第22話「組織という城」
五月。
新緑がガラス越しに揺れている。
徳川は会議資料を抱えながら、ふと気づいた。
社内の空気には“流れ”がある。
発言が通る人。
通らない人。
同じ内容でも、口にする者で重みが変わる。
(城にも、門と裏門がある)
オンライン教育支援のモデル地区導入案は動き始めていた。
だが、その裏で別の動きがある。
「スポンサー追加、決まったらしい」
早川が耳打ちする。
「どこの」
「大手人材会社。条件はデータ共有」
データ共有。
つまり成果データを、企業側の分析にも使うということだ。
「現場の了承は」
「そこまで詰めてない」
徳川の眉がわずかに動く。
数日後、役員会議。
徳川はオブザーバー参加。
長机の奥に、役員たち。
石橋は慎重に説明する。
だが別の役員、北村が口を開く。
「データは資産だ。提供範囲は我々が決める」
冷たい声。
徳川は気づく。
石橋派と北村派。
社内には静かな派閥がある。
会議後。
石橋が小さく息をつく。
「組織は理屈だけじゃ動かない」
「派閥、ですか」
石橋は苦笑する。
「言葉は選べ」
だが否定はしない。
昼休み。
社内カフェテリア。
徳川は周囲を観察する。
北村の周りには営業部が集まる。
石橋の周りには研究職が多い。
城内の勢力図。
どちらが正しいかではない。
どちらが“強い”か。
その週、徳川はスポンサー契約書の確認を任される。
細かな条項。
データ利用の範囲が曖昧だ。
「ここ、明確にすべきです」
早川に言う。
「うーん、突っ込むと面倒だよ」
「面倒でも必要だ」
早川は肩をすくめる。
「理想家だな」
徳川は答える。
「守るためだ」
翌日、石橋に相談する。
石橋はしばらく黙り、言う。
「正しい。でも今は北村主導案件だ」
「では黙るべきか」
「戦い方を選べ」
戦い方。
正面突破か。
側面からの迂回か。
徳川は契約条項を再整理し、リスク一覧を作る。
感情ではなく、数字と事例で示す。
数日後の再会議。
徳川は発言を求める。
「データ利用範囲の明確化を提案します」
北村が目を細める。
「若手が慎重だな」
「慎重は損失を減らします」
資料を提示。
他社事例のトラブルも添える。
沈黙。
営業部の一人が言う。
「確かに、リスクは避けたい」
空気がわずかに動く。
北村は腕を組む。
「……条項を一部修正しよう」
完全勝利ではない。
だが一歩。
会議後、石橋が言う。
「よくやった」
「派閥を敵に回しましたか」
「少しな」
石橋は笑う。
「だが理屈で押した。悪くない」
その夜。
徳川は社内イントラネットを眺める。
人事評価制度。
成果主義。
だが評価項目は曖昧。
(評価もまた、城の構造)
誰が何を握るか。
権限の所在。
戦国と違うのは、刀が見えないこと。
翌週。
北村から直接呼び出される。
会議室。
窓の外は雨。
「徳川くん、理想は分かる」
低い声。
「だが会社は営利だ。スポンサーは命綱だ」
「理解しています」
「ではなぜ突っ込む」
「守るためです」
北村は目を細める。
「何を」
「信頼を」
短い沈黙。
北村は椅子に背を預ける。
「面白い若手だな」
敵か味方か。
まだ分からない。
数日後、営業部から相談が来る。
「契約条項、修正案助かった」
現場の声。
小さな橋が架かる。
派閥はあっても、人は一枚岩ではない。
夜。
帰宅途中の駅。
人波の中で考える。
組織は城だ。
だが城主は一人ではない。
利害が交錯し、思惑が渦巻く。
理想は、ただ掲げるだけでは浮く。
足場を作り、味方を増やし、時に迂回する。
それもまた戦。
週末。
地方モデル地区の報告が届く。
接続改善により、授業参加率が上がった。
小さな成果。
数字が示す変化。
徳川は画面を見つめる。
(これが、目的だ)
派閥も契約も、手段。
本丸は現場。
オフィスの窓辺。
雨が止み、街が光る。
徳川は静かに呟く。
「城を知れ」
敵を知る前に、構造を知る。
門はどこか。
誰が鍵を持つか。
天下は力で取るものではない。
組織の中で、少しずつ広げるもの。
理想は旗。
だが旗を立てるには、土台がいる。
社会人二か月目。
まだ若武者。
だが地図は、少しずつ描けてきた。
ガラスに映る自分。
スーツ姿。
刀はない。
代わりに資料。
戦は続く。
静かに、だが確実に。




