拾われた子どもに、悪口のような名前がつけられることはよくある。

 戦場の魔物に見逃された子ども。この子が見逃されたのは幸運だったからではなく、命を奪うまでもない取るに足らない存在だからだと示すための名前。一度目を付けた者をどこまでも追ってくるという、戦場の魔物から逃れるための、文字通りばかげたおまじない。

 救い出された集落から中央省庁区へ移動する間にも、何度か天魔は襲来し、運のない人間は死んだ。わたしはたまたま運よく生き延びた。

 運が悪かったのはそのあとだ。魔力が人より大きかったわたしは、保護された子どもを預ける施設に送られるのではなく、そのまま賞金稼ぎたちの集団に入れられてしまった。恐怖心を麻痺させるために薬物を投与され、消滅(ロスト)の危険性を度外視した破壊力重視の魔術式を体内に埋め込まれ、ろくな訓練もなしに戦場に放り込まれた。

 どうやって生き延びて、どうやって逃げ出して、どうやってあのプラネタリウムにたどり着いたのか、わたしは覚えていないし、記録も残っていない。覚えているのは、目覚めたとき、全身が死にそうなくらい痛くて、実際死にかけていたこと。目の前に生まれて初めて見る星空が広がっていたことだ。

 よく見れば天井の継ぎ目があらわだったし、星もぼやけていて位置も正確ではなかったけれど、目を開けたそのときには本物の星空のように見えた。

 わたしが寝かされていたのは、偏屈な老人が一人で作り上げた、ぼろぼろのプラネタリウムの中だった。

 廃材とぼろ布で作られたドーム。どこからか集められたアルミ板、様々な大きさの歯車。わたしには名前すらわからないカラフルなコードをまとった謎の部品。

 老人は普段はわたしの存在を無視してひたすらプラネタリウムの機械をいじっていたけれど、ときおり様子を見に来ては治癒魔術をかけたり食事や飲み物を与えたりしてくれた。名前を聞いても答えてはくれなかったけれど、時折彼の治癒魔術を求めて訪れる人々は、彼を『スターチス』と呼んでいた。

 彼の素性はいまだに不明だが、治癒魔術の腕は今のわたしから見ても大したものだった。彼の治癒がなければ、わたしは命を落としていただろう。目覚めたとき死の淵にいたわたしは、どうにか生き延びた。

 無口で無愛想なスターチスは、わたしにたくさんのものを与えてくれた。

 命、食料、眠る場所。戦闘で失った左足のかわりの義足。治癒魔術の知識。

 そして、星の名前。

 最後の知識は何の役にも立たないものだ。でも、わたしにとっては一番大事な知識だった。普段はなかなか口を開かないスターチスが、星について語るときだけは饒舌になる。彼が語ってくれるだけで、記号のような名前でも、わたしには特別なものに思えた。最初に星を発見した人間が、その星に自分の名前をつけられるのだとスターチスは言った。本当の名前を名乗りもしないくせに、いつか星に自分の名前をつけるのが夢なのだと、子どもみたいに楽しそうな表情で語った。

 ――名前。わたしの名前に新しい意味をくれたのも、スターチスだった。彼が教えてくれたのだ。シリイというのはばかげたという意味だけれど、もともとは「幸せな」という意味の言葉なのだと。幸せが何なのか、わたしにはよくわからない。でも、スターチスと並んでぼやけた星を見ているときが、その言葉にふさわしい時間なのかもしれなかった。


 親子と呼ぶには遠すぎる、師弟と呼ぶには近すぎる距離のまま、わたしたちは八年間、ぼろぼろのプラネタリウムで暮らした。

 わたしは十五だか十六だかになって、スターチスは最初に会った頃よりさらに老人になって、もうプラネタリウムを作るのはやめていた。

 あんなに時を忘れて作っていたのに、なぜ作るのをやめてしまったのかとわたしは尋ねた。疲れたからだと彼は答えた。

「私はもう、求め続けるには年を取りすぎてしまった」

「求めるって、何を?」

 スターチスは、その質問には答えてくれなかった。答えることなく、プラネタリウムの星を映す暗い天井を見上げた。星の海にはほど遠い、手作りのみすぼらしい星空を。

「いつかユリンに行くといい。あそこにはここよりもずっと素晴らしいプラネタリウムがある」

 思い出したように、スターチスは話を逸らした。否、あるいは、それが質問への答えだったのかもしれない。


 スターチスが流行り病にかかってあっけなく逝ってしまったのは、それからすぐのことだった。彼は最期までプラネタリウムを離れようとせず、わたしの治癒魔術も拒否した。

「どうして諦めるの、スターチス」

 丸天井の下に横たわる老人の手を握って、わたしは問い詰めた。

「生きることも、プラネタリウムを作ることも。どうして諦めてしまうの」

「叶わないからだよ、シリイ」

 ぜいぜいとあえぐ息の間から、スターチスは言った。

「本物の星には……でも、君には、いつか……」

「じゃあ、教えてよ。あなたの名前。わたしが星を見つけてつけてあげる」

 カラカラに乾いたスターチスの唇に耳を寄せて、わたしは最期の言葉を聞き取った。動かなくなったスターチスの前で、わたしは泣いた。本当の年齢も、どこで何をしてきたのかもわからない、ついさっきまで本当の名前すら知らなかった赤の他人の老人のために、身も世もなく泣きじゃくった。

 いつか、一緒に見たかった。本物の星の海を。名前のある星も、まだ誰も名前をつけたことのない星も、すべてが広がっている、本物の空を。


 スターチスが逝ってしまった後、わたしは治癒魔術の腕を買われ、代々リラ教会の最高神祇官である光王や、信仰の対象そのものである光の巫女を輩出してきた名門中の名門、レイ家の私兵となった。そしてそれを足がかりに、光の神に仕える聖騎士に。

 シリイ・スターシーカー。星を探す愚か者。それが聖騎士団に所属するわたしの名前だ。自分でもばかばかしい名前を名乗っていると思う。自分の目的を見失いたくない。ただその一心で、くだらないその名前を名乗り続けている。


 様々な事情があって、聖騎士団は中央省庁区から辺境のユリンの地へ飛ばされた。いつかスターチスが行けば良いと言っていた、世界の果てにある小さな町だ。

 わたしは今、スターチスが憧れていたプラネタリウムを見上げている。世界一大きくて精巧なプラネタリウム。一面に広がる星の海。今にも降りそそいできそうな、くっきりとした輪郭の銀の光の粒が、暗い水面に金箔をまき散らしたように広がっている。

 高原の澄んだ空気を吸い込みながら、まるで本物のようだとわたしは思う。

 でも、足りない。やはりこれは偽物だ。どんなに精巧にできていても、天体望遠鏡を向けて新しい星を見つけることはできない。スターチスがプラネタリウムを動かしながら教えてくれた名前のある星。そのすべてがここから観測できるけれど、だからこそわかる。宇宙という海の中で、まだ誰にも見つけられずに漂っている名前のない星は、ここには存在しない。

 わたしは諦めたくない。

 いつか本物の星の海の中から、誰も知らない星を見つけ出して、名前をつけること。そのためにわたしは戦うのだ。信仰などしていない光の神に仕える、聖騎士として。

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