・王妃の自己防衛力
これは、地球とは異なる世界のお話。
うららかな日差しの中、可愛らしい蝶がふわふわと舞う、ある日のこと。
ここ、大国、アセスフィアの王城の王の執務室では、いつも通り長い黒髪を後頭部で纏め、シンプルなドレスに身を包んだ咲良が、群青色の髪の王に詰め寄っていた。
「陛下! 今日こそ、私を王妃にするという考えを、改めて頂きます!」
咲良が両手を執務机の上に置き、そう王に詰め寄ると、王は、手にしていた書類を執務机に置いて、椅子に腰かけたまま、咲良を見上げた。
「だから、俺が王妃にしたいのはお前だけだと言っているだろう。誰が何を言おうが、改めるつもりはないぞ。大体、誰もがお前が王妃に相応しいと認めているのだから、問題は無かろう」
言っても聞かない子を宥めているかのような、少し困ったような顔で王に笑われて、咲良はむっと唇を噛んだ。
「それは、陛下が認めさせるために、あれやこれやをしたからでしょう! この間まで反対していた貴族のおやじ共が、いきなりにこにこと祝いの言葉を言ってきて、そりゃーもう気持ち悪かったんですから!
じゃなくて! 私のような魔力も持たない者が、王妃になるなど、と、反対する者もまだまだ多く―――」
そう、この世界では、誰もが魔力を有し、大なり小なり魔法を使っているのだが、異世界から来た咲良には、当然というか、魔力が無かったのだ。
そんな咲良が王妃になれば、いろいろ問題が出てくるだろうと、咲良は王を説得に来たのだが。
「さくらちゃーん!!」
その時、ばーんと盛大な音を立てて、執務室のドアが開かれた。
ドアの前に立っていたのは、背が高く筋骨隆々の、金髪碧眼の精悍な顔立ちの青年だった。
「ちょっと、さくらちゃん! 陛下と結婚するんですって? いや~~ん! 素敵ねぇ!
ねね、お願い! ドレス選びにはあたしも混ぜてね。さくらちゃんに似合う可愛いドレス、選んじゃうんだから!」
体をくねらせ、顔の横で組んだ両手を左右に振りながら、満面の笑顔で青年は咲良に言った。
この男性は咲良の直属の部下の一人で、名を、クァルテ・モダーナという。
普段は、逞しい体に女言葉という、少し変わった人物だが、一度戦場に立てば、その身の丈と同じ長さの大剣を振り回し、多くの敵兵を血の海へ沈めてきた猛者である。
彼が剣を一閃すれば、数十の兵がなぎ倒され、剣術でいうならば、世界に並ぶ者はいないと言われるほどの使い手だ。
戦場で“大剣のクァルテ”の名が出れば、敵兵がこぞって逃げ出すほど、他国では恐れられている人物である。
「いや、クァルテ。私まだ結婚しないから」
咲良がクァルテを部屋から出そうと、背中をぐいぐい押しながら、ため息混じりにそう言えば、
「ええ~~~! そんなこと言ったって、どうせ時間の問題でしょう? さくらちゃんだって、本当は………」
「わー! わー! わー! わー! わーー!!」
咲良は大声でクァルテの言葉を遮り、彼を扉の外へと押し出した。
「んもう! でも、結婚するときには、絶対あたしにドレス選びをさせてよね!」
だいぶ低い位置にある咲良を見下ろしながら、クァルテはバチンとウィンクをして、鼻歌混じりに去って行った。
そんなクァルテの背中を見送りながら、咲良は執務室の扉を閉め、王の方へと向き直った。
「ええっと、どこまで話しましたっけ?
ああ、もう、とにかく、私のような力の無い者が王妃になったら、さっさと暗殺されちゃって、国内に混乱が―――」
「おう、さくら!」
ノックも無しに執務室の扉が勢いよく開かれ、そこから、先ほどのクァルテよりも長身で、がっちりとした体つきの、黒髪金目の男が室内へずかずかと入ってきた。
「おめぇ、この坊ちゃんと結婚すんだってな。しっかし、大丈夫か? お前のそのほっそい腰で、この坊ちゃんの×××を××××して、×××××できんのかよ?」
にやにやと笑いながら放送禁止用語を連発する男に、咲良は顔を真っ赤にして、
「こんのセクハラオヤジがああぁぁぁ!! 出てけええぇぇぇ!!」
男の尻に蹴りを食らわした。
この無精ひげを生やし、胸もとのだらしなく開いた軍服を着た、三十代後半に見える男―――名を、クロラムフェニルヴァイトという―――は、実は、齢千年を超す、もはや伝説上でしか存在しないと言われた、黒竜が人の姿をとったものである。
絶対的な力と、豊富な知識を持ち、本来の竜体に戻れば、その身の丈は二百メートルにも及ぶ。そして、その姿で一つ羽ばたけば、周囲の村が一瞬で壊滅し、その口から吐き出される火炎の球は、一発で一つの都市を滅ぼし、後にはクレーターしか残らない、と言われるほどの威力を持つ。
太古には黒竜の一族が世界の半分を破壊して回った、という伝説もあり、今でも人々から恐れられる存在である。
「お~~いてぇ」
と、ちっとも痛く無さそうに笑いながら、男は尻をさすりながら部屋を出て行った。
ふーふーと荒い息を吐きながら、赤い顔で男の背を睨みつけていた咲良は、男が扉の向こうに消えると、ばんっと勢いよく扉を閉め、王へ振り返った。
「ですから! 私には、自ら身を守る力もありませんし、警備とか、みんなの負担に―――」
「さくらさん!」
「さくら!」
「「さくちゃーん!」」
どーんと盛大な音を立てて、執務室の扉が開かれた。
そして、そこから雪崩込むように、四人の人物が室内へ駆け込んできた。
「さ……さくらさん! えと……結婚おめでとう……! 僕……僕は、心から、……さくらさんの幸せを……うっ……祈ってるよ~~~!!」
そう言いながら、ぼろぼろと涙を流す、ひょろりとした細い体に黒いマントを羽織った、黒髪赤目の男。彼は、純血でありながら、血が苦手な菜食主義者で泣き虫の吸血鬼、サフィール・メティス・サルベリアテ・ヴラディスクアンモール。
「さくら! こんな陰湿腹黒男と結婚すれば不幸になるだけだ! こんな顔と権力だけの男、ぼくは認めないぞ!」
そう言って、咲良にずずいと詰め寄ったのは、銀色の髪に新緑の瞳の、天使のような美貌の少女、ユーレナ・リグ・レィーダである。自分をぼくと言い、男の子のような恰好をしているが、その可愛らしさは輝くほどで、古のエルフ王の血を引く、エルフと人間のハーフだ。
「「わーい! 結婚おめでとー!」」
「お祝いだねー!」
「お祭りだねー!」
「「わーい! 楽しみだねー!」」
そうはしゃぎながら、咲良の周りをぐるぐると回っているのは、水色の髪に濃い緑色の瞳の、チック・シシズ、そして、同じ水色の髪に濃い青色の瞳のタック・シシズの双子だ。
この双子、二人で魔法を発動する場合には、鬼才と言われるほどの能力を持つが、それぞれ単独では魔法を発動できないという、変わった性質の持ち主である。
「うっるさあああぁぁぁい!!」
そんな四人に囲まれながら、ずっと下を向いて肩を震わせながら黙っていた咲良が、いきなり両手を上へと突き上げ、大声で叫んだ。
「結婚なんて、しないって言ってるでしょ!!
それに! ここは陛下の執務室なのよ! ばたばた騒がない!」
ギッと、四人を睨みつけると。
「うわ~~ん! ごめんなさ~~い!!」
泣きながら、吸血鬼サフィールが慌てて駆け出して行き。
「ちょっと、さくら、ぼくは………」
ハーフエルフのユーレナが気圧されたように後ずさり。
「「わーー! さくちゃんが、怒ったーー!!」」
と、きゃらきゃら笑いながら、双子が執務室の扉から飛び出して行く。
そんな四人を追いかけ、咲良は、王に退室の挨拶をすると、執務室を飛び出して行った。
「お前らーー!! 教育し直しだ! そこへ並べええぇぇぇ!!」
部屋の外から聞こえてくる、咲良の叫び声と、それに続く双子のきゃーっというはしゃぎ声。
「おいおい、どうしたさくら、あの日か?」
「セクハラああぁぁぁ!!」
バシーンと何かを叩く音が、遠く聞こえてくる。
それらに、王は執務机に着いたまま、「賑やかだな」とくくっと楽しげに笑った。
「それで、お前は良いのか?」
王がちらりと、先ほど咲良が立っていた辺りに目をやると、いつの間にか、執事の格好をした、真っ白の髪にオレンジ色の目の、痩身の男が佇んでいた。
その男は、王の言葉ににこりと笑みを浮かべ。
「私は、我が君のお決めになったことに、逆らうつもりはございません」
その答えに、王が、「そうかよ」と鼻を鳴らすと、その男は笑みを奇妙に歪め、
「ですが、我が君を悲しませるようなことがあれば、誰であろうと容赦は致しませんが」
と、慇懃無礼に続けた。
この男の名は、モクレン。咲良がたまたま契約した、“禁忌の精霊”と言われる精霊であり、普段は咲良の影に潜んでいる。
この精霊は、戦闘・諜報・謀略・身の回りのお世話から夜の相手まで、何でも完璧にこなす万能に近い能力を持っているのだが、それゆえに人を狂わせ、欲望に溺れさせるということから、“禁忌”として、人々から忌避されてきたのだ。
それでは、と頭を下げて、モクレンは主である咲良を追うために、部屋から出て行った。
少し傾いている扉を見ながら、王は焦がれるように、口元を緩めて笑い。
「お前を傷つけることが出来る者など、どこにもおるまいよ」
咲良が一番騒いでいるということは、スルーの方向で。