・王妃(未)の誘拐
咲良は、元は地球の一般人であるが、この国に来てからは、多くの人々に、ごくまれに神の世界からやってくる稀人として崇められ、その斬新な考え方と慈悲深さ、そして、魔力以外の未知なる神の力を有する者として、世界中に多くの信者を有している。
また、世界最強と謳われる部下を持ち、大国の歴史上至高の王から寵愛を受ける者としても、広く知られていた。
まあ、神の力云々は、古くからの伝承と周囲の思い込みが生んだ勘違いで、この世界に来たとき咲良はこの世界の言葉を話せなかったため誤解を解けず、噂の内容が理解できるようになったときには、世界中に噂が広がりすぎて撤回が不可能という状況によるものなので、事実咲良はそのような力を持たないのだが。
とにかく、そんな境遇にある咲良であるから、その身を手中に収め、意のままに操ることができれば、世界を手にすることも夢ではないと考えられている。
また、その世界でも稀な漆黒の髪と目は、観賞用としてコレクターの欲を誘い、一部の者の間では、その血肉には不老不死の力が秘められていると、信じる者もいるほどである。
つまり、咲良を誘拐しようと企むものは多いのだ。
それこそ、権力を望む国内外の貴族――国内の者はあらかたは王によって排除済みであるが――や、金を持て余した富豪、一獲千金を狙う犯罪組織などに、何度も誘拐を試みられている。
しかし、咲良がこの世界に来た当初はともかく、確固たる地位を築いた現在では、それは一度たりとも成功していなかった。むしろ、咲良の半径三メートルにさえ、近づくことは出来なかった。
ある日、咲良はモクレンをお供に、アセスフィア王国の城下街をふらふらしていた。
そんな咲良を、物陰から窺う十人前後の男達がいた。
「おい、あれが例の女で間違いねぇか?」
「ああ、あの黒髪間違いねぇ。あの女が手に入るなら、小国が買えるくらいの金を払うって奴もいるらしいぜ」
「あんな小娘一人にか!? そりゃすげえ! 是非とも、掻っ攫ってこねぇとな」
ひそひそと交わされる会話が、静まり返った路地に漂う。
ちょうど建物と建物の間で、奥まって影になっている場所に身を潜めているため、道を通り過ぎる人々は誰も注意を払ってはいなかった。
「隣の奇妙な髪の野郎は誰だ?」
「知らねぇ。使用人か護衛あたりだろう」
この人数でかかれば問題は無いだろうと、男達は互いに顔を見合わせながら頷いた。
そしていっせいに、路地から足を踏み出そうとした、その時。
「あらぁ。こんなせまっ苦しいところで、むさい男どもが寄ってたかって、何のご相談かしら?」
妙にテンションの高い声が男達の背後から聞こえ、男達はぎょっと後ろを振り返った。
三方を高い壁に囲まれた袋小路状の通路の奥には、がっしりとした体つきの、騎士服を身に纏った金髪の男が、悠然とした笑みを浮かべて立っていた。
「っ! てめぇ! いつの間に!」
男達の一番後ろにいた男が、驚いた勢いのまま怒鳴る。
そんな男の様子に、金髪の男――クァルテ――は、肩を竦めて。
「さっきからずっといたわよ。あなた達が、悪い相談をしていた時から、ずっと、ね」
その鮮やかな緑色の目をすっと細めて、クァルテは意味深にそう答えた。
それを聞いた男達の表情が、途端に剣呑なものに代わる。
「聞かれちまったらしょうがねぇなあ。ここで死んでもらおうか」
「あんたも運が悪かったなぁ」
そう言いつつ、下卑た笑みを浮かべながら、男達がそれぞれの武器を手にする。
そんな男達を正面に見据えながら、クァルテはすっと頭の後ろへと手を回した。
そして、シュルッと皮が擦れる音をさせながら、背中に背負っていた、幅二十センチ程度、長さは身長ほどもある大剣を、よどみない手つきで抜いた。
そのクァルテの大剣を見て、男達の表情が強張った。中には真っ青な顔で後ずさる者もいる。
「お前、もしかして、大剣の……」
「さくらちゃんを攫おうなんて、とんだ身の程知らずね。たっぷり、お仕置きしてあげるわ」
きりっとした精悍な顔に妖艶な笑みを浮かべて、クァルテが大剣を構える。
「くそっ! この人数に勝てるわきゃねぇ! やっちまえ!」
リーダーらしき男の掛け声とともに、男達がいっせいにクァルテに切り掛かる。そんな男達にクァルテはくすりと笑い。
「えー、こちらクァルテ。人身売買組織のメンバーを捕まえたから、警備兵を数人寄越してちょうだい。場所は――」
数分後、風の魔法を使った通信機に向かって、そう連絡をするクァルテと。
その足元には、先ほどの男達が全員気を失って倒れていた。
「あんた達なんかには、指一本だって触れさせはしないわよ」
倒れた男達を見下ろしながらそう言い、クァルテは路地の向こうの大通りに目を移した。
また別の日、咲良はユーレナと一緒に城下街で買い物を楽しんでいた。
そんな咲良を、空き家の中から窺う7・8人ほどの男達がいた。
「あれが、サクラ・ミナセ・ベルグラードだな」
「伯爵のご命令だ。無理やりにでも連れて行くぞ」
その声に小さく頷いた男達が、空き家を出ようと扉に手をかけようとしたとき。
「そうはいかないよ」
硬質な男の声が聞こえて、男達は慌てて家の中を見回した。
「な……何者だ!?」
だが、空き家の中には男達以外誰もおらず、男達が不可解そうに互いの顔を見合わせたとき、家の天井辺りから黒い霧が染み出してきた。
やがて、その霧が床の辺りまで下りてきたとき、黒い霧が円柱状に渦を巻き、やがて凝縮したかと思うと、そこに一人の細身で長身の男が立っていた。
その全身は、真っ黒なマントで包まれ、ゆっくりと顔を上げた男の漆黒の髪の間から、血のように真っ赤な瞳がのぞいた。
「貴様は、サクラ・ミナセ・ベルグラードの――――!!」
男達が手を武器にかけ、何かを言いかけたとき、ぐらりと彼らの頭が揺れた。
男達の目はじっと漆黒の男――サフィールを見ているのだが、やがてその瞳から力が抜けていき、ぼんやりと何も映していないかのような濁った色になる。
目蓋も半分下り、体も力が抜けたようにただ立っているだけで、全員が武器から手を離し、手を下に垂らしている。
男達全員がそのような状態になったのを確認して、サフィールは心の奥に入り込むような幻惑的な声を発した。
「あなた達の任務は無事完了しました。これから、命令をした者に、報告に行くのです」
エコーのように響いた声に、それを聞いた男達が、何かに操られるように、ぞろぞろと空き家の裏口から出て行く。
「よう。大本を潰しに行くのか?」
そんな男達を静かに見送っていたサフィールに、低い陽気な声がかけられる。
サフィールがゆっくりと振り返れば、そこには空き家の扉に手をかけたクロラムフェニルヴァイトが、いつものにやけた顔で立っていた。
「……うん、その方が……手っ取り早いし……」
途端に、おどおどと挙動不審になったサフィールを見ながら、クロラムフェニルヴァイトは、「んじゃ、俺も行くかな」と首の後ろを掻いた。
「戦いになったとき、お前困るだろう?」
大人の貫録を感じさせる顔でそう言われ、サフィールは戸惑いながらも、こくりと頷いた。
普段のサフィールは血が苦手で、戦うことを非常に恐れるため、戦闘になったときはどうしようかと困っていたのだ。
そんなサフィールの恐れを知ってのクロラムフェニルヴァイトの申し出に、サフィールはほっと体から力を抜いた。
「クロちゃん、サーちゃん!」
「悪者退治に行くんでしょ?」
「「僕らも行くーー!!」」
そう言いながら元気に飛び込んできたのは、チック・タックの双子である。
双子はそのままクロラムフェニルヴァイトの腰に纏わりつき、
「「ねーねー、ふっ飛ばしちゃってもいい?」」
なんて、きゃらきゃらと笑っている。
「あー……、周りに何も無かったらな」
そう苦笑いをして、腰に双子を纏わりつかせたまま、クロラムフェニルヴァイトは男達の出て行った裏口へと向かった。
「ほら、早くしねぇと見失っちまうぞ」
「う……うん」
そんなクロラムフェニルヴァイトと、双子に続いて、サフィールは空き家を出て行った。
その後、街の外れの、貴族の屋敷が立ち並ぶ辺りで、盛大な爆音が上がったとか。
「うちの大事な姫さんなんでな」
「「さくちゃんをいじめる奴は許さないよー!」」
「さくらさんは……僕が、守る……!」
また別の日、咲良は城下街の中央から外れた、人通りの少ない道を歩いていた。
そんな咲良の前にバタバタと足音を立てながら、十数人の男達が立ちはだかった。
「嬢ちゃん、大人しく俺達と来てもらおうか!」
そう言って、咲良を捕まえようと足を踏み出した先頭の男が、次の瞬間には宙を舞った。
そして、道の端に置いてあった木箱に盛大にぶつかり、ばらばらと破片を飛び散らせたまま動かなくなる。
それを目にした他の男達が、驚愕の表情で咲良の方に目を向けると、彼女を背にかばうようにして、長身の男が立っていた。
一般国民の服を纏い、深く帽子を被ったその男は、ぎろりと氷のような鋭い視線を男達に向け。
「咲良とのでぇとの邪魔だ。さっさと消え失せろ」
その男、お忍びで咲良とお出かけ中だった王が、感情の篭っていない美声でそう言ったかと思うと、彼の正面に立っていた男達がさらに三人吹き飛んだ。
やがて、一分もしないうちに、男達は全員地面に倒れ伏していた。
「さあ、でぇとの続きだ。咲良」
そんな男達にもはや欠片の興味も向けず、王が咲良の手を取って先へと促す。
その一部始終を戸惑いの中で見ていた咲良は、困ったように首を傾げながら。
「でも、彼らはこのままでいいんですか?」
「ん? ……ああ、そいつらはモクレンが片づけるだろう」
王がそう言うのと同時に、咲良の影からすっとモクレンが姿を現した。
「私は、あなたの部下ではないのですが」
そう溜息を吐きながらも、モクレンは建物等の影の中に男達を沈めていく。
「ごめんね、モクレン。ありがとう」
そう言って咲良が笑いかけると、モクレンも柔らかな笑みを浮かべ、「大したことではございませんよ」と答えた。
そうして、王と咲良が手を繋いで歩いて行くのを見届けたモクレンは、そっと影の方に目をやり、にやりと蠱惑的な笑みを浮かべ。
「さて、今回は私の出番はありませんでしたが、我が君を狙ったこと、しっかりと後悔させて差し上げましょう」




