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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第一部 晴雨の章
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第三話 ピアノと拳銃 File-3

 3-3 芸は身を助ける


 閉店中の踊る小豚亭に入り込み、聖騎士二人はカウンター席に陣取った。窓が入り口と同じ側にしかない店内は、昼間でも灯りを付けないと少し薄暗い。ジュリアンは足下に荷物を置き、ちらりと天井を見上げて魔法の光を灯す。フィラはピロシキの袋を取り上げ、カウンターの中に入った。ピロシキはまだ温かかったのでそのまま皿に並べ、一応お酒は出さない方が良いかと判断して紅茶を淹れることにする。

「結構大きいですね」

 お湯が沸くまでの間、三つの皿に並んだピロシキを見下ろしながらフィラはしみじみと呟いた。

「そうか? 足りるかどうか微妙な線だなあ、俺としては」

 カウンターをのぞき込んだランティスが首を傾げる。

「じゃあ、私の半分差し上げましょうか?」

「ん? そうだな、食べきれないなら貰おうかな。もったいねえし」

 ランティスが頷くのを、カウンターの頬杖をついたジュリアンがちらりと見上げた。

「じゃあ、俺のも半分食べてくれ」

「ってお前もかよ。まあいいけど」

 ランティスは改めてスツールに腰掛けながら半眼になって呟く。

「それじゃ、ランティスさんが二つで私と団長が半分ずつですね」

 フィラは二人が頷くのを確認して、手近にあった一つを取り上げ、半分に切った。

「ティナはミルクでいい?」

 切り分けたピロシキを皿に並べながら尋ねると、カウンターの上で丸まっていたティナが不満げに顔を上げる。

「……僕、飲食必要ないんだけど」

「え? そうなの?」

「光の神は光があれば生きていける。栄養摂取の必要はない」

 手を止めて首を傾げるフィラに、ジュリアンが淡々と解説した。

「初めて知りました」

「忘れていただけだろう」

 冷たい口調に一瞬沈黙してから、フィラは渋々頷く。

「……それもそうですね」


 紅茶が入り、三人はカウンターに座ってピロシキを食べ始めた。フィラはなんとなくそのままカウンターの中に座り、ジュリアンとランティスに向かい合って食事をする。

「良い雰囲気の店だなあ」

 ピロシキを片手に持ったまま、ランティスは椅子を回して店内を見回す。

 踊る小豚亭は木造建築の三階建ての一階にあった。店の外側は漆喰の白壁から露出した黒い木材が幾何学模様を作っているが、店内の壁は落ち着いた色合いの木材で覆われている。店の一番奥には大きな暖炉が鎮座していた。その上のマントルピースには、踊る小豚亭の主人であるエルマーの趣味で集められたボトルシップが並んでいる。暖炉から少し離れた壁際には古いアップライトピアノが置かれていた。内装に合わせた木目調のピアノで、所々にぶつけた傷跡は残っていたが、きちんと綺麗に磨き上げられている。よく混み合う店内なので、他に置かれているのは椅子やテーブルだけだ。

「掃除頑張ってるんだなあ」

「うらやましい」

 しみじみと呟くランティスに、ピロシキにかぶりついているというのになぜか上品な手つきのジュリアンが同意する。

「お城すごいですもんね、今……」

「いつになったら掃除に取りかかれるのかも不明だしな」

 ジュリアンはため息をついて紅茶に口を付けた。

「まだお忙しいんですか?」

 竜の侵入からしばらく経って、お城の動きも落ち着いてきた頃だと思っていたのだけれど。

「竜の侵入についてはほぼ解決した。今は前任者の後始末に追われているところだ」

 不機嫌に眉根を寄せながらジュリアンが答える。

「そうそう。ラドクリフがいらん条例立てまくったせいで、いちいち内容を確認して訂正が必要なところは訂正して……大変なんだぜ。人手は相変わらず足りねえし」

 ランティスはそう言いながら、二つめのピロシキに手を伸ばした。


 食後のコーヒーを出すと、ランティスは受け取りながら「ピアノピアノ」とピアノを指差した。

「なんだその頼み方……お前は子どもか」

 ジュリアンの醒めたコメントを聞きながらピアノに向かう。弾き慣れたアップライトのふたを開き、背後を振り返った。

「何かリクエストありますか?」

「お、リクエストしていいの? それじゃそうだな、えーとえーと」

 ランティスは心底嬉しそうに身を乗り出し、次いで隣で呆れているジュリアンをちらりと振り返り、にやりと笑いながら再びフィラに視線を向ける。

「まあこいつでも聞いたことありそうな有名どころってことで、ベートーヴェンの『月光』第三楽章を頼もうかな」

「わかりました」

 速度が要求される、激しい調子の曲。これはまた随分と酒場のピアノ弾きっぽくない曲を、と思いながら、フィラは鍵盤へ向き直った。


 ランティスのリクエストで何曲か(激しい調子の曲ばかりを)弾き終え、次で最後にしようということになった。

「最後なんだし、お前も何か一曲くらいリクエストしたら?」

 フィラは高低椅子の背もたれに肘を乗せて、ランティスのすすめに眉根を寄せるジュリアンを見つめる。

「曲名には詳しくない」

「ないなら無理しなくても……」

 苦笑しながら口を挟むと、ジュリアンは難しい表情のまま顔を上げた。

「ショパン」

「いや、それいっぱいあるから」

 ランティスが呆れた口調でつっこみを入れる。

「恐らくノクターン……だったと思うんだが。よく耳にするメロディで……二番だったか?」

 ジュリアンはランティスを無視して考え込みながら曲名を口にした。自信なさそうな様子に、フィラは最初のフレーズを片手で何小節か弾いてみる。

「ああ、それだ」

 夢見るような、少し哀しげなメロディに、ジュリアンは小さく頷いた。

「意外とロマンチックな曲が好きなんだなあ」

 しみじみと呟くランティスに、ポーカーフェイスを貼り付けたジュリアンが首を横に振る。

「というか、聞いていて眠くなる曲が好きなんだ」

「……何それ」

 食事が始まってからずっと黙っていたティナが、ぼそりと呟きを漏らした。


 最後の一音をたっぷりと伸ばしてペダルから足を離す。背後から熱烈な拍手とゆっくりとした拍手が聞こえてくる。振り返ってみると、思った通り熱烈に手を叩いているのはランティスで、やる気なさそうに手を叩いているのはジュリアンだった。

「私、そろそろ行かなくちゃ。午後から友達と約束してるんです」

 フィラは立ち上がり、ピアノの上に置いておいた鍵盤保護用の赤いフェルトを取り上げる。

「お、そうか? 悪かったなあ、いろいろ頼んじまって」

 満面の笑みで手を叩いていたランティスは慌てて立ち上がり、ジュリアンと協力して食器を片付け始める。

「いえ、私も楽しかったですから」

 ピアノのふたを閉め、重ねられた食器を受け取りながらフィラは微笑した。

「じゃあ、これ片付けてきますね」

 ふと、コーヒーカップを手渡そうとしたランティスの動きが止まる。

「……あー、嬢ちゃん」

 小首を傾げるフィラに、ランティスは言いにくそうに視線をそらしながら呼びかけた。

「どうかしました?」

「いや、その……言いにくいんだけど……」

 ランティスは一つ深呼吸をしてから、改めてフィラの目をのぞき込む。

「ちゃんと練習、できてんのか? ピアノ」

「いえ……あんまり」

 今度はフィラが視線をそらす番だった。

「いや、その、今は……今は酒場のお手伝いをしないと。お世話になっている身ですし」

 フィラは考え込みながら言葉を続ける。ちゃんと考えて出した結論だったはずなのに、言葉に出してみるとなんだか言い訳のようだった。

「もったいねえと思うんだよなあ。前に聞いたときよりちょっと指が回ってない感じするっつーかさ……まあ、ピアノの違いもあるとは思うけど、やっぱり、その、なんだ。ちゃんと練習続けた方が良いと思うんだよ。ちゃんとしたピアニストまだまだ育ってないわけだし……やっぱこういう殺伐とした世の中だからこそ、芸術方面の連中にがんばってほしいと思うわけだ。戦場に生きる一兵士としてはあたっ」

 訥々と話していたランティスは、ジュリアンに足を蹴られて沈黙する。ジュリアンの方は平然としたもので、何事もなかったかのようにフィラに向かって残りの皿を重ねて差し出した。

「あの……」

 皿を受け取りながら困惑するフィラに、ランティスは苦笑しながら手を振ってみせる。

「いや、いいんだ。今のは俺が悪い。で、どうなんだ?」

「どうって……そうですね。練習したくないわけじゃないんですけど、やっぱり酒場が開いている時間には、演奏はしても練習をするわけにはいかないから」

 カウンターの向こうへ皿を持ち去りながら、フィラは背中越しに説明した。

「保護者の同意と練習場所があれば練習する意志はあるのか?」

 ジュリアンは自分の荷物を取り上げながら、興味の薄そうな口調で尋ねる。

「はい。でも、働かざる者食うべからずの原則も守りたい……です」

 フィラはカウンターの中へ運んだ食器をすべて皿洗い用の桶につっこみ、手早く洗い始めた。

「なあジュリアン、メセナは大事だよな? 聖騎士団団長として一つ、どうよ?」

 カウンターの向こうでは、ランティスがなにやらジュリアン相手に誘いをかけている。

「ああ、そうだな。乗っても良い」

 ジュリアンはあっさりと無表情で頷き、ちらりとフィラを見た。

「口止め料をどうしようか迷っていたところでもあるしな」

「ええと、つまり?」

 軽くすすぐだけで洗い終わった皿を乾燥かごに並べながら、フィラは首を傾げる。

「ピアノの練習をきちんと行えるよう援助をしようという話だ」

「え? な、何で急にそんな」

 手を拭こうとタオルを取り上げた動作を止めて、フィラは思わずジュリアンに詰め寄っていた。

「芸は身を助けるとでも思っておけ。ところで良いのか? 行かなくて」

 ジュリアンの口調はあくまでも冷静なままだ。

「ああっ! 行きます、行かなくちゃ、すみません、行きましょう!」

 慌てて動作を再開しながら、フィラはまた動揺ばかりしている自分に嫌悪を感じていた。ジュリアンと会うたびに、何かしら余計なことを言ったりやったりしてしまっている気がする。もっとうまく立ち回って自分に関する情報を引き出して、これからのことをちゃんと自分で決められれば良いのに。

「……ギャップ激しいな。理想と現実」

 ため息混じりに呟くと、先に店を出ようとしていたランティスが振り返る。

「ん? 音楽の話か?」

「音楽も含めて……いろいろです」

 カウンターから出ながら、フィラは低い声で答えた。

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