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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
番外編
192/195

戦場の天使

「海の向こうの国」に出てきたクレイグの回想。

 今でも戦場の夢を見る。

 自分の開発した『兵器』が暴走して、敵も味方も情け容赦なく焼き尽くしていく風景を。どす黒い雲に覆われた空と、黒く灼かれた大地と、なおも地を這う炎の赤を。

 逃げる場所などどこにもなく、竜が吐き出す炎は目前まで迫っていた。

 ――ああ、ここで終わるのだ。

 クレイグは思った。これは天罰に違いない。人の手を離れた炎の竜が吐き出す炎は、もはや『兵器』などではない。愚かな人間を灼き尽くす天の火だ。その炎に焼かれるのだ。聖書の中に描かれたソドムとゴモラのように。

 祈る資格などないとわかっていながら、祈らずにはいられなかった。

 ――神よ救いを。この戦場で足掻くすべての者に。

 虚しい願いだ。誰一人助かるはずがない。

 初めて出会った頃は魔術の発展に寄与するのだと満面の笑みで語っていたのに、最近はもう逃げたいと頭を抱えてばかりいたリックは、兵器が暴走してこちらへ向かってくるという報告の後、生涯耳の奥から離れないだろう悲鳴を残して生体反応を絶った。戦闘魔術の心得のない学者など足手まといだと言って自分を安全なところに置いていってくれた軍団長のヘイズルも炎の向こう。

 そして戦場に引きずり出され、無理矢理魔力を解き放たれながら、わけもわからず怯えて泣いていた子ども――少年でも少女でもない、名前も持たない『兵器』として作られたクレイグたちの罪の結晶は、巨大な竜になって戦場を地獄に変えている。

 前線に出たことなどないクレイグには、状況がさっぱりわからなかった。誰が敵で誰が味方なのか、誰と誰が戦っているのか、退却はまだなのか、どこへ逃げれば良いのか。

 戸惑っている内に戦場はあっという間に目の前に迫っていた。クレイグの側に転がっていた魔竜石を拾いに来た兵士に、クレイグはほとんどつかみかかるようにして尋ねる。

「どこへ、避難場所はどこなんだ!?」

 必死で問い詰めるクレイグに、護衛の軍団兵はうるさいと怒鳴り立てた。

「見りゃわかんだろうが! 逃げ場所なんかねえんだよ! それよりあれを止める方法はねえのか!? 作ったのはあんただろう!」

 兵士は怒鳴るだけ怒鳴ると返事も聞かずに走り去り、クレイグは一人呆然と取り残される。野営地キャンプの中は怒号で埋まり、兵士たちは持てる限りの力を尽くして竜と炎の侵攻を止めようとしている。けれどもう周りは火の海だ。ぐんぐん上昇していく気温はもはや気道を焼くほどに熱く、呼吸すらままならない。

「神よ、どうか……!」

 逃げ惑う兵士たちに紛れてほうほうの体で塹壕に逃げ込んだクレイグは、耳を塞いでただ祈った。世界中のすべてからお前のせいだと責め立てられているような気がした。すべてを忘れたくて、ただ神に祈る。それで己の罪が軽くなるはずなどないとわかっていながら。

 そして、そんなふうに耳を塞いでいても全身を揺らす爆音と怒号から逃れることは出来ない。

 爆音が鳴り止み、微かに――ほんの僅かに冷たい風が、塹壕の中に吹き込んできたことに気付いたのはそのせいだった。ふいに訪れた静寂に思わず顔を上げた。周囲の兵士たちが呆然と塹壕の外を見上げているのに気付いて、危険だと知りながら好奇心に勝てずに土嚢の陰から頭を覗かせた。

 そこに、天使がいた。

 金髪の少年。まだ声変わりもしていないだろう年頃の、線の細い少年だ。癖のない髪が熱風に煽られ、血の気のない頬を叩いている。翻る白と青のロングコートは、敵方である聖騎士団の団服。この戦場で血や泥に染まっていないその服は、ほとんど現実とは思えないほど鮮烈に目に残る。

 少年が手にした白い剣は眩い光を放ち、こちらへ向かう炎をせき止める結界を維持していた。こちらの陣営が手を尽くしてもどうしようもなかった炎を、たった一人で。

 人間が持ち得るはずがない強大な魔力だ。恐らくこの少年一人でも、容易く壊滅しかけたこちらの陣営を制圧してしまえるのだろう。そう思えるほどの圧倒的な魔力を放ちながら、少年は敵であるはずのクレイグたちすら守ろうとするように剣を構える。真っ直ぐ竜を見据える横顔は作り物のように整っていた。彼の戦意がこちらに向けられていたならきっと死神のように映ったことだろう。けれど焼け焦げた兵器と屍が広がる焦土の中に一人真っ白な光を纏って立つその姿は、その時のクレイグには神の遣わした使徒にしか見えなかった。

 少年は無言のまま、恐怖などまるで感じていないかのような無表情で精緻な魔術を組み上げていく。展開された魔術式が雷光を纏って、翼のように広がる。

 敵陣の中に一人立つ彼を、誰も攻撃しなかった。

 いや、出来なかったのだろう。圧倒的な奇跡の状景に、身動き一つ取ることが出来なかった。白い雷光が朱い炎を掻き消していく。竜の咆吼すらも雷鳴に消える。少年が大地を蹴り、猛り狂う竜へと真っ直ぐに走っていく。迷いのない正確な魔術は竜の繰り出す炎をことごとく退け、その姿が炎と煙の中に消えても、誰も彼の勝利を疑わなかった。

 彼こそがこの地獄と化した戦場から皆を救い出すのだと、あの瞬間、誰もが信じていた。


 結局その戦闘で無力化された竜は聖騎士団の手によって捕らえられ、数年後には敵方の手によって『調教』され、WRUのあらゆる兵士から死神として恐れられることになった。

 あの時の少年の名を、今はもうクレイグも知っている。

 この世界に青空を取り戻し、その代償に自らの命を差し出した英雄。

 あの一瞬に見た、光を放つ少年の姿は、まさしくその肩書きに相応しいものだった。思い出すたびにクレイグの記憶の中でその姿は美化されていき、もはや血の通った人間とは到底思うことが出来ない。

 思えないことに、心が痛む。

 神々しいまでの魔力を纏っていても、彼は確かに人間だったはずだ。モニター越しに見た彼の死を嘆く両親の姿は、紛れもなく人間のものだった。

 生きていれば、あの時彼が何を考えていたのか、どうしてあの『兵器』を殺してしまわなかったのか、どうして敵である自分たちを守ってくれたのか知ることも、命の恩人として礼を告げる機会を得ることだって出来たかもしれない。でももう、その願いは叶わない。

 同じ名前と同じ色の髪を持つ、最近知り合ったばかりの青年のことが気になるのは、そんな罪悪感が胸の奥にあるからなのだろう。年齢も、あの少年が育っていればたぶん同じくらいのはずだ。顔立ちも似ている気がするが、過去を聞けば困ったように笑い、恋人について聞けば嬉しそうに目を細めるその素直な表情と、しっかりしているようでどこか不器用そうな親しみやすい雰囲気は、あの時の少年とは重ならない。

 船上で出会い、連絡先を教えてもらって、異国での寂しさを紛らわすように何度か飲みに誘った。彼が通っている高等学校の研究室助手という仕事も、職場近くに借りたアパートも、すべて彼から紹介してもらったものだ。世話になっているのは圧倒的にこちらの方なのだが、なんとなく弟が出来たような気分になっている。恋人が追いかけてくるまで、一人暮らしは慣れていると言いつつ、どう見ても寂しそうだった姿を見ているせいかもしれない。


 仕事が早めに終わったある日の午後、まだ明るい帰り道を辿りながら、クレイグはそんなことをとりとめもなく思い出していた。

 小さな中庭を囲むように建てられたぼろアパートの半地下がクレイグの今の住まいで、船上で知り合ったジュリアンとその後彼を追いかけてきた音楽学生のフィラも同じアパートの屋根裏に住んでいる。

 部屋へ戻るために中庭を通り抜けようとしたとき、藤棚の下のベンチで二人が話し込んでいるのが見えた。熱心に空中に表示させたモニターを覗き込んでいるのは、来週から始まるバカンスの予定でも話し合っているのだろうか。こちらに気付いた二人が会釈するのに頷き返しながら、クレイグは眩しさに目を細めた。

 こぢんまりとしているけれど、よく整えられた綺麗な庭だ。白と淡紅のタイルの道が通りの入り口から緩いカーブを描きつつ色鮮やかな花壇の間を縫い、奥のアーチへ続いている。バルコニーや格子窓から零れ落ちる花たちも、フィラが来てからますます綺麗に手入れされるようになった。向こうの友だちが手入れのコツを教えてくれるからだと、いつか水やりをしながら教えてもらったことがある。

 暗く閉ざされたWRUにいた頃には想像も出来なかった穏やかな風景に、本当に自分はここにいて良いのだろうかと考える。

 今でも夢を見るのに。自分が作り出した怪物をこの世に送り出してしまったあの日のことを。その罪の償いを、何の縁もない少年に託してしまったことを。そして今目の前にある光に満ちた暖かな風景さえ、あの少年がもたらしたものだということを知っていて、それでもなお自分に出来る償いは僅かなものだというのに。

 ――ああ、でもいつかは。

 アパートの入り口へ続くアーチへ向かいながら、クレイグは小さく微笑する。

 あの炎と泥と血にまみれた記憶も、いつかは塗り替えられていくのかもしれない。少なくとも穏やかに笑い合う二人と、いつか彼らの間に生まれてくるかもしれない子どもたちには、あの風景を二度と見せなくてすむはずだ。犯してしまった罪は贖えなくとも、そのために出来ることならばきっとまだある。

 ふと足を止めて振り返り、どちらかが冗談でも言ったのか顔を見合わせて笑い合う二人の横顔を見つめる。

 記憶の中の戦場に一人立ち尽くす少年の横顔が、笑うジュリアンの横顔と重なるようにふと微笑む。一瞬の白昼夢のような淡い幻影は、瞬く間に揺らいで消えた。

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