第7話「夢の続き」
学園祭の翌日。
校舎は、まるで深く息を吐いたかのように静まり返っていた。
色褪せた装飾。
片付け途中の段ボール。
昨日の熱が嘘のように、空気は穏やかだった。
徳川 恒一は、窓際の席で外を眺めていた。
(祭りとは……過ぎれば、幻のようだ)
戦国の勝鬨もまた、同じだった。
終わった瞬間、人は次の不安を抱える。
「おーい徳川」
声をかけてきたのは、鷹宮だった。
表情は、どこか柔らかい。
「先生たちがさ、学園祭の反省会でお前の名前出してた」
「そうか」
「“影の実行委員長”だって」
苦笑する。
「正直、助かった。……ありがとうな」
家康は、小さく頷いた。
「役目を果たしたまでだ」
それ以上の言葉は、なかった。
だが鷹宮は、少しだけ立ち止まる。
「なあ……お前、何を目指してるんだ?」
不意の問いだった。
家康は、すぐには答えなかった。
目指すもの。
かつては明確だった。
天下。
国。
平和。
だが今は――。
「……まだ、探している」
「そっか」
鷹宮はそれ以上踏み込まなかった。
その距離感が、心地よかった。
放課後。
家康は、久しぶりに一人で帰路を歩いていた。
夕焼けが、街を橙に染める。
その色は、あの日の三河の空と、よく似ていた。
ふと、胸が締め付けられる。
その夜。
久しく見ていなかった夢を見た。
燃える城。
血の匂い。
怒号と悲鳴。
若き日の自分が、馬上から戦場を見下ろしている。
「殿! 進軍を!」
家臣の声。
だが、その先に見えたのは――
倒れる兵たちの姿だった。
敵も、味方も、区別なく。
その中心で、老いた自分が立っていた。
「これが……望んだ天下か?」
夢の中の老将が、そう問いかける。
家康は、答えられなかった。
目が覚めたとき、胸元が濡れていた。
(……後悔か)
彼は、初めて自覚した。
天下を取ったあとも、心の奥に消えぬ影があったことを。
平和は築いた。
だが、そこへ至る道は、あまりにも多くを犠牲にした。
「……だから、ここに来たのか」
翌日。
授業中、家康はふと意識を失った。
気づけば、保健室の白い天井を見上げていた。
「無理しすぎよ」
声の主は、あの少女だった。
学園祭で、裏方として最後まで動いていた彼女。
「疲れが出たんでしょうって、先生が」
「……すまぬ」
「またじいさん口調」
だが、彼女の声は優しかった。
「ねえ徳川。あんた、夢とかある?」
その問いに、胸が痛んだ。
「夢……」
一度、失ったもの。
叶えてしまったがゆえに、空になったもの。
「……かつては、あった」
「今は?」
家康は、窓の外を見た。
校庭で笑う生徒たち。
小さな争いも、すぐに笑いに変わる距離。
「今は……誰も泣かせぬ道を、知りたい」
少女は目を瞬かせた。
「なにそれ。優しすぎ」
「優しさは、弱さではない」
「知ってる」
彼女は微笑んだ。
「学園祭のとき、みんなそう思ってた」
その言葉が、胸に温かく落ちた。
放課後。
家康は、屋上に立っていた。
風が強い。
フェンスの向こうに、広がる街。
この時代には、刀も城もいらない。
それでも、人は迷い、傷つき、誰かに導きを求める。
(……もし、この世が我に与えた役目があるなら)
それは、再び頂に立つことではない。
過去を繰り返さぬための、学び直し。
そのとき、背後から声がした。
「徳川」
振り返ると、教師だった。
「来年度、生徒会の話が出ている」
「……私が、ですか」
「推薦が多い。君のやり方を見て、信頼した生徒がいる」
生徒会。
それは、学園という国の中枢。
再び、導く立場。
胸の奥が、ざわめいた。
「すぐに答えは要らない。考えてみてほしい」
教師はそう言って去った。
夕暮れ。
家康は、一人、屋上に残る。
再び力を持つことへの恐れ。
そして――逃げてはならぬという自覚。
天下を取るとは、支配することではない。
では、導くことは許されるのか。
風が、制服の裾を揺らした。
(……この問いに、答えねばならぬ)
夢の続きを、生きるために。
それが、転生した意味ならば。
彼の目には、迷いと決意が同時に宿っていた。
天下の答えは、まだ見えない。
だが、問いは――
確かに、彼の中で形を持ち始めていた。




