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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
番外編
187/195

収穫祭の夜に

ハロウィン短編。第三部第一話と第二話の間のジュリアンとフィラ。

 市街地では無数の灯りが揺れている。上空にきらめく冴え冴えとした高原の星とは対照的な、人の手で灯された暖色の地上の光。風向きによって、時折楽しそうな笑い声も聞こえてくる。

 今日は収穫祭だ。風霊戦争以前から続くハロウィンの伝統行事に則って、カボチャやカブやジャガイモなどの根菜類をくりぬいて凶悪な面構えのランタンに加工し、子どもたちがそのランタンを手に持って――あるいは頭にかぶって各家を回る。「Trick or Treat」という合い言葉は風霊戦争以前のままだ。

 ジュリアンもさっき新領主のお披露目を兼ねて、後任のラインムントと共に広場でお菓子を配ってきた。中央省庁区では考えられないような、牧歌的な行事。広場に大勢詰めかけた子どもたちを見て、こんなにいたのかと驚いた。もちろん数値としては把握していたのだが、一度に見ると感覚が違う。よく笑い、よく泣き、驚くほど高い声を上げて走り回る小さな生き物。

 正直なところ、どう接したら良いかよくわからなかった。子どもの扱いに関してなら、二児の父であるラインムントの方がよほど上手だっただろう。大人に対するときと同じ態度で臨んだらやけに懐かれて困ったが、どうにか習い性になっている真意を隠すための笑顔で乗り切った。

 本当の祭りは夜が本番だ。そちらはラインムントに任せて、ジュリアンは引き継ぎの資料を作成するために執務室にこもっている。城に出入りしている花屋の指導の下に僧兵たちが作ったカボチャのランタンが、執務机の隅に陣取っていることを除けば、いつも通りのユリンの夜だ。

 ジュリアンは資料を作る手を止めて、ニタニタと笑うカボチャを眺める。悪賢く悪魔を騙したために地獄には行かずにすむことになったが、悪人なので天国にも行けず、居場所を求めて地上をさまようしかないかわいそうなジャック。そのがらんどうの頭の中に、魔術で光を灯した。調整しなかったためにぼんやりと明滅する光を、見るともなしに眺める。

 ――フィラは毎年どうしていたのだろうか。

 ふと、中央省庁区に置いてきてしまった婚約者のことを思い出す。牧歌的で美しいユリンの街から引き離して、冷たく人工的な中央省庁区へ連れて行ってしまった少女のことを。

 もしも彼女が今もここにいたら、きっと彼女を引き取った酒場の主人と一緒に美味しい菓子を作って、訪ねてきた子どもたちに配っていたのだろう。祭りに浮かれた人々は酒場に集まり、フィラが弾く古いピアノの伴奏に合わせて愉快で滑稽な伝統歌をうたう。香ばしく焼き上げられた鶏、品種改良と土壌改良のおかげで数十年前よりずいぶんと甘くなったと言われるにんじんやじゃがいもの付け合わせ。振る舞われるごちそうとワインと蒸留酒。

 それがどんなに贅沢なことなのか、彼らは知らない――いや、記憶していない。それで良い。知らせる必要はない。この生活こそが、自らの存在そのものを犠牲にして戦ってきた者たちに対する、ほんのわずかな報酬なのだから。

 そう考えれば、フィラは本来ならここにいてはいけない人間だった。だから今フィラがここではなく中央省庁区にいるのは正しい。理屈ではそうなるはずなのに、納得できない感情が胸の奥にわだかまっている。

 鈍い頭痛を覚えて、ジュリアンは深くため息をついた。ついでに執務机の上に表示していた積層モニターを消し、椅子の背もたれに寄りかかって開け放った窓の外を眺める。冷たい高原の夜風に乗って、歌い騒ぐ人々の声が微かに聞こえる。

 偽物の星空、偽物の月、偽物の平穏。優しかろうが厳しかろうが誠実だろうが卑怯だろうが、嘘は嘘だ。そしてここに住む人々は皆自分の意思でその嘘を選び取った。けれど、フィラは違う。自分がフィラについてきた嘘は――

 ――余計なことを考えている。

 どこまでも落ちていきそうな思考を断ち切って、ジュリアンは立ち上がった。窓辺に歩み寄れば、微かに子どもたちの声が聞こえる。市街地で揺れているいくつもの橙色の光は、手作りのジャック・オー・ランタンを掲げた子どもたちなのだろう。今日は夜遅くまで外で遊べるから、皆はしゃいでいるに違いない。ずっと大人に囲まれて育ってきたせいで、こういう子どもらしい行事とは今まで縁がなかった。今も窓の外に広がる祭りに浮き立った空気は、ひどく遠いものに感じられる。

 祭りの様子を、フィラは知りたがっているだろうか。ティナが準備の様子を何度か話しに行っていたのは知っているが、ジュリアンが直接その話をしたことはない。

 レイ家の邸と専用回線はつながっているが、私的な目的で使うことにはためらいを覚える。ジュリアンは少し迷った末に、僧兵たちの使う共用スペースへ行くことにした。


 城の一角にある共用スペースは、石壁と石畳の床と重厚なソファに不似合いな、安っぽい通信用の端末とガラス張りの公衆電話ボックスが設置された奇妙な空間だった。

 僧兵たちが家族と連絡を取るために設置してある公衆電話の列にジュリアンが近づくと、先に並んでいた僧兵の少年がぎょっとした表情でジュリアンを見た。ユリンに勤める『外側』の人間が外部と個人的に連絡を取れるのは、この前時代的な公衆電話からだけだ。携帯端末用の電波もユリンの中では軍事用しか飛んでいないので、面倒くさがりなリサも他に方法がないからと、よく知り合いの賞金稼ぎと雑談するために仕方なく使っているはずだ。ジュリアンが使うのは確かに初めてのことだが、別に驚くに値するようなことではない、と思う。しかし並んでいた僧兵の少年はなぜかかわいそうなくらいまごまごとして、結局電話を使うことなく逃げるようにその場を去ってしまった。電話ボックスの中にいた別の僧兵(やはりまだ十代の初年兵だった)もそそくさと会話を切り上げてジュリアンに電話を譲る。

 どことなく腑に落ちないものを感じながら、ジュリアンはさっき暗記したばかりの実家のアドレスを入力した。アドレスが手入力なのもものすごく前時代的だ。

『はい、レイ家の執事室でございます。お名前とご用件をお伺いいたします』

 ワンコールも鳴らないうちにエリックが電話を取る。ユリン内部の都合で発信元すら出ない音声のみの通話は、突然かかってきた場合ものすごく不審なはずなのだが、エリックは不審そうな様子はおくびにも出さない。

「ジュリアン・レイだ」

 簡潔に名乗ると、エリックが微かに息を呑む気配がした。

『おや、坊ちゃま、珍しいですね』

「父と母は?」

 エリックの一瞬の動揺には気付かなかったふりをして、ジュリアンは尋ねる。

『お出かけでございます。光王庁立孤児院のハロウィンパーティーにご出席されるとのことで』

 予想していたことではあった。表舞台から身を引いたとは言え、レイ家当主の妻として、セレスティーヌも様々な慈善活動に参加している。光王庁立孤児院の慰問も、その活動に含まれているはずだった。もちろん大きな行事になれば、父も共に出席することになるだろう。

「フィラは」

『留守番でございます。替わりましょうか』

「ああ、頼む」

『かしこまりました』

 フィラの部屋に繋いでいる間に、ジムノペディのメロディが流れる。

『……はい、フィラです』

 ややあってから、フィラの柔らかい声が聞こえた。久しぶり、というほどでもない。ユリンに戻ってからまだ一週間ほどだ。

「ああ……元気にしていたか?」

 どう声をかけたものか迷った末に、間の抜けた問いを口にする。元気でなければとっくに連絡が来ているはずだった。

『はい、おかげさまで』

 笑い混じりの声が答える。酔っ払ったときに見せた醜態のせいで、ユリンに戻る前も顔を合わせるたびに笑われていたのだが、どうやらまだ後を引いているらしい。酔った自分が何をやらかしたのか考えると恐ろしいが、フィラの方は純粋に楽しそうに笑っているだけで、咎めるつもりも何があったか教えてくれるつもりもないようだ。もう諦めるしかないかという気分になってくる。

『今日って収穫祭の最終日ですよね』

「ああ。だから連絡した」

 その通りだったのでごく自然に肯定した後で、何故か妙な言い訳をしているような気がしてきた。収穫祭の様子ならティナが話すだろうということはわかっていたので、そのせいかもしれない。

『ありがとうございます。あの……どうでした?』

 微かに混じる不安な響きに、どう答えるべきなのか少し考え込んだ。

「問題なく終わりそうだな。カルマ襲撃の影響もほぼない」

『良かった……ヴィラールさん、今年も張り切ってたはずだから……』

 ほとんど独り言のような言葉から、ジュリアンは僧兵たちにランタンの作り方を教えていた花屋の顔を思い出す。

「花屋の主人か。確かに、彼のおかげで城までランタンで飾り付けられることになったからな」

『い、いつも以上に張り切ってますね……』

 ジュリアンの前にいた領主の下では、張り切りたくても張り切れなかっただろう。治安維持に力を割くことすら進んでしようとしなかった男だ。街の行事に積極的に関わることはなかっただろうし、街の人々もあの領主に参加を望みはしなかったはずだ。

『団長は参加したんですか?』

「ああ……菓子を配らされた」

 何かがまたツボにはまったのか、フィラがくすくすと笑う気配がする。

「そっちは何かしたのか?」

『はい。午後にお母様やニーナさんと一緒にクッキーを作って、お父様に押しつけました』

「押しつけた……」

 菓子を押しつけられる父親の姿を一瞬想像してしまって、ジュリアンは遠い目になった。

『お菓子作りに参加出来なかったから、ちょっと残念そうでした』

 それもまた想像を絶する光景だ。先日の食事会で父の料理好きな側面は目にしたが、未だにあまり現実感がない。

『団長がお菓子配ってるところ、ちょっと見てみたかったです』

「……やめてくれ」

 父が菓子を押しつけられているくらいシュールな光景だという自覚はある。その様子を想像したのか返答自体がおかしかったのか、また耳元でフィラの楽しそうな笑い声が聞こえた。つられるようにジュリアンも微かに表情を緩める。けれど次の質問を続けるのには、少しだけ精神力が必要だった。

「……良い一日だったか?」

『はい。おかげさまで』

 さっきと同じ答えを、自信たっぷりにフィラが告げる。

『団長も、そうでしたか?』

「ああ……おかげさまで」

 子ども好きなラインムントの人柄を知ることが出来たし、初めて子どもにも懐かれた。奇妙な体験ではあったが、悪い気分ではない。そう思い出していると、遠く感じていた祭りの空気がふいに近く――自分の内側にも存在していたことに気付く。

『私は何もしてませんけど』

 笑いを含んだフィラの声から、彼女がおかげさまだという言葉を冗談だと思っているのがわかった。

「そうでもないと思うが」

 小さく呟いた言葉は、余り性能の良くないマイクには拾われなかったのかもしれない。フィラが戸惑ったように「え?」と聞き返してきたけれど、もう一度言う気にはなれなかった。

「そろそろ切る」

 電話ボックスの様子を伺う気配が複数になったので、ジュリアンはそう宣言する。順番待ちの僧兵をあまり待たせるわけにもいかない。

『わかりました。今日はありがとうございます』

「いや。じゃあ……また」

『はい、また。おやすみなさい』

 通信が切れて初めて、自分が意識しないうちに笑みを浮かべていたことに気付いた。

 何のために連絡したのか、わからなくなってくる。礼を言うべきだったのは、たぶん自分の方だった。

「おかげさまで、か……」

 ごく自然に告げられる感謝の言葉。それだって本当は、自分の方が伝えるべき言葉だった。冗談などではなく。

 ――いつかフィラに、何か返せれば良いのに。

 そう思いながら共用スペースを後にする。城の廊下を歩きながら、窓の外を眺めた。偽物の夜空に、偽物の星が貼り付いた、美しい空。地上で踊るあたたかな灯火。

 たぶんきっと、フィラに返せるものがあるのだとしたら、この嘘を真実に変えることだけだ。きっと、それだけが――

 収穫祭の夜に、ジュリアンは今までに何度も誓ってきた言葉をもう一度、空へと投げた。

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