第18話「若き将たち」
十月。
空は高く、風は軽い。
学園祭を終えたキャンパスは、どこか成熟した静けさをまとっている。
自治会室の机には、新入部員向けの資料が積まれていた。
来年度に向けた後継者育成。
代表の任期は、あと半年。
徳川はそれを、はっきりと意識していた。
(築くことより、残すこと)
それが今の課題だ。
その日、自治会説明会が開かれた。
新入生や一年生が十数名集まる。
緊張した表情。
期待と不安が混ざった目。
徳川は前に立つ。
「自治会は、命令する場所ではない」
学生たちが顔を上げる。
「意見を形にする場所だ」
短い言葉。
だがまっすぐ。
説明会後。
一人の男子学生が声をかけてきた。
「代表に聞きたいことがあります」
名は、神谷。
理工学部一年。
眼鏡の奥の目は鋭い。
「多数決って、本当に民主的ですか」
挑むような問い。
徳川は微笑む。
「完全ではない」
神谷は意外そうに瞬く。
「では、なぜ採用しているのですか」
「不完全でも、共有できるからだ」
神谷は黙る。
その沈黙は、思考の証だ。
数日後。
神谷は自治会に加入した。
さらに数名も続く。
自治会室は少し賑やかになる。
ある日の会議。
神谷が資料に手を挙げる。
「この予算配分、根拠が曖昧です」
空気が凍る。
先輩たちの視線。
だが徳川は言う。
「続けよ」
神谷は数字を示し、改善案を提示する。
論理は明快。
佐伯が感心する。
「やるな」
会議後。
椎名が小声で言う。
「あなた、止めなかったのね」
「止めれば、芽は枯れる」
育てるとは、守ることではない。
問いを許すことだ。
数週間後。
問題が起きる。
新入生の一人が、会議内容を外部に軽率に話してしまった。
悪意はない。
だが、未公開情報だ。
佐伯が怒る。
「甘い管理だ」
神谷も厳しい。
「規律が必要です」
全員の視線が徳川へ。
再び、決断を求める空気。
徳川は静かに言う。
「本人を呼ぶ」
一年生の少女が震えながら入室する。
「悪気はなかったんです」
涙目。
沈黙。
徳川は問う。
「なぜ話した」
「誇らしくて……自治会にいることを」
部屋の空気が変わる。
誇り。
それは悪ではない。
だが無知は危うい。
徳川は言う。
「罰は与えぬ」
ざわめき。
「ただし、情報管理の研修を主導せよ」
少女が顔を上げる。
「え?」
「失敗を、学びに変えよ」
会議後。
佐伯が言う。
「優しすぎないか」
徳川は首を振る。
「叱責だけでは育たぬ」
神谷が静かに呟く。
「責任を与える、か」
徳川は頷く。
研修は成功した。
一年生が自ら作成した資料は分かりやすく、
自治会の意識を一段引き上げた。
小さな拍手が起こる。
少女の顔に、安堵の笑み。
夜。
屋上。
神谷が隣に立つ。
「代表は、なぜそこまで任せられるのですか」
「信じるからだ」
「裏切られたら?」
「それでも、信じる」
神谷は考え込む。
徳川は空を見る。
(若き将たち)
彼らは未熟だ。
だが伸びる。
かつての自分も、未熟だった。
強さとは、独りで立つことではない。
誰かが立てる場を作ること。
数日後。
徳川は会議で宣言する。
「来月から、副代表を一年生から一名選出する」
驚き。
佐伯も目を丸くする。
「早すぎないか」
「早い方が育つ」
選ばれたのは神谷。
戸惑いながらも引き受ける。
「期待には応えられないかもしれません」
徳川は言う。
「応える必要はない。成長せよ」
役割を渡すたび、徳川の手は軽くなる。
かつては、握ることが力だった。
今は、離すことが力。
秋風が強まる。
キャンパスの木々が色づき始める。
代表室で、徳川は机を整理する。
書類の山は減り、
代わりに若い声が増えた。
椎名が微笑む。
「あなた、もう教官みたい」
「将ではないのか」
「将は前に立つ。でも今のあなたは、後ろから押してる」
徳川は小さく笑う。
「それも戦だ」
夜。
一人、校門を出る。
街灯の下、影が長く伸びる。
天下は広い。
だがその広さは、
一人で抱えるものではない。
継ぐ者がいる。
託せる者がいる。
それが、何よりの強さ。
徳川は静かに呟く。
「……次は、彼らの番だ」
風が葉を揺らす。
旗は、まだ立っている。
だがその布を握る手は、増えている。
若き将たちが、歩き出す。
徳川はその背を見守りながら、
自らの役目が終わりに近づいていることを知る。
終わりは、始まりの形をしている。




