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真昼の月の物語  作者: 深海いわし
第一部 晴雨の章
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第二話 竜は低気圧を運び、騎士は低血圧を嘆く File-7

 2-7 ナンバリング


 フィラが朝食を食べ終え、朝日も昇りきった頃、草原を突っ切る道を一台の軽自動車が走ってくるのが見えた。

「来たな」

 ジュリアンが寄りかかっていた門柱から身体を離して呟く。

「食事は終わったか?」

「はい、終わりました」

 フィラは答えながら、脇に置いてあったバスケットを手に立ち上がった。

「そういえば、団長は朝食もう頂いたんですか?」

「起きてすぐ食べると気分が悪くなるんだ。後で食べる」

 ジュリアンはこちらへ向かってくる車から視線を外さないまま、事務的な口調で答える。

「そうですか」

 さっきまでよりも少しだけ口調が冷たいな、と思いながらフィラは頷いた。

 白い軽自動車は草原をかき分けるようにこちらへ近づいてくる。その動きを目で追いながら、フィラはジュリアンのことを考えていた。

 よくわからない人、というのが、現在の彼に対する印象だ。人道的な見地から禁止されているはずの記憶を消す魔法を使ったり、かと思えば竜やカイから無条件に信頼されていたり。研究対象になれと言った割には何も要求して来ないし、もしかしてこれはこちらのことを気遣っているのではと思えるような言動もあったりするし。

 無意識のうちに視線が落ち、気が付くとフィラは足下の風に揺れる草を見つめていた。

 記憶を消す魔術に限らず、人の心に干渉する魔法に対する抵抗感は強い。だからジュリアンに対して反発を覚えるけれど、でもジュリアンがバルトロの記憶を消したのは、空を飛ぶことが禁止されているからだ。空を飛んではいけない。町から出てはいけない。それはどうして? その理由がわかれば、竜やカイがジュリアンに信頼を寄せる理由もわかるのだろうか。

 ――聞いてみようかな。

 そう思って顔を上げたフィラは、車がすぐ近くまで来ていたことに気付いて言葉を飲み込む。なんとなくだけれど、二人きりの時でなければ答えてもらえないような気がしたのだ。

 車は二人のすぐ前で止まった。車から降りてきた少女を、フィラは失礼だとは思いつつもついまじまじと見つめてしまう。

「初めまして。中央省庁区リラ教会医学部にて治癒魔法を専攻しています、フィア・ルカです」

 フィアと名乗った少女の方はジュリアンしか目に入っていないらしく、緊張のほの見える堅い調子でそう名乗って深く頭を下げた。

 フィアが顔を上げる。フィラと視線が合う。フィアは目を大きく見開き、何か言いたげに息を吸い込む。

 フィアの外見は、昨日写真で見たときに思ったよりもずっと、フィラとそっくりだった。栗色の髪はフィラよりも幾分か色素が濃くて黒髪に近いし、背中の中程まで伸ばしているフィラと違って肩の上で切りそろえられているけれど、黒目がちの大きめの瞳や、やや低い鼻や口元や輪郭はほぼ同じだ。背格好もだいたい似たようなもので、とても赤の他人とは思えない。

 フィアは息を吸い込んだまま動きを止めて、じっとフィラを見つめている。おそらく、向こうもフィラと同じようなことを考えているのだろう。

「……うり二つだな」

 長い沈黙の末、両者を見比べていたジュリアンが結論を口に出した。

「あの、これは一体……?」

 フィアがもっともな疑問を口にする。

「失礼。先に挨拶をするべきでした。私は聖騎士団団長ジュリアン・レイ。こちらは竜を発見し、助けを求めているという知らせを持ってきてくれたフィラ・ラピズラリです」

「初めまして」

 ジュリアンの慇懃な調子の紹介を受けて、フィラは慌てて頭を下げた。

「フィラ・ラピズラリ……」

 フィアは口元に手をやって考え込む。

「私のこと、ご存知なんですか?」

 フィラが思わず身を乗り出すと、フィアは困惑した様子で眉根を寄せた。

「フィラという名の、双子の姉はいるのですが……ただ、知っているというほどでは」

「ええと、それはどういう?」

 家族に当たるはずなのに、妙に鈍い反応だ。フィラがより詳しい説明を求めると、フィアは反応を伺うようにジュリアンを見上げ、ジュリアンが頷いたのを確認してから話し始める。

「私たち、つまり姉と私は、フィラデルフィア研究塔強襲の際に保護された被験体で、作戦終了後にその付近の孤児院に収容されました。保護された当時、私たちはまだ生まれて間もない乳飲み子だったそうです。私は魔力値が平均の約二倍とかなり高かったので、物心付く前にリラ教会の騎士養成所に引き取られたのですが、姉についてはその後どこに引き取られたのかもわかっていません」

 フィアは一気にそう言うと、申し訳なさそうにため息をついた。

「……すみません。あまりお役に立てなくて」

「いえ、得がたい情報です。感謝します。姉上の魔力値は?」

 一歩引いた位置で話を聞いていたジュリアンが冷静な口調で尋ねる。

「ほぼゼロです。生命維持に最低限必要な程度しか。理論的にはありえないことのはずですが」

「理論的には?」

「一卵性双生児なら魔力値も同一になるはずだということだ。被験体だったというのなら、研究塔で何かされたんだろう」

 フィラの疑問にジュリアンはあっさりと答え、車に向かって腕を上げた。

「続きは車の中で。今はまず、竜の治療に向かいましょう」

「そ、そうですね。急がないと」

 フィアがはっとして運転席へ踵を返す。数歩遅れてその後を追いながら、フィラは小声でジュリアンに尋ねかけた。

「あの、話し方いつもと違ってません?」

「聖騎士団の協力者相手に、部下に対するのと同じ態度で接するわけにもいかないだろう」

 隣を歩くジュリアンの返答には、さっきまで垣間見えていた愛想のかけらが微塵も見あたらない。

「私は?」

「お前は研究対象だろ」

 面倒くさそうに返された答えに、フィラはむっとする。そして同時に思う。今までどちらかといえば自分は温厚な方だと思っていた。それなのに、この人に会ってから妙にいらいらすることが多いような気がする。いらいらすると冷静な判断とか公平な判断とか、できれば備えておきたい判断力が遠ざかってしまう。それは困る。今は特に、この人が信用できる人なのか判断したいと思っている時なのに。

「あ、ご安心下さい。研究塔で何かされていたとしても、生活に影響がないことは孤児院収容前の検査で保証されているそうですから」

 運転席の扉を開いたフィアが、ジュリアンの言葉の一部だけを聞き取ったらしく、少しずれた台詞を口にする。台詞は的外れだったけれど、同時に浮かべられた笑顔が自分と同い年とは思えないほど大人びたものだったので、フィラはなんだか落ち込んだ。


 最終的に運転席に座ったのはフィアだった。最初はジュリアンが場所がわかっているから自分が運転しようと提案したのだが、フィアは地図をちらりと見ただけで「もう覚えたから平気です」と言い放ったのだ。フィラとジュリアンはクッションが破れてしまっている助手席を避け、微妙な雰囲気のまま後部座席に並んでいる。フィラは会話する努力を放棄して、ぼんやりと窓の外ばかり眺めていた。

 車窓から見える白花の丘へ続く道筋は、昨日と同じように鮮やかな色彩であふれている。ガラス越しでは風や植物たちの匂いを感じられないから、受ける印象は幾分違っているけれど。

「あ、そうそう。姉だと言うことを確認する確実な方法があったんでした」

 後部座席に漂うしらけた空気に気づいているのかいないのか、フィアは慣れた手つきで車を操りながら言った。

「研究塔では、被験体にナンバリングを行っていたんです。フィラさんが私の姉ならば、左の肩口に『071』とナンバーが刻んであるはず。魔力を通せば光って見えるはずです。あとでやってみましょうか?」

「え、あ、はい。お願いします」

 フィラは慌ててバックミラー越しのフィアに答える。

「魔力を通すだけで見えるんですね?」

 発車してからずっと黙りこくっていたジュリアンがふと顔を上げた。

「ええ、五セルン程度で反応するはずです」

 いまいち馴染みのない言葉だが、『セルン』は確か魔力値を表す単位だったはずだ。魔術を扱えないフィラにはそれがどの程度の量なのかよくわからないが、フィアの言い方からするとそれほど膨大な量でもなさそうだ。

「私がやりましょう。君はこの後の竜の治療に備えて魔力を温存しておいた方が良い。少量とはいえ、竜の治療の後で魔力を放出するというのも体力的につらいでしょう」

 思わぬ親切な申し出に、フィラはついまじまじとジュリアンの横顔を見つめてしまう。

 フィラの視線に気付いたジュリアンは、横目でどことなく挑戦的な視線を投げかけてきた。フィラはしばし硬直し、その間に裏を勘繰り表を勘繰った。

「……ええと、竜の治療ってそんなに大変なんですか?」

「そうですね。確かに、私も魔力は温存しておきたいとは思っています」

 微笑をたたえたフィアの口調は誠実そのものだ。

「わかりました。それじゃ、お願いします」

 お互いシートベルトを緩めて向き合う。フィラが半袖の端を持ち上げると、ジュリアンはフィラの肩口に手をかざして目を閉じた。魔力の流れが見えないフィラには何が起こっているのかわからないが、なんとなくそこに熱が集まっているのを感じる。

「数字は出ましたか?」

 数秒後に手を離して瞳を開いたジュリアンに、運転席からフィアが問いかけた。

「ええ、『071』。間違いないですね」

 ジュリアンは数字にはちらりと目をやっただけで、すぐに前に向き直ってシートベルトを直す。他の二人が短い会話を交わしている間も、フィラは自分の左肩に現れた白く明滅する数字をじっと見つめていた。そっけないゴシック系の字体で、二センチ角に収まる程度の小さな数字。フィラが見つめる間にも、たちまち薄れていってしまう。

「私のナンバーは『072』なんです」

 バックミラー越しのフィアが笑った。

「お久しぶりです、って言うべきなんでしょうか。十三年ぶりなんですよ、私たち」

「そんなに?」

 フィラは思わず身を乗り出して、助手席の背もたれにかじりつく。

「私たち、何歳なの?」

「何歳だと思います?」

 フィアはいたずらっぽく微笑みながら、車を森の小道へ入れた。

「十五、六、くらい……かな?」

 自分を基準に言ってしまった後で、フィラはフィアならもっと上に見えるな、と考える。二十代だと言っても通用するくらい。顔は同じなのに、自分とはえらい違いだ。

「当たりです。今年の六月六日で十六歳になりました」

 フィアは学校の先生のような口調でそう言って、車を道の端に止めた。

「この車ではここまでですね。カナンで軍用ジープを借りられれば良かったんですが」

「あちらも財政的に苦しいそうですからね。歩きましょう」

 ジュリアンが事務的な口調で言いながらシートベルトを外す。

 三人は車から降り、森の縁から続く竜の足跡の出発点に立った。昨日、ソニアやレックスと進むか引き返すか話し合った辺りだ。つい昨日のことなのに、薄皮を一枚隔てたどこか違う世界の出来事のように感じられる。不思議な感覚に戸惑いながら、フィラは進む先を見つめた。

 この先に竜がいる。助けを待っているのだ。

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