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第2話「静かなる陣取り」

 教室という場所は、不思議な戦場である。


刀も槍もなく、怒号も血もない。

だが確かに、ここには“陣”が存在していた。


徳川 恒一――かつて徳川家康であった男は、二日目の朝、教室に足を踏み入れた瞬間、それを理解した。


窓際の一団。

教室中央で声を張る者たち。

廊下側で静かに固まる少数派。


そして――どこにも属さぬ者。


(兵の配置、実に分かりやすい)


彼は自分の席に座り、鞄を机の横に掛ける。


周囲の会話が自然と耳に入った。


「昨日の投稿、めっちゃバズってたよな」

「いや、あれ絶対盛ってるって」

「でも先生も何も言わないし」


投稿。

バズ。


言葉の意味は、頭の中の“この身体の記憶”が補ってくれる。


――SNS。


現代における最大の影響力装置。


戦国で言えば、噂と風聞が一瞬で国中を巡るようなものだ。


(しかも、誰でも火を放てる……厄介な世だ)


彼は決して口を挟がない。

ただ聞き、見る。


鳴かぬなら、鳴くまで待つ。


それは怠慢ではない。

状況が整うまで、無駄な動きをしないという“戦略”だ。


だがこの教室では、その沈黙が別の意味を持つ。


「徳川ってさ、ちょっと怖くない?」


そんな声が、背後から聞こえた。


「目が笑ってないっていうか」

「急にキャラ変したよね」


家康は小さく息を吐いた。


(なるほど……沈黙は、不安を生むか)


戦国では“読めぬ男”は脅威だった。

だが平時においては、異物となる。


昼休み。


クラスの中心人物である鷹宮 恒一郎が、仲間を引き連れて教室を歩いていた。


背が高く、声が大きい。

自然と人が集まる器を持つ男だ。


彼は家康の机の前で足を止めた。


「なあ徳川」


家康は顔を上げる。


「最近、妙に落ち着いてるよな。前はもっとオドオドしてたのに」


探るような目。


力を誇示する者特有の視線だ。


「人は、時に静かになることで見えるものがある」


自然と、そう答えていた。


鷹宮は一瞬ぽかんとし、それから鼻で笑った。


「は? 哲学者かよ」


周囲がどっと笑う。


笑いは、力の確認行為だ。


誰が上で、誰が下かを示すための合図。


家康は反論しなかった。


(今はまだ、時ではない)


放課後。


家康は図書室にいた。


静寂。

紙の匂い。


それは、どこか寺院に似ている。


現代史、心理学、社会構造論。


彼は貪るように本を読み進めていた。


“力とは何か”

“人はなぜ従うのか”

“集団はなぜ暴走するのか”


戦国で体感したことが、文字として整理されていく。


「……時代は違えど、理は同じか」


そのとき、向かいの席に少女が座った。


昨日、声をかけてきたあの少女だ。


「また難しそうなの読んでる」


「知を得ることは、己を守る盾になる」


「ほんとじいさん」


呆れたように言いながらも、彼女は席を立たなかった。


「ねえ徳川。あんたさ、変わったけど……前より嫌いじゃない」


その一言に、家康はわずかに目を見開いた。


好意でも恋でもない。


だがそれは、“恐れ以外で向けられた感情”だった。


(……これが、支配なき繋がりか)


その夜。


家康はスマートフォンを手に、SNSの画面を眺めていた。


クラス内で起きた些細な出来事が、誇張され、歪められ、広がっている。


冗談が悪意に変わり、

沈黙が罪に変わる。


(放置すれば、火は大きくなる)


だが彼は、書き込まなかった。


代わりに、ある投稿を保存する。


誰かが無自覚に放った、嘘。


それが、後に“切り札”になると知っているからだ。


三日後。


クラスで問題が起きた。


一人の生徒が、根拠のない噂によって孤立し始めたのだ。


中心にいるのは、鷹宮の取り巻き。


誰も止めない。

誰も責任を取らない。


その空気を、家康は静かに見渡した。


(皆、恐れているのだ。敵になることを)


そのとき、彼は立ち上がった。


教室が、一瞬、静まる。


「徳川?」と教師が怪訝な顔をする。


家康は、淡々と口を開いた。


「その噂、出所が違います」


ざわめき。


彼はスマートフォンを差し出した。


日時、投稿履歴、編集痕。


言葉ではなく、事実。


責めるでもなく、怒るでもなく。


ただ“真実”だけを置いた。


沈黙が、教室を満たす。


鷹宮の顔が強張った。


「……なんで、お前がそんなもん」


「備えあれば、憂いなし」


それだけ言って、家康は席に戻った。


誰も笑わなかった。


誰も反論しなかった。


その日の放課後、噂は自然と消えた。


誰かが勝ったわけではない。


だが、誰かが救われた。


家康は夕焼けの中、校舎を見上げる。


力でねじ伏せたわけではない。

恐怖で従わせたわけでもない。


ただ、正しく在っただけ。


「……これが、この時代の戦か」


天下とは、奪うものではない。


守るものかもしれぬ。


彼の胸に、微かな確信が芽生え始めていた。


静かなる陣は、確かに敷かれた。


まだ誰も気づかぬまま。


だがこの学園という国で、徳川の名は、少しずつ重みを帯び始めていた。


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