婚約破棄されるので、婚約者に惚れている演技は終了です〜泣いて縋ると思われていたようですが、そんな訳ありません〜
私はいつものように、一人で舞踏会の会場に立っていた。
高い天井でシャンデリアがきらめき、その輝きの下で、人々がダンスや会話を楽しんでいる。その華やかな大広間で、ぽつんと立ち尽くすのにももう慣れた。
いつも通り、時折シャンパンの入ったグラスに口をつけて、笑顔で踊るご令嬢方を見つめて、やり過ごす……ことになるはずだった。
「アナベル・ウィンダム伯爵令嬢」
突然、声高らかに名を呼ばれて、私はぽかんとした。
目の前に、一人の男性が歩み寄ってくる。その姿を見て、私ははっとして口を開いた。
「オスカー様……!来てくださったのですか?」
私の婚約者であるオスカー様の隣には、何故か可憐な令嬢が立っていた。何かが起こる気配を感じて、私は口を噤む。
「俺はお前と話をしにきたのではない」
ひどく冷たい声で、オスカー様がそう告げる。
「……アナベル。お前との婚約を破棄する」
私は、ただ呆然としてオスカー様を見つめた。何も言えない私に、彼はぞっとする程冷ややかな目で、鋭く私を見据えた。
「お前はいつもいつも俺に着いてきては無駄な生産性のない話を繰り返すばかり。お前のような頭の悪い人間と付き合うのはもう懲り懲りだ」
私は、何も言えずに呆然とオスカー様を見つめていた。彼は、自身の隣に立つ美しいご令嬢に目をやる。
「ミアは、君とは違い聡明な女性だ。俺はもう彼女と婚約を結ぶと決めたんだ」
艶やかな黒髪に、青い目。ミアと呼ばれた落ち着いた女性がふっと勝ち誇ったように笑う。周囲の人々は、私を哀れむような視線を向けた。
私は呆然と二人を見つめた後、ゆっくりと口を開いた。
「……オスカー様のご決断、承知しました。婚約破棄いたしましょう」
「……は……?」
普段は冷静なオスカー様が、そんな返事を想定していなかったかのように目を見開く。
微笑む私の体が震えている。冷静な返事の裏で、私は考えていた。そんな、まさか、こんなことが起きるだなんて……。
(何たる幸運なの……!!)
私は、歓喜に打ち震えていた。
オスカー様は、私のような頭の悪い人間は懲り懲りだと仰ったけれど、私だって彼のような理屈っぽくプライドの高い人間はもう懲り懲りなのだ。
それなのにオスカー様に着いて回って、何とか話をしようとしていたのは、彼との関係をなるべく良くするため。惚れている演技をするためだ。
初めてオスカー様と顔を合わせた日、何とか話をする私に、黙り込んでいた彼は突然言った。
『うるさい、中身のない話をするな』
そう、オスカー様の性格は終わっていた。
確かにちょっぴり頭は良いけれども、性格はごみくずだったのだ。正直こんなのと婚約など結びたくなかった。だが決まったものはしょうがない、将来それなりの結婚生活が送れるよう、私は努力した。
私が読んだとある本によると、人と仲良くなるためには、相手に自分は好かれているのだと思わせるのが効果的らしい。私は早速それを実践した。つまり、オスカー様に惚れている演技を始めたのだ。
最初の方はまだ良かった。好かれて褒められて、気分が良くなったオスカー様の態度は、まだ幾分か和らいだ。だが、私に好かれることに慣れた今では、煩わしそうな目を向けられるだけである。
その上、「こいつは俺に好意を向ける馬鹿な令嬢達と同じ」と思われたのか、舞踏会でも放置されるようになった。彼はごみくず人間だ。
(引くに引けなくなって惚れている演技を薄らと続けてきたけれど、もうそれも終わり!)
私は、優雅なカーテシーを披露する。そして、ゆっくりと顔を上げた。
「では、私はこれで失礼させていただきます。父にこのことを伝えなければなりませんので……」
驚いたように目を見開いていたオスカー様は、ややあって訝しげに眉をひそめて呟く。
「……お前まさか、そうやって俺の気を引こうとしているのか」
「え?」
ちょっと何を言っているのか分からなかった。だがオスカー様はそうと決めつけて、話を続ける。
「言っておくが、今更そんなことをしたって無駄だ。俺もお前を愛することなどはあり得ない。泣いて縋りつくかと思って憂鬱だったが、そっちの方がまだましだな」
ミア様が、きっと私を睨んでいる。どうやら彼女まで、オスカー様と同じことを思っているらしい。
「本当に頭が足りませんのね。今からでも、捨てないでと惨めにお願いなさったら?」
ミア様が、ばさりとレースの扇子を広げて、冷たくそう言い放つ。
私は絶句していた。私がそこまで言われないといけないほどのことをしたか。過剰に攻撃してくるところを見ると、彼女とオスカー様はお似合いである。
私は、何とか微笑みを浮かべて、穏やかに言った。
「いいえ、まさか。私はオスカー様とミア様の出会いを心から祝福しています」
オスカー様は、はんと鼻で笑った。本当に性格の悪いやつである。
「まだ演技を続けるか、どうやら君は俺が思っていた以上に馬鹿だったらしい」
(むしろ今は演技をやめているんだけれど……)
そんなことを考えている間にも、ミア様がねちねちと、攻撃力の高い悪口を途切れることなく吐き出す。
ここまで言われると我慢強さが取り柄の私も腹が立ってきて、とびきりの笑顔を浮かべながら言った。
「本当に誤解です、オスカー様。だって、演技をしていたのはむしろ今までなんですから!」
しんと、その場が静まり返った。オスカー様が、ぽかんと私を見つめている。
「ええ、本当に大変でした、すぐに突っかかってくるオスカー様に惚れているふりを続けるのは!こんなに性格の悪い人に惚れるだなんて、普通はあり得ないと気づきそうなものですが、オスカー様は頭が良すぎて逆に気がつかなかったのでしょうね!」
怒りをこめながら私はそう言い切った。その気迫に、オスカー様はようやく嘘ではないと悟ってくださったらしい。信じられない、というように彼はただ立ち尽くしている。
私は、胸の前で手を合わせて、怒りを押し込めながらにこにこと笑顔を貼り付ける。
「似た者同士、お二人はきっと仲良くやっていけると思います!それでは!」
私は踵を返して、颯爽とその場を去った。オスカー様の顔を二度と見ることがありませんように、と怒りに任せて願いながら。
◇
屋敷に戻った私は、父に今日舞踏会で起きたことを伝えた。普段は穏やかで優しい家族が、オスカー様とミア様に怒り、私を慰めてくれたので、私のもやもやした気持ちも少しずつおさまっていった。
そして、オスカー様と婚約破棄をしてからおよそ一週間後。私は、人生とは願った通りにはいかないものであるということを痛感した。
私はその日、気晴らしに劇場へ出かけていた。
面白いと評判だった演劇を見終えた私は、その余韻に浸りながら、満足して劇場の席を立った。そして、劇場を出ようと歩いて、私ははたと動きを止めた。
劇場の出口付近に、何やら言い合っている男女の姿があった。
(嘘でしょう……)
その男女は、間違いなくオスカー様とミア様だった。
私は見つからないように柱の影に隠れる。二人の話の内容は分からないが、どうやら喧嘩をしているらしい。気が立っている二人のそばを通れば、間違いなく私も巻き込まれるだろう。でも、あの二人の横を通らないと外には出られないし……。
ぐるぐると悩んでいると、不意に呼びかけられた。
「ウィンダム伯爵令嬢」
「えっ」
驚いて、私は弾かれたように後ろを振り返る。そこには、端正な顔立ちをした長身の男性が立っていた。
「え、ええと……」
まずい、名前が思い出せない。そう焦っている私の様子を察して、彼が名乗った。
「失礼、私はルーク・タウンゼントと申します。何かお困りですか、ご令嬢」
顔は無表情だが、どこか親切そうな人だ。少し安心して、私は遠慮がちに話し出す。
「……その、実は、つい先日婚約破棄をした元婚約者と、彼の新しい婚約者の女性が、何やら出口の方で喧嘩をしていまして。それで、どうやって出ようかと……」
タウンゼント様は、ちらりと出口の様子を見た。そして、なるほど、と頷く。
「一週間程前の舞踏会で、貴方に婚約破棄を言い渡していた男性ですか」
「ご、ご存じでしたか……」
驚いて、私は目を大きくしながらそう言う。彼は、ええ、と頷き、そして何故か力強く語った。
「突如婚約破棄を告げられたにも関わらず、最後まで笑顔を崩さず毅然と言い返すあの姿、見事でした。貴方はとても強い方だ」
「…………えっ?」
思いもよらない言葉に、私はぱちぱちと目を瞬いた。そして、苦笑いしながら否定する。
「つ、強いだなんてそんなことはありません。私は、あの時くらいしか彼に言い返せませんでしたし……」
そう言うと、タウンゼント様が不思議そうにする。その金色の目が、こちらがどきっとする程真っ直ぐに、私を見つめている。
「あれ程喧嘩を売る彼に対して、あの時しか言い返さない心の広さは、貴方の強さの表れでしょう」
へ、と間抜けな声を漏らした。驚きの後、じわじわと喜びのような温かい気持ちが広がる。
その瞬間、オスカー様が一際大きな声で叫んだ。
「もういい!ミア、君とは婚約破棄だ!」
「えっ」
聞こえてきたオスカー様の声に、私は驚いてそんな声を出す。そして、ぱっと口元を覆った。いけない、大きな声を出してはここにいることがバレてしまう。
眉を寄せるミア様に対して、オスカー様はさらに続ける。
「俺はアナベルともう一度婚約を結ぶ!」
「う、嘘でしょう?!」
そう叫んで、私はまたはっと口を手で覆った。だが、既に遅かった。オスカー様が、はっとこちらの方向を見る。
(まずい……!見つかっちゃう!)
焦って、タウンゼント様に必死に目で助けてと訴えかける。彼はちらりと柱の向こうに視線をやって、私に囁くように言う。
「すみません、貴方にとっては不本意でしょうが……」
どういう意味なのか聞き返そうとしたのと同時に、オスカー様がすぐ隣で私の名前を呼んだ。
「……アナベル、いるのか?」
私は思わず固まる。その様子を見て、タウンゼント様が私の姿を隠すように一歩前に出た。
「彼女に何か御用ですか」
「え」
オスカー様が、突然出てきた男性に驚いて後退りする。そして、怪訝そうにタウンゼント様を上から下まで眺めた。
「……俺は、アナベルに大事な話があるんですよ」
「もう一度婚約を結ぶという話でしょうか」
オスカー様は、不意をつかれて目を見開いた。そして、仏頂面で偉そうに言い放つ。
「ああ、そうだ。だからそこを退け」
「でしたらそれは出来ません。私も彼女に婚約を申し込もうとしていた所ですから」
その言葉に、私は面食らった。顔がじわじわと熱を帯びる。こんなのはただのオスカー様を遠ざけるための嘘だ、と自分に言い聞かせて、私はその熱を何とか追い払う。
目を丸くしていたオスカー様は、タウンゼント様を鋭く睨めつけて、後ろの私に向かって叫んだ。
「おい、アナベル!お前、まさかこの男と婚約しようと思っている訳じゃないだろうな……!」
私は何も言わなかった。そんなことよりも顔の熱を冷ますのに忙しい。
オスカー様は舌打ちをして、苛立ったようにもう一度叫ぶ。
「俺がもう一度婚約してやると言っているんだ!お前は俺のことが好きだっただろう」
「……何を仰っているんですか?」
自分でも驚くほど、冷たい声が出た。私はつかつかとオスカー様の前まで歩いていった。にこやかな笑みを浮かべながら、冷え切った声で告げる。
「先日の舞踏会で申し上げました通り、私は貴方のことなど、ほんの少しも好きではありません。今までのあれは、婚約者だった貴方と少しでも良い関係を築こうと努力した結果です。つまり、演技です」
「…………」
「もう一度申し上げます。私は貴方のことなど、好きだったことすらありません。顔も見たくありません。そのことを、決して、お忘れなきよう」
オスカー様が、プライドを傷つけられた怒りで震えている。それに怯まず彼を見つめる。
突然、私の横に手が差し出された。見上げると、少し微笑んでいるタウンゼント様がいた。
「……行きましょう」
私は頷いて、彼の手に自分の手を重ねた。
オスカー様から逃げるように外に出て、馬車がある場所まで辿り着くと、タウンゼント様が謝った。
「申し訳ありません。貴方が私との婚約に乗り気だと周囲に思わせるような真似を……」
「あっ、不本意ってそういう……?」
納得した私は、思わずくすりと笑った。なんて真面目な人なんだろう。
「そんなこと気にしなくて大丈夫です。むしろ助けてくださってありがとうございます」
タウンゼント様は、ほっとしたように表情を緩めた。
「……では、また後日、正式に貴方に婚約を申し込んでも?」
一瞬その意味が理解出来ずぽかんとして、少しして、私はぼっと顔を真っ赤にした。
「……え?」
どうしてか、タウンゼント様もえ?と呟いた。顔を見合わせながら、お互いに困惑する。
「婚約に乗り気だと思われても構わない、ということは、私と婚約をする気がある、ということでは……」
「えっ、あ、あれって本気だったんですか?!」
タウンゼント様は目を大きくして、やがて悲しそうに項垂れてしまった。
「つい舞い上がってしまったけれど、考えてみれば、あり得ませんね……私が貴方に一方的に惚れただけで、貴方にとってはほぼ初対面なのに……」
意気消沈といった様子の彼に、私はどう声をかければいいのか分からずおろおろとする。そして、勇気を出して口を開く。
「……その、タウンゼント様。いきなり婚約というのは、つい先日手酷く婚約破棄されたばかりなので、本心を言うと躊躇われますが……」
タウンゼント様が顔を上げる。私ははにかむように微笑む。
「タウンゼント様は私を助けてくださったので、好ましく思っています」
彼は、ゆっくりと目を見開いた。なんだか恥ずかしくなって、目を逸らす。
「正直、こんな私に、好ましいと思える方との縁談が舞い込むとは思えませんし、その……父に、相談してみます」
タウンゼント様は、目を見開きながら、呆然と呟くように返事をした。
「…………はい」
二人の間に、気まずい沈黙が落ちる。私は、笑って別れを告げて、逃げるように馬車に乗り込んだ。
馬車の座席に腰掛けて、私は自分の頬に手を当てる。思った通り、とても熱かった。
恥ずかしさで悶えながら、頬をさする。やがて諦めて、私はぼんやりと外の景色を見つめた。
婚約破棄を言い渡されて良かったと、過ぎていく景色を眺めながら、ふと思った。
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