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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第三部 雷雲の章
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第五話 愛するもの、お前の名は File-8

 5-8 Fly me to the moon


 フランシスが帰ってしまって色々片付けた後、ジュリアンはリビングのソファでしばらくぼんやりとしていた。明日の朝食の準備を終えて戻ってきたフィラは、その静けさに戸惑いながら隣に座る。その気配は感じているはずなのに、ジュリアンはじっと右手を見つめたまま動かなかった。

「……たぶん、もう時間がない」

 それが竜化症のことを指しているのだろうことは、何も説明がなくてもわかる。ジュリアンが生きて帰るためには、竜化症の進行を遅らせなければならない。そうランは言っていた。サーズウィアを呼ぶ瞬間の進行度が問題ならば、できる限り早く呼ばなければならないということだ。

「近いうちに、サーズウィアを呼びに行くってことですか?」

 何でもないように問いかけたかったのに、声が震える。

「ああ」

 きつく右手を握りしめて、ジュリアンはようやくフィラを見た。

「本当についてくる気なのか?」

 いつか聞かれるだろうな、と、思ってはいた。覚悟していた。そしてもう、答えも決まっている。

「はい。ついていきます。絶対に」

 真っ直ぐその目を見つめ返しながら、全身に力を入れてはっきりと答えた。そうしていなければ恐怖で崩れ落ちてしまいそうだ。

 ――もしも、もし今さら駄目だなんて言われたら。

 恐怖に身体を強張らせるフィラに、ジュリアンは一瞬瞳を閉じる。

「そうか」

 ジュリアンは、拒絶しなかった。

「連れて、いくって……言ってください」

 拒絶されなかったことにほっとして、それでもまだ不安で、涙はどうにか押しとどめたのに言葉の方が零れてしまう。情けない声だった。こんなことを言うつもりはなかったのに。

 俯いて両手を握りしめる。その視界の端で何かが動いて、ジュリアンがこちらに手を伸ばしたのだと気付く前に抱きしめられていた。

「連れていく。……すまない」

 何で謝るのか問い詰めたい気分になったけれど、求めていた言葉を言ってもらえた喜びも本当の居場所に辿り着けたような安心感も何もかもがない交ぜになって思考がまとまるのを邪魔する。今口を開いたら泣いてしまいそうだった。無言のまま瞳を閉じ、背中に手を回して縋り付く。

「サーズウィアを呼ぶためにはグロス・ディアへ行かなくてはならない。危険な旅になるのは間違いない」

 話す声は冷静だったけれど、洋服越しにジュリアンの指先の冷たさを感じた。彼も緊張しているのだと、もしかしたら恐怖すら感じているのかもしれないと、それで気付く。フィラは息を詰めたまま、言葉の続きを待った。

「それでも、俺が生き延びるためには、お前を連れて行くしかない。本当は、そうするべきでないことはわかっているのに」

 感情を抑えつけることに慣れた彼は、こんな時でも淡々と話す。けれどもう、フィラはその向こうにある痛みや苦しみを感じ取れるようになってしまった。もしも自分に力があれば、ちゃんとリラの力を全て使いこなすことが出来れば、こんな風にジュリアンを追い詰めなくて済むのに。

「謝らなきゃいけないのは、私の方です」

 今のフィラには自分の身を自分で守るだけの力はない。それがわかっていても譲れない。

「夢の中で魔女に言われました。お前の我が儘で、あの子にお前の命まで背負わせるのかって」

 その気持ちだけで、思いをぶつけていくことしかできない。

「魔女の言うことは正しい。私がついていくということは、そういうことだって、わかってるんです。でも私は……あなたを失わずにすむ可能性があるのなら、どんなことでもしようって……」

 昂ぶった感情を落ち着かせるように、ジュリアンの手が背中を撫でる。これ以上何かを彼に背負わせようなんて酷いことを言っているはずのフィラを、ジュリアンは簡単に宥めてしまう。

「足手まといになるかもしれない。あなたを苦しめることになるかもしれない。それでも私はついていきます。後悔したくないんです」

 一気に言い切った。ジュリアンがゆっくりと身体を離して、フィラの瞳を覗き込む。

「本当に、良いんだな」

 真剣な瞳が、フィラの目の奥に迷いがないか見定めようとしている。

「はい」

 それ以外の選択肢は認めないと言うように、真っ直ぐ視線を合わせたまま、断固とした口調でフィラは答えた。それでもなおジュリアンはじっと瞳を覗き込んでいたけれど、やがて根負けしたように目の力を緩める。

「わかった」

 ほっとした勢いで、ジュリアンの肩に再び顔を埋めた。触れ合っていると、安心する。ちゃんとここに、すぐ側にいるのだと感じられるから。

「確かめておきたかったんだ。父と母に、お前を連れて行くことを話す前に」

 耳元で淡々と語る声、髪を梳く指先の感覚。フィラを落ち着かせながら、ジュリアンはどこかで自分自身の中にある迷いも宥めようとしているような気がする。

「言うまでもないことだが、絶対に反対はされる」

「そう……ですよね」

 他に方法はないのかと、ランベールだったら訊くだろう。けれど信頼出来て、リラの力を「使える」状態でグロス・ディアに持って行ける人間は他にいないはずだ。渡すだけならたぶんリサやカイでもジュリアン自身でも良いけれど、完全に封印しておかなければ魔力容量に余裕がなくなり、急速に受け取った者の竜化症が進むだろう。それはほぼ「使えない」のと同義のはずだ。元の魔力容量が大きいにも関わらず魔力ゼロのフィラは、確かに適任ではあるのだ。

「説得、出来るようにしておかないとな」

 どこかぼんやりした口調で呟いたジュリアンは、たぶん既に頭の中で説得材料を並べて検討を始めているのだろう。

「あ、あの、ティナには……?」

 もう一人全力で反対しそうな存在を思い出して、フィラは恐る恐る顔を上げた。

「ああ、話した。引っかかれた」

「えっ、どこですか!?」

 慌てて身体を離したフィラに苦笑しながら、ジュリアンは少しだけ右手の袖を引き上げる。そこには確かに薄赤い線が三本走っていた。

「説得は出来たけどな」

「そっか……良かった……」

 呟きながらそっと傷跡に触れて、中央省庁区に来てからずっと練習していた癒しの魔術を使ってみる。最初は魔力の引き出し方も魔術の構築の方法も発動のさせ方も全然わからなくて、ティナやセレスティーヌの補助があっても数分がかりだったのだけれど、今は数秒で行使できる。

 傷跡がちゃんと消えているのを確認していたらふと視線を感じて、思わず何も身構えずに顔を上げてしまった。

「な、何か嬉しそうですね……?」

 柔らかい微笑を間近で見てしまって、思わず逃げ腰になる。

「上手くなったなと思って。それなら僧兵の登用試験でも合格出来そうだな」

 妙に高い評価をされてしまったフィラは、ますます逃げ腰になってあちこちに視線を彷徨わせた。

「え、ええと、治癒魔術以外の実技と知識問題がぼろぼろで……」

 実は自分の魔術の実力が知りたくて過去問題を解いてみたことがある。そのときの成績を思い出したフィラは、思わず馬鹿正直に答えてしまった。

「知識ゼロから数ヶ月でここまで出来れば大したものだ。説得材料の一つに出来るか……あとはティナが同意していることも……ああそうだ、転移の魔術はどれくらい使えるようになった?」

 何かのスイッチが入ったらしいジュリアンにつられるように、フィラも報告モードに頭を切り換える。

「訓練中は発動する直前で止めてしまうので実践はまだなんですけど、はっきり風景を思い浮かべられるところなら……とりあえず、ここからユリンまでは何とか行けそうです。魔術式での座標軸指定はまだちょっと自信が……」

 それから眠気で我に返るまで、二人はつい話し込んでしまった。

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